日本が子どもに戦争を続けさせるのは、教育産業で特需景気になるから。

人工知能「東ロボくん」、センター試験模試で「偏差値57.8」 数学と世界史は偏差値60超え

こっちは進研模試
HOME> 教育> 教育動向> 教育ニュース ICT 全対象 2016/08/24 人工知能に勝つには「読解力テスト」から!?

こういうものを見ると、アニメ『サイコパス』のシビラシステムの世界が、各個人を一人一人テストし、その診断結果で職業を決めるのを思い出す。
それが、合理的な、世界になる。

外国人労働者が入り始めた。
もう教科書が読めなくても、言われたことだけできたらいい人材がいたらいいということでこうなった。

いいんだけどさ。

人間の価値って何?

なんで勉強しなくちゃいけないの?

そう、教育産業にお金を流すために、君は勉強をさせられている。

そういって、生きていく人も、たくさんいるだろう。

国の方針は、決まった。

オトノネは、そうするか。

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AI、テクノロジーは人間に問いかける。
「僕を、どう使うんだい?僕をつくって、何に気がついたんだい?」

心次第。

オトノネひろげるシェアぼたん

個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

IQ,認知能力、知能、いわゆる「お勉強」のお話です。
そうではない「しあわせ」や感情知性、メタスキルの話ではないのでご理解ください。

この後、「お勉強」の本を紹介しますが、どれも「学校の授業」や「学校の宿題」をやらない代わりに自主的に・自立して・個別的に取り組む前提で話しています。学校の「お勉強」に上乗せしないでくださいね笑

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オトノネには小学生も通っている。

けど学校が嫌になって、今は通っていない。
そこでオトノネに来た。

算数と国語が、苦手だという。
だからオトノネでは
「数の経験」をしてもらって、「式」と「数」を使うあそびをしている。
実際に、数を数える
数学であそぶ

お迎えがきて、お母さんが一言「家でもできることはありますか」と。
なるほど。

家でおとのねさんがやっていることは再現できないだろう。
その場その場で起きることを受け止めながら、あそびを発展させていくやりかたは、お母さんには厳しいかもしれない。(いや、やってみてほしいのだけれど…)

それで本屋に行っていろいろとオトノネ流を再現できそうな本がないか調べてみた。

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眺めながら。
中学生になった時にはっきり現れる「学力差」というものがある。
それが小学生の時にはっきりでてくるような気がした。

中学生になって塾に通うなら、小学生のときに「ちゃんと」見てあげること。
学校で「ちゃんと」見てもらえない分、家で「ちゃんと」見てあげること。

小学生の時が、大切だとおもった。
子供の学習費調査の「5 世帯の年間収入段階別,項目別経費の金額段階別構成比」

子供の学習費調査は、全国の公立並びに私立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校(全日制)に通う幼児児童生徒を対象にした統計調査で、2年ごとに実施されます。保護者が1年間に支出した子供一人当たりの経費を、学校教育費・学校給食費・学校外活動費に分け、世帯の年間収入の実態とともに調査しています。

別に、勉強ができなくてもいい、と思っているが。
勉強嫌いにはなってほしくない。
ちょっとした葛藤を感じながら、本屋にある本を見ていった。

(ちなみにおとのねさんは小学生のとき学校の勉強以外したことがない。熱心に生き物を育てたり、鳥の観察にいったりしていた。習い事は、いろいろやらされたが、ことごとく欠席を繰り返したが、お絵かき教室だけは通っていた)

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結論、小学3年生以降(8歳!)「学校の勉強ができていない」「授業においていかれた」とお父さんお母さんが判断したら、すぐさまその授業から離脱してほしいとおもった。算数なら算数、国語なら国語の授業だけでもいい。その時間、自習をさせてくださいと頼んで、この問題集をやっていたらいい。

授業を「無為」に過ごす時間を、少しでも学びの時間に変えよう。
大丈夫です。
法律で、守られています。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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グレードアップ問題集小学1年算数 計算・図形
『Z会 グレードアップ問題集』

この問題集は、「計算問題集」ではありません。
グレードアップ、と書いてありますが、とてもよい、「メタ」に近いことが「できるか」がわかります。
小学3年生または4年生から、この本の小学1年生をやる。(小学1・2年生の時は、あそびを通じて心やメタスキルを育ててほしい)
それも「1日、見開き1ページ」くらいでいい。(本人がやりたいといったらやってもいい)

肝心なことは「どこからわからなくなったか」「どのチカラ(メタ)が弱いのか」をお父さんお母さんが家で「ちゃんと」判断すること。
凹凸か、スローラーンか、それとも・・・・「経験」がないのか。
算数ができないのはLDかスローラーンなだけか、それとも経験不足か。

学習障害LDか、スローラーンなだけか。

この本はうまくできていて、家庭でも、日常生活の中でお父さんお母さんが子どもに「問いかけられる」ヒントが詰まっている。

「ああ、こういう経験が足りないんだな」とおもったら、積極的に、一緒に、何かをしてほしい。
家庭で、学びの時間をつくってほしい(それでもよくわからなくなったらオトノネにきたらいい)

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算数と国語を同時に伸ばすパズル
こういう本もあった。おもしろい。
『算数と国語を同時に伸ばすパズル』

「試行錯誤」しながら、情報を整理して、論理をつかんで、問いに答える。
一冊、買っておいて、小学3年生くらいから「やってみる?」と言って「あそび道具」としてあげたらいい。

これだけ、計算手順ではなく、脳内で「試行錯誤」を要求する本は滅多にない。
(こういう「試行錯誤」するゲームがおもしろいと思えるような子どもには、あっているだろう)

飛び道具的に使ったらいいとおもう。

この本の内容にも通じる「あは!」があるパズルです。
仮説を立てたり、いろんな場合を考えたり、情報をうまく使うあそびです。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

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 (分野別学習ノート算数)
『分野別学習ノート算数』

すでに紹介している、『Z会 グレードアップ問題集』でわからなかったところを、重点的に「繰り返す」問題集として使ってもいい。
(1歳のとき、子どもが同じことを繰り返してよく飽きないなーとおもったことはないでしょうか。あれを、この歳になってやるわけです)

もしくは、学校の宿題をやめて、小学3年生以降、こっちだけやったほうが健全です。
学校の宿題は大抵の場合、理不尽か意味不明で、単発的すぎて「わかる人の復習用」としか思えないので、こちらをメインでやってもらってもいいでしょう。

宿題、やらなくてもいいんですよ。やる義務はありません。もちろん。家庭では家庭教育をしてください。

強く言っておきます。

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こちらはオトノネの宣伝です!

富山市の民間学童保育

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となえて かく 漢字練習ノート
『となえて かく 漢字練習ノート』

学校の漢字練習ではなく、小学1年生の時からこの練習帳を使ってみてほしい。学校の漢字の宿題はこれが終わって「もっとやりたい」と言ったらやってもいい。かもしれない。この練習帳にはロマンがある。白川静という偉大な人の研究成果が使われている。

この本を読んで漢字に興味が持てたら、「やらせ」なくても勝手に覚える。
というか、漢字が頭に入らない子がいるとしたら、まだ「文字の構造」(漢字にはしくみがある)とか「文字の対称性」(漢字は図形でもある)が認識できていないこともあるし、手先の発達が遅れて(たくさんあそんでいないとこうなることもある)文字が描きにくくて漢字を覚えるどころではない!ということもあるだろう。

漢字は、大人たちが喋ることを文字に起こしたもの。
子どもは、漢字ができるようになると、大人たちの暗号を解読したみたいでうれしいものなのだが。

漢字嫌いの子もいるだろう。

ちなみに僕は小学生か中学生のときにシートン動物記の大人版(子ども版もありますが、装丁がしっかりした大人版)を読んでいた。
あれ?クレヨン王国だったっけ?とにかく、本を読んでいた。

ファンタジーの力、あそぶチカラがあれば、物語も「気になって」読みたくなってしまうものだ。
図書館に行ってみよう。
どれか、子どもの心に響く本があるはずだ。
アニメばかりみていないで!笑

文字を認識することが難しい子もいる。
そういう子もいる、ということが、とても、大変な問題を生んでいる気がするのだが。

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徹底反復 一年生の漢字

これは飛び道具的に。
こっちはまぁ使い勝手のいい、頭を使う練習帳(ロマンはない)。
「この学年から、抜けている」ということが判明したら、やってみるのもいい。

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本物の読解力をつけることばパズル
『本物の読解力をつけることばパズル』
国語のベーシックは実は、日常の中にある。
この本を「定期的に」進めながら、もしくは、やりたいだけ「あそばせ」ながら、子どもが「?」になったところがあれば、それを家庭生活で教えてあげればいい。経験させてあげたらいい。
家庭でも、お父さんお母さんでも子どもに言葉かけをするヒントが、この本には書かれている。

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ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕
いろいろなバージョンがある本だが、これ一つでいい。

これを、小学3年生になったらやってみる。
「1日見開き1ページ」を定期的にやってみたらいい。

で、もし、子どもが「?」になったら、お父さんお母さんが「ああ、こういう会話を日常でしていったらいいのだな」ということだ。
お父さんお母さんの関わり方が「言葉の経験」として子どもの学力につながる。とおもう。
どんな言葉の使い方を、日々日常でしていったらいいか、本が教えてくれる。

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小学生1・2年は思いっきり遊んだらいい。
(この時期の「やらせ」はかなり危険だと僕はおもっている)
で、小学校3年生以降で「わからなくなる」「できなくなる」ことがあるとしたら、スローラーンか、凹凸だとおもってほしい。
(他の記事では何度も書いているけれど、学校は少数のエリートを選抜するために「できる子」に速度を合わせています。お子さんを守れるのは、お父さんお母さんです)

発達の段階から行って、小学2年生までの間は、日常生活からたくさんのことを学ぶ。
家庭での言葉がけからたくさんの「考え方」を学ぶ。
新しく学ぶことに「わくわく」して取り組む素地ができる。

「意味不明、わからん」と思ったが最後、すぐに(小学3年生になっていなくてもいい)その授業を受けることをやめてほしい。
宿題などなおさらやらないでほしい。


二重の意味で(つまり、致命的に)育つものが、育たなくなる可能性が大きいのです。

二重の意味、がどういう意味か、僕が説明する前にわかった人は天才です笑(あえて説明しません)

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠
おとのねさんがお手伝いします。

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正直、小学生なら理科とか社会は「好き」でいられる子がおおい。
別に「お勉強」することもない。

ただ、算数や国語は、「数の経験」「言葉の経験」そして「不思議を理解する経験」があそびを通じてたまっていなかったり、非定型発達だったりすると、たちまち、「あれれ???」となる。

その子の学びの環境を守るためには、家庭教育しかないのです。
塾に任せますか?

お父さん、お母さん、自分でできますよ。
大抵の人は、無駄なお金を払って、塾に「任せ」たり、「変わらない!」といって塾をやめたり。。。。
お父さん、お母さん、自分でできますよ。

困ったら、おとのねさんに会いに来てくださいね。

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お母さんの一言で、オトノネのコンテンツがひとつ、増えました。
こういう学び合いが成立するためには、やはり、心が大事だとおもう。

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決して、学校に「ついていかせよう」としては、いけませんよ!(*´∀`*)ダメダメ
小学生でついていけなくなったのが、どうしてか、もしスローラーンなら、中学生になっても同じことが起こります。
凹凸ならなおさらです。高校生になったとき、どうしますか?
だから僕は「いけません!」と厳しく言っておきたいのです。

同じことが、繰り返されます。

「ふつう」を夢見ていませんか?
「ふつう」って何ですか?

大切なものは、なんでしょうか。
僕も、いつも、忘れがちですが笑

「好き」に全てをかけるためのライフラインを整えるという方法も、もちろん、ありますよ。
On the way to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

最近、まさに、そういう人に出会ってきたところです。

子どももいろいろ。
人生もいろいろ。

ちゃんと、お子さんを、まるごと、みてあげること。
家庭教育の本質は、そこにあるとおもっています。
(宿題を「させる」のは、学校教育の越権行為です。お父さん、お母さん、お子さんの心をみてあげていますか?「先生」になってしまっていませんか?)

学校から、お父さんお母さんが自立することが、子どもが学校から自立する、個別していくためには大切だと、僕は思っています。
学校の手先になっては「いけません!」
なぜなら、この時期、お子さんを守れるのは、結局、最後はお父さんお母さんだからです。

中学生になったら、思春期が来たら、もう大人なので、放っておいていいんですが笑
(中学生になったときに、もう大人であるように、小学生の時から関わってあげてほしいと、僕はおもっています)

発達には、段階があるのです。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

オトノネひろげるシェアぼたん

実際に、数を数える

算数で困っている子。

頭の中でなくて、実際に数える経験がないから無理やりつくる。
本当は、大人の仕事の手伝いをしながら、数を覚えるのが、自然なのだろうけれど。。。

「大人」になるまで仕事ができない世の中。
生活の中でどんどん、数と関わるような家庭教育が大切。

だけどお母さんが、お父さんが、仕事で目一杯になっていたら、しんどい。。。。

ーーーーー

おはじきを使って、数を数えながら。この子は勝手にあそびで「みっきー!」をつくった。
あ、これ、割り算だな。

とおもって、話をそっちにもっていくことに。

こういう偶然がどんどんでてきたらいい。
子どもは、実際、遊びながら、こういう経験を積む。
こういう経験が、「数の操作」として抽象化される段階になって、スローラーンであったり、不得手な部分を持った子が、置いてきぼりになる。
じっくりと、その子のペースで、学ぶだけでいいのに。

当たり前のことを、当たり前にやるおとのねです。


クラゲ、だそうです。
すごい感性!

宿題、宿題で終わらせないで、その子の心が向かっている先を、歩けるような、ちょっとしたお手伝いをしたい。
絵の具だけじゃなくて、パステル、切り絵なんか、この子には向いてるんじゃないかな。。。

とか。


別の日には、お花になりました。

ファンタジーは、生きるチカラです。

オトノネひろげるシェアぼたん

数であそぶ

数学は真面目にやったら新皮質だけで頭でっかちになる。
数学であそんだら、辺縁系も一緒になって、「あはは!」となる。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

小学生、数を「実際に」数える、というだけでも、ものすごく数学的なことができる。
規則性、対称性、分析して、場合分けして。。。

内言を獲得した後に抽象的な割合とか分数をやる以前に、こういう「数を数える」ことでたくさん数学の「どっきり」を経験してほしい。

高校生になったら、こうなる。

ふしぎくん


どきどきちゃん

で、文科省の指定通りに勉強すると、「概念の勉強不足」により、「暗記数学」への道が、ひらけてしまう。

いや別に、逆関数って言葉を使わなくてもいいんだけどね。
対数がわからないっていう子、結構たくさんいるらしいね。

逆関数、数Ⅲにならないとでてこないんですけど。
数Ⅱで必要になると、僕はおもうんだけど。

ーーーーーーーー

分数の前に、数を数えること。
対数の前に、逆関数をやっておくこと。

積み重ねないで、「わからん」という人は、順番さえしっかりすればいいのに。
たったそれだけのことを、多くの高校生が、教わらない。

数の数え方、数の扱い方に十分に慣れずに割合、分数にすすみ、算数嫌い、数学嫌いになる子がいる。
その子のペースでやりさえすればいいのに。
たったそれだけのことができずに、宿題を「させる」ことが、どれだけふしあわせのタネをその子に植えつけてしまうか。

オトノネひろげるシェアぼたん

算数で文章題ができないのはLDかスローラーンなだけか、それとも経験不足か。

算数ができない、という小学生がたくさんいるらしい。

で、よくよく聞くと、かなりいるらしい!

で、さらに聞くと、高校生ばりに、課題が多いらしい!

小学生に演習などいらない。
その時間を経験に使って欲しいのだが。

とおもえるくらい、小学生は算数の「抽象性」を支える「具体的」な経験が不足している。
理科でもよくあることだ。国語でもよくあることだ。社会だってそうだ。

「蛇」という言葉は知っているし、映像でみているし、変温動物であることもわかっているし、、、、そんな
「蛇」と関わる経験をもった子が少ない。中学生によくあるパターンは、「小問題ができても、文章題ができない」子。

この子は、ただただ練習させられ、「具体性のない」世界だけでなんとか自分なりにルールを作って計算できるようになったが、結局、「現実」という基礎がなっていなかったのだ。
小学生から勉強嫌いが多いという富山県(石川県もそうらしい)。

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19800と6720のどちらが大きい数字ですか?

この問いすら、子どもにとっては強大で、おもしろいものだ。
お母さんと一緒に買い物をして、レジでお母さんが出すお金を実際に見ているだろうか。
その関係性を子どもは勝手に学ぶ。(クレジットカードで払っていたらわからない!)

単位などは、経験がなければまともに扱えない、かもしれない。
逆に、生活の中で単位と関わっていたら、「え?ふつうだよね」となる。

学校の中では、今の学校が採用する教育方法では、それは望めない。
(お父さんお母さんの時代とは、教え方が違うから、子どもが混乱する(だから学校に任せなさい)という塾や学校の先生がいるらしい。みてみると、確かに、全然、違う。わかりにくくなっている。子どもがムリ!なのもわかる)

富山県の学校教育に話をかぎろう。(石川県は、今、西南部中学校ががんばっているからさておき)
小学校の教育は、中学校の教育は、高校受験に向けて子供達を「振り分ける」場所になっている。
そう考えなければ、理解ができない。学校の先生たち、何をしているの?

だって、ありゃ、できないわ!
あの課題、子どものやくに立たないわ!

上位の生徒のための授業。
それが小学校でも変わらないという事実を最近知った。
もちろんそうではない学校もあるだろう。

マンモスになるほど、その傾向は強まる。

結局、学校から身を守り、学校の外で教育資源をみつけ、利用する家庭教育にシフトすることが大切だと、おとのねさんはおもいました。

僕の知り合いの山田さんのお子さんは、小一ですが。
お父さんと一緒に「遊び道具」をつくりながら、長さの感覚、単位の感覚をバッチリ育てていました。

「みんなで一緒に」学校に行くのではなく。
「私は私の都合で」学校に行くくらいがちょうどいいだろう。

学校は学校の都合で、授業をしているのだから。

それを選ぶ自由が法律的に、日本の「子ども」には認められています。

まだそこまで考えられない子どもを、お父さんお母さんの知恵で助けてあげてみてはいかがでしょうか。
学校には、学校の事情があるのです。

「名詞」の抽象性

ーーーー

適切な行動の未学習か、
不適切な行動の誤学習によって
「問題の行動」が引き起こる。

「教えるべきこと」は何だろうか。
「これはダメあれもダメ」ではなく、「これがいい、あれがいい」を、適切な行動を学んでいこう。
学校の言語環境は、すこぶる悪い。「教えてはいけないこと」が、教え込まれている。

ーーーーーーーーー

発達が、平均より遅い子(スローラーナー)は、小学校の時、分数、割合という抽象概念を教わる時に、数学と決別することになる。
中学生になってから、もういちど、分数、割合をやればいいのに、学校ではわけのわからない文字式の操作を教わる。

ただ、その子のペースで学ぶだけで積み上がっていくものを、目の前の定期テスト、与えられた課題・宿題で潰してしまっていないだろうか。

なぜ「文章題」ができないか。

ひとつは「言葉」が弱い
ひとつは「論理」が弱い
ひとつは「計算問題をやらせすぎた(文章題は未学習)」
ひとつは「お腹が空いている」
いろんな「理由」が考えられる。

で、「できなくする」原因は何か。

「練習したらできる」子は少ないのです。
「やればできる」でやれる子は、少ないのです。
致命的に「やっても無理」な子にやらせていませんか。

その見極め一つで、お子さんの人生は変わってしまいます。
多くの高校生が、社会的な生活を送るチカラがなくなっていることを、教育現場にいるものとして、きちんと伝えなくてはいけないなとおもいます。

どうしたら、「できる」のでしょうか。

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オトノネひろげるシェアぼたん

小学校もサバイバルな件。

最近、オトノネに面談に来てくれた小学生。
「針時計が読めない」ということ。学校のプリントもできない。
算数自体が弱いという。

本人はあっけらかん!としている(見事!親指ピアノに興味もってくれたし)が、お母さんが心配している。
「スローラーナー」、ゆっくりその子のペースで学習するだけでわかるケースだと僕はおもった。
けど学校ではその子に合わせてくれない。違法です。が、仕方ない。それが現実。

学校でやらされている宿題、課題、プリントを見せてもらった。そして教科書も。
小学生にも毎日のように宿題(課題)が課されている。信じられない。
これだから、高校になってもみんな課題をやらなかったら不安になったり、定期テストに追われるのかな?宿題は「やらせない」方がいい。(勝手にやるならそれはそれで!)
そして「学年×10+10分」の家庭学習を「強くお願い」されているそうだ。
家庭は家庭で教育することがあるんですが。

そしてそのプリントのわかりにくいことといったら。。。
全て噛み砕いて、分析的に、誰にでもわかるように、導くという姿勢がみえるのはわかるが、あまりにも「観念的」すぎるという印象だ。
そして、「演習」が多すぎる。高校で「演習」ばかりさせて教えないのと同じ現象が、小学校でも起きているとわかった。

これ、困っている小学生、たくさんいるんじゃない?

ーーーーー

別のお父さんの話によると「ひらがなをなぞる宿題で、少しでもずれていたら、バツがついて返ってくる!」
意味わからん!

金沢の小学校でも同じことが起きているという。
え?何それ。1時間以上、神経をすり減らして、おもしろくもない、作業、「もし、ずれたら、もう一度やり直しをさせられる」というプレッシャーに耐える子ども。

学校の先生、休んでください。
今、その状態で、子どもに何かしても、いいことが起きる兆しがないようにおもえますよ。
休んでください。

大丈夫です。先生がいなくても、子どもは大丈夫です。
学校がよくないだけでしょう。
子どものことを考えてください。

と、僕ははっきりと言ってしまえるのだが。

子どもの心を守ってあげませんか。
教員生活を続けるのでしょう?
子どもの心を守ってあげませんか。
先生の心を、まずは自分で守ってから。

子どもに、素直に、「ごめんね、今の私は、学校の空気に逆らえなくて、こうすることしかできないの、弱いの、ごめんね。。。」と話すことから初めてもいい。
子どもに聞いてみてもいい。
僕は、実際、公立高校で、働くとき、それをやってから「授業」に入るようにしている。
「僕から何を教わりたい?」「けど学校の仕組みはこうなっててさ、僕も困っているんだ」

ごく一部の生徒をのぞいて「赤点を取らなければなんでもいい」という答えを出すのが、高校の実態です。

ーーーーー

図形、単位、計算でつまずいていても、どんどん先に進む。
遅れを取りもどす、といっても、そもそもスローラーンなので、「ほとんど取り戻すとか期待できない」状況で「もっと頑張りましょう」という先生。

しょうがない。だって教育にお金も人もかけていないのが、富山県・石川県なのだから。
いや、工夫はできるんだけどね。工夫もしないのね。オトノネにきたら、いろんな授業のアイデアだしますよ。けど、そもそもの心が、学ぶ準備ができていない先生が多いような気がする。

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと1

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと3

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実際、子どもたちは時計をみなくても生活できる。
チャイムが鳴る。誰かについていけばいい。

うーん。

いろいろ話をしながら、「お昼休みが始まる時刻」「長休みが始まる時間」がわからないことがわかった。
けど、「もう7時30分だよ!」と家でお母さんから言われているおかげで朝家を出る時刻はわかっていた。
針が読めることよりも、まずは時間を生活の中に取り入れる、意識化する、言語化するプロセスを、家庭で増やすのはどうだろう。とお母さんには話をした。(仕事で忙しく、大変なようだが。。仕事!お母さんの子育てという大切な仕事は!?)学校では「演習」をさせられて気が滅入って嫌いになってしまう。時計が嫌いになってしまう。僕は精神的暴力、学校の法律違反、犯罪だとおもう。はっきり言っておく。だって、子どもの命を守りたいもの。

「じゃぁ、あと60秒数えたら、◯◯しようか」ということでもいい。一緒に数を数えてもいい。
人間には指が10本ある。指をおりながら十進法をおぼえたらいい。
「なんで10分が6個で1時間なの?」さて、おかあさん、なんて答えますか?ドキドキです。
一緒にご飯を作る時に、砂時計を一緒に眺めてもいい。「これが5分だよ」。
そういう家庭教育、家庭での経験がなければ、小学校をサバイバルすることが難しくなる、そういう子もいる。

僕が働いている保育所では針時計の「6」のところにアンパンマンが貼ってあって、子どもも時計を見るようなやりとりを大人としている。保育の中でも「まだあそびたいの?でもこのあと◯◯だから、何時になったら片付けはじめようね」というように。

けど針時計読めなくても行きていけるのも事実だけどね!
小学校が終われば、時計の針を読む「問題」も出てこないのではないか。でてくる?
大丈夫、大丈夫。死なないから。

そんな時に思い出す。
「ウォッシュレットでなかったらうんちができない子」。
大丈夫、ウォッシュレットがない学校で、これから生活するんだから。

大切なのは、時計の針が読めるようになること以上に、時計の針が読めないという困った状況を通じて、「その子」をみてくれない学校の現状(もう無理なんです)を理解し、社会資源(子育てを助けてくれるいろんな人)を探してこれからの長い、長い、学びの環境を整えていくことだとおもう。

できなかった、
わからなかったことがわかるようになってうれしくない子がいるだろうか。
針時計が読めるようになって、暮らしが豊かになるような、そういう世界を大人として見せてあげたい。

うーん。

富山大学図書館にいって検定教科書をみてみよう。
おそらく、時代が新しくなるにつれ、醜くなっているのではないか。

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねのレッスン料を決めるのが難しすぎる件

おとのねさんはいつも考えています。

お金がほしい!
本買いたい!
研究したい!
知りたいこと、やりたいことがたくさんある!
お金はチカラだ!

けどお金がない今だからこそいろんな人に出会えているのも、素敵なこと。

記事を全部書き終わって、大事なことを先に述べると
「人の価値は、お金ではない。お金に換算できない価値が人にはある。オトノネは、オトナもコドモももっている人としてのチカラを出してもらいたいとおもっている。だが、お金は必要だ。。。」です。

眠っているチカラ、使っていないチカラで人をしあわせにできませんか?

ーーーー

お金の強さを使っている大手の塾の姿を見ると、「生徒って何なんだろう?」と思える部分がある。
僕にとって生徒は「しあわせをひろげてくれる仲間」であるし、僕が僕らしくいられる、学びあえる大切な「人」である。
金づるではない。

けどお金がほしい。。。
小学1年生から英語で遊べるための調べ物したい(海外の本が必要)、発達障害という名の現代症を理解したい(海外の本が必要)
グランドピアノほしい(子どもたちには本当にいい音と関わってほしいから!)、新しい本を書く気持ちもある(オリジナルな実践がなかったら売れないから出版ムズかしいと言われてお蔵入りしたことがあるけど新しいアイデアが出て来た。実践、まずは実践だけど。。)

ーーーー

子どもたちが子どもらしく、命を燃やすこと、学ぶことは自然なことだ。
そこにお金のやりとりがあっていいのだろうか?とおもうこともある。
だって、空気は無料でしょ?
けれども。

食べることが自然だが、それにもお金が必要なこの時代。
「あなたはあっちで魚釣り。私はこっちで米作り」していた時代もあった。
けどれども。

それが「お金」というルールで動いている今の時代。

お金との付き合い方を僕は今学んでいる。

ーーーーー

無償という考え方がある。
人が、それぞれに持っているものを出し合う。
お互いにない何かを学び合う。
お金でないもので繋がる。
それは素敵なことだと感じる。

(世の中にある多くの「無料」は後でお金をとる布石である。オトノネの無料体験も、無料相談もそうだけど。。)

ーーーーー

オトノネさんのやっていることは他ではほとんどやっていない。
というかオトノネさんという人間を出し切っていることがレアだ。
僕が僕らしく全力で本気で人と関わるためのオトノネだ。
それが僕だけでなく、おとのねに関わる人たちにとってもそうなるようなオトノネになっていってほしい。

もしオトノネいいなとおもってくれたら、、、、
おとのねさんに会いに来てみてくっださい。

ーーーーー

人は皆、全員が、誰もが資本家で、投資家であり、株主だ。
コンビニでモノを買えば、コンビニは儲かる(フランャイズの代名詞のコンビニは「本部」が利益の半分をもっていく超ブラックだ)。
みんながブラック企業を支えている。

みんなのちょっとした行動を積み重ねていくと、社会ができる。

人は皆、全員が、誰もが資本家で、投資家であり、株主だ。
お金を渡された人が、チカラを得る。お金を出した人は、その見返りをもらう(チカラを与えた分、チカラをもらっていなかったら損だ)

例えば、海外旅行に行くとしよう。
儲かるのは旅行会社、航空会社、それから現地の人たち。
関わった人たちはお金というチカラをもらう。
旅行に行った人は、旅行に行ったことで何かしらのチカラをもらう。癒しとか、気分転換とか。

そういうしくみが「お金」にはある。

ーーーーー

高度経済成長時代に蓄えられた「お金」がある。(お金は貯められる!)
僕はそのお金を使いたい。
設備投資、見栄えの良さ、宣伝広告ではない、大切なものに使いたい。

一生懸命働いて稼いだお金、自由に使える!
その自由な気持ちで、オトノネにチカラをくれませんか?

年収の高い仕事をしている人がいる(「お金」の仕組みをしっていて稼いでいる組織のこと。見方を変えれば、誰かからお金をたくさん吸い上げている組織で働いている人。)そう、お金はゲームみたいに増やせる!
僕はお金を稼いでいる人たち(年間所得偏差値100を超えるとんでもない人たち)からもチカラをわけてほしい。

かつて、芸術が謳歌していた時代、芸術家たちにはスポンサーがいた。
教会や王宮のために宗教画を書いたり、曲をつくったり、自画像を描いたり。
世阿弥などは日本で有名だ。

おとのねに関わってくれるひとは、オトノネのスポンサーだ。

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でも「お金」以外が大切だということ、お金でないからこそ素敵な出来事が起きることも知っている。
僕は両方大切にしたい。

だからおとのねさんはいつも困っているのです。
絵本も買いたいね!お金が貯まったらね!

オトノネさんのチカラを使ってみたい人、オトノネさんを育てたい人、オトノネさんに元気になってほしい人、オトノネさんと一緒になにかやりたい人に、出会っていけたらなぁとおもっています。

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最近、とあるビジネスマンから「ビジネスは必要性をつくるところからはじめる」というような言葉を聞いた。

「必要とされていないけど必要とされるようなしくみをつくる」
「潜在的に必要とされていることを顕在化させる」という2つの言葉で、

試しに説明してみましょう・・(どちらも同じことを言っているかもしれない)

宗教という言葉は日本では誤解されがちであまり使いたくないが。。。
宗教はまず「潜在的に必要とされていることを顕在化させる」。
人が持つ「ん?どうしたものか」といった心の不安を解決するための方法を提供する。
宗教に出会って心が晴れる人がたくさんいる(仲間が欲しいだけの人もいる)

ダイエット商品も、まず「痩せているモデル」をみせるところからはじまり「痩せたい」とおもっている人たちにこうしたら痩せるよと言葉をかけることで潜在的な欲望を顕在化させる。

「今は必要とされていないけど必要とされるようなしくみをつくる」とは、
例えば文科省が小学英語を導入したことで英語産業が盛り上がる(ビジネスが始まる)ケース。
潜在意識(不安や欲望)をつくり、ビジネスをつくる。
文科省はビジネスマンだ。(政治というもの自体、ビジネスだと考えることもできる)リクルートがネット社会をいち早く雇用社会に取り入れて大学から「求人票」をなくしてしまったというやり方もある。お金が入ってくる「しくみ」をつくるタイプ。
フランチャイズの代表格、コンビニもうまく仕組みをつくりましたね。

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ビジネスのまとめ

1。潜在的な必要性を作る段階
塾業界であれば、まず「難関大学に合格していい会社に入ってお金をかせいで。。。」という価値観が、根底にある(潜在的)。社会全体の雰囲気だ(保育園のときから英語やらなきゃ!とか)。なければ作る。(経済の雑誌で「難関大ベスト10!」とか特集すればいい。)

2。必要性を顕在化させる段階
それから「うちに入ったら、合格できますよ!」という言葉で「あ、そうか、難関大に合格させるために塾にいれなくちゃ!」ということになる。

3。あわよくばそれを「しくみ」化してゆるぎない地位を築く段階(そしてその地位を守るために、1に戻る。)
塾の雰囲気を出すためにお金を使ったり、宣伝に金を使ったり。。。肝心のことには使わない?(技術系の企業であれば新しいテクノロジーをつくるための研究費にしたり。競争に勝つために。コンビニも新商品を出し続ける。あたらしい便利さ、エンターテインメントを考える)

不安を募らせるか、欲望を刺激するのが、ビジネスの基本だ。

おとのねは??

「不安にさせられている」心(1の状態)
「必要性に迫られて逼迫している」心(2の状態)
「仕組み化されてがんじがらめになっている」心(3の状態)

に大きく深呼吸をしたもらう場所だ。
刺激で疲れた心が回復する場所だ。
不安に押しつぶされそうな心を大切にする場所だ。

メタビジネス!

そう、メタビジネス!!!!!!
おとのねはお金でない価値をつくろうとしている。
人がもっているチカラが、「お金以外」にもあることを知っているから。
人が人を幸せにするのが「お金」だけではないことを知っているから。

おとのねでは、僕が大切だとおもえることを大切にしたい。

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オトノネは、ビジネスの世界との距離を学んでいるところです。
レッスン料決めないとなぁ。。。

計算式

レッスン料=h(レッスン時間,f(所得),g(お金以外の価値))
こんな感じだろうか。
年間所得の偏差値が40の人もいれば、50の人もいる。100の人もいる・・・

あなたはお金以外の価値を、もっていますか?
お金以外の価値を、オトノネで育てていきませんか?
あなたがお金以外に、人に与えられるものはなんですか?

きっとたくさん、もっているはずです。
お金以外の関わり合いだからこそ大切にできる何かを、僕は大切にしたいとおもっています。
けどお金ください!!(笑)

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行政の補助金について

補助金をもらえば利用者の負担は安くなる。
たしかにそうかもしれません。
が。

オトノネは現在、補助金をもらえるためのお金すらありません。
審査が、厳しい。。。。
条件が、厳しい。。。。

それに、補助金からも自立できるような(行政にたよらない)状況を、オトノネは目指しています。
そんなオトノネでありたいと思っています(補助がでて「安い」というだけでお金だけの価値でくる人もいるから)。

なので、補助金なしでやっていく方針です。いまのところ!いまのところ!

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教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

数学的思考、というが、どれもうさんくさいというか、よくわからないものが多かった中で、これは本当に「なるほど」と合点がいった。


こちらの動画では数学教育について、そして〈数学的思考〉について取り組んだポリアの話が聞けます。

解法を覚えるだけでは算数。そろばんの弾き方を覚えるのと同じになってしまわないか。数学をするなら、ちゃんと数学をする。これははっきり別物だと思えた。言われたことを覚える作業が数学なのではない。

考える時間は人それぞれ。それを待ちながら学びを個別化することで見えてくる世界がある。もしかしたら、日本の子育てで必要なことは、いかに「自分自身の学びを、主体的に、自律的に、個別化していくか」であるのかもしれない。みんな同じテスト、一斉授業、管理された時間のなかで、いかに自分を守っていくか。

僕自身が、今、自分をどうしたらいいか、悩みながら、一歩、一歩、踏み出そうとしている。そんな個別化された、孤独な一歩を見守ってくれる支えてくれる人と出会えたなら、しあわせだ。

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数学は暗記か。

高校受験の数学の問題を解きながら。

いやぁ、やっぱり数学って暗記なの?と思えてしまう部分がある。(実はそれは暗記ではないのだが)どういうことかといえば、問題を解きまくってときまくると、パターンが見えてくるのだ。それを前から、後ろから、繋げようとすると、びびび!っとつながって、答えが出る。

これ、人間関係でも似ているとおもいませんか?

人間関係にもパターンがある。数学の世界でも何が起きるか、無限ではない。幾らかの模様、パターンがあって、その「パターン」をしっているから、(思い出せるから)解ける問題がある(喧嘩をして仲直りするためには何をしたらいいんだろう?パターンがあるはずだ)。このパターンを知るという段階(そのパターンがどんな形で隠されているかはわからないが)、探索、探求の段階が基礎だとしたら、次は規則性、法則性を見つけて、「目当て」をつくってパターンの中に活路を見出そうとする応用の段階がある。

大学受験で言えば、「問題の出題者には意図がある」と思えばいい。そこから何が問われるかというパターンを予測したら、勉強する内容も決まってくる。「基礎」ができたら過去問を解くのが先で、過去問を解いてからその大学に向けた本格的な勉強を始めるのだ。隠されているパターン(問題作成者が見つけて欲しい世界、世界の見方)を知らなかったら、どんな「目」を学びとればいいのかわからない(それはネズミの目か、イーグルの目か)

数学にも模様がある。そのパターンとなれ親しみ、そのパターンの生まれ方を知り、そのパターンと関わって行くこと。(人間づきあいもたくさんの人と出会いながら磨かれて行く)数学の勉強は、この点、英語よりも国語よりも深い。(なぜ今私はこの公式を使っているんだろう?なぜ今こんな式変形をしているんだろう?という逐一を大事にしなくてはいけない

さて、ここで問題です。数学者は人付き合いがうまいでしょうか!?????笑

受験勉強は✖︎だったものを◯にする「作業」かもしれない。できないことをさらけ出して、ひとつずつ、ひとつずつ◯にしていく「作業」かもしれない。当日に、全速力で走るために、競技場に転がっている石をひとつひとつ取り除いていく「作業」かもしれない。

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合理性と感覚以前の、感情と豊かさと、大人と子ども。

このあいだ、数学を一緒にやりながらいろいろと考えた。

三角関数にはいろんな変換がある。よくぞこれだけ見方を変えるな、というほど。それを一つ一つ、「いざ」というときに使えるだろうか?知ってはいる。ただ目の前に「問題」が出た時に、それが使える状態にあるかどうか。

左脳は合理的、言語的で右脳は音楽的、空間的だと言われる。『ことばでつまずく子どもたち』で竹下研三さんは、右脳のことを「空想的」といっていた。なるほど。ぼんやりと脳の中でいろんな変換、いわゆる公式を思い浮かべる、空想する、変形したり、元に戻ったり、いろいろなパターン、模様を作り出す。中学数学で問題になる図形なども右脳だ。ひねったり周り足し動かしたり、そういう働きは全て右脳だ。となると、

数学ができないのは、右脳が育っていないから?(いやいや、右脳と左脳のバランス)

外からの情報は大脳の「視床(辺縁系の一部)」「辺縁系」の順(内側から外側)で情報が回って行く。赤ちゃんもこの順序で成長していく。視床には内側膝状体というものがあり、これを経由して辺縁系に伝えられる。この交差点で、音声の信号は扁桃体という場所にも送られる。ここはうれしいとかかなしいという「情動・感情」を生み出す場所らしい。小さな子がお母さんの声を聞いて安心しながら、まずこの場所が育つ。(完全に完成するまで6、7年かかるという)大人になってくると、自分に必要がない音が辺縁系に行く前にカットしてしまう(聞こえないことにする)カクテルパーティー効果は、この部分で情報を取捨選択して生まれるという。辺縁系は他の動物にもみられるように、本能に関わる部分である。脳の中心部(人間の軸)に近いこの部分は「暮らし」「豊かさ」と関わる脳なのかもしれない。(パン屋のいい匂いを嗅ぐと、優しい気持ちになるのは、この部分の働きだ。)

で、情報は辺縁系のあとに「大脳皮質」「大脳新皮質(連合野も含む)」にもいく。この段階で左右が生まれる。そして音が「ことば」として意味を持つようになる。左右を結ぶのは「脳梁(のうりょう)」である。梁!

世の中にはたくさんの理不尽さがあり、残酷さがあり、嫌なことや戸惑いに出会うことが少なからずある。その時に、まず最初に扁桃体が反応する。「なんだ!いやだこんなの!」頭を抱えて泣き叫んでいる。次に前頭葉さんが登場する。「あー、大丈夫大丈夫。こういう時は、こうするんだよー」と笑いながら、落ち着いて、包み込んでくれる。そういう関係が、実は、子どもが大人とコミュニケーションしながら、学んでいってほしい、本当に大切なことなのだが。理不尽さと矛盾にあふれたこの世界を受け止める心を大切にしたい。「嫌なことだけどする」ことも、大切な何かを守るためには必要なのだと、伝えたい。大切でもないことならケラケラ笑いながら、「なかったこと」にしてもいい。大切なものを守りながら暮らしている人は、美しい。

そのために言葉、習慣、振る舞い、暮らしを選んでいくことが、子育ての、人間育ての要点です。

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