できないこと、しないこと、やれないこと、やらないこと。

小学生の時、僕は宿題を熱心にやらなかった。その時決まって先生にいうセリフがある。「宿題はできませんでした」と。しかし気が付いていた。「やろうとおもえばできたのだが、やらなかったのだ。だからできませんでしたではなくてやりませんでしたと言った方が正確ではないか」と。しかし、子供ながらに「やりませんでした」と言った場合、めんどくさくなるということを察知して「できませんでした」を採用することにした。それが小学6年生の話だ(自分のためにならない作業をどうしてこの時期、遊ぶ時間を減らしてまでやらなくちゃいけないんだろう?)。

ーーーーーーー

この時期になると志望校を決める、今までの勉強法を振り返って焦る、そんな時期。
不安になる時期だ。これでいいんだろうか?いわゆる「自称進学校」の生徒のお母さんから「うちの子は大丈夫でしょうか」という問い合わせが増えるこの時期。

今まで勉強をしてこなかったから、これからやればできる、と考えることもできる。
「やってなかっただけさ!」その通りだ。が。
『ビリギャル』の成功例や数々の風の噂が生み出す(そして多くのお母さんたちがそこにしがみつく)バイアス(心のお守り)の存在はさておき。

ーーーー

勉強を果たして、してこなかったのか。
してこなかったのかもしれない。
やれなかった、のではないかどうか。
要するに、意思ではどうにもならない迷宮ラビリンスに入っている可能性はないか。

だとしたら、「これからやればできる」というのは、とりあえずうろうろと歩き回っていた迷路をダッシュで駆け抜けようとするのと同じで、同じ迷路の中にいることには変わりがない。

というのが僕の考えだ。

しなかったのではない。
できなかったのだ。
やらなかったのではない。
やれなかったのだ。

迷路から抜け出せなかったのだ。
道に迷って、もうダメだと、とぼとぼと歩いていたのだ。走れる気力がなかったのだ。走らなかったのではなく、走れなかったのだ。

迷路から抜け出すか、自分でできる?
もちろん、迷路を疾走してもいい。
もし抜け出したいと思うなら、「もう無理!」なら、オトノネに来てみたらいいとおもう。

一人じゃできない、やれない、のか、
一人でできる、やれる。のか。

オトノネは、一人じゃできない、やれない、わからない、そういう人のための学び場です。

ーーーーー

今から初めてみるといいかもしれない。
「しなかっただけだ。やればできる。できないのではない、やらなかっただけだ。」と考えてみて、ダッシュで迷宮を駆け抜けて成果が出る人もいるだろう。
なにせ発達は人それぞれ、十人十色、いろんなゴールの仕方がある。
やってみたらいい。できなかったら?できなかったのだ。。ということがわかるのは、おそらく合格発表が出てからだろう。そうして多くの人が、受験という経験を、受験という儀式を、未完了のまま、ただただ終える。「長い定期テスト期間だった」と。

オトノネなら、迷路を進むか、迷路に穴を開けてとりあえず抜け出して最短距離を走るか、そもそもゲームを降りるか(爆)というところから、問いかけたいとおもっている。もちろん、ひとそれぞれ。迷路から出た時の、あまりにも長い、遠い、ゴールまでの最短距離を目の当たりにして愕然とする人もいるだろう(自称進学校でバイアスをかけられた多くの生徒たち)。そもそもゴールが見えないほどの迷宮でずっとさまよっていたのだから。塾や学校の課題、一斉授業という小さな世界でしか暮らしてこなかったのだから。途方も無い世界の広さに、驚くかもしれない。遠くのものがもう見えなくなっている子もいる。

ーーーーー

有名な話だが、野生動物は、体の調子が悪いとき、自分で「必要なものを食べる」「必要なだけ休む」。
放牧された牛は、自分の健康管理を自分でする。草を選んで食べるのだ。

それと同じことが、人間にも言える。
与えられた飼料(課題)だけを食べて健康を保てていればそれでもいい。
けどそれでどれだけの鶏が短命で、病気になっていくか。

自主自立とは、「自分で選んで食べる」ことだ。

何をどう食べたらいいのか。
選ぶ力、食べる力は、小学生までにほとんどできあがっていると、僕はおもっている。

ーーーーー

人それぞれに完全に対応するのがオトノネの完全子別指導です。

お子さんへの期待に「愛」が込められていますか?
今のお子さんの姿を、きちんと見れていますか。見えないですか。見ることが、できませんか。見てみませんか?
受験勉強と、定期テスト対策勉強は違うのだということを、ご存知ですか?

思えば、フランチャイズの塾で働いていた時代、「あ、この子は、お母さんの影響が強すぎて勉強に迎えていないんだ」という生徒がたくさんいた。自営業を始めた今ならそのことをきちんという。言うからお客さん来ないんだろう。自分のしていることに気づかないお母さんが多い。フランチャイズ時代は、「お母さんは塾に、安心感、自分はこれでいいのだという安心感を買いに来る。だから「無理」な生徒でもだれでもかまわない、とにかく買いては保護者だ。お母さんさえ安心できればいい。多くのお母さんは子どもの成績はみているかもしれないが、子供はみていない。」ということを学んだ。

オトノネの生徒が増えないのも、そういった事情があるからなのだとおもう。

オトノネひろげるシェアぼたん

人と人が集まるとできること

今日、オトノネにお客さんがきた。
お客さんというより、オトノネが好きな人が来てくれた。

女性(なぜかオトノネは生徒も女性の人が多い。なぜかは知らない。いやお母さんたちとよく喋るからそんな気がするだけだろうか)。

現在、家庭教師のトライで搾取(6割をトライがもっていく。トライを利用する人はこの構造に加担していることを知っているだろうか。コンビニは本社が5割もっていく)されていて、でも子どもたちとのやりとりを聞いていると、ああ、子どもが出会って素敵に成長できる人なんだなとおもえた。

この人にパーソナリティー特性のビッグファイブの評定を出してもらった。
ビッグファイブって何?という方はこちらへどうぞ。

僕の評定と見比べると、一致している場所もあれば、一致していない場所もある。

気があう、とおもうのはたぶん一致している場所で。

だけどもっとおもしろいのは、女性、男性という違いからか。
でこぼこしている場所が、二人だったら補える感じ。

それがとてもおもしろかった。
子どもにとって何がいちばん「適切か」は違う。
僕一人ではできない関わりが、他の人にはできるかもしれない。

一人でできることもあるけれど、誰かと一緒だからこそできることがある。
それが家族、であったり、仲間、であったり、同僚、であったりするはずで。

管理する側される側。
命令する側される側。
そういう図式を潜在的に教えてしまう学校のシステム、会社のシステムで、このよろこびが味わえるのか。

あれだけの人数が集まっているのだから、すごく楽しいことが、すごくいいことが、すごくしあわせになれることができるはずなのに。

組織になると、どうしてか、それがうまくいかない。

らしい。

男性と女性。
太極図のように、そこには優劣がない。
得意不得意がある。

この二つの原理がお互いに組み合わさって行く中で、子どもは自分のバランスをとりながら、成長して行く。
それがとても、しあわせなことのようにおもう。

ビジネスの原理を家庭に持ち込んでいないか。
お母さんにはお母さんの役割がある。

宿題やったの?というセリフにも、分担があるのかもしれない。
お母さんなら、、、宿題、難しいの?などと、声をかけるのかもしれない。

お母さんはお母さんの言葉で。
お父さんはお父さんの言葉で。

そういう多様な言葉の中で育つこどもは、

しあわせだ。

オトノネ家族募集中!!

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難しいを簡単にするチカラ

複雑を単純にするチカラ。
ほとんどの教科で必須スキル。

世界史の教科書に難しい言葉が書いていた。
三国同盟って何?と聞く。
わからないという。
教科書に書いてあるよという、
それが、意味不明だという。

で、僕は翻訳した。
「ドイツがロシアにビビってイタリアとオーストリアと仲良くした」

三国協商を翻訳するとこうなる。
「イギリスはドイツといつも喧嘩していて、これを機にロシアとフランスを仲間にした」

世界史で、人間関係を学べる。

言葉を変えるだけで、理解ができる。
頭に残る。

だったら、その翻訳機をつくろうぜ!

ーーーー

日常生活にあるいろんな複雑そうにみえる問題も、こうして「大人が翻訳」していくことで、どう対処していいか、どう理解していいかを子供は学んでいく。

情動知性、感情知性、社会的非認知スキルというものも、こうした大人の世界観、大人の暮らしから、子供は学んでいくものだとおもう。

「今日学校でこういうことがあってへこんでるんです。お母さんならどうしますか」とおとのねさんはあるお母さんに聞いた。
「忙しすぎて、凹んでられないですね。次の仕事します笑」と、“笑って”答えてくれた。

言葉よりも、この笑いとその響きから、多くを学んだ。

しっかりして!おとのねさん!

オトノネひろげるシェアぼたん

意欲を、好きな気持ちを殺ぎ取るとは?

中学校の長距離走。

なぜか全員のタイムの順位が発表され、グループの結果に反映される。

という生徒の主張。

こうした競争原理を持ち出して「みんながんばれ!競い合え!」といって数値を出させようとする文化が学校にある。

アホか。

この生徒は、走るのは好きだ。
自分のペースで。
それが歩くのに近いペースでも。

僕は身体の内部感覚を調整するために走っていた時期がある。
それはほとんど、走るフォームで歩いている速度だ。

そういう「熱心な」子も、こういう学校にいたら、「走らされる」だろう。

それで怒られる?
意味がわからない。

けど、それが学校だから、子どもは大変だ。

こうした競争原理を持ち出して「みんながんばれ!競い合え!」といって数値を出させようとする文化が学校にある。
テストの結果を見せ合うという謎の「処刑文化」もある。

アホか。

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ドラマチックな瞬間

動物保護の話で高校生と盛り上がった。
その子は訳あって、「動物愛護」に想いがある。

で、僕がイチオシしている安冨さんが馬と一緒に選挙活動したことについて。
その子にも言い分があった。(もう信じられないですよ!つまり大反対)
僕にも言い分があった。

で、僕は言わなかった笑(というかそこまで大反対されたことにびっくりした)

けど、言い分をいうかわりに、間をおいて、「でもさ、いろんな言い分とか、主張とか、想いがそれぞれあって、他の人は「えーなにそれー」って反対意見をもっていても「いや私はこう」って言えるような、そういう信じられるものがあったら、強いよね」と話した。

その子は、ちょっと意外だ、という感じで、僕の言葉を受け取ってくれたようだ。

僕は、とにかく、「生きるための経済学」を書いた安冨が好きで、「誰が星の王子様を殺したか」を書いた安冨が好きで、なんか音楽とかいろいろやっている安富が好きなのだ。
れいわ新撰組を何だっけ、あれ、ああ、無縁の概念で表したセンスが好きなのだ。

信じてきたもの、価値観も、どんどん、成長すると変わっていく。
僕も昔は「環境を守れ!」とか「自然保護!」とか言っていたからね!
学び続けること。
学び続けること。
それは、問い続けることであると、言い忘れた笑

それにしても、その子は動物愛護というネタを使って、自分の感情と向き合っている。
怒りという感情と。
そっちの方を、大切にしたい。

ーーーーーー

他にも、ドラマチックな瞬間が、オトノネの時間にはある。

いやぁ、ほんと、まいったな・・・君ってやつは・・・って感じ。
その子は、読み書きよりも聞く話す方が得意で、で、黙読でなくて音読で国語の問題を解いていた。
で、音読だから、「問題」を聞いた時には、すでに情報は記憶の中にしかないわけで・・・

それで、最後の「抜き出して答えなさい」みたいなのを、そのまま、答えた!

ヤヴェー

ちなみにこの子は、学校では、先生からすでに放置されている子です。
こんなチカラをもっているのに、学校のテストは、残念な点数で、その子の自尊心をくじいている。

大丈夫だよ。
テストの点数、気になる?
大丈夫だよ。

え?でもテストの点数、気になる?笑
(その子の学校はふざけていて、テストの結果をグループで見せ合うという罰ゲームを取り入れている。本当に、おふざけがすぎている)

心を大事に。

ーーーーー

別の小学生は、


算数と国語を同時に伸ばすパズル 上級編

これにはまったという。
他のは全然やりたくないイヤイヤだけど、これは、やると。

で、まだ中級だけど、上級を買ってもらって、解いたらしい笑

解けたらしい!驚

何に驚いたかというと、1時間かけて、問題を解いたという。

これ、大人でも難しいんだけどなー。

この子は、挑戦したいことを、突き詰めて、やってほしいなとおもえた。
「嫌なことをする」のが苦手、という話だが。

さてさて、今度は、正面向いて、お話してみようかな。。。

オトノネひろげるシェアぼたん

精一杯、かるたであそぶ。それでもたくさん、学べる。

ざんねんな生き物図鑑、が、大好きだという子に、持ってきてもらった。

へー

すごい。進化の話まで書いてある。
おもしろいなー。
学校の進化の勉強するよりもおもしろそうだなー

とおもいつつ。

「これ、どこまで読んでるんですか?(全部は読めていないだろう)」とお母さんに聞くと
「ざんねんなことに、この文字の大きいところだけなんです笑」
なるほど笑
「暗記するくらい、読んでるんです笑」
なるほど笑

ということで、やって見ました。

ざんねんな生き物図鑑

おとのねさん「長い舌で鼻くそをほじるのは、なんて動物?」

即答。

「キリン❤️」

この子は天才だとおもった。

そのあと、家庭教育のサポートをする。
気づいたことの共有、言語化と、いろんな相談など。

で、最後に、オトノネに入ってきた瞬間から手に持っていた「かるた」をすることに。

なぜか、その子は「よむー!」といった。

お母さんと僕で対決。

最後、二人で取ったカルタの数を数える。

いーち、にーい、さーん、、、、
お母さんが19まい。
おとのねさんが25まい。

はいそこで質問。
「おとのねさんは、お母さんより何枚多くとったでしょうか?」

「引き算でしょ!」
正解!
いや別に足し算でもいいけど。

「じゃぁ、答えは?」

「。。。。16!」

「よし、じゃぁ、数えてみよう!」

いーち、にーい、さーん、、、、19まで数えてストップ。
「じゃぁ、残ってる札の数を数えるよ」

あれ?
16じゃなかったね。残念!
どっかに消えちゃったのかなー。
不思議だね!

ーーーーー

肝心なことは、その子が自分で「私は読む」といったこと。
読み札はすべてひらがなで書かれている。

それを、ゆっくり、読む。
ゆっくりなのだ。

ときどき、間違える。

札を読むことは、その子にとっての挑戦であったし、

もしかしたら、僕とお母さんを戦わせて見たいという願いがあったのかもしれない。
けどとにかく、一生懸命、読んだ。

お母さんも、僕も、読み終えるまで敢えてまっていたり。。。。

たまに痺れを切らせてバシッととったり。

ーーーーー

今日、どうしてカルタをしたくなったかわからないが、その気持ちひとつを大切にすることで、今日もひとつ、その子を理解できたようにおもう。

一生懸命、学んでいるのだ。

子どもを、心から、僕は尊敬している。

オトノネひろげるシェアぼたん

言葉の心ーオトノネー

生徒がやってきた。
(生徒っていうのもなんだな・・・人がやってきた)

先週出していた「やってくること」の話はさておき、いろんな話をしてくれる。
喋りたい様子。

聞く。

適性診断をやってみた!「占いを研究し尽くした人がいるらしいんですけど、当たる確率は1%くらいらしいですね!」と。
よく情報を集めているではないか。

「この間、おとのねさんが言っていた女の人の記事みたんですけど、私は・・・・」
なるほど、調べてくれたのね。

「冷房の設定温度、環境省のオフィスが20度だってどういうことですか!しろくまが困っているから節電節電っていうのに!」
しばらく、動物の話題になった。

で、んー、どうしようかな、と考えながら・・・

「君は、言っていることとやっていることが違うのが、気になるの?それとも、動物が苦しんでいるのが嫌なの?」

こういう問答をしているうちに、ああ、この子が今もっているのは、怒りなんだなっと感じた。
聞いてみた。

「今喋っているとき、感じている感情って、何?」

怒り、だという。
うん、伝わっているよ。

そうか、怒りの感情はそれ自体、悪くない。
何かの理由があって、怒りも怒りの事情があって出てきているのだから。

「その怒りって、いつ頃から感じてるの?」
20年前だという。

生まれる前からかー

けど、それが、怒りが外に、言葉になって出てきたのは、1ヶ月前、その子が不登校になってかららしい。
お母さんの証言でも、そうだという。
「こんなに喋る子じゃなかった」と。

ーーーーー

不登校を認めてくれたお母さんは賢明だ。
そうしてオトノネを訪ねてきたのも、何か、お母さんの素敵な直感だろう。

その子は、ヒトカゲからリザードに進化したのだ。

一人でカラオケに行ったり、料理をしたり、今までやっていなかったことも急に、やりはじめた。
そう、今は、今まで溜めてきた怒りと向き合う時期なんだろう。
宿題どころではない。

といいながら、そのエネルギーを、いずれ、掌握することになるだろう。
怒りのエネルギーを、どう使ったらいいか。怒りとお付き合いを上手にして、怒りに助けてもらうことができるようになるだろう。

そのためには、、、、いろんな人との出会いが、経験が、場所が、大切になるのだろう。
今は、宿題どころではないのだ。

が、現在、発散しているエネルギーを、収束させることで、その子が次のステップに行く力を得ることにもなる。
その子は今、生まれたばかり。リザードになってから、まだ1ヶ月。
新しい自分と付き合う時間が、必要だとおもった。

ーーーーーー

けどお母さんは不安。
将来のことを考えると、計画的に勉強をしてほしい、、、

お母さんは、不安と付き合っている。

リザードに進化して、思春期を華々しく迎えた子と、どう付き合って行くか。
不安なのは、お母さん。
子どもは、進化して、今、ドキドキ中。

目には見えないけど、その子は、土の中で芽を出そうとしているタネのごとく、エネルギーに渦巻いている。
大丈夫。
自分で職業適性診断を探してやるくらい、将来のことを考えているから。
その子に、その子の時間をください。
と、僕は、伝えた。

といっても、お母さんは、不安!

だから、お母さんも、いろんな人に出会うといいかもしれない。
新しいことを始めるといいかもしれない。
新しい場所、新しい人、新しい気持ちで、不安と付き合うバランスを取れるように。
一人で心をなんとかするのは、とても大変だ。(無理無理!)
大丈夫ですよ。

人は、自立するチカラをもって、生まれてきます。

ーーーーーー

大人も子どもも、それぞれの段階で、別々の課題をもっている。
おとのねさんも、思春期真っ只中です。

帰り際に、お母さんの一言。
「オトノネは、はっきりものを言うから、ふつうのお母さんたちは、怖くてこれないですよー」

生徒が増えないわけだ!

ーーーーーーー

音が聞こえていても、その根、音色が聞こえていないことがある。
言葉には心がある。
オトノネに、耳を傾けて、みませんか?

オトノネひろげるシェアぼたん

好きなことをして学ぶ。遊びながら学ぶ。子どもの自然な姿。

子どもの「天の才」を、大人が台無しにしてしまわないか。
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。
学習塾を名乗りながら、オトノネはいつも悩んでいる。

高校生なら、本気で受検に挑むことがその子の発達段階、課題として適切な場合が多い。
(社会的に決められている、そして本当に自分に向き合って将来を考え、出した答えに向かっていくという意味で)

けれども小学生で。。

ーーーー

小学3年生、8歳が、とても大切な境目の時期だということはなんども書いている。
おとのねさんの「小学生が一番(?)、教育に投資する時だ!」という思いを支持するデータを文科省の「子供の学習費調査」から読み取る。
個別化・自立のための小学生の「お勉強」法(小学3年生からの家庭教育)
自立心と感情のコントロールと思春期と8才からの内言
「稽古」と「習い事」の違いと「労働」

そういえば、僕が家出をしようとおもったのは、小学4年生だった。
何事かに悩み出したり、本当に自分の姿が自分に映るようになる時期、かもしれない。

何度か、一緒に絵を描いたこともあるこの子は、筆ペンを持つとまた集中力が上がったり、描くことになにやら何かがある子。

おとのねさんが「この子にパステルはどうか」とおもって、使ってもらったら、筆を使って描く時とは様子が少し違って、シックリきているようだった。
体の皮膚感覚、体幹がしっかりしているこの子には、今のこの子には、筆を使うよりも、指先を直接使ったパステルの使い方の方が、無理なく、楽しめるんだろう。

「ブラックホール描く!」といって、「え?ブラックホールって、見えるの?」と僕。
光吸い込むから取れないんじゃないの?いやでもお母さんの話だと、要するにブラックホールの周りのまだ映る場所を写した影の部分がブラックホールだっていう写真があると。なるほど。

「惑星を描きたい!」というからネットで惑星を出した。
「輪っかが描きたい!」というから、木星か土星かどっちかと聞いた。(木星って、あれ、輪っかありましたよね?ないですか?)
土星の方がいいらしい。

ーーーーー

その子は踊りも歌もよくやる。

あまりにも綺麗に踊るものだから、「もういっかい!」とかいいながら遊んでいてしばらくすると。

歌詞を描き始めた。
漢字でもかけるらしいのだが。平仮名。(まぁいいけど)
歌詞を書きながら「わ」と「は」が間違っているけど。。

別に書かなくてもいい歌詞を、自分で、ひらがなで書き始める心がある。
オトノネにある大きな、自由に使えるホワイトボードがあるせいかもしれない。
そこで、踊りを踊って、歌詞が思い出せなくて、ネットで検索しながら、、、そういう遊びの物語の中から、ひらがなでホワイトボードに歌詞をかくという次なる遊びを発見。

思い出しながら、、、、、

「わ」と「は」が間違っているけど。。

ーーーーーーー

学校で「わ」と「は」を学ぶ時、今どき、穴埋めをやる。
高校生ですら穴埋めをしている。

これ、おとのねさん、はっきりいって、間違っているとおもう。
わかる人にはわかるでしょう。。。大人都合の、空所補充。
「は」というひらがな一文字の不思議を、伝えれば、子どもは勝手に学んでいくのに。。。。

まぁいいや。

ーーーーーーーーー

算数も、国語も、できない!のは経験不足なだけかもしれない。
けど算数や国語以外の、その子が本当に輝く、一生懸命に、本気になれることがある。

能力主義、能力主義の時代で、「ついつい後回しになる」大切な子どもの「天の才」を大人が勝手に摘み取らないように、と、僕は自分にいつも注意している。

僕だって「天の才」を自分で今、育て直しているようなもの。
オトノネは、そんな「自然」な学びを、追求していきたいと思っています。

ーーーーーーーーー

学校でできないのは、当たり前とおもってください笑
家庭教育、個別対応、自分にあったスピード。

小学生の時には、小学生にあった学び方、小学生だからこそできる心の育て方がある。
それが実践できる、オトノネでありたい。

ヒノキとアカシアの家、みんな遊びに来てくれるかな!?

オトノネひろげるシェアぼたん

言葉が育てるもの。言葉が傷つけるもの。

お母さんにはお母さんの考えがあって、言葉を使う。

例えば「こんなルールがあるのっておかしくない?」
と、子どもが言ったとする。
子どもが「違和感」を感じた瞬間だ。
この「違和感」というものは、とても大切なものだとおもう。
世界に対する不思議。人間世界と関わり合っていくきっかけ。
頭が混乱している。どうしたらいいの?

お母さんはどう答える?

ーーーーーーー

ひとつの「いい」関わりとしては

「なんて言われたの?」
「何があったの?」
「どう答えたの?」といって、その状況にもう一度子どもを立戻らせて、想像させて、再現してもらうことだろう。

それから

「どんな風にかんじた?」
「嫌だった?」
「怒りたくなった?」
「悲しかった?」

そのときの子どもの感情を聞く。
聞く。

そうすることで、「ああ、その時自分は、こうだったんだ。とにかく、そうなっていたんだ。私の心は」と、子どもは「ちゃんと」経験をモノにできる。
何があったか。何を感じたか。

子どもの言葉、仕草の調子をみて、「ここは、その子にとって大事そうなところだな」とおもったら、繰り返して言ってあげたり、「もう少し話、してみて」といったり。

日常的な会話のギアがあるとしたら、この時のギアは限りなくゼロに近い感じがするだろう。
呼吸が落ちて、相手の息遣いを感じられるかもしれない。

ーーーーーー

もしかしたらお母さんは、「そういうときは、こうする」といって指示をだしたり、「それは◯◯だよ!」といって価値観を与えてしまうかもしれない。その時、お母さんが言葉を使う響きが、言葉をつかうときの感情が、子どもにも伝わる。

「ああ、これはダメなんだ」
「ああ、これは間違っているんだ」
「ああ、私が悪いんだ」

もしくは

「ああ、私は間違っていなかった」
「ああ、私はこれでいいんだ」

とおもう。

イイこととワルイことが生まれる。
そのうち、「これはイイ」「これはダメ」で思考が停止するかもしれない。

ーーーーーー

子どもは世界を解釈しようとしている。
子どもの目線で。子ども自身の心で。

大切なことを学ぼうとしている。
「こんなとき、どうしたらいいんだろう?」
頭が混乱している。わからない。けど、「違和感」は感じている。

そんなとき、
「そんなルールなんて、意味ないよ!おかしいよ!自由にやりなよ!」といったり、
「ルールは大切よ。守りなさい。ルールを守るから、好きなことができるのよ」ということもできる。

それは「教えていいこと」なのか。
「教えてはいけないこと」なのか。

一口には言えない。
僕にはわからない。

ただ、子どもが生きている環境は、お母さんが生きていた、お母さんが生きてきた環境とは違うだろう。
時代が違う。地域が違う。周りの仲間も違う。

その子が生きているこの時代、この場所で、子どもはどんなふうに生きたらいいのか。
誰もわからない??

だから、一番、間違いがなくて、危険のない、そして、経験してきた感情と出来事をちゃんと整理するような言葉がけは「いい」ことだとおもう。

その子がこれから出会って行く、お母さんが出会ったことのない出来事に、その子が対処していけるように。
自立できるように。

ーーーーーーー

例えば、「ルールは大切よ。守りなさい。ルールを守るから、好きなことができるのよ」と言ったとき。
お母さんだったら、その「作戦」を取れたかもしれないが、子どもはその「作戦」を実行して、心に負担がかかるかもしれない。
その子はその子の心をもっている。
「ルールを守る」ということを身につけ、「自分を守る」ことができなくなるかもしれない。

例えば、「そんなルールなんて、意味ないよ!おかしいよ!」と言ったとき。
「ルールは破ってもいい」と覚えて、ルール(時として理不尽で意味不明)の中に潜んでいる大切な意味を感じられなくなってしまうかもしれない。

お母さんが生き延びてくるときに使ってきた言葉は、お母さんが生き延びるために必要な価値観(言葉)だった。

今その言葉は、その子に必要か。

今その子がもっている可能性を、自然さを、壊してしまわないだろうか。
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

そういうことをまだ自然にできないから、オトノネさんはいつもカロリーを消費してしまう。
燃費がワルイ。

ーーーーーー

スクールカウンセラーの話。
子どもが不登校になったとき。
カウンセラーの先生は、「お父さんお母さんの目標地点は、どこですか?(カウンセリングを通じて、どこに向かいたいですか?)」と聞くという。
多くのお母さんは「子どもが学校に行けるように」というらしい。

そこから大切な子どもの心を、大事にするプロセスが、生まれてくるだろうか。

本当にその姿勢で、その子の心を守れるか。
「学校にいけない」子どもの心と、向き合えるのか。

どうなんだろう。

ーーーーーー

子どもが自分に起こった出来事を振り返り、そして、感情を言葉によって再体験し、その場に、お母さんは一緒に居合わせる。
不安定だった、落ち着かなかった、心の中で整理ができなかった「違和感」を捕まえる。味わう。

この時の言葉のやりとりは、日常の会話の速度ではないだろう。
味わうのだ。辛かったかもしれない。けれども味わうといい。
(全然、辛くないというかもしれない。学年が上がると、言いにくくなることがあるかもしれない)

そして、「あなたはどうしたいの?」
「で、今、今、あなたはどうおもう?」と聞いてみるといい。

子どもが自分で答えを出す前に、大人が答えを出すということは、僕には恐ろしいものだと思えることがある。

ーーーーーー

たぶん、そうやってきちんと感情を、出来事を味わい、自分なりのこたえを出したあとで、子どもは、笑いながら「じゃぁ、やってみる!」といって、「新しい経験」を積んで行く。同じ状況になっても、全く違った経験ができる。その繰り返しをしながら、子どもは自分で学べるようになる。

自立していく。

これから先の時代、どうなるかわからない。
僕ら大人たちの知っている世界ではなさそうだ。
そもそも、子どもは親とは別の心をもった人間だ。

お父さんお母さんと同じ「型」に入れられたら、死んでしまう心もある。

ーーーーーーー

大丈夫だ。
思春期というものがある。
余り余ったエネルギーが溢れ出す。
その時に感じる「違和感」と、自分で、一人で向き合えるチカラが育っていない時、子どもは世界と自己を調節できず、親の作った道、親の言葉、親の指示で生きて行くしかなくなるかもしれない。自立できないかもしれない。

もし、人間社会と摩擦が起きないような生き方を「させて」いても、それが子どもの心と摩擦を起こしているかどうか。

心が大事。

ーーーーーーーー

もし、価値観を与える言葉を使うとしたら、こんな言葉がいいのかもしれない。
「世の中、おかしいことだらけだよ。全部気にしてたら、疲れちゃうよ?それはあなたにとって、大切なことなの?」

「違和感」はマイナスのイメージがあるが、こういう語りかけを「イイこと」にも使っていきたい。
しあわせをきちんと味わって、感じて、笑い合う。「どうだった?」「そうだね、楽しかったね」「じゃぁ、次はこうしてみよっか!」

子どもはしあわせを作る「天の才」をもっている。
あそびながらどんどん、しあわせをつくる。
少し、分けてもらったらいい。
簡単なことで、仲間に入れてもらうことだ笑

子どもに聞いてみよう。
「いーれて!」

ダメ?笑

しあわせは育つのではなく、やはり育てるもののようにおもえた。
しあわせを育てる知恵と振る舞いを、僕は「愛」と呼んでいる。

子どもは世界を愛している。
大人たちは?いやぁだって、仕事で忙しいからね笑

ーーーーーーー

何でもかんでも人の心が追いつけない、感じるものも感じられなくなってしまった時代。
大人も子どももブラックな学校や会社で働く時代。

大切なことはなんだろうかと、「ちゃんと」感じてみると、何かが生まれるかもしれない。

欅坂の「アンビバレント」を聴きながら(子どもの「時間」)
「時間」が課題・宿題というバケモノになったら(おとのねさんは、やれ!やれ!と言う人だった)
「名詞」の抽象性

オトノネひろげるシェアぼたん

小学校もサバイバルな件。

最近、オトノネに面談に来てくれた小学生。
「針時計が読めない」ということ。学校のプリントもできない。
算数自体が弱いという。

本人はあっけらかん!としている(見事!親指ピアノに興味もってくれたし)が、お母さんが心配している。
「スローラーナー」、ゆっくりその子のペースで学習するだけでわかるケースだと僕はおもった。
けど学校ではその子に合わせてくれない。違法です。が、仕方ない。それが現実。

学校でやらされている宿題、課題、プリントを見せてもらった。そして教科書も。
小学生にも毎日のように宿題(課題)が課されている。信じられない。
これだから、高校になってもみんな課題をやらなかったら不安になったり、定期テストに追われるのかな?宿題は「やらせない」方がいい。(勝手にやるならそれはそれで!)
そして「学年×10+10分」の家庭学習を「強くお願い」されているそうだ。
家庭は家庭で教育することがあるんですが。

そしてそのプリントのわかりにくいことといったら。。。
全て噛み砕いて、分析的に、誰にでもわかるように、導くという姿勢がみえるのはわかるが、あまりにも「観念的」すぎるという印象だ。
そして、「演習」が多すぎる。高校で「演習」ばかりさせて教えないのと同じ現象が、小学校でも起きているとわかった。

これ、困っている小学生、たくさんいるんじゃない?

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別のお父さんの話によると「ひらがなをなぞる宿題で、少しでもずれていたら、バツがついて返ってくる!」
意味わからん!

金沢の小学校でも同じことが起きているという。
え?何それ。1時間以上、神経をすり減らして、おもしろくもない、作業、「もし、ずれたら、もう一度やり直しをさせられる」というプレッシャーに耐える子ども。

学校の先生、休んでください。
今、その状態で、子どもに何かしても、いいことが起きる兆しがないようにおもえますよ。
休んでください。

大丈夫です。先生がいなくても、子どもは大丈夫です。
学校がよくないだけでしょう。
子どものことを考えてください。

と、僕ははっきりと言ってしまえるのだが。

子どもの心を守ってあげませんか。
教員生活を続けるのでしょう?
子どもの心を守ってあげませんか。
先生の心を、まずは自分で守ってから。

子どもに、素直に、「ごめんね、今の私は、学校の空気に逆らえなくて、こうすることしかできないの、弱いの、ごめんね。。。」と話すことから初めてもいい。
子どもに聞いてみてもいい。
僕は、実際、公立高校で、働くとき、それをやってから「授業」に入るようにしている。
「僕から何を教わりたい?」「けど学校の仕組みはこうなっててさ、僕も困っているんだ」

ごく一部の生徒をのぞいて「赤点を取らなければなんでもいい」という答えを出すのが、高校の実態です。

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図形、単位、計算でつまずいていても、どんどん先に進む。
遅れを取りもどす、といっても、そもそもスローラーンなので、「ほとんど取り戻すとか期待できない」状況で「もっと頑張りましょう」という先生。

しょうがない。だって教育にお金も人もかけていないのが、富山県・石川県なのだから。
いや、工夫はできるんだけどね。工夫もしないのね。オトノネにきたら、いろんな授業のアイデアだしますよ。けど、そもそもの心が、学ぶ準備ができていない先生が多いような気がする。

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと1

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2

公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと3

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実際、子どもたちは時計をみなくても生活できる。
チャイムが鳴る。誰かについていけばいい。

うーん。

いろいろ話をしながら、「お昼休みが始まる時刻」「長休みが始まる時間」がわからないことがわかった。
けど、「もう7時30分だよ!」と家でお母さんから言われているおかげで朝家を出る時刻はわかっていた。
針が読めることよりも、まずは時間を生活の中に取り入れる、意識化する、言語化するプロセスを、家庭で増やすのはどうだろう。とお母さんには話をした。(仕事で忙しく、大変なようだが。。仕事!お母さんの子育てという大切な仕事は!?)学校では「演習」をさせられて気が滅入って嫌いになってしまう。時計が嫌いになってしまう。僕は精神的暴力、学校の法律違反、犯罪だとおもう。はっきり言っておく。だって、子どもの命を守りたいもの。

「じゃぁ、あと60秒数えたら、◯◯しようか」ということでもいい。一緒に数を数えてもいい。
人間には指が10本ある。指をおりながら十進法をおぼえたらいい。
「なんで10分が6個で1時間なの?」さて、おかあさん、なんて答えますか?ドキドキです。
一緒にご飯を作る時に、砂時計を一緒に眺めてもいい。「これが5分だよ」。
そういう家庭教育、家庭での経験がなければ、小学校をサバイバルすることが難しくなる、そういう子もいる。

僕が働いている保育所では針時計の「6」のところにアンパンマンが貼ってあって、子どもも時計を見るようなやりとりを大人としている。保育の中でも「まだあそびたいの?でもこのあと◯◯だから、何時になったら片付けはじめようね」というように。

けど針時計読めなくても行きていけるのも事実だけどね!
小学校が終われば、時計の針を読む「問題」も出てこないのではないか。でてくる?
大丈夫、大丈夫。死なないから。

そんな時に思い出す。
「ウォッシュレットでなかったらうんちができない子」。
大丈夫、ウォッシュレットがない学校で、これから生活するんだから。

大切なのは、時計の針が読めるようになること以上に、時計の針が読めないという困った状況を通じて、「その子」をみてくれない学校の現状(もう無理なんです)を理解し、社会資源(子育てを助けてくれるいろんな人)を探してこれからの長い、長い、学びの環境を整えていくことだとおもう。

できなかった、
わからなかったことがわかるようになってうれしくない子がいるだろうか。
針時計が読めるようになって、暮らしが豊かになるような、そういう世界を大人として見せてあげたい。

うーん。

富山大学図書館にいって検定教科書をみてみよう。
おそらく、時代が新しくなるにつれ、醜くなっているのではないか。

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