しあわせって何?ーICF国際生活分類の答えー学校についていけなくなった子のためにできること

ICFはWHOが定めた「人間の生活機能と障害に関する状況を記述することを目的とした分類」だ。
ICFの構成要素間の相互作用

各要素の定義
心身機能 :身体系の生理的機能(心理的機能を含む)
身体構造 :器官、肢体とその構成部分などの、身体の解剖学的部分
活動 :課題や行為の個人による遂行
参加 : 生活・人生場面への関わり
環境因子 : 人々が生活し,人生を送っている物的・社会的・態度的環境
個人因子 : 個人の人生や生活の特別な背景

簡単に見てみよう。

大切なのは、「健康状態」である。
「健康状態」は「心的機能・身体構造」と「活動」と「参加」が影響する。
「心的機能・身体構造」と「活動」と「参加」は「環境因子」と「個人因子」が影響する。

well being(よい存在・健全な存在)でいるためには、
自己の充実「活動」
他者との関わり「参加」が大切だということだ。

これが、学校の授業の中で、どれだけ保証されているのか。

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この分類は「障害者の生活状況」を理解する枠組みとしてつくられた。
学校で「障害」に阻まれて進んでいないが、学年だけは進んでいく子どもたちにも使える枠組みだ。

障害は、人が作り出すもの。

学校の中でつくられる障害、お父さんお母さんが、正しく「学校の仕組み」を理解して、お父さんお母さんが、環境因子を変えてあげてください。
お子さんの「個人因子」を変えようとするのは、間違いです。

はっきり言います。
環境を変えましょう。

ちなみに、
お父さんお母さんも、環境の一部です。

オトノネひろげるシェアぼたん

放課後児童クラブ・学童保育も無償化にしていくんだろう。

学童保育の大半が、アルバイトで成り立っている。
つまり本気で学童保育、放課後児童クラブをやろうとしている人に、お金が行かない。

これから、学童保育も無償化になるかもしれない。
だから今のうちに、一人にしておけ!という話のようにもおもう。
大丈夫、学校の先生も、一人で40人とかみてるんだから。。。と。
保育所でも20人で一人をみている現実がある。

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僕はよくコーヒーを飲む。
プランテーションで搾取されている人たちを、コーヒーを買うことでどん底に突き落としている。
格差の仕組みを作っている。

けどその仕組みを、使うしかないくらい、僕は切羽詰まっている。
フェアトレードコーヒーを買うお金もない。

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学童の料金は、高いだろうか?
保育料と比べたら?同じくらい、かな。。
どうして時間にして、放課後児童クラブが割高なのか。。。

放課後児童クラブに対抗して作った放課後子供教室という制度が頓挫した文科省が内閣と手を組んで、とうとう、学童をブラック化する方針。
と、おとのねさんはよみました。

もう十分ブラックだけどさ。。。

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少数の大人で大人数の子供を管理する体制、仕組み、環境が強まっていく。
学童は厚生労働省の管轄だけど、内閣府として予算を配分することで干渉できる。

やばいね。
みんな元気でいてね。

SFみたいになってきたな。

そんな世の中になったら、オトノネは、どうなるでしょうか。

大人のいない、子どもの世界。
大人になっても、子どものままの、世界。
保護者のいない、子どもの世界。

SFみたいになってきたな。
さすが、漫画の国、日本である。

大人が算数できないんだから、子どもができなくても、しかたない?

オトノネひろげるシェアぼたん

教育とは何か。なぜ、日本人は握手をするようになったのか。【お子さんに宿題を「やらせる」前にお父さんお母さんがやらなきゃいけない宿題】

教育には、
学校教育と家庭教育がある。(社会教育はとりあえずおいておく)

学校教育とは何か。
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例えば、膝を曲げずに「礼をする」とか「握手する」とかは明治政府が輸入した習慣。
学校でこれを「やらせて」普及させた。

握手って、日本にはない文化だったのが、教育によってなんとなく今でも使われている。
(日常的に握手することなんて、そんなにない)

調べてすぐ出てきたサイトはこちら
日本人の所作・礼儀作法の歴史

2.日本の所作の変化

人付き合いの基本となる「挨拶」ですが、昔と現在では大きく変わっております。

その原因を探ってみると明治政府の政策にありました。
開国したばかりの日本は、最初外国に独自の文化、常識を馬鹿にされがちでした。
それまでは、夏場は裸で仕事をするのも当たり前でしたし、今では想像のつかないような生活をしていました。
その為、近代化を目指した政府は様々な政策を行い、学校教育を始めとしたところで、礼儀作法も指導していきました。

それが、現在の私たちが常識としている礼儀作法・マナーになっていきます。
ここでは、今と昔の礼儀作法の違いをみていきたいと思います。
2-1.日本の挨拶と礼

現在私たちが行っている立礼は大きく分けて3種類になります。

角度が15度、30度、45度の3種類です。礼をする相手の位の高さによって角度が深くなっていくのですが、これを江戸時代の人が見たら45度の最敬礼でも大変無礼なものだ!と感じるようです。

江戸時代では、道端などで自分より身分の高い人と会ったら「途中の礼」をしていました。
途中の礼とは、腰を折りながら両手を足の甲に着け、膝を曲げ、屈んだ状態で礼をすることをいい、これが普通でした。

庶民の間でも両手を膝に着け、腰だけではなく膝を曲げて礼をするのが普通でした。
これらの礼は外国人が日本にやってきてから、明治政府によって廃止されました。

理由は外国人にこの挨拶をしているのを見ると、非常に情けなく見えてしまい、頭を低くした方が身分が低いものとする風習があった為、日本人が外国人に挨拶する姿がとても卑屈に見えたからだそうです。
2-2.日本と海外の挨拶の違い

江戸時代までの日本人の挨拶の仕方は先程説明しました。補足を加えると身分の低いものから挨拶をするのが基本でした。

海外の挨拶の基本は礼ではなく、握手でした。しかも身分の高い者から握手を求めるのがマナーだった為、日本とは真逆で当時は受け入れられにくい風習だったそうです。
また女性から先にする礼であった為、当時の女性は非常に勇気が必要な挨拶でした。

明治政府が政策した礼儀作法の指導本には握手について書いてあり
「握手の礼は、尊長、主人、婦人等より、先ずその手を出すを待ちて、之を行うものとす。」と記されており、やり方については
「握手礼を行う場合には、右手を出し、先方の眼に注目し、おもむろに先方の右手を執り、約一呼吸の間握るべし。」と記載されていたそうです。

ここまで詳しく説明しているという事は、本当に日本ではなじみの無かった文化だったようですね。

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定期テスト対策も、学校が始めた。
夏休みの宿題も、学校が始めた。
学校が始めたものが、どんどん「ふつう」になっていく。

それは、国の方針だ。

戦争時代は、戦争に心を向けるための教育をした。
そういう言語環境をつくった。
学校で、子どもたちは戦争を手伝っていた。

今は、子供達は、学校で、何をしているだろうか。
教育行政と癒着した塾業界にお金を送り込み、有能な20世紀型の情報処理能力をもった労働者を生産する。一部のエリートに大勢の労働者を管理させるシステムを作り上げる。

それは、国の方針だ。

今は?

学校で、子どもたちは経済大国日本の幻想を支える人柱になっている。

学校で、子どもたちは、一部の「持てるもの」が利益を上げるシステムが維持されるのを、手伝っている。

学校の中だけではなく、お父さんお母さんが不安になるようなしくみを、学校は作っている。
「成績がわるいです・・・」(いやべつにそれでもいいじゃないか。もっとこの子のためになること話さないのかな?学校の評価とか関係ないし。と言えるお母さんが少ない)
それで、子どもはお父さんお母さんのストレスを受けて暮らすのが、「ふつう」になる。
なかなか変われない人、変われない組織の「自己防衛」のしくみと子どもの「抑圧」

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学校教育は国の方針であり、
家庭教育は、親の方針であり、
教育基本法に定められている通り、
子の教育の第一義的責任は、お父さんお母さんにある。
したがって、お父さんお母さんが、選んでいい。論理的でありすぎて、心がついていかないお父さんお母さんがたくさんいるとおもうが、はっきりと喋っておきたい。
学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

学校が、子どもの言語環境として、適切かどうか。


学校教育から自立するか。
これが、子どもに「宿題をしなさい」という前に、お父さんお母さんが答えをださなくてはならない、宿題であって、課題です。

教育とは、文化を継承する場所。
お父さんお母さんは、どんな文化を、お子さんに学んでほしいですか?
それはどのようにすれば、達成されますか?

答え方はひとそれぞれ。
これが、オトノネからお父さんお母さんへの、宿題です。

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富山市の放課後児童クラブ・学童保育

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オトノネひろげるシェアぼたん

そのテストは、検査は、どんなチカラを計測するのか。

進研模試・河合模試だけがテストではない。
発達心理検査だけがテストなのではない。

PISAというテストがある。

国際テストであるPISAの「テスト」に出るものは、学習指導要領に取り入れるが、出ないものは、取り入れない。
OECDが「義務教育の間に育てたい3つの資質能力」には活用・関係・自立がある。

テストで測れるのは「活用」だ。
異質なものとの関係性、他者との共生する能力と自律の能力は逆に下げられてしまった。

異質なものとの関係性の弱さ
→いじめ・「みんな一緒」・学校の先生「お子さんだけ特別には…」

自律の能力
→共依存・自尊感情の低さ・情報リテラシーの低さ「成績が下がったの!?勉強しなさい!」

日本は「テスト対策」の国だ。

そんな日本で暮らすには、「テスト対策」をするしかないのだろうか。

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日本型の教育を考えたらどうなるか。
日本をどうしていきたいのか。

ペーパーテストが人生を左右するシステムに、お子さんをどう関わらせるのか。

日本の心の土壌には「心中」があるのかもしれない。

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PISAのテストで上海がオールNo1をいきなり初登場で出した。
それまでの古株、フィンランドを抜いて。テスト対策、した?

PISAのテストの上位国は中国とシンガポール。
ここは非民主国家であり、独裁国家である。(経済的に成功した北朝鮮、というらしい)
北朝鮮はキムさん、シンガポールはリーさんだそうだ。

どの国も、傾向と対策に傾倒しているという。

21世紀型の国際社会をつくるためにつくられたOECDの考えたPISAのテスト。

結局は、人間次第。

オトノネひろげるシェアぼたん

個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

IQ,認知能力、知能、いわゆる「お勉強」のお話です。
そうではない「しあわせ」や感情知性、メタスキルの話ではないのでご理解ください。

この後、「お勉強」の本を紹介しますが、どれも「学校の授業」や「学校の宿題」をやらない代わりに自主的に・自立して・個別的に取り組む前提で話しています。学校の「お勉強」に上乗せしないでくださいね笑

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オトノネには小学生も通っている。

けど学校が嫌になって、今は通っていない。
そこでオトノネに来た。

算数と国語が、苦手だという。
だからオトノネでは
「数の経験」をしてもらって、「式」と「数」を使うあそびをしている。
実際に、数を数える
数学であそぶ

お迎えがきて、お母さんが一言「家でもできることはありますか」と。
なるほど。

家でおとのねさんがやっていることは再現できないだろう。
その場その場で起きることを受け止めながら、あそびを発展させていくやりかたは、お母さんには厳しいかもしれない。(いや、やってみてほしいのだけれど…)

それで本屋に行っていろいろとオトノネ流を再現できそうな本がないか調べてみた。

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眺めながら。
中学生になった時にはっきり現れる「学力差」というものがある。
それが小学生の時にはっきりでてくるような気がした。

中学生になって塾に通うなら、小学生のときに「ちゃんと」見てあげること。
学校で「ちゃんと」見てもらえない分、家で「ちゃんと」見てあげること。

小学生の時が、大切だとおもった。
子供の学習費調査の「5 世帯の年間収入段階別,項目別経費の金額段階別構成比」

子供の学習費調査は、全国の公立並びに私立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校(全日制)に通う幼児児童生徒を対象にした統計調査で、2年ごとに実施されます。保護者が1年間に支出した子供一人当たりの経費を、学校教育費・学校給食費・学校外活動費に分け、世帯の年間収入の実態とともに調査しています。

別に、勉強ができなくてもいい、と思っているが。
勉強嫌いにはなってほしくない。
ちょっとした葛藤を感じながら、本屋にある本を見ていった。

(ちなみにおとのねさんは小学生のとき学校の勉強以外したことがない。熱心に生き物を育てたり、鳥の観察にいったりしていた。習い事は、いろいろやらされたが、ことごとく欠席を繰り返したが、お絵かき教室だけは通っていた)

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結論、小学3年生以降(8歳!)「学校の勉強ができていない」「授業においていかれた」とお父さんお母さんが判断したら、すぐさまその授業から離脱してほしいとおもった。算数なら算数、国語なら国語の授業だけでもいい。その時間、自習をさせてくださいと頼んで、この問題集をやっていたらいい。

授業を「無為」に過ごす時間を、少しでも学びの時間に変えよう。
大丈夫です。
法律で、守られています。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

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グレードアップ問題集小学1年算数 計算・図形
『Z会 グレードアップ問題集』

この問題集は、「計算問題集」ではありません。
グレードアップ、と書いてありますが、とてもよい、「メタ」に近いことが「できるか」がわかります。
小学3年生または4年生から、この本の小学1年生をやる。(小学1・2年生の時は、あそびを通じて心やメタスキルを育ててほしい)
それも「1日、見開き1ページ」くらいでいい。(本人がやりたいといったらやってもいい)

肝心なことは「どこからわからなくなったか」「どのチカラ(メタ)が弱いのか」をお父さんお母さんが家で「ちゃんと」判断すること。
凹凸か、スローラーンか、それとも・・・・「経験」がないのか。
算数ができないのはLDかスローラーンなだけか、それとも経験不足か。

学習障害LDか、スローラーンなだけか。

この本はうまくできていて、家庭でも、日常生活の中でお父さんお母さんが子どもに「問いかけられる」ヒントが詰まっている。

「ああ、こういう経験が足りないんだな」とおもったら、積極的に、一緒に、何かをしてほしい。
家庭で、学びの時間をつくってほしい(それでもよくわからなくなったらオトノネにきたらいい)

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算数と国語を同時に伸ばすパズル
こういう本もあった。おもしろい。
『算数と国語を同時に伸ばすパズル』

「試行錯誤」しながら、情報を整理して、論理をつかんで、問いに答える。
一冊、買っておいて、小学3年生くらいから「やってみる?」と言って「あそび道具」としてあげたらいい。

これだけ、計算手順ではなく、脳内で「試行錯誤」を要求する本は滅多にない。
(こういう「試行錯誤」するゲームがおもしろいと思えるような子どもには、あっているだろう)

飛び道具的に使ったらいいとおもう。

この本の内容にも通じる「あは!」があるパズルです。
仮説を立てたり、いろんな場合を考えたり、情報をうまく使うあそびです。
教科書では学べない数学的思考: 「ウーン!」と「アハ!」から学ぶ

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 (分野別学習ノート算数)
『分野別学習ノート算数』

すでに紹介している、『Z会 グレードアップ問題集』でわからなかったところを、重点的に「繰り返す」問題集として使ってもいい。
(1歳のとき、子どもが同じことを繰り返してよく飽きないなーとおもったことはないでしょうか。あれを、この歳になってやるわけです)

もしくは、学校の宿題をやめて、小学3年生以降、こっちだけやったほうが健全です。
学校の宿題は大抵の場合、理不尽か意味不明で、単発的すぎて「わかる人の復習用」としか思えないので、こちらをメインでやってもらってもいいでしょう。

宿題、やらなくてもいいんですよ。やる義務はありません。もちろん。家庭では家庭教育をしてください。

強く言っておきます。

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となえて かく 漢字練習ノート
『となえて かく 漢字練習ノート』

学校の漢字練習ではなく、小学1年生の時からこの練習帳を使ってみてほしい。学校の漢字の宿題はこれが終わって「もっとやりたい」と言ったらやってもいい。かもしれない。この練習帳にはロマンがある。白川静という偉大な人の研究成果が使われている。

この本を読んで漢字に興味が持てたら、「やらせ」なくても勝手に覚える。
というか、漢字が頭に入らない子がいるとしたら、まだ「文字の構造」(漢字にはしくみがある)とか「文字の対称性」(漢字は図形でもある)が認識できていないこともあるし、手先の発達が遅れて(たくさんあそんでいないとこうなることもある)文字が描きにくくて漢字を覚えるどころではない!ということもあるだろう。

漢字は、大人たちが喋ることを文字に起こしたもの。
子どもは、漢字ができるようになると、大人たちの暗号を解読したみたいでうれしいものなのだが。

漢字嫌いの子もいるだろう。

ちなみに僕は小学生か中学生のときにシートン動物記の大人版(子ども版もありますが、装丁がしっかりした大人版)を読んでいた。
あれ?クレヨン王国だったっけ?とにかく、本を読んでいた。

ファンタジーの力、あそぶチカラがあれば、物語も「気になって」読みたくなってしまうものだ。
図書館に行ってみよう。
どれか、子どもの心に響く本があるはずだ。
アニメばかりみていないで!笑

文字を認識することが難しい子もいる。
そういう子もいる、ということが、とても、大変な問題を生んでいる気がするのだが。

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徹底反復 一年生の漢字

これは飛び道具的に。
こっちはまぁ使い勝手のいい、頭を使う練習帳(ロマンはない)。
「この学年から、抜けている」ということが判明したら、やってみるのもいい。

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本物の読解力をつけることばパズル
『本物の読解力をつけることばパズル』
国語のベーシックは実は、日常の中にある。
この本を「定期的に」進めながら、もしくは、やりたいだけ「あそばせ」ながら、子どもが「?」になったところがあれば、それを家庭生活で教えてあげればいい。経験させてあげたらいい。
家庭でも、お父さんお母さんでも子どもに言葉かけをするヒントが、この本には書かれている。

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ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕
いろいろなバージョンがある本だが、これ一つでいい。

これを、小学3年生になったらやってみる。
「1日見開き1ページ」を定期的にやってみたらいい。

で、もし、子どもが「?」になったら、お父さんお母さんが「ああ、こういう会話を日常でしていったらいいのだな」ということだ。
お父さんお母さんの関わり方が「言葉の経験」として子どもの学力につながる。とおもう。
どんな言葉の使い方を、日々日常でしていったらいいか、本が教えてくれる。

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小学生1・2年は思いっきり遊んだらいい。
(この時期の「やらせ」はかなり危険だと僕はおもっている)
で、小学校3年生以降で「わからなくなる」「できなくなる」ことがあるとしたら、スローラーンか、凹凸だとおもってほしい。
(他の記事では何度も書いているけれど、学校は少数のエリートを選抜するために「できる子」に速度を合わせています。お子さんを守れるのは、お父さんお母さんです)

発達の段階から行って、小学2年生までの間は、日常生活からたくさんのことを学ぶ。
家庭での言葉がけからたくさんの「考え方」を学ぶ。
新しく学ぶことに「わくわく」して取り組む素地ができる。

「意味不明、わからん」と思ったが最後、すぐに(小学3年生になっていなくてもいい)その授業を受けることをやめてほしい。
宿題などなおさらやらないでほしい。


二重の意味で(つまり、致命的に)育つものが、育たなくなる可能性が大きいのです。

二重の意味、がどういう意味か、僕が説明する前にわかった人は天才です笑(あえて説明しません)

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠
おとのねさんがお手伝いします。

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正直、小学生なら理科とか社会は「好き」でいられる子がおおい。
別に「お勉強」することもない。

ただ、算数や国語は、「数の経験」「言葉の経験」そして「不思議を理解する経験」があそびを通じてたまっていなかったり、非定型発達だったりすると、たちまち、「あれれ???」となる。

その子の学びの環境を守るためには、家庭教育しかないのです。
塾に任せますか?

お父さん、お母さん、自分でできますよ。
大抵の人は、無駄なお金を払って、塾に「任せ」たり、「変わらない!」といって塾をやめたり。。。。
お父さん、お母さん、自分でできますよ。

困ったら、おとのねさんに会いに来てくださいね。

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お母さんの一言で、オトノネのコンテンツがひとつ、増えました。
こういう学び合いが成立するためには、やはり、心が大事だとおもう。

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決して、学校に「ついていかせよう」としては、いけませんよ!(*´∀`*)ダメダメ
小学生でついていけなくなったのが、どうしてか、もしスローラーンなら、中学生になっても同じことが起こります。
凹凸ならなおさらです。高校生になったとき、どうしますか?
だから僕は「いけません!」と厳しく言っておきたいのです。

同じことが、繰り返されます。

「ふつう」を夢見ていませんか?
「ふつう」って何ですか?

大切なものは、なんでしょうか。
僕も、いつも、忘れがちですが笑

「好き」に全てをかけるためのライフラインを整えるという方法も、もちろん、ありますよ。
On the way to happiness, you will discover all that you want to be or do, or have.

最近、まさに、そういう人に出会ってきたところです。

子どももいろいろ。
人生もいろいろ。

ちゃんと、お子さんを、まるごと、みてあげること。
家庭教育の本質は、そこにあるとおもっています。
(宿題を「させる」のは、学校教育の越権行為です。お父さん、お母さん、お子さんの心をみてあげていますか?「先生」になってしまっていませんか?)

学校から、お父さんお母さんが自立することが、子どもが学校から自立する、個別していくためには大切だと、僕は思っています。
学校の手先になっては「いけません!」
なぜなら、この時期、お子さんを守れるのは、結局、最後はお父さんお母さんだからです。

中学生になったら、思春期が来たら、もう大人なので、放っておいていいんですが笑
(中学生になったときに、もう大人であるように、小学生の時から関わってあげてほしいと、僕はおもっています)

発達には、段階があるのです。

学校教育の「宿題(労働)・定期テスト(評価)・一斉授業(集団性)」より家庭教育の「自立心・個別化・社会性」を大切にしても大丈夫な法的根拠

オトノネひろげるシェアぼたん

マシュマロ実験の別の解釈。家庭の言語環境。

眠れなくなってyoutubeを徘徊していて、こんな動画を見つけた。
タイトルはものすごく刺々しいけれど。。。

見てみると。

僕が前にも記事にした「マシュマロ実験」と「ファンタジーの力」とは別の解釈というか、データを出してくれていたのでした。
ごっこあそびのチカラ!『残酷すぎる成功法則』再読。
(上の動画のマッシュルームの話が終わった後の話は、聞くに耐えないので聞くことをお勧めしません)

前の記事では「マシュマロを食べなかった子の忍耐力とは、ファンタジーによって時間を引き延ばすチカラをもっている子」だと紹介した。
この動画では「マシュマロを食べた子は貧乏な家庭で親からいつも嘘をつかれている環境で育った子。もしくは食べ物にいつも困っている子」だと喋っている。

この話が本当かどうか、わからない。
けど、本当な気もする。
言語は、使用される環境、文化の意識を心に移植し、機能させるから。

人の話が聞ける子と、そうでない子。
それは、人の言葉の力であり、信用であり、人への期待である。

未来に対して何も、期待ができない、未来の「しあわせ」が描けない。
目の前の欲求(「辺縁系」)が、ファンタジー(「新皮質」)を凌駕する。

目の前の定期テストが、その子の持つ創造性を凌駕する。

もし、「将来が思い描けなくて不安」なお母さんがいるとしたら、その不安は子どもに移る。
言葉が、感情を媒介する。


もし、「将来を思い描く」お母さんがいたら、その子も将来を思い描くようになるだろう。
お母さんがお母さんの将来を思い描くなら、子どもは、子ども自身の将来を思い描くだろう。
お母さんが子どもの将来を思い描くなら、子どもは、心を喰われてしまうかもしれない。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。


未来にレールを引く育て方は、近代、古い時代のやり方。
レールのない道を、人と関わりながら、どう歩いていくか。それが、新しい時代の子どもの育て方。

ニュートン力学ではない。
量子力学の世界観。

オトノネは家庭教育の大切さを感じている。

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実はオトノネさんもそうだが、学校という場所の影響をたくさん受けた。
大人の嘘、都合、言い訳、「筋」というなの、理不尽。
対話ができないこと。言葉に、創造的な機能がないこと。
背中に銃を突きつけながら、笑いかけること。


言語環境、という一点においていえば、学校は、最悪の場所だ。

と、おとのねさんは、おもっています。
もちろん、素晴らしい先生も、いますよ!ほんの、一握り。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

オトノネひろげるシェアぼたん

ヒノキとアカシアの家《放課後の学校》なう

何もない床でも、子どもたちはあそんでいました。

廊下の床、スーパーサラリーマン、山田さんの心で完成しました!
集成材ですが、無垢のヒノキです!長く使うためにも、(天然素材で)塗装をしようか、悩んでいます。

山田さんがトントンしているのをみて、子どもたちも木材の破片を使って、トントンしていました。
ただトントンするだけなのですが、何が起きるか、じっくりとみながら、トントンしているようでした。
もちろん、そのうち飽きますが笑

大人を真似て、やってみる。
これはすごいことだなとおもいました。

真似てもらえる大人になろう。。。

3部屋あるうちの、一番広い場所に無垢のアカシア。
男の子が寝そべっていますね笑

実はこの後、すごい遊びがこの床の上で展開されるのですが・・・
(ルールをつくって、その場にある物を使って、たのしく遊ぶ。)
決められているのは、資源であって、ルールではない。
決められている資源、そこにあるものをどうつかうか。
その資源を使うルールを決めていく。
それで子どもは遊ぶし、大人なら、生業をする。
オトノネではルールに従うのではなく、ルールをつくっていける関係性に価値があります。

あそびを通じて子育てをしている山田さん。
「あそばせる」ではなく、自分で「あそぶ」子どもたち。

素敵です。

おもちゃに囲まれて、おもちゃにあそばされる子も、いますね。
「おもちゃ」がないと、あそべない子。
「宿題」がないと、勉強しない子。

自立心、主体性。

ーーーーー

体育館だったら、できない。
公園の芝生でもできない。
そういう遊びを、子どもたちは、「あるもの」をつかって、考える。
狭い学童なら狭いなりに子どもたちは、遊びを考える。

けどやっぱり狭いから「知育あそび」的なものをしたり。
限定されてくる。

多様な場所を、家の中だけでつくるのはしんどい。
《放課後の学校》をどんな場所にしていこう?

10人とか20人とか考えないで、とりあえず初めてみよう。

とりあえずつくってみて、あそんでみよう。
やってみよう!

オトノネひろげるシェアぼたん

放課後の学校-ヒノキとアカシアの家-でまた財政難。

ふと思い出した。
最近、忘れてた笑

オトノネを訪ねてくる人は結構、少ない。(なんでだろう)
で、お金がオトノネには集まらない。

で、おとのねさんは副業をする。

で、よくわからなくなる。
(おとぎの森に行く時間も、おとぎの森にもっていく風船のヘリウムを買うお金もない)

今、何してるんだろう笑
ブログを書きながら、再確認しようかな。

ーーーーーーー

今、富山のヒノキとアカシアの家を作りながら、8月、貯金がおそらく、0になることが確定。

今は、それでいいのか。

もうずっと、その先もそうなるのか。

オトノネさんはお金に困りながらも、何か心があって、なんとかやっている。

クラウドファンディング をやろうかとおもって、調べていたら。

人がいる。

助け合っている。

なんか、羨ましい・・・
僕には、何が足りないんだろう。
いやいや、余計なものを、まだ手放せていないんだろう笑

ーーーーーー

富山県でも、石川県でも、「みんなで」やっている新しい場所が、たくさんある。

僕は、人との距離感がわからないのかもしれない。

僕は、ひとりで、よく潰れる笑
今回がそのパターンにならないように・・・

お金を度外視して、まずは、人と出会おう。
お金は、「旧制度」の世界から、調達しよう(オトノネさんは副業をするのです)。
だから放課後の学校の料金は、他の学童と同じでいいか。
いや、ちょっとだけ、高くさせて笑

ーーーーーー
ーーーーー

アカシアとは、木の名前だ。
東南アジアからよくやってくる木。

インドネシアか、ベトナムからくることがおおい。
で、オトノネのアカシアは、ベトナムから来たらしい(インドネシアじゃなかった!)。

アカシアはネットで見つけて、やっぱり高くなるけど、これはイイ!
と思って買った。

で、あまりにも良すぎたので!!!!
廊下に使おうとおもっていたのを、一番広い部屋に敷くことに。

で、廊下に敷く床をどうするか考えて、、、

近くのホームセンター、コメリで「しょーがない、安く済ませるために合板でなんとかするか」とおもっていたところ、たまたま見つけた無垢のヒノキの板である。
やっぱりちょっと高いけど、子どもたちが裸足で気持ちよくいられるようにと思って、買った。

なによりもこの家は、風が通る。
素敵な風が通ってくれる。
この風を、満喫する、風を演出するために、この床は、大切なのだ。

僕はそんな「関係性」のディテールを、演劇で学んだ。

「そんなもの」と思えるかもしれない。
ぎゅうぎゅうの教室で宿題をさせるだけでほとんど無料の学童が人気だ。
それが現実。

子どもはたくましいから、どんな場所でも生きられる。
どんな場所でも笑顔でいられる。

けど。
僕は、僕が気持ちいいと感じるものを、やっぱり子どもに伝えたい。

それに共感してくれる人が、来てくれたら、いいのかな。

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インドネシアの孤児院は子供でいっぱいだ。
けどそれが「自然」なのは、子供どうしがきちんとコミュニケーションをとるし、世話を焼くお兄ちゃんお姉ちゃんがいるからだし、信頼できる大人がいるからだ。
つまりその世界では、人間関係がちゃんとつくれている。

どこぞの「発展途上国」の子は、学校に行くことを喜びとしている。
どんなに粗末な校舎であっても、新しい世界との出会いに、目を輝かせる。

この二つが、日本の学校にはない。(大胆に行ってしまえば、ない。)
オトノネはこの二つを、試してみたい。

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昔、高岡でオトノネを始めた時、いろいろとお世話を焼いてくれた保護者のお母さんからこう言われたことがある。
「先生、なんで高岡で始めたの?富山、せめて、石川じゃないと。難しいよ!」
実際、富山は変な場所だ。

北陸、ある意味日本のいちばん奥にあって、孤立した場所にあるけど、平均所得が全国で屈指。
都会と変わらない。

で、ついでに子供一人あたりの教育にかける税金が全国でも低い方。
これも、都会型の傾向だ。

それなのに、街に(都会のような)元気がない。
(それが、富山のよさですよ。と、ある人は言っていた。)

人口が減り続けている。
(都会とは違う、ものすごいスピードで)

で、学校レベルで塾業界と癒着していたり。。。。
コネがないと学校の先生になれなかったり。。。。

東京から来たぼくには、変だ、と思えることが満載の富山。

電車の中で見かける高校生たちの表情が、小学生・中学生っぽいのも気になる。

けど、まぁ、僕もいろいろあって今、《放課後の学校》をはじめるきっかけを、この場所でつかんだ。
感謝しなくちゃだ。やってみよう。

「学童、子供、誰かの役に立つように、この家を使ってくれる人を探していた」という、大家さんと出会えた。
それだけでも、感謝なのだ。

よし!

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僕は本気で《放課後の学校ーヒノキとアカシアの家ー》をはじめよう。
本気でやってみて、やったあとで、やりながら、たくさんのことを学んでいこう。

僕が僕の姿のままで、僕らしい振る舞いで、人と出会える場所、誰かに心を尽くせる場所、それが僕にとってのオトノネです。
僕も、ただただ、進んでいるだけなのです。

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学童:厚労省:非認知能力 v.s. 学校:文科省:認知能力

おとのねさんと同じじゃないですか。

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これは、放課後児童クラブの研修で来てくれた講師の植木先生の話。
被災地で、いろんな遊びを展開した。
あそびの可能性、子どもがキラキラする話。

子どもの多様性と、創造性の話。

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竹笛
男子は、小3が、なんと、ホーホケキョとやり、それから、音階を奏でた。ドラミファソラシド・・・できるんだ・・・・
女子は、竹笛の紐を「3色」に増やして、三つ編みにして、デザインを変えた。

創造性とは、その場で、その時に、その人が、その時の心でいなければ起こらない出来事をそのまま現実化すること。

皿回しの皿を作る。
髪の皿を2枚重ねて、紙コップで回す場所を作る。それを割り箸で、回せる。
そこからも創造性が、どんどん働いていくかもしれない。

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作ったもので、自分があそべる。できないことが、想定外に、できた。
想定外を楽しむこと。
わくわくを増幅することが、多様性のよさだ。

出来合いのものを与えることでは、創造性もその分弱くなるだろう。
自由さが、創造性を支える。
自発性が、創造性を支える。

そして、創造性が、「天の才」を個別化し、社会化させる基礎になる。
(さて、オトノネさんは、おとのねを社会化できているか)

植木さんの話の中で、「被災地の子供達が創造的なあそびをする」話をした。
受け取る人間ではない、作り出す人間だ。
「今日は何を食べましたか?」と、ボランティアの人にインタビューしてつくった新聞を体育館にはるとか。

そう、子どもから、たくさんのものを、大人が受け取る時代なのだ。
おとのねさんが、一番おいしいところを、うけとりたい笑

日本は災害王国だ。
(原発をぼかぼか日本につくるのは、やっぱりちょっと頭がおかしい。どのプレートの上に乗ってるかくらい、中学生でも知っている)

創造するチカラがあると、いろいろと世の中おもしろいとおもうのだが。
壊れた後に、同じものを、古いものを焼きまししても、おもしろくない。

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家が遠い、みんな習い事・・・
あそぶ友達がいなくなった。

だからこそオトノネは《放課後の学校》を「宿題をやるばしょ」にしたくない。しない。別にしてもいいけど。勝手にどうぞと言う感じ。
《放課後の学校》は子どもにとって「仲間を見つけられる」「やらされから解放される」「ちゃんとあそべる」場所になってほしい。
ほんとに、宿題みないからね笑

できる子は勝手にどうぞ。
やるなら、わからないなら、教えあってください。
大人にたよらず、大人にやらせず、大人にやらされず、自立した人間として、オトノネに来てください。

「やることが決まっている」習い事では、育たない協同心、自立心が育つ。

で、これは学校と真逆じゃないか。
学童保育は、保育所か、幼稚園かで戦ってきた文科省と厚生省の、新しいバトルフィールドに思えた。

とおもって、講師としてきてくれた新潟県立大学の植木先生に聞いてみた。
実際、そうだった!植木先生の顔つきも変わって、熱を帯びた言葉で、返事をしてくれた。

そんな《放課後の学校》オトノネに関心がある方は、お気軽にお問い合わせください。

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学童期に大切な「学び」を保障する場所。

0歳から1歳 子ども(体外胎児期
 0歳:感覚と感情の経験

1歳から4歳 子ども(幼児期
 1歳:ニューロンの再構築(一度出来上がったシステムが、全く新しくなる)
    社会的所作の獲得開始(食べる・排泄する・)
 2歳:みえない友達
 3歳:
 4歳:サリートアン課題ができる

5歳から8歳 子ども(学童期
 指先の細かい動き
 5歳:
 6歳:
 7歳:
 8歳:

9歳から12歳 子ども(思春期
  9歳:数学的抽象概念の理解・言語的な社会化(内言の発露)
 10歳:
 11歳:
 12歳:

13歳から18歳 大人(思春期

感情にまだ名前がない、未分化な状況がある。
人間らしいシナプスが作られるようになるという1歳児から、子どもは、少しずつ、「名もなき感情」が生まれた時の「対処法」、感情との「対話法」を学んでいく。あこがれ、うらやみ、とまどい、怒り、、、少しずつ、少しずつ、、、、それがある程度、その子のデフォルトは、3歳になるまでに固まるという(保育士さんの経験則)。

高次認知的情緒とよばれるこうした「いろんな名前のついた感情」に、子ども自身が、子どもの内部で、心で対処していけるようになる。

友達を脅す子
友達に媚びる子
誰にでも対等に関わる子
ひとりで遊ぶ子

そしてどの子が持っている力も、社会化することで、「天の才」として、伸ばすことができる。(個別化)
それを子ども時代の大脳辺縁系の発達のままにしてしまうのではなく、人間として、大脳新皮質を育てることが大切だと、オトノネさんは思っています。

それは全て、人との関わり合いの中で、遊びの中で育つ。
プリントをたくさん解くことで育つのではない。

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3歳までの遊び方・学び方で、その子のその後の育ちがだいぶ、決まるらしい(保育士さんの経験則)。
実際、脳はいくら臨機応変だといっても、その時その時「育てたい部分」がある。
ある部分が、適した時期にある程度でき、そしてその次に、「基礎」をもとにして、新しい部分を作っていく。
人間の脳が、辺縁系の上に、新皮質がプラスされているように。

同時に全部、ではなく、やはり優先順序が、そのときどき、発達の段階で異なるということ。

乳幼児には、呼吸器や筋肉など、とにかく生きるために発達する。
幼児期には、人間として生活する所作を学ぶ(甘える・怒る・駄々をこねる・一人で静かにあそぶ・誰かにいつもひっついてあそぶ)。【自主性】
学童期には、鍛えられた探究心、身体性を最大限に使って、あそぶ。ルールを理解できる。(知識・技能・関心の個別化・深化)【自主性・創造性】
思春期(子ども)には、すでに独立して、他者から自立して内言をつかい、話し合うことができる。協同して学べる。ルールをつくれる。(自立・協同)【自主性・創造性・(小さな)社会性】
思春期(大人)には、子どものときに培った「天の才」を極めて、社会化するような学びを深める。多様性に接する。【自主性・創造性・(大きな)社会性】

18歳になったら、「職場」で学ぶ。
(大学は、もともと、研究者を要請する場所だった。大学という「職場」で学ぶことだった。それが今は、教育基本法改正(改悪)によって、高校と同じ「学校」になってしまった。今は「幼稚園」だけが学校に含まれているが、これから「認定こども園」を学校に入れようという動きが見られるだろう。それは、日本がアルイミで終わる瞬間だ)

それからは、組織を選んだり、自分にあった場所を探したり、、、いろんな生き方がある。
学び直すのもあり、、、外国にいくのも。旅をするのも。

次の発達段階、発達課題を見越した関わり合いが大切。
一つ前の段階から、次の段階のタネを育てていく。

例えば、学童期に創造的に「粘土」とか変わるために、「砂場」でたくさんあそぶこと。とか!
それは思春期になって、自分の「天の才」として、「土」の仕事を目指すきっかけになるかもしれない。

学童期の最初の段階、5歳で象徴的な「創造」「集中」「深化」の例として、他にKAPLAが挙げられる。
時間をかけて、ひとつのイメージに向かって、作り上げていく。

身体的な発達については、「検診」で診断される。
身体的な発達が遅れて入れば、その分だけ、精神的な発達にも影響があると考えるのが道理だが、そうとも限らないこともある。
アームストロング博士は有名だし、オトノネはクシュラを例として挙げたい。

1歳児半検診で「両手で叩ける」ことが検査項目にある。
身体的な機能、発達していく心を見越して、環境を与えること。

そんな当たり前を、おとのねはあたりまえにやろうとしています。

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