できないこと、しないこと、やれないこと、やらないこと。

小学生の時、僕は宿題を熱心にやらなかった。その時決まって先生にいうセリフがある。「宿題はできませんでした」と。しかし気が付いていた。「やろうとおもえばできたのだが、やらなかったのだ。だからできませんでしたではなくてやりませんでしたと言った方が正確ではないか」と。しかし、子供ながらに「やりませんでした」と言った場合、めんどくさくなるということを察知して「できませんでした」を採用することにした。それが小学6年生の話だ(自分のためにならない作業をどうしてこの時期、遊ぶ時間を減らしてまでやらなくちゃいけないんだろう?)。

ーーーーーーー

この時期になると志望校を決める、今までの勉強法を振り返って焦る、そんな時期。
不安になる時期だ。これでいいんだろうか?いわゆる「自称進学校」の生徒のお母さんから「うちの子は大丈夫でしょうか」という問い合わせが増えるこの時期。

今まで勉強をしてこなかったから、これからやればできる、と考えることもできる。
「やってなかっただけさ!」その通りだ。が。
『ビリギャル』の成功例や数々の風の噂が生み出す(そして多くのお母さんたちがそこにしがみつく)バイアス(心のお守り)の存在はさておき。

ーーーー

勉強を果たして、してこなかったのか。
してこなかったのかもしれない。
やれなかった、のではないかどうか。
要するに、意思ではどうにもならない迷宮ラビリンスに入っている可能性はないか。

だとしたら、「これからやればできる」というのは、とりあえずうろうろと歩き回っていた迷路をダッシュで駆け抜けようとするのと同じで、同じ迷路の中にいることには変わりがない。

というのが僕の考えだ。

しなかったのではない。
できなかったのだ。
やらなかったのではない。
やれなかったのだ。

迷路から抜け出せなかったのだ。
道に迷って、もうダメだと、とぼとぼと歩いていたのだ。走れる気力がなかったのだ。走らなかったのではなく、走れなかったのだ。

迷路から抜け出すか、自分でできる?
もちろん、迷路を疾走してもいい。
もし抜け出したいと思うなら、「もう無理!」なら、オトノネに来てみたらいいとおもう。

一人じゃできない、やれない、のか、
一人でできる、やれる。のか。

オトノネは、一人じゃできない、やれない、わからない、そういう人のための学び場です。

ーーーーー

今から初めてみるといいかもしれない。
「しなかっただけだ。やればできる。できないのではない、やらなかっただけだ。」と考えてみて、ダッシュで迷宮を駆け抜けて成果が出る人もいるだろう。
なにせ発達は人それぞれ、十人十色、いろんなゴールの仕方がある。
やってみたらいい。できなかったら?できなかったのだ。。ということがわかるのは、おそらく合格発表が出てからだろう。そうして多くの人が、受験という経験を、受験という儀式を、未完了のまま、ただただ終える。「長い定期テスト期間だった」と。

オトノネなら、迷路を進むか、迷路に穴を開けてとりあえず抜け出して最短距離を走るか、そもそもゲームを降りるか(爆)というところから、問いかけたいとおもっている。もちろん、ひとそれぞれ。迷路から出た時の、あまりにも長い、遠い、ゴールまでの最短距離を目の当たりにして愕然とする人もいるだろう(自称進学校でバイアスをかけられた多くの生徒たち)。そもそもゴールが見えないほどの迷宮でずっとさまよっていたのだから。塾や学校の課題、一斉授業という小さな世界でしか暮らしてこなかったのだから。途方も無い世界の広さに、驚くかもしれない。遠くのものがもう見えなくなっている子もいる。

ーーーーー

有名な話だが、野生動物は、体の調子が悪いとき、自分で「必要なものを食べる」「必要なだけ休む」。
放牧された牛は、自分の健康管理を自分でする。草を選んで食べるのだ。

それと同じことが、人間にも言える。
与えられた飼料(課題)だけを食べて健康を保てていればそれでもいい。
けどそれでどれだけの鶏が短命で、病気になっていくか。

自主自立とは、「自分で選んで食べる」ことだ。

何をどう食べたらいいのか。
選ぶ力、食べる力は、小学生までにほとんどできあがっていると、僕はおもっている。

ーーーーー

人それぞれに完全に対応するのがオトノネの完全子別指導です。

お子さんへの期待に「愛」が込められていますか?
今のお子さんの姿を、きちんと見れていますか。見えないですか。見ることが、できませんか。見てみませんか?
受験勉強と、定期テスト対策勉強は違うのだということを、ご存知ですか?

思えば、フランチャイズの塾で働いていた時代、「あ、この子は、お母さんの影響が強すぎて勉強に迎えていないんだ」という生徒がたくさんいた。自営業を始めた今ならそのことをきちんという。言うからお客さん来ないんだろう。自分のしていることに気づかないお母さんが多い。フランチャイズ時代は、「お母さんは塾に、安心感、自分はこれでいいのだという安心感を買いに来る。だから「無理」な生徒でもだれでもかまわない、とにかく買いては保護者だ。お母さんさえ安心できればいい。多くのお母さんは子どもの成績はみているかもしれないが、子供はみていない。」ということを学んだ。

オトノネの生徒が増えないのも、そういった事情があるからなのだとおもう。

オトノネひろげるシェアぼたん

【失敗はない】オトノネ流、学びのプロセス。

成長!といわれたら、直線的なイメージを思い浮かべていませんか?
伸びていく一方、とか。(某大手予備校の矢印のイメージ)

ビジネスの世界で伸び続けることはできるかもしれません。(富国強兵、経済的な利益を無理に伸ばそうとして自民党公明党は国民の安全安心を無視していますね。)
ですが子育て、学びの世界では、伸び続ける、ということは、ちょっと変な話です。
(子育てをしている家庭は全員、少なからず野党に投票してほしいとおもいます。ちょっと学べば、そう思えるはずです)

ホルモン剤を射ったら数値が上がるとかそういうものではないです。学びは。
と、僕はおもうのです。

ライフステージのそれぞれで、らせんの大きな変化が生まれたりします。
らせんを描きながら、小さく振動しているような学びもあります。

壮大な、ぐるぐる。

オトノネひろげるシェアぼたん

【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?

忍耐という名詞を使ってもいいのだけれど。
使わない方がいいとおもう。
名詞の抽象性

じゃぁ、忍耐って、どうやってつけるの?
その一つの答えが、軍隊式、スパルタ式教育。
困難な状況に、慣れさせるというもの。(ただしこの困難な状況に慣れることができず、脱落する人たちがいる)

忍耐とう名詞を別の言葉に言い換えてみたほうが、もっとしあわせになれるよ!
というお話をします。

成功する子・失敗する子

自制心を最大限に発揮したい場合、どういう戦略やコツが最も効果的か?そうした技術は教えることができるのか?ミシェルの実験からはおもしろい結果がいくつか出ていた。例えば精神分析理論や鼓動理論が提示するところによれば、子どもにとってマシュマロをふたつ手に入れるための最良の動機付けとなるのは、ご褒美を意識の中心に起き続けること、最終的にそれを食べられた時にどんなに美味しいかを強調することであるはずだった。ところが実際の結果は正反対だった。子供たちはマシュマロが隠されていた時の方が、目の前にあったときよりもずっと長く我慢できた。この実験で最良の結果を出した子供たちは気をそらす方法を独自に考え出していた。いひ部の子供は実験者が戻ってくるのを待つ間、ひとりで喋っていたり歌ったりしていた。おやつから目をそらしたり、自分の手で目隠しをしていた子供もいた。昼寝を始めた達人もいた。ミシェルの発見によれば、子供が時間を引き延ばすために効果があるのはマシュマロについて違う考え方ができるような簡単な助言があった場合だった。頭に浮かぶおやつが抽象的であればあるほど我慢できる時間も伸びた。マシュマロを菓子ではなく丸く膨らんだ雲みたいなものと考えるように誘導された子供たちは、7分ほど長く我慢できた。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.110)

どういうことかと、課題に対して、自分なりの方法を編み出せることが重要であり、
忍耐、我慢強さという指標は、全くあいまいで、抽象的で、誤解を招く言葉であるから使わない方がいいという話。

オトノネは、「自分なりの方法を編み出す」お手伝いをします。
それが個別化であり、ファンタジーであり、あそびであり、受験という経験だと、僕はおもっています。

またこれが、世の中の「リッチ」なものを味わえる、メタスキル になることでしょう。

マシュマロ実験いろいろ
ライフシフト

自己主体感に関して難しいのは、寿命が長くなれば、考慮しなくてはならない未来の自己像が何通りも出現することだ。100年ライフでは、お金を使うことより貯めることが重要になるし、余暇時間をレクイエーション(娯楽)から自己のリ・クリエーション(再創造)に振り向ける必要性も高まる。家庭内での役割と互いの関わり方について、パートナーと難しい会話をする能力と意思も強化しなくてはならない。ここで問われるのは、未来に得られるかもしれない恩恵のために、いま厳しい決断ができるかどうかだ。(略)研究によれば、セルフコントロールの能力は人によって異なり、その違いは幼い時から現れる。例えば、3歳の子供に、いまマシュマロを食べるのを我慢すれば、30分後にもう一個マシュマロを上げようというと、満足を味わうのを先延ばしにしてセルフ・コントロールができる子どもと、それができない子どもがいる。ものごとに習熟するためには、満足を先延ばしできるかどうかが重要だ。なんらかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵(たとえば、イタリア語を話せるようになること)のために、目先の快楽(例えば、お気に入りの連続ドラマを見ること)を我慢しなくてはならない場合が多いからだ。研究により、セルフ・コントロールは後天的に身につけられることがわかっている。ものごとに習熟するために快楽を先延ばしにする能力は、学習できるのだ。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックによれば、厳しい課題に向き合い、なにかに習熟したり、プロジェクトをやり遂げたりする能力をどの程度持っているかは、人によって異なる。ドゥエックの言う「成長思考」の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て生き、未来につながる道に思考を集中させようとすることにより、将来の計画を貫くことができる。そうした人たちは、「現在の暴虐」ーいつもすぐに手に入る果実ばかりを追い求めたり、手ごわい課題を与えられると動揺したりすることーをあまり経験しない。こうした思考習慣を身につけるためには、方法論を学ぶことが有効だと、ドゥエックは主張する。不可能とは言わないまでも困難な課題に取り組むように指導・奨励された子どもは、成長思考をはぐくみやすいというのだ。もしドゥエックに助言を求めれば、長い人生を通じて生産的でありたいと思う人は、困難な学習目標を立てて、強い覚悟を持ち、目標に向けて脱線せずに忍耐強く努力し続けるよう言われるだろう。100年ライフでは、人々に自己効力感と自己主体感をもたせ、計画と実験と習熟を後押しすることの重要性が高まる。教育機関と政府は、そのために貢献することができる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.362)

オトノネひろげるシェアぼたん

精一杯、かるたであそぶ。それでもたくさん、学べる。

ざんねんな生き物図鑑、が、大好きだという子に、持ってきてもらった。

へー

すごい。進化の話まで書いてある。
おもしろいなー。
学校の進化の勉強するよりもおもしろそうだなー

とおもいつつ。

「これ、どこまで読んでるんですか?(全部は読めていないだろう)」とお母さんに聞くと
「ざんねんなことに、この文字の大きいところだけなんです笑」
なるほど笑
「暗記するくらい、読んでるんです笑」
なるほど笑

ということで、やって見ました。

ざんねんな生き物図鑑

おとのねさん「長い舌で鼻くそをほじるのは、なんて動物?」

即答。

「キリン❤️」

この子は天才だとおもった。

そのあと、家庭教育のサポートをする。
気づいたことの共有、言語化と、いろんな相談など。

で、最後に、オトノネに入ってきた瞬間から手に持っていた「かるた」をすることに。

なぜか、その子は「よむー!」といった。

お母さんと僕で対決。

最後、二人で取ったカルタの数を数える。

いーち、にーい、さーん、、、、
お母さんが19まい。
おとのねさんが25まい。

はいそこで質問。
「おとのねさんは、お母さんより何枚多くとったでしょうか?」

「引き算でしょ!」
正解!
いや別に足し算でもいいけど。

「じゃぁ、答えは?」

「。。。。16!」

「よし、じゃぁ、数えてみよう!」

いーち、にーい、さーん、、、、19まで数えてストップ。
「じゃぁ、残ってる札の数を数えるよ」

あれ?
16じゃなかったね。残念!
どっかに消えちゃったのかなー。
不思議だね!

ーーーーー

肝心なことは、その子が自分で「私は読む」といったこと。
読み札はすべてひらがなで書かれている。

それを、ゆっくり、読む。
ゆっくりなのだ。

ときどき、間違える。

札を読むことは、その子にとっての挑戦であったし、

もしかしたら、僕とお母さんを戦わせて見たいという願いがあったのかもしれない。
けどとにかく、一生懸命、読んだ。

お母さんも、僕も、読み終えるまで敢えてまっていたり。。。。

たまに痺れを切らせてバシッととったり。

ーーーーー

今日、どうしてカルタをしたくなったかわからないが、その気持ちひとつを大切にすることで、今日もひとつ、その子を理解できたようにおもう。

一生懸命、学んでいるのだ。

子どもを、心から、僕は尊敬している。

オトノネひろげるシェアぼたん

子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??

PISAで「無回答」が多すぎた問題。

大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。

はっきりいいます。
(おとのねさんそこらへんはっきりしています)
休みない定期テストと外部模試、宿題、課題は、学校の生徒(自らを学畜と、進学校の生徒が自分で称していました)管理システムです。
お子さんの心を、刑務所送りにしていませんか?
刑務所でもたくさん、学ぶことはありますが。。。。
僕は、脱獄しました笑

学校の囚人管理システムから、大人になったら、今度は会社の奴隷(社畜)管理システムに移行します。
本当に「いい」会社、社畜になっても守りたい大切なものに出会えたなら、しあわせですが。。。

日本の「こけん」のために?
親の「こけん」のために?

日本や親から子どもが自立していく場所が、おとのねです。

PISAの「定期テスト対策」する日本。
「テストの勉強したの!?」という言語環境が、子どもの大切なタネを殺していませんか?
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。

言葉の発達が遅いのが、「言葉を使う経験」が少ないからか。
それとも、スローラーンなだけか。

オトノネひろげるシェアぼたん

学童期に大切な「学び」を保障する場所。

0歳から1歳 子ども(体外胎児期
 0歳:感覚と感情の経験

1歳から4歳 子ども(幼児期
 1歳:ニューロンの再構築(一度出来上がったシステムが、全く新しくなる)
    社会的所作の獲得開始(食べる・排泄する・)
 2歳:みえない友達
 3歳:
 4歳:サリートアン課題ができる

5歳から8歳 子ども(学童期
 指先の細かい動き
 5歳:
 6歳:
 7歳:
 8歳:

9歳から12歳 子ども(思春期
  9歳:数学的抽象概念の理解・言語的な社会化(内言の発露)
 10歳:
 11歳:
 12歳:

13歳から18歳 大人(思春期

感情にまだ名前がない、未分化な状況がある。
人間らしいシナプスが作られるようになるという1歳児から、子どもは、少しずつ、「名もなき感情」が生まれた時の「対処法」、感情との「対話法」を学んでいく。あこがれ、うらやみ、とまどい、怒り、、、少しずつ、少しずつ、、、、それがある程度、その子のデフォルトは、3歳になるまでに固まるという(保育士さんの経験則)。

高次認知的情緒とよばれるこうした「いろんな名前のついた感情」に、子ども自身が、子どもの内部で、心で対処していけるようになる。

友達を脅す子
友達に媚びる子
誰にでも対等に関わる子
ひとりで遊ぶ子

そしてどの子が持っている力も、社会化することで、「天の才」として、伸ばすことができる。(個別化)
それを子ども時代の大脳辺縁系の発達のままにしてしまうのではなく、人間として、大脳新皮質を育てることが大切だと、オトノネさんは思っています。

それは全て、人との関わり合いの中で、遊びの中で育つ。
プリントをたくさん解くことで育つのではない。

ーーーーーー

3歳までの遊び方・学び方で、その子のその後の育ちがだいぶ、決まるらしい(保育士さんの経験則)。
実際、脳はいくら臨機応変だといっても、その時その時「育てたい部分」がある。
ある部分が、適した時期にある程度でき、そしてその次に、「基礎」をもとにして、新しい部分を作っていく。
人間の脳が、辺縁系の上に、新皮質がプラスされているように。

同時に全部、ではなく、やはり優先順序が、そのときどき、発達の段階で異なるということ。

乳幼児には、呼吸器や筋肉など、とにかく生きるために発達する。
幼児期には、人間として生活する所作を学ぶ(甘える・怒る・駄々をこねる・一人で静かにあそぶ・誰かにいつもひっついてあそぶ)。【自主性】
学童期には、鍛えられた探究心、身体性を最大限に使って、あそぶ。ルールを理解できる。(知識・技能・関心の個別化・深化)【自主性・創造性】
思春期(子ども)には、すでに独立して、他者から自立して内言をつかい、話し合うことができる。協同して学べる。ルールをつくれる。(自立・協同)【自主性・創造性・(小さな)社会性】
思春期(大人)には、子どものときに培った「天の才」を極めて、社会化するような学びを深める。多様性に接する。【自主性・創造性・(大きな)社会性】

18歳になったら、「職場」で学ぶ。
(大学は、もともと、研究者を要請する場所だった。大学という「職場」で学ぶことだった。それが今は、教育基本法改正(改悪)によって、高校と同じ「学校」になってしまった。今は「幼稚園」だけが学校に含まれているが、これから「認定こども園」を学校に入れようという動きが見られるだろう。それは、日本がアルイミで終わる瞬間だ)

それからは、組織を選んだり、自分にあった場所を探したり、、、いろんな生き方がある。
学び直すのもあり、、、外国にいくのも。旅をするのも。

次の発達段階、発達課題を見越した関わり合いが大切。
一つ前の段階から、次の段階のタネを育てていく。

例えば、学童期に創造的に「粘土」とか変わるために、「砂場」でたくさんあそぶこと。とか!
それは思春期になって、自分の「天の才」として、「土」の仕事を目指すきっかけになるかもしれない。

学童期の最初の段階、5歳で象徴的な「創造」「集中」「深化」の例として、他にKAPLAが挙げられる。
時間をかけて、ひとつのイメージに向かって、作り上げていく。

身体的な発達については、「検診」で診断される。
身体的な発達が遅れて入れば、その分だけ、精神的な発達にも影響があると考えるのが道理だが、そうとも限らないこともある。
アームストロング博士は有名だし、オトノネはクシュラを例として挙げたい。

1歳児半検診で「両手で叩ける」ことが検査項目にある。
身体的な機能、発達していく心を見越して、環境を与えること。

そんな当たり前を、おとのねはあたりまえにやろうとしています。

オトノネひろげるシェアぼたん

佐藤学の《学びの共同体》をオトノネに導入しよう。「学校」つくったら!

先日、富山大学附属特別支援学校でたまたま佐藤学という有名な先生の話を聞く機会に恵まれた。
いるんだね!こういう人!というか、友達になりたいとおもった。
「学びの共同体」という言葉で、理想の教育の姿を説明してくれた。

むかーしっから、やっているようです。
学びの共同体研究会

石川県金沢市立紫錦台中学校も参加しているらしい。
こちらが金沢市立紫錦台中学校のHPです!
富山県で「学びの共同体」を実施している場所は、みつからなかった…

ーーーーーーーーーーー
メモにとったもの。

学ぶことは、しあわせなことだ。
一人で学ぶことはできない。学びは、社会的なものであって、孤立していたらできない。
人間の大脳新皮質は他者との協同により発達する。

ペア、グループ、コの字型で向かい合うのが基本。

小学3年生にならないと、内言ができない。考えることができない。(経験的な法則)
だから小学1、2年生はペア。それ以降は、3人、4人にする。

学びは既知の世界から未知の世界への旅であり、新しい世界、新しい他者、新しい自己との出会いと対話である。
学びは個人的活動ではなく社会的活動であり、自然的過程(能力や技術の形式)ではなく、文化的過程(意味と関係の構築)である。

人間の学びはコピー(模倣)ではなく、再創造
人間の学びはコミュニケーションによる意味の再構成(社会的文化的実践)

学びを対象世界(テキスト)との対話、他者との対話、自己との対話の三つの対話的実践。
学びは認知的実践(世界づくり)であり、対人的実践(仲間づくり)であり、実存的実践(自分づくり)である。

人間の学びは、ほとんど短期記憶にしかならない。
人間は学び続けないといけない。
動物は生まれてからすぐ、立ち上がる。模倣のプロ。
人間は、模倣する力が動物より弱い。短期記憶にしかならない。

一歳になるまでに、一度シナプスが削ぎ落とされる。軸索を残して、消える。
1歳になったら、シナプスがズバーと出てくる。そうすると、言語が生まれる。

シナプスのつながり、すなわち関係の構築。

1”5”20
意味を、共同で見つける時、それが長期的な記憶、知恵になる。

東京オリンピックのときには、空港が無人化する。
35%が人工知能で賄われるらしいよ。

創造・探究・共同
今のところできないこと。。

もう、今までの教育は役に立たない。
理解中心から探究中心へ

「わからないこと」を恥じるのでなく、「探そうという気がないこと」を恥じ得る時代。

140年前に成立した一斉授業

世界からは30年前に消えている一斉授業
安い単純労働者をつくるシステム。単純労働をする?

エリートはコの字のテーブルで育つ。ハーバード大学の講義室(黒板に全ての机が向かっている教室)は一つだけ。

コピーで済むような授業はいらない。

経済が発達している国はアクティブラーニングをやっている。30年前に

30年前、TOP30のうち21社が日本
今、TOP30のうちで、ゼロ。

この30年間で変わった。

学ぶということが、即幸福である。

人間は7つの領域に分かれている。
Howard Gardner
あらゆる能力を持った人はいない。
なんの能力ももたない人もいない。
孤立して生きてはいけない。
一人で生きようとしてはいけない。

人との関係の中で、多元的に見なくてはいけない。
抜群の能力がある。

デザインはビジョンによって
プランは目標によって生まれるもの。

建築家はビジョンを見る。
デザインは生かそうとする。

目標思考の仕事workと労働labor
創造的な時間。activityはビジョン、デザインの世界。
文化的な意味と、社会的な関係を想像する。

学ぶ権利の実現。

「待つこと」「見守ること」(谷川俊太郎、すきすき、きゅっ、好き好き、ちゅっ)子どもを受け入れられるか。
「させること」ではない。ここもおとのねだ。
おkどもへの信頼、子どもを尊敬する。これもオトノネだ。オトノネはこれを「自立している」と表現している。
学びの共同体は、リスペクトの共同体だ。そして、ケアの共同体

特別支援学校っで主流になっている「行動療法」は研究者が論文を書きやすいから。
「させる」ことで条件付けをする。それは「発達(心)」ではない。
行動レベルの導きだ。

思考、学習、内言。
外言が先。だから内言ができない子がたくさんいる。
対話の相手がいることで、モデルを得ることで、内言できる。
経験的に小学3年生。4人組で(人の話がきける?)
小学1、2年生は「考えることができない」まだ内言が使えない。無理無理!ペア。

「待てない」手を出す口を出す。がダメだ。
教師の仕事〈聴く・(子どもと子どもを)つなぐ・もどす(もう一回)〉
「だれだれくんの言ったこと、どうおもう?」

子どもが、学びの主人公だというのが基本。
いい教師は〈目と耳〉で仕事をする。
子どものテンポはゆっくり。教師が先に行かないで、待つこと。

ある意味で、戦国時代、三国志時代の武将のようである。

共有の学び:ほぼ全ての子どもたちが達成できるレベル
挑戦的な学び:三分の一の子どもたちの達成を期待する、つまり三分の2の生徒が「できない」課題を与える。
難しい問題だからこそ、子どもたちは大好き。飛びついてくる。
基礎を丁寧、丁寧に、積み上げるというやり方ではない。積み上げずに、引き上げる。
(そんなん無理無理!というものを出してみると、一生懸命に挑戦する子がいる)

——-

オトノネではメタスキルと呼ぶ「コミュニケーション能力」
創造的な仕事。
多様な人間が、それぞれの持分を出すことでしあわせがうまれる。
オトノネが求めている「先生像」

まことに同感できる、こういうことをきちんと言ってくれる人がいる。

昔の昔から、活動していて、少しずつ、広がっている。
こうした時代の流れの中に、オトノネはいる。
富山県に、オトノネは、いる笑

オトノネは「学校」をつくるにしたら、どうしたらいいかなと思っていたところで、いいモデルを見つけられた。
少しずつ。少しずつ。時に、大胆に。

オトノネひろげるシェアぼたん

オトノネのしていることを学問的に理解しようとすると大変、難しくなる。

だからもう不思議の国のおとのねということにしてください。

ーーーーーーーーーー
おとのねは

現代物理学の不確定性
生態学と文化の多様性
建築学と演劇の身体性

哲学の反省性と寛容性
科学の合理性と論理性
芸術の根源性と抽象性

そして心理学の統合性に基づいた関わり合いをしていきます。
それが教育・保育・療育を超えた人間性につながると考えています。
漢字が多くて意味不明ですね。おとのねさんは真面目だということです。

多くのお母さんたちは「塾」に現代物理学の原則に反する「確実性」を求めていると思いますが。
オトノネはそのようなものは出せません。合格実績も残念ながら、出しません。
他人の合格実績よりも大切なこと(オトノネの合格実績ポリシー)

科学的な「合理性(効率性)」ならいくらでも出せますが。

だからまず最初に、当然ながら、効率を求めるなら、まず非効率な課題をやめようぜ!ということができますが、それは心理学の「統合性」に反するケースがとても多いです。
つまるところもうがんじがらめで課題に心が囚われているところで、(学校の先生のプレッシャーが引き起こした心身症・学校恐怖症で「学習性無気力」で)課題をやらない、という選択肢を選べない子が多い。
それで、無理やり「やらせない」ようにして心が崩れてしまっても困るなぁと頭をかかえるのがおとのねさんです。
やってもいいんだけどさぁ、時間は限られているのよ?両方やってみる?やってみてもいいよ?けどルールを決めよ?

という感じ。

課題やテストをうまいとこマネージしないと「本気」が出せないくらい、課題が恐ろしいくらい出るのも事実。
学校が足枷になっている人がたくさんいる。(サーカスの像の話を、聞いたことはないですか?本当は、囚われていないのに、小さい時に、鎖を繋いでおくと、「学習性無気力」によって、大きくなってから、逃げられるはずなのに、「どーせ逃げられないんだろー!」といって、ちっぽけな杭を引き抜けなくなっているという話)

絶対に合格したい大学がある。
けどいくらやっても成績が上がらない。
なんでうまくいかないかわからない。
すでにムリをして心と体が疲れ切ってしまった。
けどしっかり将来を見据えて高校生活を送りたい。
受験勉強はもうしたくない。
小論文、AO入試で大学に行きたい。
けど何をしたらいいかわからない。
世の中がつまらない。
おもしろいことないの?
子どもが勉強しない。
子どもは平気そうだが私(お父さんやお母さん)が心配をしている。
子どもが不登校になった。
なにをどうしていいかわからない。
学校のやり方が変だとおもう。
新しい時代に向けてその子らしく学んでいってほしい。
けどそんな場所、どこにもなさそうだ。

そんな「アンビバレント」な人のためのおとのねです。
欅坂(けやきざか)46の「アンビバレント」を聴きながら(子どもの「時間」)

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねさんの話し方(人は税金と保険料と教育費と家のローンを支払う動物か)

話し方にはいろいろある。

いろんな分類ができる。

感情レベル
認知レベル
行為レベル

例えば、幼児期の子ども

感情レベルでは、「痛かったね」「嫌だったね」「悲しかったね」「楽しいね」といった感情と言葉を結びつけることとか
認知レベルでは、「あ、ほら、あそこに何々がいるよ」とか「待っているからね、ゆっくりでいいよ」とか
行為レベルでは、「おしっこしてくる?」「ほら、カバン入れるの忘れてるよ」とか
行為レベルのほとんどが、実は子どもからの応答になることが多いのだが。。

具体例をみればわかるように、
3つを厳密には区別できないくらい、つながっている。
特に近接する感情と認知、認知と行為の言葉の繋がりは大きい。

例えば、悩める高校生の話

例えば学校ではこういうことを言われるだろう
行為レベル「これをしなさい」「あれをしなさい」「君は補習だ(来なさい)」
認知レベル「この参考書は今頃、◯周目に入っているものだ」「うちの高校は多くの優秀な人材を…」
感情レベル、思いつきません。

人によって、状況によって、どのレベルで話をしらたいいか、どのレベルなら、今、受け取れるかを、伝えられるかを考えて、僕は話のレベルを変える。
今その状況では「感情レベル」や「行為レベル」を伝えない方がいい場合が多い。
小さい子であれば、「認知レベル」での話もできない可能性がある。(話して聞かせることができても、対話ができない場合、話をせずに、非言語で関わりあうことを僕はする)

僕が喋るほとんどが「認知」レベルの話だし、このブログにつらつらと書きとどめているのも「認知」レベルの話がほとんどだ。
(そしてできるだけ「感情」レベルの内言に触れるようにしているつもりだ)

ーーーーーー

その点、純粋な物語(教訓とかそんなものが含まれていない不思議なもの)は、どのレベルにも等距離にあって、聞く人を「誘う」だろう。
「導く」「任せる」「誘う」。ご招待。

読み手に多くのことを「誘う」。
何も感じない人には感じない。
話しての、書き手の話し方、書き方によって感じれないだけかもしれない。

「任せる」という言葉が少し消極的であるとしたら、
「誘う」は積極的な意味を含めている。

話し手は、書き手、は、「任せる」以前に「誘う」ように、話し方を、書き方を強めていったらいい。
そうすることで多くの心が動くから。

ーーーーーーー

大きなスケールで考えてみよう。

行動レベルで、視点を大きくしてみようとしてみよう。
大きな時間の中で、考えてみよう。(例を出すだけで、もちろん別の言葉を考えることもできます)
学校や保育園の先生、お父さんお母さん、いろんな人がいろんな「行動レベル」の言葉を使っていると僕はおもう。

就学以前は?子どもが小学生になって、「椅子に座っていられるように」「宿題ができるように」「一人でもできるように(自立)」
小学生は?「先生にいわれたことをするように」「テストで悪い点をとらないように」「友達とたくさん遊べるように」
高校生は?「いい大学にいけるように」「あなたは、◯◯センターに行きなさい」社会に出て、「いい会社に行けるように」「会社を選べるように」

行動レベルで触れる多くは、他者からの言葉がけであるように感じた。

認知レベルでみてみよう。
就学以前は?「」

おとのねさんは今ふとおもった。
行動レベルの言葉をマクロで考えると、どこか「目標」めいたものがでてくる。しかもそれが「子どもの心と離れている」言葉が多いようにおもえる。(僕の頭がそうなっている)

認知レベルの言葉をマクロにするとどうなるか。

再度挑戦。

認知レベルでみてみよう。(言葉を使う人を、本人の内言とする)
就学以前は?「いろんな失敗はあるかもだけど、助けてくれる人がいる」「「やらなきゃいけないこと」をやったら、あそべる!」
小学生は?「世の中おもしろいことはたくさんある」「学校はつまんないことが多いけど、友達と会えるのはここしかない」「お父さんお母さんはこういう人間だから、私はこういう作戦でお父さんお母さんと関わろう」
高校生は?「僕たちの青春は、漆黒のブラックに染まっている」「課題の海で溺れている」「わけがわからない」「しゃーなしや!」

拙い例しかでてこなくて申し訳がない。
認知レベルはどこか「世界観」「世界のルール」、性格に関わってくるように思える。

感情レベルは?(内言として考えました)
「◯◯たのしい!」「◯◯したい!」「◯◯、行きたい!」「◯◯嫌だ!」「◯◯つらい…」

この部分は、未就学児でも高校生でも変わらないような気がする。
心に一番近い部分だからだだろうか。

うーん。

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抽象化するのも少し気がひけるが、
愛とはなにか?

感情とは、「情(心的エネルギー)を感じる」チカラであって、得体の知れぬ「気持ち」を表すだけではない。
感情豊かに、という言葉がその使用例。
そうすると、感情的に、という言葉は心的エネルギーを感じながら、という意味になる。

多くの心の「症状」はこの心的エネルギーがうまく「まわらない」「だせない」ことで起きてくるようにおもう。
情を感じるチカラで、心を大事にしてほしいと、僕はおもう。

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子ども時代は、厳しい現実から離れて、大人から守られている。
(大人ほどに現実の厳しさはない。愛をたくさんもらえる)

だからこそ、大人が作り出した環境が大切になる。そうでしょう?

「子ども時代」が長引くようになったこの世の中で、大人は、きちんと大人としての責任を自覚しているだろうか。

保育園卒業時の目標が「椅子に長時間座れること」だとしたら、認知レベルはどうなっているのか?感情レベルはどうなっているのか?小学校で子どもが突き当たるであろう困難さ、試練に対して、就学以前にどんな知恵を、振る舞いを与えて、自立していってもらうか。

願いであり祈りの言葉がけ。

おとのねさんは、「今目の前の状況に困っている」ことは、「死ぬまでの間にもう何度か出会うであろう困難さ」と向き合うための学びを得られる場所だとおもっています。だからそれは「行為レベル」であるよりも、「認知レベル」であることが多いし、「感情レベル」で感じてもらった方がいいこともある、ということを考えます。

おとのねさんは「こうすればああなる」という世界ではないという認識をしています。
不確定、不安の時代だから、です。日本が。

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AI、AIというが、もしそう言う時代になったら、行為レベルの関わり合いが強まるきがする。認知レベルも強まるだろう(AIの得意分野だ。ただ、データの外にある認知には疎い!)、そして、心の部分が、削がれていくだろう(インターネット上で「心」の現象を再現できても、どれもインターネットという限界を超えることができない。AIが進化するための条件、ビッグデータにどれだけ「心」が含まれているか)。

Siriを引き合いに出して申し訳ないが

「ねぇSiri?今日こんなことがあったんだ。」
「深呼吸をして、温かいお茶を飲んでみてください(行為レベル)」
「この前もそんなこと言ってたよね」
「てへへ」

「ねぇSiri?今日こんなことがあったんだ。」
「それはこうこうこういうことだからだとおもいます(認知レベル)」
「いやそれはわかっているんだけどさぁ」
「てへへ」

「ねぇSiri?今日こんなことがあったんだ。」
「嫌だったのですね(感情レベル)」
「そうそう、僕の愚痴を聞いてくれるかい?」
「聞きますよ」

…そうしていろんなパターンを学びながら、フィードバックを受けながら、人の心と関わる機械が生まれるかもしれない。
かもしれない!かもね。けどそこに限界があると僕には思う。これから、人間が機械に近づいて行かない限りは…

機械の限界の中でしか暮らせない人間がいたとしたら、少し、僕にとっては、おもしろくない。

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人は、税金と保険料と教育費と家のローンを稼ぐ動物か。
大切なものを、大事にしていたら、お金に追われながらも、時間に追われながらお、しあわせになれはしないかと、僕はおもっている。
お金とどう関わるか、どのように死ぬか、そうした一人一人の人生観を、死生観を、子どもに伝えていけないだろうか。
(そのグランドデザインをつくる学校という場所が、病気だから、お父さんお母さんがしっかりしたほうがいい)

けど人はひとりひとり違う(課題がちがう。大抵、お父さんお母さんのやり残した課題に再び取り組む場合が多い)

この時代に生まれ、生きているというオリジナリティーもある。

だから、その子が進もうとしている場所に、一歩踏み出すだけでいい。と僕はおもう。

踏み出した先でまた、その子なりに取り組めるように。
同じところをぐるぐる回っている子(あ、これはあの時の繰り返しだと気づいた子)がいたら、オトノネさんはたぶん役に立つ。

非言語で。
言語で。

「教えるべきこと」と「教えてはいけないこと」を、今でもまだ考え続けている。

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すぐ忘れる?そこで役立つ記憶の研究成果とあそび

当たり前だけど・・・
当たり前のことしかいえないけど。

その当たり前を当たり前にいうのがオトノネです。

ひとりひとりのペースが違う。
レディネス(当然、学習者が取り組もうとしていることに対する準備)があるのはもちろんですが。

1:処理水準効果
表面的な浅い処理よりも意味的・概念的な深い処理をした方が記憶に定着しやすい。

2:既知知識の活性
新しい情報を古い情報と結びつけていくと記憶に定着しやすい。(英単語で、古い情報と結びつかない単語はほとんどない)

3:分散効果
何度も反復する。何回か反復する。短期集中で繰り返すより、時間を開けて繰り返すと記憶に定着しやすい。

発達心理学の本に書いてあって、いやぁ、当たり前と思えることだけど、よくよく心に止めておきたいこと。
これは実は子供達があそびのなかで鍛えている、学びのメタスキルだ!

けど。。。記憶したものを「使う」意識がないと解けないのが、難関大。
記憶だけでなんとかいけるのは中堅大学まで。と、いう見方もできる。

その違いもきっちり押さえておきたい。

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