『子どもを生きればおとなになれる』クラウディア ブラック

『子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方』クラウディア ブラック , 水澤 都加佐
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方

内なるこども=インナーチャイルドの本来の姿は「周囲の世界と絆で結ばれた子」
直感、自発性、生命力の塊。

私たちアダルトチルドレンは、心の中に慢性的な喪失を抱えています。けれど、自分が何を失ったのか、はっきり気づいていません。そこにあるのは漠然としたむなしさ、何かが足りないという感じ、今の自分ではだめなのではないかという不安です。こおの漠然とした喪失感を何か別のものや人で埋めようとしたり、必死で大丈夫なふりをしてみても、むなしさは消えません。私たちに必要なのは、自分が何を失ったのか、その正体を明るい日の光の下で確認してみることです。そしてそれをきちんと言葉にすることです。(p.15)

悲しみや不安、喪失体験をすることをサポートする親。
愛、親のサポートを喪失した子ども。

サポートしない、だからこそ強く育つこともある。
手をかけずに、自然に育った。いやいや、ご飯を食べて寝るところがあった。
それだけでも、強い子はたくましく成長する。

そうでない子もいる。

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子供というのは「権利の目録」を手にしてこの世に生まれてきます。それは次のような権利です。
・誰かの期待通りの存在だからではなく、ただありのままの自分として大切にされる。
・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身として慈しんで育てられる。
・一貫性と、安全と、暖かさと、理解を与えられ、無条件に愛される。
・ひどく傷つくような状況から守られる。
こうした基本的な権利を奪われているということは、つまり見捨てられているということです。私たちはときに否認の力を発揮して見捨てられた体験などなかったことにします。「私はちゃんと面倒をみてもらっていたわ。ママもパパもあまりうちにいなかったかもしれないけれど、お姉さんがいたもの」。(略)家族の中で見捨てられによる喪失を体験することは、トラウマを引き起こします。それによって、自分自身やこの世界が「いいものだ」と感じる力が著しく損なわれてしまうのです。(p.24)

この具体例として次のようなものがある。

親が自分の感情や考えや行動に責任を持たず、子どもにその責任を負わせようとすること。
親が自分のニーズを満たすために子供を利用すること。

例えば

子どもを自分がうぬぼれるために使う。
子供が親と違った考え方や行動をすると拒絶する。
自分が果たせなかった夢をかなえてほおしいと望む。

要するに子どももの権利、子どもの自治権、子どもの独立性。独自性を認めないこと。

あなたは親である私のニーズを満たすためにここにいる、というのは勘違いですね。
あなたより親の私の気持ちが優先だ、というのは、勘違いですね。

なんの勘違いかって、自分と他人の勘違いです。
子どもの問題を、自分の問題だとおもうことも、勘違いです。
親の問題を、子どもの問題だとおもうことも、よくありますが、勘違いです。

子どもを恥ずかしいと親が感じるのは勝手ですが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
子どもを心配する親の気持ちはわかりますが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
親が他人の目を気にしているのを、子どもに押し付けて、子どもに「命令・干渉・説得」をするのは人間としての分を超えています。

こうなって育ってしまったら、どうなるでしょうか。

自分の感情がわからなくなる、相手の基準に合わせたり、愛してもらうことに一生懸命になって、自分がいなくなってしまうかもしれません。人間関係への依存、愛の渇望、それから宗教や心身症、薬物、アルコール、ギャンブルへの道が続いています。また弱いものへの暴力、受け入れられない怒りを他者にぶつければ家庭内暴力、児童虐待、モラハラ・パワハラになります。恐れの感情が強ければ、創造的になれずに既得権を守ろうとして小さく生きていくことになります。(そういう人が政治家として日本を動かしているのですから、この国は病気です)それが例えば、夫婦、家族という既得権を離したくない、僅かでもその関係性にすがらなくては生きていけない状態になれば、家庭内の暴力を愛情表現、もしくは自分に落ち度があると考えることになります。そのような仕組みが、できてしまうのです。

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さぁ、統計を調べる時間だ(ああ、また魔王とこんにちわだ)

児童虐待(2018)15万9850件
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00517/
アルコール依存症者の疑い(2019)292万人
職場でのモラハラや精神的なストレス(生きづらさ)を強く感じている人の数だろう。

調査・日本の飲酒実態


家庭内暴力(2018)7万7482件
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43011460Y9A320C1CR0000/

不登校・長期欠席者(2019)327901人
自殺 332人
3) 小・中学校における,長期欠席者数は,240,039人(前年度217,040人)である。 このうち,不登校児童生徒数は164,528人(前年度144,031人)であり,不登校児童生徒の割合は 1.7%(前年度1.5%)である。 4) 高等学校における,長期欠席者数は,80,752人(前年度80,313人)である。 このうち,不登校生徒数は52,723人(前年度49,643人)であり,不登校生徒の割合は1.6%(前年度1.5%)である。 5) 高等学校における,中途退学者数は48,594人(前年度46,802人)であり,中途退学者の割合は1.4%(前年度1.3%)である。 6) 小・中・高等学校から報告のあった自殺した児童生徒数は332人(前年度250人)である
https://www.mext.go.jp/content/1410392.pdf

自殺(全員)20598人
https://www.mhlw.go.jp/content/201812-sokuhou.pdf

家庭内暴力(2019)9,042件
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/kakushu/dv.html

犯罪認知件数(2018)
警察庁の統計によれば,平成29年における刑法犯の認知件数は,91万5,042件,検挙件数は,32万7,081件となりました。
http://www.kensatsu.go.jp/hanzai_gaiyou/keihou.htm

離婚件数
2018年の婚姻件数は59万件で、離婚件数は20万7000件です

日本人の離婚率はどれくらい?離婚統計から見る離婚率の推移とは?

精神疾患 419.3万人
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は、近年大幅に増加しており、平成26年は392万人、平成29年では400万人を超えています。(認知症が70.4万人含まれている)
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/data.html

概数でもとめましょう。

児童虐待16万
アルコール依存症者の疑い300万人
不登校・長期欠席者33万人
自殺 2万600人(内、児童350人)
家庭内暴力9000件
犯罪認知件数91万5000件
離婚20万7000件
精神疾患349万人
足し算してみましょう。
813万600件(人)

日本の人口は
  【令和元年12月1日現在(概算値)】
    <総人口> 1億2615万人で,前年同月に比べ減少 ▲28万人 (▲0.22%)
https://www.stat.go.jp/data/jinsui/new.html

問題飲酒で児童虐待で不登校で家庭内暴力で犯罪者である人もいるだろうけれど、概算して6.4%となった。え?意外と少ない?
認知されていない虐待とか、いじめとかをふくめたらもっとおおくはなるだろうけれど。
会社のモラハラやアカハラなど、あげたらきりがないだろう。

10人に1人くらいかとおもってるんだけどなぁ。。

二次的な被害の件数(例えば家族や友達、いじめられる人やいじめ集団)を数えれば、数値にはでてこないものすごい人数になるだろう。

これ、30人のクラスにしたら・・・面白いかもね。1学年の方がいいかな。
子どもが何人で、何人が孤独死して、何人が犯罪者になって、、何人がアル中になって、、、、何人が児童虐待をして。。。。何人が、自殺して。。何人が離婚して。。。。

うわぁ、魔王だろ笑
そういうリアルな数字だからこそ感じられることもある。

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激怒は、表現することを決して許されなかった怒りが積み重なった結果として出てくる場合もあります、押さえ込んだ怒りは、心の中に根付きます。それは時とともに膨らんで、しつこく居座った恨みとして化膿するかもしれないし、もっとよくあるのは、慢性的なうつにおちいる場合です。こうして怒りのはけ口がない状態が続くと、あるときいきなり敵意に満ちた行動として爆発し、暴力行為や殺人に至ることさえあります。こうした行為は、痛みに耐えられず、葛藤を解決できず、他の選択肢に気づくことができずに、感情が蓄積された結果なのです。(p.53)

気が付いてほしいのは、こうした社会現象は、すべて心の問題であるということ。

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「うちの子はいい子でなければ」「うちの子は一生懸命勉強しなければ」という観念に続くのは「…だから私は必ずそうなるようにしなければ」です。けれど、結果が出るのは愛しまれ励まされることによってで、コントロールによってではないのです。

生活を秩序立てようとする努力が無駄というわけではありません。少なくともある程度のお時間における、ある程度の秩序は欠かせません。けれど私たちはしばしば、生活の全ての面や周囲の人みんなの人生をコントロールしなければという思いに駆られてきたのです。

なにはコントロールできて、なにはできないかについて、アーネスト・カーツはこんな風に言っています。

ベッドに入るかどうかはコントロールできる。
 眠りはコントロールできない。
本を読むことはコントロールできる。
 理解するかはコントロールできない。
遊びを始めることはコントロールできる。
 ゲームに勝つかどうかはコントロールできない。
知識を蓄えることはコントロールできる。
 知恵を得るかどうかはコントロールできない。

コントロールできることとできないことの違いを学ぶのは、自分の限界を受け入れる第一歩です。(略)コントロールを手放すのは、自分はすべての答えを知っているべきだという幻想を放棄し、あらゆることを管理しなければならないという思いを放棄することです。過去は変えられないという事実を認め、未来をコントロールする力を持たないことを認めましょう。私たちに残されているのは、今ここにある現実の暮らし。「今、ここ」に生きることなのです。(p.136)

オトノネひろげるシェアぼたん

親に「安心」を売る塾という名の魔王

あくまで、多くのお父さんお母さんの状況を僕が察しているわけでして。
オトノネのブログファンの方にはあまり新しい内容はないとおもいながら。

「じゃぁそもそも誰のために、この記事を書いているんだ?届けたい人に、届いて居ないじゃないか」と、
新年早々鬱々としているおとのねさんです。

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塾とは何か。

優れた塾とは何か。

優れた塾とは「親に」より便利でよりお手軽によりたくさんの安心感を提供する塾のこと。
このために合格実績やらさまざまに細分化されたコースを用意したり、「偏差値30から!」とか、「発達障害のお子さんのためのシステム」とか、送迎サービスを売ったりする。宗教とあまり変わらない。テレビのショッピング番組と変わらない。
(だからオトノネは塾ではありません。オトノネです。)

そうして子どもを塾に通わせながら、親は「安心」というサービスをうける。
子どもの学びではない(そうでなかったらなぜ何ヶ月も、何年も、子どもが学べて居ない塾に通わせることができるんだろう?)。
それが洗脳であっても、「行かないとお母さんが困るから(富山高校生の言葉)」という子どもの親への気遣いであっても。

「安心」したいという不安はどこからきているのか?
不安な世の中、こんな恐ろしいお母さんもいるという。

削除されたみたいなので別のページから貼りなおします。

実際、こういうお母さんがたくさんいる。
東大京大早慶でなかったとしても、「学校の定期テスト」レベルでやきもきしているお母さん。
「定期テスト対策」をさせているお母さんが多い。
「大学受験対策」を、小さい時に、頭を撫でながら行なっていく、こんな長期間にわたる「対策」で心が死ななかった子どもがいたら奇跡だ(もし、子どもに思春期すら許されなかったのなら、、、)。

それだけこの世のなかには不安が、魔王がチカラをもっている。
医療もそうだ。
宗教もそうだ。
教育もそうだ。
福祉もそうか?
政治なんてまさにそうだ。
頭をおかしくする、健康にならない、薬漬けにする、やたらレントゲンを撮りたがる医者(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)。
心を救う以上に、心に巣食う宗教(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)。
生徒の学びよりも自己保身にまわる学校(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)。
福祉ではなく福死の現場(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)。
倫理も論理もあったものではない政治(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)

不安が、魔王が、そこら中にいる。
悪霊に満ちている。
平和どころではない。

だから、「不安」を金儲けにする、「安心」を売るサービスが増える。
それは本来、教育業ではない。キャバクラやホストクラブと同じだ(実際、キャバクラ化・ホストクラブ化している学習塾・予備校の状況を、目の当たりにしてきたから言える)。「こんなコースをとったら?」「増やしたら?」「夏期講習だよ!」「ドンペリ開ける?」笑

いやべつにいいんだけどさ。。。
塾で出会う先生が、一体どんな先生か。
それで塾がキャバクラ・ホストクラブになるか、USJになるか、それとも人間としていろんな成長ができる場所になるかが決まってくる。

結局、塾のシステムでも合格実績でもなく、先生選びが大切。

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シューベルトの『魔王』

僕が中学校時代に出会って、譜面も読めないが全て友達の力を借りて弾いていた曲。
今日、ラジオ番組で流れていて、ああ、そういうテーマとして読み替えられるんだなと感じた。
芸術の力を、僕はうまくつかえていないようだ。

すでに子供は、魔王の手の中にある。
子どもはそれに気づいているが、親は気がついていない。
子どもは小さく、親に抱かれる。

子どもはそれに気づいているが、親は気がついていない。
そのうち、子どもはの心は、死んでしまう。

まず、魔王の存在を、きちんと感じてみよう。
感じすぎると、病むから注意(魔王を見るにも心の修行がいるようだ・・・)。

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治らない肩こりの痛みを和らげるために通い続けるマッサージ店と似ているかもしれない。

それで肩こりの原因となる心的肉体的負担が減るわけではない。

定期テスト対策で、子どもの何が成長するのか。
定期テスト対策をする習慣(もしくは赤点後の課題さえすればなんとかなるんだという処世術)を学ぶんだろうか。

子供がプレッシャーをうけずにいられる場所、という価値すら、輝いて見えてしまうほど、日本は不安に満ち満ちていると僕は感じている

子供にとっての塾の価値はなんだろう。

塾に価値があるとしたら、お客さんとして、学校のように叱責もされず、プレッシャーもうけず、ただただ過ごせる場所、という価値なのかもしれない。
それすらも、子供にとってはプラスになりうる。

そういう世の中になった。

新年一発目のブログは、「魔王」でした笑

教育は社会問題。
「成績が悪い」のはお子さんではなく、地域全体であり、日本です。
もう1人で悩むのは、やめませんか?

多くの事柄を個に起因して、社会(組織)としてとらえずにチカラ散財させることで、僕たちは力を奪われている。
魔王に。

協力することを、学んでこなかったからだ。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

みなさん、初詣で何かお祈りしてきましたか?
祈りの言葉を間違えると、魔王のチカラが増えてしまうので注意!

魔王のチカラを増幅させる塾や学校(自民公明党)には、注意!

心が大事。

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学歴社会、理想の母親像、テレビの中にでてくる豪邸、もしくは貧乏暮らし、「不安」を買い取り、「安心」を売るしくみに溢れた世界から、自分の身をまもるために。・・・やっぱり、子どもとしてきちんと成熟させてから、大人にしてあげたいとおもう。

社会は、こうした個人の歪みを和らげられずに、逆に歪みを拡大し、「不安」と「怒り」の市場を拡大させようとしている。
ああ、こわいこわい。

どうやって笑ったらいいか、わからなくなる。

オトノネひろげるシェアぼたん

【オトノネ原論】学習障害・不登校は呪いの言葉?祈りの言葉?オトノネとは何か。

先日、子どもが学習障害で、、、、というお母さんから問い合わせがあった。
発達障害、学習障害、言葉の遅れ…こういった問い合わせはよくあること。

かつて書いた記事がある。
学習障害LDか、スローラーンなだけか。

↑この記事に描かれている基準を学習障害とするなら、学校に通う子どもの半数以上は、学習障害をもっていることになってしまいます・・・それって障害?

こちらの記事もどうぞ。
診断名とは何か。Human Disaster

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「うちの子は学習障害です」という言葉を、使わない方がいい。
というのが僕の考え。

学習障害ですという言葉が意味するものはなんだろうか。

学習障害の「日本」での定義にあるように、スローラーンなだけで自然な発達をしている子の現状を学習障害と呼ぶのは変だ。

学び方には一人一人特性がある。

「うちの子は学習障害です」という言葉は、「うちの子は学び方の特性が学校の教え方、学校の学ばせ方と合っておらず、義務教育として受けるべき教育を受けられていない」という状況を伝えるものだと僕はおもう。

その声は、本来、本来!学校に届けられるべきものである。
学校は、本来、本来!学びの「家」であるからだ。
ただその声が届かない。それが現実だ。
学校は、その声を聞けない。
子どもたちの、お母さんのオトノネは、なかなか届かない。なかなか響かない。
(いやいや、対応してくれるところもありますが。それが中学になったら?高校になったら?社会人になったら?世の中、いい人ばかりではない。では、どうしましょう???)

↓【オトノネ原論】はもう少し下に行くと始まります笑↓

学習障害で困っているなら、学校の仕組みで困っているのだとおもわなくてはいけない。
自民公明党のつくりあげた学校のしくみを変えるには?

いやどの政党でも同じだろ・・・という方は、最近できた政党を調べてみてください。

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教育基本法には次のような文言がある。

第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

能力に応じてとは、何か。

診断書は、「その子には、その能力がない。だから、教育はこの程度でいい」ということを証明するものになってしまわないか。
診断書をもらわないと、支援級にいけない(少人数だけでも子どもには救いになる)などのルールがあるために、「うちの子は学習障害です」「発達障害です」というお母さんがいるかもしれない。

言葉を使う人間、言葉を使う人の心。

学習障害という言葉を通じてお子さんの特性をはじめて理解できる人もいるかもしれない。
けれども、「学習障害」とか「発達障害」という言葉を使うことで、何か悪霊のようなものが、取り付いてきやしないかと、僕は不安になる。

「不登校」という言葉も同じだ。

日本は、言葉にチカラを感じないことが多い。
「うちの子は不登校です」ではなく、「うちの子は古いシステムとは別の新しい学び方・生き方を模索しているところです」ぐらいに、具体化していった方がいい。その方が、心が元気になるはずだ。
「名詞」の抽象性

言葉は心。

【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?
ちなみにマシュマロテストの結果は今、覆されたというか、補強されて、親の経済能力が影響するという話です。その詳細も、重要ですが。

抽象の効果

「蛇」は抽象語か

↓【オトノネ原論】はじまります↓

言葉は心。

心は言葉。

音には心があります。
言葉は音で伝わります。
音の意は心にのってやってきます。
漢字をみるとまさにそう書かれていて笑えますね^^
(仏教でもそんなのあったような気がしますが、言葉という現象を理解するとそんなかんじになるとおもいます)

「不登校」「学習障害」という言葉に否定的な意を添えるか、肯定的な意を添えるか。
それは人の心にかかっています。
「不登校」「学習障害」という同じ言の葉、同じ音、であっても、その言葉の根っこ、オトノネは違うのです。

心を伝えるための言葉、その意味は、使う人の心によって変わって来ます。
誰かが使う言葉は、お母さんの元気をなくすかもしれません。

文化的に、社会的に、否定的な意を乗せられた言葉があります。
また本来、肯定的な意であったものが、否定的に使われている言葉もあります。

その言葉が、お母さんにとって、お子さんにとって、祈りの言葉になるのか。
呪いの言葉になるのか。

オトノネは心配しています。

(この考え方を使うと「ポジティブな言葉を使おう!」というセミナーになり、さらなる被害者がでてきます笑どっかの記事で書いたような。。ありました。定期テスト対策の弊害【自己改革・心理学系セミナー編】要するに、言葉を使う人間の心次第で、いくらでも言葉は意を変えて、呪いにも、祈りにもなるということです。人を助けたり、傷つけたり、よい「心」があったとしても、よい「意」が伝わらないこともあります。わるい「心」をよい「意」で伝えることもできます。)

「成績が…」「点数が…」「将来が…」「宿題が…」「勉強が…」そのお母さん、お父さんの言葉が、心が、伝わっているでしょうか。
世の中で呪いの意で伝えられている言葉を、お父さん、お母さんは心でどう受け止め直したらいいでしょうか。

お母さんがお子さんに使っている言葉が、祈りでありますように。
子どもの周りにいるすべてのオトナたちが使う言葉が、祈りの言葉でありますように。

言葉のチカラを育てるレッスンがあります。

オトノネの言葉のレッスンとは?

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ちなみにMSDのマニュアルにはこのように定義されています。
学習障害 – 23. 小児の健康上の問題 – MSDマニュアル家庭版

学習障害に対する最も有効な治療は、各小児に合うよう入念に調整した教育を行うことです。

オトノネに、遊びに来てくださいね^^

人一人の中でも、言葉がせめぎ合っていることがある。
自分を呪い殺すような言葉を使っていないか?それはどんな心からやってくるのか?心とどう関わればいいのか?
僕の心の中にも、か細い声で、祈り続けている僕がいるのかもしれない。

そんな声を、聞き取れるように、心を尽くしています。

言葉は、生きるチカラです。

オトノネひろげるシェアぼたん

クレーン動作・クレーン現象の心

今、おとのねさんは「0歳から思春期までの子供の発達」を赤ちゃんの「気持ち」を代弁する「赤ちゃんの日記」をつくろうと思っています。

お母さんに「ねぇねぇ、このころの僕はね、こんな気持ちで、こういうことをしてるんだよ。だからね・・・」と、メッセージを伝える、赤ちゃんの日記のように、お母さんに読んでほしい。そして「ああ、今日、あなたがここまで成長したことに気がついたよ!」と書き込める、交換ノートのような。

名前、何がいいかな。

いやそれよりも内容笑 

=========

で、ハンドリガードのことを書こうとして、それが心の成長とどんな関係があるか書こうとして、クレーン現象というものを思い出した。

例えばこのページで紹介されているクレーン現象は下記のよう。

私の手を握る

お菓子の傍まで連れて行く

私の手を道具のように使い、お菓子を開けさせようとする

ああ、そうか、クレーン動作って、指差しもできず、言葉もでず、もしくは目を見れなくて安心が受け取れなくて怖い、だけど「したい!」という自己意識が強くなって、、、、「僕じゃ、開けられない、開けてもらおう!」「掴む自信がないな、遠いし。あ、たしか、この便利な腕は、僕が欲しいものを手に入れてくれるぞ!」

ということかな?
ある意味、他者をよく理解しているではないか!

自己の意識と身体の発達のバランスがとれなくなったとき起きるのが、クレーン動作のようだ。

クレーン現象が起きる年齢がとーってもまちまちらしいのもそのせいかもしれない。

自閉症の代名詞のように、現場では思われているが、実は、そうではないということ。

指差しを自分でする代わりに、相手にさせるってどういうことだろう?
指差しができないわけではないよね?

クレーンいろいろ

目を合わせずに、同意なしに、クレーンをする子どもがいたら???

さぁ、どうしましょうか。

こっちのブログおもしろいですね。
【発達障害】クレーン現象、逆さバイバイ、オウム返し…「自閉症児」の特徴と親がとりたい行動

言葉にもクレーン現象がある?らしい。

逆さバイバイやクレーン現象

==========

児童発達支援、放課後ディサービス。
障害児福祉、児童福祉に参入する組織の中にはお金儲けをするだけの事業所もある。
発達知能検査のための「テスト対策」のプログラムを続ける事業所もある。(これやって、あれやって、次はこれ!という事業所)

本当に大切なことは、その子の状況を、その子の世界を周りの人が理解して、受け止めていくことじゃないかとおもう。
言葉でいったら簡単だけど。

とにかく、お母さんが、子どもの姿に気がつくこと!(診断名に騙されないこと)
子どもの心に気がつくこと!ということで、オトノネではこのプログラムを用意しています。

認定NPO法人日本ポーテージ協会HP

オトノネひろげるシェアぼたん

【アタッチメント(愛着)の深い意味】幼児期に「お母さん」の心を豊かにすると、しあわせの種をまける。学童期のくもんとそろばんにお金をかけるまえに。


『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフ

https://otonone.com/wp/neuro/junioristhebest/

という記事を書いたことがあるが。
このデータは「子育てに意識ある親(所得が低い高いに限らず)」は、小中高のなかで、小学校を一番大事にしているという現象を教えてくれた。

けどその中身が、学習塾とか、スキルアップのための習い事になっていないかどうか、わからない。
非認知能力が学びのメタスキルとなるために、「泳げるようになるために」水泳に行かせるとか「ピアノが弾けるようになるために」ピアノ教室に行くのであっては本末転倒だ。

話がそれましたゴメンナサイ

本当は、小学校に入る前の関わり合いが、非認知能力、生きる力、「しあわせ」になるためには大切だ!というお話。
こちらは非認知能力を情動知性という言葉で説明したものです。トレンドが変わっただけで、意味は同じだとおもってください。

youtubeの再生リストから0から8歳までの詳細の解説がみられます。

このダラダラした記事の結論は『アタッチメントと言われているものは、親と子の信頼関係であり、守ってくれる人がいるから子どもは頑張ろうとおもえるという、ごくごく当たり前のことを意味する』ということです。人から学ぶ。それが人間らしさをつくるとしたら。アタッチメントは、人生で最初の先生としてお母さんを選ぶ、という事実を述べているにすぎない。

お母さんは、何を教えますか?
何を伝えたいですか?

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肝心の話は、ここからです。

ある見積もりによれば、アメリカでは幼い子供のための公的資金のうち、3歳児未満の子供向けのプログラムに費やされるのはたったの6%であるという。残りの94%は三歳児向け、、4歳児向け、5歳児向けのプログラムに使われる。この配分の偏りは問題だ。いまや、のちの成功に影響を及ぼす脳の発達は、人生の最初の3年間に起こるとはっきりわかっているのだから。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.47)


これはアメリカの話ですが。日本ではどうでしょうか。

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アメリカではなく、日本の話はこちらから。

出典:OECD Child well-being module(IN2.1: Public spending by age of the child)

The three age groups concerned are: early childhood (ages 0-5 years), middle childhood (ages 6-11 years) and late childhood (ages 12-17 years).
で分けられている。つまり未就学児、小学生、中高生。

public expenditureとは、公的な支出、行政がどれだけの予算を、それぞれの年齢にかけているか。
グラフは、0歳から17歳までに使う公的な予算を100として、各段階に使うお金を%で表している。(つまり3つ全部足したら100になる)

5歳以前が・・・低い!
15%くらいだろうか。
18年間のうちの6年間、ということは、もし均一に割り振られたとしたら33%になるところが。

15%かいなー
けどそれが、今の「教育」のあり方。
テスト、テストの認知能力を追求した古い時代の「教育」の方針。

その内約は詳細不明だが、
これをみると、5際以前はeducationに使われていないことがわかる。

そもそも、childcareとeducationって何が違うか、定義が乗っていなかった。educationって何だろう。。
childcareには、医療費などが含まれているのだろうか・・・だとしたら、「しあわせ」のスキルを学ぶ(これが教育の定義だと僕はおもう)一番大切な時期に、国は予算を使っていない!ことになる。

あ、そうか、教育って、「しあわせのスキルを学ぶこと」なのかもね。
それはまさに、非認知能力。

で、自治体はまだこの研究成果に気が付いていないかもしれないし、気が付いていても「しがらみ」のせいで実行にはうつせないだろう。
どうしましょう。

ーーーーーーーーー

どうしましょう、といいつつも。
非認知能力、「しあわせ」のスキルは、教わるものでなく、環境から学ぶもの。
お母さんが作り出す言語環境、知的な、そして論理的で刺激的で、ファンタジーに富んだ会話、そして安心感。
そういったものが大切です。

結論、
小学校になってからの習い事、中学校になってからの学習塾など、「子ども」にお金をかけるような世の中の傾向がありますが、それは間違いです。
幼児期の「お母さん」の豊かな生活(「子どもの言語環境」)に、お金をかけた方が、のちのちその子は、しあわせになるという、お話でした。

就学以前から「どこそこにいれる」とかいう話ではありませんよ〜

子供の語句や読み書きのスキルをターゲットとした介入には、それほど確かなエビデンスはない。この種の介入は、子供が幼い頃に接する話し言葉・書き言葉は親の階級に大きく左右されているという現実を前提としている。裕福な家の子供たちはたいてい、より多くの本屋印刷物に接している。また、裕福な親は低所得層の親よりも子供に多くーいくつかの概算によれば、はるかに多くー話しかける。使う言葉そのものもより複雑である。こうした傾向は、入園時に低所得者層の子どもたちに言語面での大幅な遅れがあることの説明になる。(略)乳幼児は、親が言葉を教えることに専念している瞬間だけでなく、つねに親から言葉を吸収している。だからもしあなたが親であり、限られた語彙しかもっていなければー多くの低所得層の親はそうなのだがー子どもの語彙を豊富にするのはむずかしい(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.52)

アタッチメント(愛着)とは、「この人からは、安心して言葉・しあわせになるメタスキルをたくさん学べるんだ!」という子どもと養育者の信頼関係(教育協定)のことである。

と僕はおもう。

もちろん、安心感からくる、探究心、意欲なども、しあわせになる大切な、メタスキルだ。
そうして得られる自信、自立心は、とっても大切な、しあわせのメタスキルだ。

ストレスでドキドキしていたらちゃんとした遊びはできない。

ネガティブな感情が思考を狭めるのとは対照的に、ポジティブな感情には思考や行動の幅を「広げて養う」効果があるとフレデリク村は主要する。たとえば、喜びを抱いている時は、遊びたくなる。遊びには台本があるわけではなく、しようと思うものごとの幅を広げる。あれこれと考えて、新たな活動を探したり発明したりしたくなる。さらに、喜びは遊びを促すため、資質やスキルを養うことにつながる。たとえば、子供は混沌とした遊びを通じて身体能力を養う。おもちゃ、ブロック、クレヨンを使って遊ぶことで、モノの使い方を覚える。動物や英雄になりきることで、他人とのつきあい方を学ぶ。「興味」というポジティブな感情は、好奇心の幅を広げる。興味を持つと、それにかかわったり、新たな物事を学んだり、新たな体験をしたりしたくなる。そして、新しい考え方に心を開くようになる。個人的な目標を実現した時に湧き上がる「自信」というポジティブな感情は、将来の活動の幅を広げ、さらに大きな目標を追い求めるきっかけになる。私たちが組織や社会で目にする大きな問題のほとんどは、あいまいで変化し続けている。人々に困難な計画を理解させて本気で取り組んでもらわなければならない「燃える足場」のような状況ばかりではない。より大規模であいまいな問題を解決するには、柔軟な心、創造性、希望をはぐくむ必要があるのだ。(『スイッチ!ー「変われない」を変える方法』p.168)

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小学校になって、子どもが意味不明な宿題に手を拱いているのを「なんでできないの!?」とキリキリするお母さんは、大いに、間違っているかもしれない。
子どもはいうだろう。「なんで、お母さんは、小学校に入るまでの間に、僕の非認知能力を育ててくれなかったの?もっとたくさんの言葉をかけてくれなかったの?」

いやいや、それだけでない、発達特性があることも、あります。

そういうお子さんの現状をちゃんとみて、それからじゃぁ、どうしようかと、一緒に考えていきましょう。
正しい認識の上で、改めて、お子さんと向き合ってみませんか?

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費を概算して気が付いたこと1
公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2(富山・石川は教育県ではない)
公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと3

【高次認知的情動】とは?情動・感情が現状打破するチカラになる話。また、情動・感情で他人に騙される話。
【8才からの内言】自立心と感情のコントロールと思春期
個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)

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アタッチメント(愛着)の意味は、もう一つある。
ストレスマネジメントを手伝い、前頭葉の発達を助けることだ。

環境による影響の中で子供の発達を最も左右するのは、ストレスなのだ。子供たちは、いくつかの環境要因によって、
長気にわたり不健全な圧迫を受け続けることがある。こうしたストレス要因が子供の心を体の健全な発達を阻害する度合いは、従来の一般的な認識よりもはるかに大きい。
逆境は、とくに幼い時期ほど、体内の複雑なストレス反応のネットワークー脳と免疫システムと内分泌システム(コルチゾールなどのストレスホルモンを作り、放出する内分泌腺)を結ぶネットワークーの発達に強い影響を及ぼす、特にこの時期にネットワークが環境からの信号に敏感に反応するのは、これからの先の長い人生において何に備えるべきか、体に知らせる信号を常に探しているからだ。この先の人生が困難であることが信号によって示されれば、ネットワークはトラブルに備えるための反応をする。血圧を上げ、アドレナリンの分泌を増やして警戒を高める。
短期的に見れば、特に危険な環境では利点もある。「闘争・逃走反応」とも呼ばれる脅威検知システムが作動し、つねにトラブルに備えている状態なので、すぐに反応できる。このように、危険な環境への適応の発達には確固たる理由があるのだ。しかしこの適応が長期にわたってつづくと、かずかずの生理的な問題の引き金ともなる。免疫系がうまく働かなくなり、体重増加の一因となる代謝の変化が起こって、のちに喘息から心臓病までさまざまな病気を引き起こす。さらに厄介なことに、ストレスは脳の発達にも影響を及ぼす可能性がある。とりわけ幼い時期に経験した高レベルのストレスは、前頭前皮質、つまり知的機能を司る最も繊細で複雑な脳の部位の発達を阻害し、感情面や認知面での制御能力が育つのを妨げる。
感情面で見ると、幼い時期に慢性的なストレスを受けた子供はーいまでは大勢の研究者がこれを有害ストレスと呼ぶがー失望や怒りへの反応を抑えることに困難を覚えるようになる。小さな挫折が圧倒的な敗北のように感じられ、ほんのすこし軽く扱われたように感じただけでも深刻な対立関係に陥る。月皇生活では、つねに脅威を警戒し続ける強度に敏感なストレス反応尻手むは、自滅的な行動パターンを引き起こす。けんか、口答え、教室内でのわがままなふるまい。もうすこし目立たないものとしては、クラスメートとのつながりをつねに警戒し、教師や大人から差し伸べられた手を拒むようになる。
認知面でみると、不安定な環境で育ち、そうした環境が生む慢性的強いストレスにさらされた場合、前頭前皮質が制御する、実行機能と呼ばれる一連の能力の発達が阻害される。実行機能は、脳の働きを監督する航空管制官のチームに例えられることのある高次の認知的能力ー作業記憶、自己調整、認識の柔軟性などを含むものーで、これが発達のための神経系の基盤となり、粘り強さやレジリエンスといった非認知能力の支えとなる。不慣れな状況を切り抜けたり、新しい情報を処理したりする際に非常に役立つ、まさに日々の学校生活で求められる能力である。この実行機能がきちんと発達していないと、複雑な指示に集中できず、学校生活にいつも不満を抱くようになってしまう。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.28)

マギル大学の研究者らは、母ラットの特定の行動が、子ラットのDNAの配列に起こるメチル化に影響を与えることを明らかにした。子ラットがストレスを受けた時に母ラットが示す温かく繊細な対応、とくにリッキング・アンド・グルーミングと呼ばれるなだめるような行動が、DNA上で海馬を制御する部位のメチル化を抑制するのだ。海馬は、成長した時にストレスホルモンを処理する部位だ。まだ検証段階だが、人間の場合にも同様の効果があるとみられている。マギル大学の研究は、多くの親の(そして子ども時代を振り返ることのできる人々の)直感を裏づけている、。親のほんの小さな配慮が、非常に深いところからーきわめて重要な遺伝情報に関わる部分まで掘り下げるようにしてー子供の発達を助けるのだ。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.33)

もし不利な条件下にある子供がよりよい人生を送れるように手助けがしたいなら、プラスに働く介入の機会を連続体の中でできるだけ多く探す必要がある。しかしそれでもなお、6歳児未満の幼い時期、もっといえば3歳未満の時期こそが、子供のは発達を促す絶好のチャンスでもあり、危機が潜む期間でもあるのだ。これには確固たるエビデンスがある。ごく幼い時期の子供の脳は最も柔らかく、ほかのどの時期よりも環境からの影響を受けやすい。のちに様々な能力を支えることになる神経系の基盤が形成の途上にあるからだ。この基盤が関わる能力には、読み書き計算や比較、推測を扱う知的能力だけでなく、学校の内外で生きていくためのっ頃の習慣や力、ものの味方まで含まれる。幼い頃に環境から受けた影響は増幅される。よい環境にいれば先々の発達にとって非常によく、悪い環境にいれば非常に悪い影響が出る。(『私たちは子どもに何ができるのかー非認知能力を育み、格差に挑むー』ポール・タフp.45)

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アタッチメントといえば、幼い子どもと母親の関係だが、ラポールという言葉が昔流行ったように、学童期、青年期になってからも信頼できる大人と出合い、関わることの大切さも忘れられている。

未来のイノベーターはどう育つか

学びのイノベーション
「この子たちは本当に偉い」と、ローゼンバーグはいう。「私だったら彼らの多くが経験してきたことに耐えられたかどうかわかりません。彼らは他人との結びつきや、まじめに受け止めてもらうことや、生きる目的を渇望しています。だから人お人を結ぶ糸を見つけて、タネを巻き、目的意識を育む手段や枠組みを与えてやるのが私たちの仕事です。目的意識がある人間は、多くのことに耐えられる。この部分が現在の教育システムにはすっぽりかけています。目的もわからずにあんな暗記作業をやりたい人間なんてどこにいるでしょうか」ローゼンバーグの問いは的を得ている。彼は生徒たちの情熱を目的意識を育てて、勉強する理由を持たせた。そして学校の玄関で子どもたちが「遊ぶ」様子を観察して、自分たちの遊びをもっと本格的にやってみろと挑発した。子どもたちが好奇心を持って学ぶ出発点として、音楽と若者文化を利用したのだ。ローゼンバーグの助けで子どもたちの「遊び」は情熱になり、その情熱が時間をかけて強烈な目的意識に発展し、子どもたちは成功に欠かせない自制心を養って言った。シリータの高校にローゼンバーグのような先生がいたら、つまり若者文化を真剣に受け止め、その活力とメイナス面の両方を子どもたちが理解できるよう助けてくれる人がいたら、シリータにとって大きな助けになっただろう。ローゼンバーグは子どもたちに、自分の経験や考えをもとに、自分の文化を作るよう教えていたのだ。本書で紹介してきた創造力豊かな教師たちと同じように、ローゼンバーグは実践的で、分野横断的で、グループベースの学習環境を創った。それはローゼンバーグ自身が子どもたちの内的な学習意欲を発見し、伸ばしてやれる環境でもある。そして彼もまた、学校では例外的な存在で、重要な活動の一部を学校の外に出さなければならなかった。ローゼンバーグの成功は、子供たちに深い敬意を払いながら信頼関係を築く重要性を指名sている。彼は子供たちの「目を見つめた」だけではない。カレッラの話に長い時間真剣に耳を傾け、子どもたちが自分のアイデアや夢を声に出すのを手伝った。若者たちがいうことの中には、挑戦的だったり破壊的なこともあるだろう。だが私たちが本当に「ひとりも落ちこぼれを作らず」に、すべての若者をイノベーターにしたいなら、そうした意見が出てくるリスクも受け止める必要がある。(『未来のイノベーターはどう育つか』トニー・ワグナー p.189)

これはアタッチメントの本当の意味に通じると思う。約束ができる人。言葉を信じてくれる人。

かつて韓国で演劇をしていた時に、ある舞台俳優はこう言った。「自分の言葉を、セリフを信じてもらえるように舞台の上で努力をするんだ。自分が本当に観客に伝えたい言葉に注いだ魂を観客に伝えるためには、そのセリフを出すまで一生懸命演じて、観客に、僕という存在を信じてもらわなくちゃいけない。」

親であれ、教師であれ、「この人の言葉を信じよう」「この人がいうならやってみよう」と思ってもらうこと。
そうした大人の存在が、子どもの「遊び」を「情熱」にして、さらには「目的意識」へと変化させるために大切だ。

子どもがそれを自然に、誰の手も借りずに「遊び」を「目的意識」つまり社会的に価値のある活動にすることは困難だ。日本ではそれがスポーツや学習発表会、大会の中に閉じ込められている。スポーツ・音楽は「遊び」であり、「情熱」を注ぐように大人は促す。そして大会という「目的意識」が準備されている。これが遊びではなく仕事となり、情熱ではなく忍耐になっていく子どもの姿をみると、どうも大人たちは本当にスポーツや音楽を理解しているとは思えない。強制参加、罰。こうしたものはどれも創造性には結びつかない。その先にあるものは、管理社会。(といってもケジメ、教えるべきことはきちんと教えること。教えるべきことはなんなのか、きちんと大人が見定めること)

教えるべきことはなにか。
教えてはいけないことは何か。

「宿題を毎日こなすこと」を教えるべきなのか。
もっと大切な、「教えるべきこと」はないだろうか。

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しあわせって何?ーICF国際生活分類の答えー学校についていけなくなった子のためにできること

ICFはWHOが定めた「人間の生活機能と障害に関する状況を記述することを目的とした分類」だ。
ICFの構成要素間の相互作用

各要素の定義
心身機能 :身体系の生理的機能(心理的機能を含む)
身体構造 :器官、肢体とその構成部分などの、身体の解剖学的部分
活動 :課題や行為の個人による遂行
参加 : 生活・人生場面への関わり
環境因子 : 人々が生活し,人生を送っている物的・社会的・態度的環境
個人因子 : 個人の人生や生活の特別な背景

簡単に見てみよう。

大切なのは、「健康状態」である。
「健康状態」は「心的機能・身体構造」と「活動」と「参加」が影響する。
「心的機能・身体構造」と「活動」と「参加」は「環境因子」と「個人因子」が影響する。

well being(よい存在・健全な存在)でいるためには、
自己の充実「活動」
他者との関わり「参加」が大切だということだ。

これが、学校の授業の中で、どれだけ保証されているのか。

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この分類は「障害者の生活状況」を理解する枠組みとしてつくられた。
学校で「障害」に阻まれて進んでいないが、学年だけは進んでいく子どもたちにも使える枠組みだ。

障害は、人が作り出すもの。

学校の中でつくられる障害、お父さんお母さんが、正しく「学校の仕組み」を理解して、お父さんお母さんが、環境因子を変えてあげてください。
お子さんの「個人因子」を変えようとするのは、間違いです。

はっきり言います。
環境を変えましょう。

ちなみに、
お父さんお母さんも、環境の一部です。

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遺伝か環境か、テクノロジーか


ディスレクシア

読み書き障害は完全に先天的だという。
文字が浮き上がったり消えたり、ゆがんだりする。
文字を書くにしても、線に沿ってかけなかったり、鏡文字になったりする。

タブレットによって、「できないこと」を補って暮らせるようになった。
努力した分だけ、報われる、こうして開かれて行った心がある。

テクノロジーをつかうのは支援になるだろう。
で、それで?子供が、何を学ぶか。

スマホを与える。
それで?
子供は、何を学ぶか。
子供は何が、学べなくなるのか。

年齢を重ねると、認知能力とともに、子ども自身が「作戦」をたてたり、実行しながら適応することができる。
個人レベルで、改善がないわけがない。
ただそれが、相対評価、WISCなどで測るとなると「争い」になるので、改善しないようにみえているだけである。
お友達が発達障害だったら?子どもに教えておきたい、発達障害のとらえ方と接し方

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動いているブランコに突進するのは、経験不足なだけか、スローか、無理か。

オトノネ関係者で放課後ディの人がいる。

ダウン症の子、小学生。
危ないはずのブランコに、自ら突進する。

これは、ブランコで痛い目にあう経験値が足りていないからか。
それとも、痛い目にあったことが、利用できないしくみになっているのか。

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野外教育業界で、こんな言葉がある。

怪我をしない子は、初めてのことでも、一切怪我をしない。
怪我をする子は、何度でも怪我をする。

危機察知ができるのは、経験の集積を抽象化して、法則化して、「あ、これは、気をつけないとな」とおもって、
慎重に行動を起こしたりすること。雰囲気を敏感に、肌で感じること。


危ないな、と「予測」して、「慎重に」振舞うこと。
様子を見て「観察」したり、道具の威力がわかるまで「実験」する。

こうした反応も、危険、危ない、失敗という経験から作られるだろう。

だが、「予測」や「慎重さ」や「観察」「実験」ができない子がいる。
それは、もう、どうしようもないものなのか。

それとも、ゆっくり発達して行って、いつかは「あ、動いているブランコに突進したら危ないんだ」といわかるだろうか。
道路に飛び出したら死ぬことが、わかるだろうか。(一才の子にはよくあることだが)
実際に事故に遭わなくても、危険を回避するチカラがある。

大きくて、動いているものは、危険!
という単純なことなのだが・・・・
ある意味でこれはファンタジーするチカラの応用だろう。

例えば、虫が好きで、虫を触っていて、噛まれるとわかって、つかむ場所を考えたりすることでも、この能力は、経験は、蓄積される。
それで「学習」ができるか。

なぜかオトノネにいた、噛まれると痛そうなヤツ。そういえば、自転車をこいでる時、何かがぶつかってきたような・・・この虫は、ヤヴァイだろ。ぜってー噛むって!!!笑

ーーーーー

僕は、学習できるんじゃないかとおもっている。
ずいぶん大人になったダウン症の人が、人間関係をつくる「戦略」をもっているという話を聞いたことがある。
ただそのためには、時間と、経験の蓄積が、必要になるんだとおもう。
似たような状況でなければ、反応できないかもしれない。

「その子の」学びの環境を整えること。
個別化すること。

放課後デイのスタッフの少なさでは、利用者の数では、ほとんど「管理」になるのが現状。
だ。という話だった。

これは、学校でも、塾でも同じ。
その場所が、学びに適しているか。ただ、安心のために利用するか。
お父さん、お母さん次第。

ーーーーーーーー

失敗をしたり、「あ、これは、危ないものだな」と思えるものに関わる、そういうちょっと危ない状況を観察したり感じる経験が、やたら少なくなったようにおもう。

いろんな人の法則、物の法則は、学校のお勉強では学べない。

例えば。

知らない人に声をかけられたら、逃げる。という指導が学校ではされているかもしれない。
人間を見て、判断をつける。「あ、この人は、危ないな」とか「あ、この状況は、何か、違うな」と思えるだけの、多様な出来事、経験が少なかったら、本当に、囲われた世界でしか、画一的な世界でしか生きられなくなるかもしれない。

ーーーーーーーーー

冒険、挑戦が許されるあそびの世界が、少なくないか?
子供が挑戦するのを、見守る大人が、少なくないか?
おもいっきり擦り傷を作って家に帰る子が、いるだろうか。

いるに違いないが!

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子どもにとって、その子に関わる大人にとって、一番「障害」になるものは何か。

「話が通じない親である」で、意見は一致した。

高岡は特別支援学校も、普通の学校も、財政難のためにマンモス化している。
子どもにお金をかけないこの街に、どんな未来がまっているだろう。

お父さん、お母さんも、子どもも、疲れている。

それでも、子どもたちは、笑っているから、僕はほんとうに彼らを尊敬している。

ーーーーー

適切な行動の未学習か、
不適切な行動の誤学習によって
「問題の行動」が引き起こる。

「教えるべきこと」は何だろうか。
「これはダメあれもダメ」ではなく、「これがいい、あれがいい」を、適切な行動を学んでいこう。
学校の言語環境は、すこぶる悪い。「教えてはいけないこと」が、教え込まれている。

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そのテストは、検査は、どんなチカラを計測するのか。

進研模試・河合模試だけがテストではない。
発達心理検査だけがテストなのではない。

PISAというテストがある。

国際テストであるPISAの「テスト」に出るものは、学習指導要領に取り入れるが、出ないものは、取り入れない。
OECDが「義務教育の間に育てたい3つの資質能力」には活用・関係・自立がある。

テストで測れるのは「活用」だ。
異質なものとの関係性、他者との共生する能力と自律の能力は逆に下げられてしまった。

異質なものとの関係性の弱さ
→いじめ・「みんな一緒」・学校の先生「お子さんだけ特別には…」

自律の能力
→共依存・自尊感情の低さ・情報リテラシーの低さ「成績が下がったの!?勉強しなさい!」

日本は「テスト対策」の国だ。

そんな日本で暮らすには、「テスト対策」をするしかないのだろうか。

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日本型の教育を考えたらどうなるか。
日本をどうしていきたいのか。

ペーパーテストが人生を左右するシステムに、お子さんをどう関わらせるのか。

日本の心の土壌には「心中」があるのかもしれない。

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PISAのテストで上海がオールNo1をいきなり初登場で出した。
それまでの古株、フィンランドを抜いて。テスト対策、した?

PISAのテストの上位国は中国とシンガポール。
ここは非民主国家であり、独裁国家である。(経済的に成功した北朝鮮、というらしい)
北朝鮮はキムさん、シンガポールはリーさんだそうだ。

どの国も、傾向と対策に傾倒しているという。

21世紀型の国際社会をつくるためにつくられたOECDの考えたPISAのテスト。

結局は、人間次第。

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定期テスト・発達検査を受ける前に(定期テストや発達検査結果で子どもを殺さないために)

進研模試の結果が(難関大を目指す人にとっては)「無意味」だと話すおとのねさん。

いやいや、別に、その子をちゃんとみたら、どこで困っているかわかるし・・・・

同じように、発達検査も「無意味」だとおもっている。
なぜなら、発達障害検査の結果も「偏差値」で計算されるからだ。
(計算方法の詳細を知ろうとしたが、問い合わせたところ、「秘密」であるとのこと)

数に、心を読み取ったり、数の「メッセージ」をどう受け取るか、そのリテラシーがなかったら、本当に「無意味」だと、おとのねさんはおもっています。公的な支援を受けるための「手形」としての意味は、あります。もちろん!

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偏差値とは、全体からみて、どの位置にあるか、を数値で表したもの。
だから絶対に、ほとんど絶対、偏差値40がいるし、30もいる。(所得を計算すれば、偏差値が100ちかくある人がいる!!!)

全員が走るのが早く慣れば、「ふつう」の子が「遅い子」になる。
走れないわけでもない、楽しく走る「遅い」子もいる。

そもそも発達検査を受けようと思った時点で「困っている」のだから、それを数値化して「資格」を得てどうなるのか。
それが「手形」になってお金をもらえたり、特別学級に入れるようになる。ただ、それだけのために診断を受ける、とおもったらいい。
診断名は、検査結果は、ただただ、子どもが有利になる環境をつくるために、利用するものである。

それで、その子の障害が決まる。生涯が決まる。
もし、その子に関わる人が「診断名」をみて「その子」を見ていなかったなら。
もし、その子に関わる人が「数値」をみて「その子」を見ていなかったなら。

「あ、この子は軽度知的ですねー多動ですねー自閉症ですねー学習障害ですねー(診断名の原理を理解している先生はほとんどいない)」
「じゃぁこっちにいってねー(その子は学校という社会で障害を「負わされている」とおもっていない)」

正しい診断、ただしい治療、などというものはない。
発達はもともと、個別的なものだ。それを学校の価値観、できるできない、みんな一緒にすることで障害が生まれる。

「発達障害」という言葉が動かす「安心」を売るマーケットがある。
学校の先生、関係機関の専門家、メディアがつくりだす戦場がある。
「不安」という市場で買い物をするお母さんたちが、たくさんいる。

発達検査のテスト対策を、療育センターでやっていることを知っている人が、どれだけいるだろうか。
塾も、学校も、療育も、テスト対策。

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偏差値とは何か。
IQ、発達障害のWISCの計算結果と、進研模試などの偏差値の出し方は変わらない。
その相関を研究する人がいてほしい。

中学生の発達検査の結果と中学生の学力テストの結果に相関があるか。
こういう研究ができない蒙昧な状況が、日本にはある。

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知能指数(IQ)は変化するのか?一生変わらないのか?

真面目にやらない子が、本来よりも

1960年代に北カリフォルニアで行われたカルヴィン・エドランド氏の実験によると、

知能検査の問題のご褒美としてチョコレートをあげながら検査を実施すると、ご褒美を使わなかったときよりIQが平均12ポイント上がったそうです。

このように、IQはその人の集中力や工夫である程度変化が見られることがわかりますね。

一方、教育学において有名な取り組みである「ペリー就学前プロジェクト」によると、

教育面に介入して上がった子供達のIQは、その介入をやめてから4年経つと介入前のIQに戻ったそうです。

これを踏まえると、

IQは一旦上がったとしてもそれが一生続くかと言えばそうとは限らないことがわかります。

そのテストは、何を検査しているのか????
全国学力テストは?
定期テストは?
大学入試問題は?
知能発達検査は?

「課題ノート提出」というテストは?

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