【大人の宿題】「愛」を学ぶ心の屋根裏部屋otonone-オトノネ-

カウンセリングルームでもつくろうかなとおもってきた。

そんなお話。

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お母さんが学ばないといけない理由は何度か記事にしてきたがもう一度。。

一人の人間を尊重するというのは、「人間」を尊重するのであって、「人間」でなければ尊重する必要はない(機械を尊重する必要はないのと同様)。
ただ、うまい具合に対処するだけだ。(日本は、そういう国だ。もう認めるしかない。)
考えること、感じることができない、目の前の子どもが見えていない人に子どものことを考えろ!感じろ!といっても無理なのだ。

だから、

学校の先生に何をっても、無理なのだ。
保育園の先生に、何を言っても、無理なのだ。

と割り切ってしまったほうが、自分自身の成長が望める。子どもにもプラスだ。
(「学び」の回路が閉じた人と関わってもなにも学べない)

そのくらい、「人間」らしさのない人間が多い世の中だ。
そんな「人間」が希少なこの世の中で、富山県で、子育てしているお母さんがいる。

本当に、大変なことだとおもう。

さて、僕にできることはなんだろう。
オトノネで試したいことはなんだろう。

大人の宿題のお手伝いかなーとおもっている。(大人は子供に宿題を出すが、子どもも、大人に宿題をだしている)
子育てのパートナーとして。

それは僕のお母さん自身が一人で、孤独で、悩みながら、狂いながら、僕を育ててくれたことに対する、僕なりの、なにがしかなようにおもっている。

子どもを塾に行かせるだけで子どもがしあわせになることはほとんど望めない。
お母さんが学ばないと、子どもはしあわせになれない。
そんな時代になってしまった。お母さんは、「ビジネスの原理」からの暴力のなかで、暮らしているからだ。
お母さんが自分を守る術を、学んだほうがいい。

しわよせは子どもにいく。

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お母さんに自覚的になってほしいことは次の二点。

どんな人になってほしいか。
お守り

そのためにどんな関わり合いをするか。
愛とは何か?

子育ては、この二点。
「自然」に任せていたら、「命」の輝きがが消されてしまう時代だから。
不健康な社会という「自然」の中で健康を保つには。「自然」でいちゃだめ??
「学校」という「自然」、「校舎」という場所。【嫉妬学】和田 秀樹
【自然な子育て】とは何かー学者たちの出した簡単な答えー『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』
好きなことをして学ぶ。遊びながら学ぶ。子どもの自然な姿。
脳は断捨離する。そして自然のあるところに知恵は生まれる。

心に留めておいたほうがいい。

呪いのかかった暴力の支配する世界で、お守りと、愛がなかったら、子どもを魔王の世界に丁稚奉公させることになる。

つまるところ、自分自身を、子どもを、人間として尊重しているか、人間としてつきあっているか、というお話。

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第一段階は、「どんな人になってほしいか」という願い。
何を子どもに望むか。でもいい。
「何も望んでいません。この子の自由で」という言葉が返ってきたら、違和感を覚えるかもしれない。
「いい親」を演じているだけかどうか、それこそ、僕はちゃんと判断するだろう。
そのために、「自由とはなんですか?」と聞くだろう。
おそらく抽象的な答えが返ってくるだろう。
それを僕は具体化してもらう。
今現実の話をしてもらう。
「どんなときに、子供を心から褒めたか。感動したか」をはなしてくれたらいい。

目の前の「困りごと」はひとつのきっかけ。
「どんな人になってほしいか」を言葉にして出していくプロセスが必要な人もいれば、すでに答えを出せている人がいる。
対話をしながら、屋根裏部屋に閉じ込められた心の大事な部分を見つけていってもいい。

具体的なエピソードを語る。
子どものエピソードではなく、お母さんのエピソードを話してくれてもいい。
(というかお母さん自身が「生きる」価値を、よろこびを、積極的に捉えているかどうか、ただ擦り切れていくだけの暮らしをしているのかが、子どもにも影響している。人は人から学ぶ。お母さんの価値観がそのまま子どもに伝わると考えるのが自然だ)

言葉がでてこないなら、自分を感じる時間が、体験がプロセスを動かすきっかけになるだろう。
そのための「しかけ」をおとのねさんは考える。

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多くのお母さんたちの心は不安や恐怖でいっぱいになっていて、子どもの姿や自分の気持ちがわかっていない。
自分の不安を直視せずに、とにかく子どもを使って自分の不安を消そうとする。

「塾」に行かせて終わりのパターンだ。
第一段階でつまずく人は多い。

自分を騙している、自己欺瞞の程度が強いほど、心は落ち着かない。
どれだけ自分が自分の気持ちを隠蔽しているのか(政治家や企業がよくやる隠蔽よりも大切なことだ)。
どれだけ押しつぶされて「生き延びて」きたか。

そういう自覚のある人であれば、第一段階はとりあえず、終わっているといえる。

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第二段階は、現実的な話であるがゆえに、また別の困難さがある。
時間もお金も有限だ。

大切なものを守るために何をどうするのか。
いままで作り上げていきた自分自身の「伝統」をどう作り変えていくか。

変えていくか。

それこそ、成績が上がらないといって地団駄を踏んでいる子ども(実際は成績など大して気にしていないのだが)と変わらない。

変えていくための、現実との折り合いのつけ方を学ぶ。
その過程で、「お守り」も変わっていくかもしれない。

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オトノネに長く、深く、関わってくれているお母さんの話を聞くと、親子関係がよくなった、子どもがすくすくと成長しているのを感じてうれしくなったらしい。
それが、僕が子どもに言う言葉を家でも使ってくれているらしい笑

言葉は心。

お母さんが子どもから学べるなら、それが一番いい。
子どもをちゃんとみられるなら、オトノネで変化する、もしくはオトノネで見せる子どもの様子をきちんと見つけられるお母さんなら、それで十分だ。

けどそれができないお母さんもいる。
そういうお母さんは、塾の代用としてオトノネを使っている。
笑うということがない。

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本当に変えたい人でないと、オトノネを使うことはできない。
「定期テスト対策」が好きな人、「宿題をやらなきゃいけない」と思っている人に、オトノネは合わない。

そんな風に、僕は思った。

自覚がない、堕ちきっていない人は、まずちゃんと、ボロボロにならないといけない。
それが、「大人の宿題」の基礎だ。


ボロボロになってから、オトノネに来てください。

僕自身がそうでした。きっと人間、そんなものなんだろうとおもっています。
ドラッカーが言う通り、自分を知ることが、マネジメントの基本だ。

家、家族をマネジメントするために、「大人の宿題」をきちんと認識してみてほしい。
その上で「質問」をしてほしい。

子どもの人生を変えたいなら、親の人生を変えるといい。
それが嫌で、無い物ねだりをして「塾」に甘えて子どもを強制収用するから、子どもはかわいそうだ。
そういう暴力的なお母さんが、たくさんいる。

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ただ、ボロボロにならなくても済んでしまうようなさまざまな仕掛けを、文化は用意しているから、本当に日本は魔界そのものだとおもう笑

「甘え」の関係は、創造的であると同時に、破壊的だ。
「分別」とは、人間の理性とは、どちらに転ぶかわからない綱渡りを無事に終え、子どものように笑いながら死んでいくために、使うといいのかもしれない。

ねぇ、そうでしょう、ツァラツストラ。

オトノネひろげるシェアぼたん

学校のネグレクトに気がつく【児童虐待に気付きにくい理由】

おとのねさんは、ふと、気がつきました。

学校で学ぶべきことを学べず、お母さんが家で教えることになっているって変じゃない?
あまりにも当たり前に暴力的なことをいうから、気づかなかった!DVと同じだね!

学校教育の原理を家庭にまで持ち込むんだから、そりゃぁ、暴力ですよ。
宿題を家でやってくる前提も暴力だし、さらにお母さんに教えさせるなんて、甚だしい暴力だ。

けどそれが「自然」だから、やるせない。
みんな「宿題をして当たり前」「わからなかったら親が教えて当たり前」になっている。

いやいや、それっておかしいから。
学校が仕事サボっているだけだから。
学校がそもそも無理なことを子どもにさせていて、親に負担を背負わせているだけだから。

あまりにも暴力が普通すぎて、当たり前に暴力が目の前にありすぎて、それが「自然」な富山県。

さて、どうやって生きようか。

言われないと気づかない、なかなか気づかないことがある。

オトノネひろげるシェアぼたん

【ビジネスの原理】情を売る。

愛を売る、と言われて思いつくのはホストとかキャバクラとかいう夜のお仕事だったりなんだり。

塾も学校も愛を売っているケースがある。

いやいや、愛は残念ながらスキルなので売れない。
愛とは何か?

情のエネルギーを注ぎ込む「型」になんと名前をつけたらいいのか、考えてみよう。

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塾にいる「やさしい」先生。
通学中にお腹が痛くなって迎えに来てくれる先生。
頑張って進級「させて」くれる先生。

どれも、「愛情」のあるいい先生のように思える。
行為レベルでは。

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言語レベルではどうだろう。
「やさしーくしていないと生徒はやめていくから甘やかす」
「迎えに行かないと学校何してんだと言われるし、生徒からもなんで来てくれなかったのかといわれるから行く」
「教育委員会からの評価も下がるし、親への対応もめんどくさいから進級させる」

これはどんな「情」からくるのだろうか。

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学校も塾も、情を売るサービスだといえるだろうか。
安心を売る塾。
卒業資格を売る学校。

「立場」や「役」をどう考えるか。
塾や学校は「安心を売る」「卒業資格を売る」ことで立場を守っている。
そのために「やさしい」とか「迎えに行く」とか「進級させる」という役を担う。

それが、ビジネスの原理。

僕にはどういうわけか、塾や学校がキャバクラやホストクラブと同じように思える。
愛のない情の世界で、子どもたちは、今日もスマホを手に、レバニラを探して歩いているのかもしれない。

レバニラかとおもって注文したら、ニラしか入っていないのが、「自然」な世の中になってしまった。
「レバニラ」を頼んだら、「ニラ」がでてくることに、違和感がなくなってしまった。
「ご注文の、レバニラです!」「え?レバーは入っていないんですか?」「え?入っていますよ?これが、レバニラです!」
そうして、「ニラ」を「レバニラ」と呼ぶようになった。

ビジネスの原理から子どもをどう守るか。
お母さんが、ビジネスとして子供を育てていたなら、もう、ニラばかりで、子どもは別の進化を遂げ始めている。

と、僕は感じている。

レバーのない世界で、子どもたちは、新しい生き方を、探し始めている。
レバーを諦める人もいる。
レバーを探す人もいる。

二つの文化が、お互いにお互いを尊重できるなら、いいのであるが。
2つの文化

愛は、情ではない。

オトノネひろげるシェアぼたん

『子どもを生きればおとなになれる』クラウディア ブラック

『子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方』クラウディア ブラック , 水澤 都加佐
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方

内なるこども=インナーチャイルドの本来の姿は「周囲の世界と絆で結ばれた子」
直感、自発性、生命力の塊。

私たちアダルトチルドレンは、心の中に慢性的な喪失を抱えています。けれど、自分が何を失ったのか、はっきり気づいていません。そこにあるのは漠然としたむなしさ、何かが足りないという感じ、今の自分ではだめなのではないかという不安です。こおの漠然とした喪失感を何か別のものや人で埋めようとしたり、必死で大丈夫なふりをしてみても、むなしさは消えません。私たちに必要なのは、自分が何を失ったのか、その正体を明るい日の光の下で確認してみることです。そしてそれをきちんと言葉にすることです。(p.15)

悲しみや不安、喪失体験をすることをサポートする親。
愛、親のサポートを喪失した子ども。

サポートしない、だからこそ強く育つこともある。
手をかけずに、自然に育った。いやいや、ご飯を食べて寝るところがあった。
それだけでも、強い子はたくましく成長する。

そうでない子もいる。

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子供というのは「権利の目録」を手にしてこの世に生まれてきます。それは次のような権利です。
・誰かの期待通りの存在だからではなく、ただありのままの自分として大切にされる。
・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身として慈しんで育てられる。
・一貫性と、安全と、暖かさと、理解を与えられ、無条件に愛される。
・ひどく傷つくような状況から守られる。
こうした基本的な権利を奪われているということは、つまり見捨てられているということです。私たちはときに否認の力を発揮して見捨てられた体験などなかったことにします。「私はちゃんと面倒をみてもらっていたわ。ママもパパもあまりうちにいなかったかもしれないけれど、お姉さんがいたもの」。(略)家族の中で見捨てられによる喪失を体験することは、トラウマを引き起こします。それによって、自分自身やこの世界が「いいものだ」と感じる力が著しく損なわれてしまうのです。(p.24)

この具体例として次のようなものがある。

親が自分の感情や考えや行動に責任を持たず、子どもにその責任を負わせようとすること。
親が自分のニーズを満たすために子供を利用すること。

例えば

子どもを自分がうぬぼれるために使う。
子供が親と違った考え方や行動をすると拒絶する。
自分が果たせなかった夢をかなえてほおしいと望む。

要するに子どももの権利、子どもの自治権、子どもの独立性。独自性を認めないこと。

あなたは親である私のニーズを満たすためにここにいる、というのは勘違いですね。
あなたより親の私の気持ちが優先だ、というのは、勘違いですね。

なんの勘違いかって、自分と他人の勘違いです。
子どもの問題を、自分の問題だとおもうことも、勘違いです。
親の問題を、子どもの問題だとおもうことも、よくありますが、勘違いです。

子どもを恥ずかしいと親が感じるのは勝手ですが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
子どもを心配する親の気持ちはわかりますが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
親が他人の目を気にしているのを、子どもに押し付けて、子どもに「命令・干渉・説得」をするのは人間としての分を超えています。

こうなって育ってしまったら、どうなるでしょうか。

自分の感情がわからなくなる、相手の基準に合わせたり、愛してもらうことに一生懸命になって、自分がいなくなってしまうかもしれません。人間関係への依存、愛の渇望、それから宗教や心身症、薬物、アルコール、ギャンブルへの道が続いています。また弱いものへの暴力、受け入れられない怒りを他者にぶつければ家庭内暴力、児童虐待、モラハラ・パワハラになります。恐れの感情が強ければ、創造的になれずに既得権を守ろうとして小さく生きていくことになります。(そういう人が政治家として日本を動かしているのですから、この国は病気です)それが例えば、夫婦、家族という既得権を離したくない、僅かでもその関係性にすがらなくては生きていけない状態になれば、家庭内の暴力を愛情表現、もしくは自分に落ち度があると考えることになります。そのような仕組みが、できてしまうのです。

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さぁ、統計を調べる時間だ(ああ、また魔王とこんにちわだ)

児童虐待(2018)15万9850件
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00517/
アルコール依存症者の疑い(2019)292万人
職場でのモラハラや精神的なストレス(生きづらさ)を強く感じている人の数だろう。

調査・日本の飲酒実態


家庭内暴力(2018)7万7482件
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43011460Y9A320C1CR0000/

不登校・長期欠席者(2019)327901人
自殺 332人
3) 小・中学校における,長期欠席者数は,240,039人(前年度217,040人)である。 このうち,不登校児童生徒数は164,528人(前年度144,031人)であり,不登校児童生徒の割合は 1.7%(前年度1.5%)である。 4) 高等学校における,長期欠席者数は,80,752人(前年度80,313人)である。 このうち,不登校生徒数は52,723人(前年度49,643人)であり,不登校生徒の割合は1.6%(前年度1.5%)である。 5) 高等学校における,中途退学者数は48,594人(前年度46,802人)であり,中途退学者の割合は1.4%(前年度1.3%)である。 6) 小・中・高等学校から報告のあった自殺した児童生徒数は332人(前年度250人)である
https://www.mext.go.jp/content/1410392.pdf

自殺(全員)20598人
https://www.mhlw.go.jp/content/201812-sokuhou.pdf

家庭内暴力(2019)9,042件
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/kakushu/dv.html

犯罪認知件数(2018)
警察庁の統計によれば,平成29年における刑法犯の認知件数は,91万5,042件,検挙件数は,32万7,081件となりました。
http://www.kensatsu.go.jp/hanzai_gaiyou/keihou.htm

離婚件数
2018年の婚姻件数は59万件で、離婚件数は20万7000件です

日本人の離婚率はどれくらい?離婚統計から見る離婚率の推移とは?

精神疾患 419.3万人
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は、近年大幅に増加しており、平成26年は392万人、平成29年では400万人を超えています。(認知症が70.4万人含まれている)
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/data.html

概数でもとめましょう。

児童虐待16万
アルコール依存症者の疑い300万人
不登校・長期欠席者33万人
自殺 2万600人(内、児童350人)
家庭内暴力9000件
犯罪認知件数91万5000件
離婚20万7000件
精神疾患349万人
足し算してみましょう。
813万600件(人)

日本の人口は
  【令和元年12月1日現在(概算値)】
    <総人口> 1億2615万人で,前年同月に比べ減少 ▲28万人 (▲0.22%)
https://www.stat.go.jp/data/jinsui/new.html

問題飲酒で児童虐待で不登校で家庭内暴力で犯罪者である人もいるだろうけれど、概算して6.4%となった。え?意外と少ない?
認知されていない虐待とか、いじめとかをふくめたらもっとおおくはなるだろうけれど。
会社のモラハラやアカハラなど、あげたらきりがないだろう。

10人に1人くらいかとおもってるんだけどなぁ。。

二次的な被害の件数(例えば家族や友達、いじめられる人やいじめ集団)を数えれば、数値にはでてこないものすごい人数になるだろう。

これ、30人のクラスにしたら・・・面白いかもね。1学年の方がいいかな。
子どもが何人で、何人が孤独死して、何人が犯罪者になって、、何人がアル中になって、、、、何人が児童虐待をして。。。。何人が、自殺して。。何人が離婚して。。。。

うわぁ、魔王だろ笑
そういうリアルな数字だからこそ感じられることもある。

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激怒は、表現することを決して許されなかった怒りが積み重なった結果として出てくる場合もあります、押さえ込んだ怒りは、心の中に根付きます。それは時とともに膨らんで、しつこく居座った恨みとして化膿するかもしれないし、もっとよくあるのは、慢性的なうつにおちいる場合です。こうして怒りのはけ口がない状態が続くと、あるときいきなり敵意に満ちた行動として爆発し、暴力行為や殺人に至ることさえあります。こうした行為は、痛みに耐えられず、葛藤を解決できず、他の選択肢に気づくことができずに、感情が蓄積された結果なのです。(p.53)

気が付いてほしいのは、こうした社会現象は、すべて心の問題であるということ。

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「うちの子はいい子でなければ」「うちの子は一生懸命勉強しなければ」という観念に続くのは「…だから私は必ずそうなるようにしなければ」です。けれど、結果が出るのは愛しまれ励まされることによってで、コントロールによってではないのです。

生活を秩序立てようとする努力が無駄というわけではありません。少なくともある程度のお時間における、ある程度の秩序は欠かせません。けれど私たちはしばしば、生活の全ての面や周囲の人みんなの人生をコントロールしなければという思いに駆られてきたのです。

なにはコントロールできて、なにはできないかについて、アーネスト・カーツはこんな風に言っています。

ベッドに入るかどうかはコントロールできる。
 眠りはコントロールできない。
本を読むことはコントロールできる。
 理解するかはコントロールできない。
遊びを始めることはコントロールできる。
 ゲームに勝つかどうかはコントロールできない。
知識を蓄えることはコントロールできる。
 知恵を得るかどうかはコントロールできない。

コントロールできることとできないことの違いを学ぶのは、自分の限界を受け入れる第一歩です。(略)コントロールを手放すのは、自分はすべての答えを知っているべきだという幻想を放棄し、あらゆることを管理しなければならないという思いを放棄することです。過去は変えられないという事実を認め、未来をコントロールする力を持たないことを認めましょう。私たちに残されているのは、今ここにある現実の暮らし。「今、ここ」に生きることなのです。(p.136)

オトノネひろげるシェアぼたん

子どもの時代・子どもの気持ち

こんな子供がいる。

アイドルのアイテムをライブに行った時に買いためて、何年後かにそれをメルカリで売ると、儲かると笑
株みたい。

こういう新しい価値の存在を、価値の作り方を、子供たちは知っているのだろうか。
古い人間しかいない会社に行ったら、こういう能力を「価値」としてみてくれないかもしれない。
新しい人間がいる場所に行ってみたら、その人の本性を、天の才をそのまま伸ばせるかもしれない。

なんとまぁ、力強いんだろうかとおもう。

自分で自分を活かす強さを、子どもはもっている。

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ところで、今のアイドルは、昔のアイドルと違って、歌詞がものすごい、鋭い、苦しい思い、現実の社会に向かう若者の姿、心が乗せられている。
昔のアイドルならば、恋とか、甘い感じとか、イエーイいってかんじだったけど。

子供は時代を反映している。

再生回数が、、、すごい

優しい気持ちに、なれるかな。

オトノネひろげるシェアぼたん

躾(しつけ)ではなく気締め(ケジメ)が大切。『アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ』カール・ハインツ ブリッシュ

アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ
『アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ』カール・ハインツ ブリッシュ

躾と気締めである。

しつけは身の美しさであって、けじめは気を締めること。だということにしておこう。

けじめをつけることの大切さを感じる。

自由、自由というが、そこで自分の気をコントロールできるかどうか。

たくさんあそんだ!それから次の行動に移っていく。

解放させた気を締めること。


それがケジメ。

もしくは如何にコントロールしながら、解放するか。


それがケジメ

「じぶんひとりなら」ダダ漏れしていた気を、その状況に応じて、調節すること。
それもケジメだ。
(家の外では出せない気を家の中で出していて、お母さんが怒る、という笑い話もある。外では出せないから、家の中で出しているのだ。例えばそれが「怠け癖」だとしたら・・・家の外でケジメをつけすぎていて、疲れているのかもしれない。)

気分が暗い時、暗い気持ちにけじめをつけて楽しいことをしてみること。楽しい気分でいるときに「あ、けどこれもやらなくちゃいけなかった」とか。当然といえば当然のこと。

しつけといって仕舞えば、「いい子」になることのように聞こえるが、けじめといえば「自律した子」のように聞こえる。しつけという言葉には、支配的な、文化的な響きがある。

ーーーーーー

ケジメは、感情をコントロールすることだ。
感情をうまく使っていくことだ。

0歳の時から、このケジメは始まる。
泣いている赤ちゃんに「声をかけてから」ミルクの準備をする。
それを続けただけでも、「声をかける」ことで赤ちゃんは安心して、泣くのをやめるようになるかもしれない。
気を締める。

心は、0歳のときから、作られる。

少なくとも、感情を押しとどめる、「いい子」でいることはケジメではない。
それは気詰まりであり、息苦しさだ。(破裂するまで、しばらく辛いだろう)

ーーーーー

少し大きくなって、「褒める」ことばかりをしていると、何も考えない、できないと癇癪を起こす子になる。
「褒める」といいという定期テスト対策的子育てが流行っているらしいが、僕は全くオススメしない。
「与える」にしても同じだ。「なんだこんなもの」と大人が思い買って与えるだけでも、子どもにとっては「もの」ではなく、泣いたら、駄々をこねたら与えられるのだという現象を学ぶことになる。

ケジメは、いいこと、わるいことを教えることではない。
感情をコントロールできる、大丈夫だ、僕は一人でも大丈夫だ、という自立心と自信をもつこと。

これが、ケジメの目標だとおもう。

ケジメができていないと、将来どんなに生きづらくなるか。

ケジメは、押さえつけることではない。
自由を、使いこなすことだ。
自由を使いこなし、大切な人、大切なものを守るためのものだ。

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しつけという言葉は、子供をペットにしかねない。
ケジメ、という言葉をつかってほしい。

子供の気持ちを、どんなエネルギーに変えたらいいのか?
それもケジメのひとつ。

「学校でこんなことがあったの・・・」
こんなことを質問されたら、どう答えるだろうか?

まだ気が締まらない(どうやって気を整えたらいいかわからない)状況を、心が処理するしくみをつくること。
これもケジメをつけることだ。
ただただ押さえつけることではない。

「気にしなくて大丈夫だよ」というか。
「それは先生にいわないとね!」というか。
そのお母さんの言葉の感情が、その子にも伝わるだろう。

「どうしたかったの?」
「何を感じたの?」と、問いかけて、子供の頭の中で、心で、もう一度整理する時間をつくってあげることを、僕はオススメするけれど。

一人では難しい、心のプロセスを、手伝ってくれる人に出会った子どもは、しあわせだ。

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子供の未成熟さが、弱い子供、弱い大人をつくりだす。過保護が、子供を未熟にする。引きこもり、いじめ、8050問題、DVや暴力、ストーカーなどの社会現象の根源は、親の過保護にあり、親が過保護にならざるをえない社会の不安にある。人を愛せない、共感できない、相手のことを考えられないなど、多くの政治的社会的に高い地位にある大人たちも未熟な状態であるために、日本は混乱している。児童虐待もDVも不登校も、政治的な混乱もなくならないのは、過保護を引き起こす社会不安によるものだ。恥や罪の意識は子供にも伝わります。

子育ては、親育てでもあります。
子どもからたくさん学んでください。
お母さんが子供時代にやれなかった宿題を、子供にやらせずに、自分でやってみてください。
お子さんと同時に、お母さんの宿題のお手伝いも、オトノネはしたいとおもっています。
わかっているお母さんもいるとおもいます。
でもどうしていいかわからない・・・
お子さんに、お母さんやお父さんの心の未熟な部分を押し付けないですむ方法を、一緒に考えましょう。というか実践していきましょう。
怒りや不満、不安や悲しみを子供に押し付けてしまっていませんか。
僕もまだまだ未熟さをかかえたまま、前にすすんでいます。

大丈夫です。

「知る」ということだけでも変わるかもしれません。
お子さんの成長をみながら、「感じる」ことで変わるかもしれません。
そのプロセスはわかりません。
だから一緒に、はじめてみませんか。

いつまでも誰かにえらいえらいと言われていなければ心を保てない子、実力がないのに偽りの賞賛を与えられてきた子、本当の自分を隠してきた子。思春期に、悩まなかった子。悩むことを許されなかった子。自立した人間として向かい合ってくれる大人に出会えなかった子。「ノー」と言えない子。挫折・失敗に弱い子。病んだエネルギーは、誰に向かうのか?自分の心身症になる人もいれば、他者に対する暴力というかたちをとる人もいる。DVに気づかないお母さん、児童虐待に気づかないお母さんもいる。アルコール依存症、セックス依存症は、「もう自分ではどうしようもない」無気力、無力感の叫びだと、僕は思っています。

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オウム真理教を覚えていますか。
知っていますか。

「娘を教団に取られた」というお母さんが記者会見をしたときに、その娘さんが「お前たちは帰れ!私たちの邪魔をするな!」みたいなこと(すみません正確にセリフは覚えておらず、ただ自分のことを「私たち」と呼び、母を「お前たち」と呼んだということです)を言ったという。

よくある話で、教団に入って洗脳されてしまうような子に、子どもが育ったことに、お母さんが気がついていないのだ。

お母さんのせい、ではない。
といえるかもしれない。
この社会が悪いのだと。

では、子育てとはなんだろうか????

心から笑いあえる時間を大切にすること、といってもいいかもしれない。

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過保護とか、虐待とか、小さな暴力が当たり前の世の中になっている。
大人の世界がそうだから、子供の世界もそうなる。

大きくなってからの「治療法」をみると、、、やっぱり、鏡になって、向かい合ってくれるもう一人の自分との出会いなのだとおもう。(その関係が、医者とかカウンセラーでなかったのなら、一方的な関係は、続かないだろうが。。。)

アタッチメント障害とその治療―理論から実践へ

この本には「生まれる前から」「生まれた後も」妊娠・出産・子育ての段階でそれぞれ親の宿題に親が取り組む実践(ということは、親以外の人も取り組むということ)を書いている。
基本、話す、心から話すような状況をつくる、、ということなのだが(だいたいオトノネも同じことをしている)、話すだけに限らない。行動しながら、変わっていく。

この本は過保護だめよーというやつ。治療法とかは抽象的すぎてわかりにくい。

「怪獣」は、悪か。善か。子どもの「問題行動」とは?
富山のメンタルヘルスと怪獣。
フィンランドの精神福祉(メンタルヘルス)の施策と日本の「定期テスト対策」の差が自殺率に現れる。
本当に不思議な【富山ブラック】富山県という子育ての条件。幸福度と自殺者。
高岡高校の自殺は、政治が根本的な原因?

オトノネひろげるシェアぼたん

【ずっと小学生その2】学校に魔王がたくさんいるのはなぜか。

熱中する授業は「授業の原則」に貫かれている (教え方のプロ・向山洋一全集 31)
『熱中する授業は「授業の原則」に貫かれている (教え方のプロ・向山洋一全集 31)』

振り返っていままでに買った本を読んでいる。
この本は大学時代か、教員時代かに買ったもの。

当時、その意味というか、現場でどれくらい役立てられていたか・・・(書かれていることの重みが、わかっていなかっただろう)

僕は高校の教員免許だけしかもっていないので、小学生・中学生のクラスは持ったことがないのだが。
疑問はただひとつ。

なぜ、小学生中学生で習っているはずの事柄を、高校生が知らないのか。

これは現実であって、教師としての仕事を全うできていない教師が多いという何よりの証拠だ。
これは事実だ。

ーーーーーー

人間に対する不信感を抱いている子もいる。
それこそ、教師、学校に対する不信感を、敵意を抱いてくる子もいる。

小学校・中学校で何を学んだのか。

お母さんたちは、ご存知だろう。先生には当たり外れがあると。
当たりの先生は、人がいい、かもしれない。
それは知恵と技術を持った、愛ある先生なのか、それとも、ただ慈しみのある情ある先生なのか。
愛とはなにか

情のある先生に出会えただけでも救いだろう。


けれども、愛がなければ、教師としての知恵と技術がなければ、子どもは「先生から何も教われない」

だから、たまたま「できる」子が先生からかってに学んで、「できない」子は置いていかれる。

その結果が、中学、高校になって出てくる。
高校受験・大学受験のレベルも落ちて来ている。

これは、事実だ。
(ノートがかけずに、プリントの穴を埋める作業する高校生たち)
(食べ物を自分で食べれず、流動食を流され続ける人とイメージを重ねない人はいないだろう)

人間の質は学ぶか否かにかかっていると僕は思う。
それはつまり、学び方を学ぶ、または「教えるべきこと」を教える教師の質にかかっている。

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子どものためを思うなら、教師をやめるのも手だ。
自分が病気だ、ただ作業として授業をしている、喜びを感じない、子どもの成長を感じないとおもうなら、教師をやめたほうがいい。
給料のために子どもを食いつぶしていないか。

ひどいものだ。

テストの後、グループにして、点数を見せ合う。
そんな魔王が、学校という場所に存在しているという。

恐れ憎しみ悲しみを育てて、どうするつもりなのか。
(もちろん、できる子に優越感を持たせてもっと勉強させるためである。貧困を助長している)

え?それで、励ましているつもりだって!?


身を落とすことを教えて、それを教師と言えるこの国がおかしい。
先生がいけないのではない。
先生という存在を生み出す仕組みが壊れているのだ。

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犯罪者は罰せられる。
犯罪者を生み出した社会は罰せられない。
この論理をとれば、多くの先生は犯罪者として罰されなくてはいけない。
だが、僕は先生を擁護したい。
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学ぶという仕組みが、壊れている。
「生き残れれば、それでいい」レベルまで教師のレベルが落ちている。
それは、学校という組織のレベルが落ちたことが原因だ(昔から低かったから今こうなったといってもいい)。

そのしくみも、この国独自のものだ。
教員免許は、「いい子」にしていたら誰でも取れる。
西欧なら大学院、もっと研鑽を積んでからでないと、教師の資格はとれない。
また現場に立つまでに定期テスト対策的な「教育実習」では終わらない修行期間がある。
その間、きちんとメンター、担当がついてくれる。

雑務で忙殺されている先生に、教師を育てる時間も、子どもを育てる時間も、期待できない。

だから、お母さんたちは困っているのだ。

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そうか!この学校の暴力を隠蔽するために、全国学力テスト対策をがんばっているんだ!
「いやいや、お母さん、学力はほら、富山県は全国トップレベルなんですよ!」とのたまう魔王の姿が目に浮かぶ。

そんな教師には、こういったらいい。
「最近、○○さん(先生と呼ぶ必要はない)は何を学ばれて、どんな実践を教室でされているんですか?」

教師という虎の皮をかぶった、魔王かどうか、ただの狐か、それとも本物の虎か、わかるかもしれない。

「どんな結果がでたか、報告もしてくださいね」と一言入れてあげよう。
お母さん、お父さんが、教師を育てなくてはいけないのか・・・・・全部、、、、家庭負担かよ。。

子どもを育てるために、お父さんお母さんが学校の先生をそだてなくてはいけない。
そんな世の中になってしまった。

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親に「安心」を売る塾という名の魔王

あくまで、多くのお父さんお母さんの状況を僕が察しているわけでして。
オトノネのブログファンの方にはあまり新しい内容はないとおもいながら。

「じゃぁそもそも誰のために、この記事を書いているんだ?届けたい人に、届いて居ないじゃないか」と、
新年早々鬱々としているおとのねさんです。

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塾とは何か。

優れた塾とは何か。

優れた塾とは「親に」より便利でよりお手軽によりたくさんの安心感を提供する塾のこと。
このために合格実績やらさまざまに細分化されたコースを用意したり、「偏差値30から!」とか、「発達障害のお子さんのためのシステム」とか、送迎サービスを売ったりする。宗教とあまり変わらない。テレビのショッピング番組と変わらない。
(だからオトノネは塾ではありません。オトノネです。)

そうして子どもを塾に通わせながら、親は「安心」というサービスをうける。
子どもの学びではない(そうでなかったらなぜ何ヶ月も、何年も、子どもが学べて居ない塾に通わせることができるんだろう?)。
それが洗脳であっても、「行かないとお母さんが困るから(富山高校生の言葉)」という子どもの親への気遣いであっても。

「安心」したいという不安はどこからきているのか?
不安な世の中、こんな恐ろしいお母さんもいるという。

削除されたみたいなので別のページから貼りなおします。

実際、こういうお母さんがたくさんいる。
東大京大早慶でなかったとしても、「学校の定期テスト」レベルでやきもきしているお母さん。
「定期テスト対策」をさせているお母さんが多い。
「大学受験対策」を、小さい時に、頭を撫でながら行なっていく、こんな長期間にわたる「対策」で心が死ななかった子どもがいたら奇跡だ(もし、子どもに思春期すら許されなかったのなら、、、)。

それだけこの世のなかには不安が、魔王がチカラをもっている。
医療もそうだ。
宗教もそうだ。
教育もそうだ。
福祉もそうか?
政治なんてまさにそうだ。
頭をおかしくする、健康にならない、薬漬けにする、やたらレントゲンを撮りたがる医者(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)。
心を救う以上に、心に巣食う宗教(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)。
生徒の学びよりも自己保身にまわる学校(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)。
福祉ではなく福死の現場(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)。
倫理も論理もあったものではない政治(どうしてあれだけブラックになれるのだろう?)

不安が、魔王が、そこら中にいる。
悪霊に満ちている。
平和どころではない。

だから、「不安」を金儲けにする、「安心」を売るサービスが増える。
それは本来、教育業ではない。キャバクラやホストクラブと同じだ(実際、キャバクラ化・ホストクラブ化している学習塾・予備校の状況を、目の当たりにしてきたから言える)。「こんなコースをとったら?」「増やしたら?」「夏期講習だよ!」「ドンペリ開ける?」笑

いやべつにいいんだけどさ。。。
塾で出会う先生が、一体どんな先生か。
それで塾がキャバクラ・ホストクラブになるか、USJになるか、それとも人間としていろんな成長ができる場所になるかが決まってくる。

結局、塾のシステムでも合格実績でもなく、先生選びが大切。

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シューベルトの『魔王』

僕が中学校時代に出会って、譜面も読めないが全て友達の力を借りて弾いていた曲。
今日、ラジオ番組で流れていて、ああ、そういうテーマとして読み替えられるんだなと感じた。
芸術の力を、僕はうまくつかえていないようだ。

すでに子供は、魔王の手の中にある。
子どもはそれに気づいているが、親は気がついていない。
子どもは小さく、親に抱かれる。

子どもはそれに気づいているが、親は気がついていない。
そのうち、子どもはの心は、死んでしまう。

まず、魔王の存在を、きちんと感じてみよう。
感じすぎると、病むから注意(魔王を見るにも心の修行がいるようだ・・・)。

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治らない肩こりの痛みを和らげるために通い続けるマッサージ店と似ているかもしれない。

それで肩こりの原因となる心的肉体的負担が減るわけではない。

定期テスト対策で、子どもの何が成長するのか。
定期テスト対策をする習慣(もしくは赤点後の課題さえすればなんとかなるんだという処世術)を学ぶんだろうか。

子供がプレッシャーをうけずにいられる場所、という価値すら、輝いて見えてしまうほど、日本は不安に満ち満ちていると僕は感じている

子供にとっての塾の価値はなんだろう。

塾に価値があるとしたら、お客さんとして、学校のように叱責もされず、プレッシャーもうけず、ただただ過ごせる場所、という価値なのかもしれない。
それすらも、子供にとってはプラスになりうる。

そういう世の中になった。

新年一発目のブログは、「魔王」でした笑

教育は社会問題。
「成績が悪い」のはお子さんではなく、地域全体であり、日本です。
もう1人で悩むのは、やめませんか?

多くの事柄を個に起因して、社会(組織)としてとらえずにチカラ散財させることで、僕たちは力を奪われている。
魔王に。

協力することを、学んでこなかったからだ。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

みなさん、初詣で何かお祈りしてきましたか?
祈りの言葉を間違えると、魔王のチカラが増えてしまうので注意!

魔王のチカラを増幅させる塾や学校(自民公明党)には、注意!

心が大事。

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学歴社会、理想の母親像、テレビの中にでてくる豪邸、もしくは貧乏暮らし、「不安」を買い取り、「安心」を売るしくみに溢れた世界から、自分の身をまもるために。・・・やっぱり、子どもとしてきちんと成熟させてから、大人にしてあげたいとおもう。

社会は、こうした個人の歪みを和らげられずに、逆に歪みを拡大し、「不安」と「怒り」の市場を拡大させようとしている。
ああ、こわいこわい。

どうやって笑ったらいいか、わからなくなる。

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「怪獣」は、悪か。善か。子どもの「問題行動」とは?

これもよくある話。

「問題行動」という言葉がある。
これも半ば、呪いの言葉なのだが・・・

指し示しているものは「社会的に不適切とみなされた行動」だ。
校則違反も問題行動になるだろう。

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人の中には、怪獣がいる。
心には怪獣が住んでいる。

シャーマンの世界で言えば、守護霊のようなものだと僕はおもっている。
つまるところ、それはチカラだ。

たとえばこれが「やんちゃ坊主」の「問題行動」だとしよう。
それがただのけじめがついていないだけなら、「感情のコントロール」の仕方を学んでいってもらうために、お母さんは凛として言葉を使ったらいい。

しつけとけじめ

しつけ
勉強は「しつけ」か「あそび」か

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が。

それがどうも、その子の命のエネルギーが溢れてしょうがない状態、からでてくる「問題行動」もある。
と僕はおもう。

溢れさせてはいけない場面もあるだろう。
それこそ「気締め」、ケジメをつけなくては、映画館でも大変なことになるだろう。

だが、そのエネルギーを、命の炎を燃やせずに水をかけられるだけでは、子どもの輝きがなくなってしまうかもしれない。

「悪い」怪獣なのか?「良い」怪獣なのか?

「良い」怪獣として育てるには?
それこそ、学びだし、教育だし、自己理解だし、メタスキルだ。

例えば・・・・
エジソンだったか。
アインシュタインだったか。
だれだったか忘れたが「好奇心」という名前の怪獣がいたために、学校で除け者にされてしまった人がいる。
この子は「好奇心」という怪獣と一緒に成長できるように、お母さんが「ホームスクール」した。
つまり学校に行かなかった。

そうして、その子は、歴史に名を残す人物になりましたとさ。
もしその怪獣を殺そうとしたら、、、またそれは別のストーリーになっただろう。

「怪獣」とどうつきあうか、つまり「チカラ」をどうつかうかは、その子次第だし、その子の成長を見守る大人たち次第だ。

それは「ストレングス」とかいう言葉であらわしてもいい。
強み、自分らしさ。そうして「自分はこういう人間だ。だからこうして生きる」というメタ認知ができるようになったら、人生、楽しく生きられるようになるとおもう。

「自分は本当はこうなんだけど(怪獣は心にいるんだけど)、それを出したら(怪獣のチカラを見せたら)お母さんに怒られる・・・」といったイイ子に徹する子もいる。

「いやもう、これ、私だし」といって、御構い無しに怪獣をだしてくる子もいる。

ひとそれぞれ。

ただその関わり方を、出し方を、大人たちは教えることができるだろう。
「使い道」というのは、「社会でどう使うか」「そのチカラを、何に役立てるか」という知恵に繋がっているからだ。

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カスカネダの書いたシャーマンの生き方、修行の記録の中には、精霊との戦いというものがある。
精霊は、チカラをもっている。
シャーマンは、それを取り込み(?)、コントロールしなくては死んでしまう。
精霊に殺されてしまう。
精霊は悪霊にもなる。

同じことが、子どもたちの「チカラ」についてもいえるのではないか。

子供の中に現れた怪獣は、そのチカラを使いたがっている。
もしそれを檻にいれるだけしたら、脱走したり、本当に、人を食らうかもしれない。
(現代の漫画でよくあるストーリー)
もしくは、怪獣からもらっていたチカラをもらえなくなって、鬱、病になるかもしれない。

怪獣は、チカラをくれる存在だ。

ーーーーー

学校にすれば、「不登校」も問題行動なのかな。
「いじめ」も問題行動だ。(校長先生の評価が下がるからだ)
けど学校はそうした怪獣の存在なんて知らないし、「定期テスト対策」的な処世しかできないのが、現実。

学校の中では檻に入れられてしまう怪物を、子どものチカラとして、社会の中で使えるようにするには???
家庭教育、社会教育だろう。

学校は、学校のことで精一杯だから。

そういう視点で、「この子は今、どんな心をもっているのか。どんな発達段階にいるのか」といった見方を、まずはお母さんにしてほしいとおもっている。

気締めによって怪獣をコントロールすること。それは小さい時の気締めとかわらない。一人でできることもあるし、誰かの助けを借りて、コントロールできるようになっていくこともある。
そのための心のしくみを作って行くことが、人としての大きな成長になるとぼくはおもっている。

ゴジラがなんだかんだいって地球を守っているように、お子さんの「怪獣」も、お子さんを助けるチカラになるかもしれない。
まずはお子さんの怪獣と、話をしてみたらどうだろうか。

「怪獣」は、悪か。善か。子どもの「問題行動」とは?
富山のメンタルヘルスと怪獣。
フィンランドの精神福祉(メンタルヘルス)の施策と日本の「定期テスト対策」の差が自殺率に現れる。
本当に不思議な【富山ブラック】富山県という子育ての条件。幸福度と自殺者。

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【オトノネ原論】学習障害・不登校は呪いの言葉?祈りの言葉?オトノネとは何か。

先日、子どもが学習障害で、、、、というお母さんから問い合わせがあった。
発達障害、学習障害、言葉の遅れ…こういった問い合わせはよくあること。

かつて書いた記事がある。
学習障害LDか、スローラーンなだけか。

↑この記事に描かれている基準を学習障害とするなら、学校に通う子どもの半数以上は、学習障害をもっていることになってしまいます・・・それって障害?

こちらの記事もどうぞ。
診断名とは何か。Human Disaster

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「うちの子は学習障害です」という言葉を、使わない方がいい。
というのが僕の考え。

学習障害ですという言葉が意味するものはなんだろうか。

学習障害の「日本」での定義にあるように、スローラーンなだけで自然な発達をしている子の現状を学習障害と呼ぶのは変だ。

学び方には一人一人特性がある。

「うちの子は学習障害です」という言葉は、「うちの子は学び方の特性が学校の教え方、学校の学ばせ方と合っておらず、義務教育として受けるべき教育を受けられていない」という状況を伝えるものだと僕はおもう。

その声は、本来、本来!学校に届けられるべきものである。
学校は、本来、本来!学びの「家」であるからだ。
ただその声が届かない。それが現実だ。
学校は、その声を聞けない。
子どもたちの、お母さんのオトノネは、なかなか届かない。なかなか響かない。
(いやいや、対応してくれるところもありますが。それが中学になったら?高校になったら?社会人になったら?世の中、いい人ばかりではない。では、どうしましょう???)

↓【オトノネ原論】はもう少し下に行くと始まります笑↓

学習障害で困っているなら、学校の仕組みで困っているのだとおもわなくてはいけない。
自民公明党のつくりあげた学校のしくみを変えるには?

いやどの政党でも同じだろ・・・という方は、最近できた政党を調べてみてください。

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教育基本法には次のような文言がある。

第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

能力に応じてとは、何か。

診断書は、「その子には、その能力がない。だから、教育はこの程度でいい」ということを証明するものになってしまわないか。
診断書をもらわないと、支援級にいけない(少人数だけでも子どもには救いになる)などのルールがあるために、「うちの子は学習障害です」「発達障害です」というお母さんがいるかもしれない。

言葉を使う人間、言葉を使う人の心。

学習障害という言葉を通じてお子さんの特性をはじめて理解できる人もいるかもしれない。
けれども、「学習障害」とか「発達障害」という言葉を使うことで、何か悪霊のようなものが、取り付いてきやしないかと、僕は不安になる。

「不登校」という言葉も同じだ。

日本は、言葉にチカラを感じないことが多い。
「うちの子は不登校です」ではなく、「うちの子は古いシステムとは別の新しい学び方・生き方を模索しているところです」ぐらいに、具体化していった方がいい。その方が、心が元気になるはずだ。
「名詞」の抽象性

言葉は心。

【マシュマロ実験】で「忍耐が大事!」の「忍耐」って何?
ちなみにマシュマロテストの結果は今、覆されたというか、補強されて、親の経済能力が影響するという話です。その詳細も、重要ですが。

抽象の効果

「蛇」は抽象語か

↓【オトノネ原論】はじまります↓

言葉は心。

心は言葉。

音には心があります。
言葉は音で伝わります。
音の意は心にのってやってきます。
漢字をみるとまさにそう書かれていて笑えますね^^
(仏教でもそんなのあったような気がしますが、言葉という現象を理解するとそんなかんじになるとおもいます)

「不登校」「学習障害」という言葉に否定的な意を添えるか、肯定的な意を添えるか。
それは人の心にかかっています。
「不登校」「学習障害」という同じ言の葉、同じ音、であっても、その言葉の根っこ、オトノネは違うのです。

心を伝えるための言葉、その意味は、使う人の心によって変わって来ます。
誰かが使う言葉は、お母さんの元気をなくすかもしれません。

文化的に、社会的に、否定的な意を乗せられた言葉があります。
また本来、肯定的な意であったものが、否定的に使われている言葉もあります。

その言葉が、お母さんにとって、お子さんにとって、祈りの言葉になるのか。
呪いの言葉になるのか。

オトノネは心配しています。

(この考え方を使うと「ポジティブな言葉を使おう!」というセミナーになり、さらなる被害者がでてきます笑どっかの記事で書いたような。。ありました。定期テスト対策の弊害【自己改革・心理学系セミナー編】要するに、言葉を使う人間の心次第で、いくらでも言葉は意を変えて、呪いにも、祈りにもなるということです。人を助けたり、傷つけたり、よい「心」があったとしても、よい「意」が伝わらないこともあります。わるい「心」をよい「意」で伝えることもできます。)

「成績が…」「点数が…」「将来が…」「宿題が…」「勉強が…」そのお母さん、お父さんの言葉が、心が、伝わっているでしょうか。
世の中で呪いの意で伝えられている言葉を、お父さん、お母さんは心でどう受け止め直したらいいでしょうか。

お母さんがお子さんに使っている言葉が、祈りでありますように。
子どもの周りにいるすべてのオトナたちが使う言葉が、祈りの言葉でありますように。

言葉のチカラを育てるレッスンがあります。

オトノネの言葉のレッスンとは?

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ちなみにMSDのマニュアルにはこのように定義されています。
学習障害 – 23. 小児の健康上の問題 – MSDマニュアル家庭版

学習障害に対する最も有効な治療は、各小児に合うよう入念に調整した教育を行うことです。

オトノネに、遊びに来てくださいね^^

人一人の中でも、言葉がせめぎ合っていることがある。
自分を呪い殺すような言葉を使っていないか?それはどんな心からやってくるのか?心とどう関わればいいのか?
僕の心の中にも、か細い声で、祈り続けている僕がいるのかもしれない。

そんな声を、聞き取れるように、心を尽くしています。

言葉は、生きるチカラです。

オトノネひろげるシェアぼたん