おとのねさんの人となりと言葉について

おとのねさんはいろんな言葉を使う。

カウンセリングっぽいとき
「教える」とき
ブログかくとき
買い物するとき
面談のとき
だれか一人だけいるとき
複数いるとき
おなかすいているとき
ねむたいとき
子どもと遊んでいるとき
youtubeの動画にコメントするとき
Facebookに投稿するとき
「いいお母さん」を演じているお母さんと話すとき
心を開いている人と話すとき
(面談の時、一瞬、怖いイメージをもった、という人がいる。多分僕が瞬間的に「どんな言葉をつかったらいいんだろうかな」と考えていて真顔になっていたのかもしれない笑物腰、言葉遣い、表情、素ぶり、ひとつひとつが僕が言葉を選ぶ要素になる。頭おかしくなる。)

誰に話すか、どんな状況で話すか、そういう条件がひとつ違えば、雰囲気も変わる。(変わらない人もいるだろうが)
(このブログは僕のメモがわりに書いているものであって、決して読みやすく書いてはいない。多少は、配慮しているが笑)

場所が違えば文化も違う。
僕はそこになんとなく合わせているのか、変わってしまう。

たとえば、ウラとオモテで、オトノネの雰囲気は変わったとおもう。(問い合わせのおフォームとかないからね!ウラだからね!屋根裏部屋!)

どちらもオトノネです。
どれもぜんぶ、おとのねさんです。

よ!

人間だもの

オトノネひろげるシェアぼたん

【ビジネスの原理】情を売る。

愛を売る、と言われて思いつくのはホストとかキャバクラとかいう夜のお仕事だったりなんだり。

塾も学校も愛を売っているケースがある。

いやいや、愛は残念ながらスキルなので売れない。
愛とは何か?

情のエネルギーを注ぎ込む「型」になんと名前をつけたらいいのか、考えてみよう。

ーーーーー

塾にいる「やさしい」先生。
通学中にお腹が痛くなって迎えに来てくれる先生。
頑張って進級「させて」くれる先生。

どれも、「愛情」のあるいい先生のように思える。
行為レベルでは。

ーーーーー

言語レベルではどうだろう。
「やさしーくしていないと生徒はやめていくから甘やかす」
「迎えに行かないと学校何してんだと言われるし、生徒からもなんで来てくれなかったのかといわれるから行く」
「教育委員会からの評価も下がるし、親への対応もめんどくさいから進級させる」

これはどんな「情」からくるのだろうか。

ーーーーー

学校も塾も、情を売るサービスだといえるだろうか。
安心を売る塾。
卒業資格を売る学校。

「立場」や「役」をどう考えるか。
塾や学校は「安心を売る」「卒業資格を売る」ことで立場を守っている。
そのために「やさしい」とか「迎えに行く」とか「進級させる」という役を担う。

それが、ビジネスの原理。

僕にはどういうわけか、塾や学校がキャバクラやホストクラブと同じように思える。
愛のない情の世界で、子どもたちは、今日もスマホを手に、レバニラを探して歩いているのかもしれない。

レバニラかとおもって注文したら、ニラしか入っていないのが、「自然」な世の中になってしまった。
「レバニラ」を頼んだら、「ニラ」がでてくることに、違和感がなくなってしまった。
「ご注文の、レバニラです!」「え?レバーは入っていないんですか?」「え?入っていますよ?これが、レバニラです!」
そうして、「ニラ」を「レバニラ」と呼ぶようになった。

ビジネスの原理から子どもをどう守るか。
お母さんが、ビジネスとして子供を育てていたなら、もう、ニラばかりで、子どもは別の進化を遂げ始めている。

と、僕は感じている。

レバーのない世界で、子どもたちは、新しい生き方を、探し始めている。
レバーを諦める人もいる。
レバーを探す人もいる。

二つの文化が、お互いにお互いを尊重できるなら、いいのであるが。
2つの文化

愛は、情ではない。

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情報からコミュニケーションを創出する【おとのねさんの宿題】

インターネットで「外の世界の情報」を得る目的は「学習」である。だから、大切なのはいかに多くの情報を得るかでも、いかに多くの情報を流すかでもない。目的と関連性とを明確にしてコミュニケーションを創出することにある。そのような本来の目的を見失ってしまうと、情報に基礎を置く組織を作ることができない。(『ドラッカーと論語』安冨歩 p.181)

つまり僕の学習過程の弱点は、僕が学んだことにフィードバックをくれる人がなかなか、いないこと。
それでもまぁ、生徒からいろんな問題提起を勝手に吸い上げたり、勝手に学んでいるっちゃいるんだけど。。。

ブログやyoutubeを見て、連絡をとって知り合った人が、3人ほどいる。(ん?今思い出せるのが、3人)
子どもがオトノネに通っているわけでもなく、ただただ、心で繋がっている人。
オトノネにとって、とても大切な人と繋がり、コミュニケーションがとれた、という事実は、オトノネという実験のひとつの成果なのだとおもう。

ブログ書いたら10人は見てくれてるみたいだから!
隠れオトノネファンの人、ぷりーずせんどみーあんいーめいる!

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『子どもを生きればおとなになれる』クラウディア ブラック

『子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方』クラウディア ブラック , 水澤 都加佐
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方

内なるこども=インナーチャイルドの本来の姿は「周囲の世界と絆で結ばれた子」
直感、自発性、生命力の塊。

私たちアダルトチルドレンは、心の中に慢性的な喪失を抱えています。けれど、自分が何を失ったのか、はっきり気づいていません。そこにあるのは漠然としたむなしさ、何かが足りないという感じ、今の自分ではだめなのではないかという不安です。こおの漠然とした喪失感を何か別のものや人で埋めようとしたり、必死で大丈夫なふりをしてみても、むなしさは消えません。私たちに必要なのは、自分が何を失ったのか、その正体を明るい日の光の下で確認してみることです。そしてそれをきちんと言葉にすることです。(p.15)

悲しみや不安、喪失体験をすることをサポートする親。
愛、親のサポートを喪失した子ども。

サポートしない、だからこそ強く育つこともある。
手をかけずに、自然に育った。いやいや、ご飯を食べて寝るところがあった。
それだけでも、強い子はたくましく成長する。

そうでない子もいる。

ーーーーー

子供というのは「権利の目録」を手にしてこの世に生まれてきます。それは次のような権利です。
・誰かの期待通りの存在だからではなく、ただありのままの自分として大切にされる。
・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身として慈しんで育てられる。
・一貫性と、安全と、暖かさと、理解を与えられ、無条件に愛される。
・ひどく傷つくような状況から守られる。
こうした基本的な権利を奪われているということは、つまり見捨てられているということです。私たちはときに否認の力を発揮して見捨てられた体験などなかったことにします。「私はちゃんと面倒をみてもらっていたわ。ママもパパもあまりうちにいなかったかもしれないけれど、お姉さんがいたもの」。(略)家族の中で見捨てられによる喪失を体験することは、トラウマを引き起こします。それによって、自分自身やこの世界が「いいものだ」と感じる力が著しく損なわれてしまうのです。(p.24)

この具体例として次のようなものがある。

親が自分の感情や考えや行動に責任を持たず、子どもにその責任を負わせようとすること。
親が自分のニーズを満たすために子供を利用すること。

例えば

子どもを自分がうぬぼれるために使う。
子供が親と違った考え方や行動をすると拒絶する。
自分が果たせなかった夢をかなえてほおしいと望む。

要するに子どももの権利、子どもの自治権、子どもの独立性。独自性を認めないこと。

あなたは親である私のニーズを満たすためにここにいる、というのは勘違いですね。
あなたより親の私の気持ちが優先だ、というのは、勘違いですね。

なんの勘違いかって、自分と他人の勘違いです。
子どもの問題を、自分の問題だとおもうことも、勘違いです。
親の問題を、子どもの問題だとおもうことも、よくありますが、勘違いです。

子どもを恥ずかしいと親が感じるのは勝手ですが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
子どもを心配する親の気持ちはわかりますが、それで子どもに「命令・干渉・説得」するのは人間としての分を超えています。
親が他人の目を気にしているのを、子どもに押し付けて、子どもに「命令・干渉・説得」をするのは人間としての分を超えています。

こうなって育ってしまったら、どうなるでしょうか。

自分の感情がわからなくなる、相手の基準に合わせたり、愛してもらうことに一生懸命になって、自分がいなくなってしまうかもしれません。人間関係への依存、愛の渇望、それから宗教や心身症、薬物、アルコール、ギャンブルへの道が続いています。また弱いものへの暴力、受け入れられない怒りを他者にぶつければ家庭内暴力、児童虐待、モラハラ・パワハラになります。恐れの感情が強ければ、創造的になれずに既得権を守ろうとして小さく生きていくことになります。(そういう人が政治家として日本を動かしているのですから、この国は病気です)それが例えば、夫婦、家族という既得権を離したくない、僅かでもその関係性にすがらなくては生きていけない状態になれば、家庭内の暴力を愛情表現、もしくは自分に落ち度があると考えることになります。そのような仕組みが、できてしまうのです。

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さぁ、統計を調べる時間だ(ああ、また魔王とこんにちわだ)

児童虐待(2018)15万9850件
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00517/
アルコール依存症者の疑い(2019)292万人
職場でのモラハラや精神的なストレス(生きづらさ)を強く感じている人の数だろう。

調査・日本の飲酒実態


家庭内暴力(2018)7万7482件
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43011460Y9A320C1CR0000/

不登校・長期欠席者(2019)327901人
自殺 332人
3) 小・中学校における,長期欠席者数は,240,039人(前年度217,040人)である。 このうち,不登校児童生徒数は164,528人(前年度144,031人)であり,不登校児童生徒の割合は 1.7%(前年度1.5%)である。 4) 高等学校における,長期欠席者数は,80,752人(前年度80,313人)である。 このうち,不登校生徒数は52,723人(前年度49,643人)であり,不登校生徒の割合は1.6%(前年度1.5%)である。 5) 高等学校における,中途退学者数は48,594人(前年度46,802人)であり,中途退学者の割合は1.4%(前年度1.3%)である。 6) 小・中・高等学校から報告のあった自殺した児童生徒数は332人(前年度250人)である
https://www.mext.go.jp/content/1410392.pdf

自殺(全員)20598人
https://www.mhlw.go.jp/content/201812-sokuhou.pdf

家庭内暴力(2019)9,042件
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/jokyo_tokei/kakushu/dv.html

犯罪認知件数(2018)
警察庁の統計によれば,平成29年における刑法犯の認知件数は,91万5,042件,検挙件数は,32万7,081件となりました。
http://www.kensatsu.go.jp/hanzai_gaiyou/keihou.htm

離婚件数
2018年の婚姻件数は59万件で、離婚件数は20万7000件です

日本人の離婚率はどれくらい?離婚統計から見る離婚率の推移とは?

精神疾患 419.3万人
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は、近年大幅に増加しており、平成26年は392万人、平成29年では400万人を超えています。(認知症が70.4万人含まれている)
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/data.html

概数でもとめましょう。

児童虐待16万
アルコール依存症者の疑い300万人
不登校・長期欠席者33万人
自殺 2万600人(内、児童350人)
家庭内暴力9000件
犯罪認知件数91万5000件
離婚20万7000件
精神疾患349万人
足し算してみましょう。
813万600件(人)

日本の人口は
  【令和元年12月1日現在(概算値)】
    <総人口> 1億2615万人で,前年同月に比べ減少 ▲28万人 (▲0.22%)
https://www.stat.go.jp/data/jinsui/new.html

問題飲酒で児童虐待で不登校で家庭内暴力で犯罪者である人もいるだろうけれど、概算して6.4%となった。え?意外と少ない?
認知されていない虐待とか、いじめとかをふくめたらもっとおおくはなるだろうけれど。
会社のモラハラやアカハラなど、あげたらきりがないだろう。

10人に1人くらいかとおもってるんだけどなぁ。。

二次的な被害の件数(例えば家族や友達、いじめられる人やいじめ集団)を数えれば、数値にはでてこないものすごい人数になるだろう。

これ、30人のクラスにしたら・・・面白いかもね。1学年の方がいいかな。
子どもが何人で、何人が孤独死して、何人が犯罪者になって、、何人がアル中になって、、、、何人が児童虐待をして。。。。何人が、自殺して。。何人が離婚して。。。。

うわぁ、魔王だろ笑
そういうリアルな数字だからこそ感じられることもある。

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激怒は、表現することを決して許されなかった怒りが積み重なった結果として出てくる場合もあります、押さえ込んだ怒りは、心の中に根付きます。それは時とともに膨らんで、しつこく居座った恨みとして化膿するかもしれないし、もっとよくあるのは、慢性的なうつにおちいる場合です。こうして怒りのはけ口がない状態が続くと、あるときいきなり敵意に満ちた行動として爆発し、暴力行為や殺人に至ることさえあります。こうした行為は、痛みに耐えられず、葛藤を解決できず、他の選択肢に気づくことができずに、感情が蓄積された結果なのです。(p.53)

気が付いてほしいのは、こうした社会現象は、すべて心の問題であるということ。

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「うちの子はいい子でなければ」「うちの子は一生懸命勉強しなければ」という観念に続くのは「…だから私は必ずそうなるようにしなければ」です。けれど、結果が出るのは愛しまれ励まされることによってで、コントロールによってではないのです。

生活を秩序立てようとする努力が無駄というわけではありません。少なくともある程度のお時間における、ある程度の秩序は欠かせません。けれど私たちはしばしば、生活の全ての面や周囲の人みんなの人生をコントロールしなければという思いに駆られてきたのです。

なにはコントロールできて、なにはできないかについて、アーネスト・カーツはこんな風に言っています。

ベッドに入るかどうかはコントロールできる。
 眠りはコントロールできない。
本を読むことはコントロールできる。
 理解するかはコントロールできない。
遊びを始めることはコントロールできる。
 ゲームに勝つかどうかはコントロールできない。
知識を蓄えることはコントロールできる。
 知恵を得るかどうかはコントロールできない。

コントロールできることとできないことの違いを学ぶのは、自分の限界を受け入れる第一歩です。(略)コントロールを手放すのは、自分はすべての答えを知っているべきだという幻想を放棄し、あらゆることを管理しなければならないという思いを放棄することです。過去は変えられないという事実を認め、未来をコントロールする力を持たないことを認めましょう。私たちに残されているのは、今ここにある現実の暮らし。「今、ここ」に生きることなのです。(p.136)

オトノネひろげるシェアぼたん

【ヒトラーに告ぐ】学び(知)の危うさ。だから、心が大事。知と心の違い。

学ぶということはどういうことか。
本当に学ぶとは、自分の精神を未知の世界、危険にさらすことだ。

という一面があるように感じたので書き綴って見る。

封印されていた「事実」を知る。
感じられていなかった「本当の世界」を感じる。
そうした「知」が、人を不安にさせるかもしれない、ということだ。

日本の現実、本当の姿を知った人は、悲観せざるを得ないかもしれない。(喪失体験
絶望するかもしれない。
そうして死んでしまうかもしれない。

「知る」ということと同時に、「心をつくる」こと。
知行合一というが、僕は知心合一と言ってみたい。
でなければ、心は崩壊してしまう。。。。とおもった。
「知」のレベルは「心」が決める。というか、「知」はチカラだ。そのチカラを使うメタなチカラが、「心」だ。


心が大事。

だから逆に、心がしっかりしていなかったら、「学び」は薄っぺらくもたれかかる紙切れになってしまうだるおお。
心が、意味を、「知」の響きを感じられないからだ。
そう考えると、世の中で「知」と呼ばれているものは、大したことではないのだ。
ただの不安や欲求をかき乱す刺激なのだなとおもえてしまう。

だからオトノネ!笑

ーーーーーーーー

僕が心を揺るがした記事はこれ。

人類とネアンデルタール人が想定よりも古くからセックスしていたことが判明
結構古い記事だ。

嫉妬がネアンデルタール人を絶滅に追いやった!
こっちの記事は、本当かどうかわからないけどいろんな情報が詰まっていて、刺激になる。書いた人の妄想、推測の部分が多い、。。。

で、僕はこういう疑問を持ってこれらの記事を読んだということ。
「人間の暴力性は、人間の本質なのか」

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かつて、「ホモ・サピエンスってネアンデルタール人に犯されてたんだってよ」と友達が言っていたのを覚えている。
それで、ネアンデルタール人が凶暴性をもっていた、暴力性がつよかった・・・・という前提で僕の思考は進む。
それでも死者を埋葬するという文化(?)があったらしいのだが。ネアンデルタール人の埋葬を改めて確認

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ネアンデルタール人は、狩がうまいとか、肉体的に強かった、という記述がある。
こういうところから、ネアンデルタール人→暴力性というイメージがでるのかも。
「ヒトは何故生き残ったのか 第二集の見どころ」
それが正しいとしよう。

また、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも多様な音声言語が使えたという。
それも正しいとしよう。
ということは、ネアンデルタール人は埋葬の文化とかあったみたいだけど、文化を伝えるとかそういうものにはよわかったっぽい。
だからネアンデルタール人→新しい状況に耐えられない(暮らしを変更できない)
ホモ・サピエンスはなぜ生き残れたのか【ネアンデルタール人との違い】

ネアンデルタール人のネアンデルタール人らしさは、狩に行く男にあり、
ホモ・サピエンスのホモ・サピエンスらしさは、文化を子供に伝えたり、道具をつくる(?)女にある、としたら。。。

ネアンデルタールがお父さんで、ホモ・サピエンスがお母さんの組み合わせが最強だ。
もっとも環境に適応しやすかっただろう。

もっとも暴力的な男性が集団に必要な狩を成功させるために必要とされた。
またその男を組織化させるような平和的な女性が、集団を成立させるために必要とされた。

この記事にはこんなことが書いてある。

これまで、ヒトの起源であるホモ・サピエンスは、約6万年前にアフリカ大陸から移動を開始して世界各地に広がって行ったと考えられていました。その拡散の過程で、ホモ・サピエンスは当時まだ生存していたネアンデルタール人と交配を繰り返していたことが判明しています。これを裏付けるのが、現代のヒトが持つゲノムの中には、ネアンデルタール人に由来するDNAが1%から4%の割合で含まれているという事実です。なお、このDNAはヒトが持つ鬱(うつ)やニコチン中毒といった症状の元になっているとのこと。

ん?薬物とか酒とかタバコとかの依存症になるのは男性が多いってこういうこと?
男性の方が女性より、ネアンデルタール人のDNAが多いのかな???

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こうして妄想を進めると、人類の父であるネアンデルタール人はそもそも暴力性をもっており、
人類の母であるホモ・サピエンスは平和性(暴力性の対義語ってなんだっけ)をもっている、、という短絡的な人類像にいたる。
(この知識の不確かさはさておき)

そうすると、今の社会、というより人間の社会は、男性が動かしている限り平和にはならないというフェミニズムめいた考えになることもでき、さらにはかつて母系社会だったという話の意味もわかるかもしれない。中国の神話では女媧と伏犠が絡み合って世界を成り立たせている図がある。

また男と女の戦い(駆け引き)というものが、神話の世界にもよくある話。

一人の人間の中でも、この暴力性と平和性(いい言葉が浮かばない)が混ざっているとしたら。
一人の人間という宇宙のバランスを保つための心がなければ、どうして暴力性を止められるだろうか。

暴力も、平和も、人間の中に半分ずつ組み込まれている。
暴力は、人間の世界に、ある、のである。
平和も、人間の世界に、ある、のである。

ーーーーーーーーー

同じ話を、縄文人と弥生人でしてもいい。
DNA研究で「縄文人と弥生人」が分かってきた

大和朝廷、現在の日本人のルーツとなる人たちは、日本の原住民、縄文人を制圧していった。(日本の歴史によれば)
南から、北へ、、、、先住民のたちは征服民の人たちから蝦夷の人と呼ばれていた。

なぜ、征服していったのか?
なぜ、人は、侵略するのか?
なぜ、人は争うのか?
平和に暮らせないのか?
平和とはなんなんだ!?

土着の人は、住んでたんだよ!
(侵略の歴史・暴力の歴史が、人類の歴史なのだろうか。実際、そんな歴史ばかりを学校で習う笑)

鬱=不安という感情の処理がうまくできず(言葉=心)、支配=コントロールという暴力に頼るしかなかったという、未熟な人間の姿が、今も、昔も、変わらないのではないかとおもってしまう。

ーーーーーーーー

暴力性が、人間が生まれたときから刻まれている本性だとしたら。。。
この社会は、とても自然な状態であり、別に、泣いても笑っても、悲しんでも喜んでもなんでもない、ただただ、人間らしい姿なのだとおもえてしまう。暴力は人間の本性なのだと。支配は、人間の本性なのだと。児童虐待も、自殺も、DVも、人間の本性なのだと。

これが事実だとして、その事実を心はどう受け止めるか。
「だから、私もその暴力に加担しよう。暴力の中で生きよう」とおもうだろうか。
「だから、子どもにも暴力を持たせよう。子どもを、戦場に送ろう」とおもうだろうか。

「心」は「知」に耐えられるだろうか。

ーーーーーー

もっと別のことを考えてもいいだろう。

女性が女性らしく生きる、ということは、男性と同じように働くこと、ではない、のではないか。
と僕はおもう。

男性と女性が、二つ合わさって、人間ができるのだから。

トランスジェンダーという言葉が最近話題になっているようだが。
それは、平和と暴力の境界、支配と自由の話なのかなと、僕はおもう。

ーーーーーーー

結局は女性の(男性)社会進出ではなく、
男性が女性社会を守るだけでいいのに。。。と僕は言葉を漏らして見みる。

女性社会とはなんだろうか?
人間として、女性という個性が尊重されることだろう。
子どもの個性は勝手に伸びると、とある先生はのたまったが、女性の個性は潰されていないか。

男性が、暴力があふれた世界で、女性を人間の個性として、捉え直してみたら、どうだろう。

お互いの世界を守る、お互いの本質を理解する。少なからず理解する、そういう世界があったらいいのだと思おもう。(だから男の人のオイタなことも、女の人は大目に見たらいいのかもしれないし、女の人のオイタなことも、男の人は大目に見たらいいのかな?)

心が大事。

現実を知るためにも。

心を育てよう。

暴力にさらされている命があることに、気づけるような心を。

自分の中にいる男性と女性が、自分の心の中で、平和な家庭を築けるような心を。

パーソナリティ特性の記事でも書いた気がするが、人間の半分は遺伝であり、半分は環境であるという。

富山県・もしくは日本という場所は、可能性の半分である環境がほとんど絶望的だとおもったら、もしそれが「現実」だとしたら、、、
その「知」に耐えるための「心」を、僕はもっているだろうか?
絶望の中で漂泊する人生を、送ってしまわないだろうか?

こういう戯言を、今日も長々と書いてしまって、全く申し訳なくおもう。

ーーーーーー

子どもは環境に順応する天才だ。
お父さんお母さんの心の歪みにも順応する。
お父さんお母さんの硬直した、「現実」を受け付けない心にも順応する。
順応した結果、「立ち止まる」かもしれない。
「立ち止まる」ことができなかった、大人の代わりに。(大人は、失敗したのだ!)
「立ち止まる」とは、成績が落ちるとか、勉強しないとか、病気になるとか、グレルとかそういうものも含めて。

性をもって生まれてくる子供。
命をもって生まれてくる子供。

親という環境、大人という環境の中でもう一度生まれ直したいとおもう子供もいる。
それすら支配してしまうなら、親の名前を捨ててヒトラーを名乗るといい。

「小さなブッダ」
「小さなガンジー」が僕らを見つめている。

あなたを見つめている。

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ネット上で、悪口をいうことが流行っている。
いやいや、事実を書き綴っているだけかもしれないが、、怒りを感じる。
僕が富山高校とか高岡高校とか富山中部高校とかに限らず事実を伝えながらも、僕の感情もでてきてしまうからいたしかたない、といえばそうだが。

怒りを感じて、
怒りを発信して、それで、何か、いいことがあっただろうか。
なんども怒りを発信して、暮らしは豊かになっただろうか。

いろいろな事実、相手を非難する事実を見つけては投稿し、罵るような人がいる。

同じ事実を見つめる人でも、その刺激に対して心の反応はまちまちだ。
「知」は生き方を生み出さない。生き方を生み出すのは、「心」だ。

やっぱり、心が大事。

ワクチンか何かを発見した人は、たしか、「たまたま」ウィルスが死んでいく現象を目撃した。
日常的に誰でも目にする「事実」でも、それに気付けない人がいる。
気づくことができるような、自然な心のあり方すら、暴力によって、壊されてしまっていないか。

僕自身、しっかり感じなきゃなとおもう。

オトノネひろげるシェアぼたん

景気が今、回復している(?)からリストラするんですって!

さて、現実を、みてみましょう。
僕たちの心は、どう反応するでしょうか。

学歴って何?
せめて大学は・・・
って何?
せめて高校は・・・・って何?

ふつうの生活って、、、何?

これは夢?幻?

心が大事

オトノネひろげるシェアぼたん

フェイスブック2連発

勉強をすればするほど、しくみを言葉としてきちんと聞くほど、立ち止まってみるほど、この日本という現象が絶望的に思えてしまう。

そんな中で、暴力にあふれた世界で、僕は、、、、
(魔王の話ではなく、ちょっと創造的な言葉がでてきたのでブログに書いてもいいかな・・・)

いったい、どうやって生きたらいいんだろう?
他の人の声を聞きながら、少しずつ、体に染み込ませている感じだ。
そのプロセスを、こうしてブログに書き綴っている。

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「子どものいうことをききましょう。子どもがおかしいとおもうことは、大抵おかしいこと」
「親も先生も言ってることがしょっちゅう狂っている」

「親をなんとかしないといけない。親が優れた感情的な能力をもった子を育てなければ、終わる」
「男は完全にクズ化している」

宮台真司
安冨歩

この二人は、僕が最初は『本』で出会った人たち。
それからyoutubeで、この動画を、今日初めてみた笑
生の声、というのは、やはり違う。。。

僕も2人に大いに共感する。

もちろん、「狂っていない」親もいる。
素敵なお母さんも、たまにいる笑

オトノネにきて、変わったお母さんもいる。(選んでくる時点で、その兆しがある)
オトノネ卒業後に、お母さんと話をしていて、「え!そんな関わり方をしているんですか?すごくいいですね」というと、「全部先生が教えてくれたことだよー」と言われて僕が覚えていないから笑える。

けどやっぱり、大人が、狂っている。(狂っていない親に出会うのが難しいという意味で)
くるわざるを得ないほど、怒りと不安と悲しみに溢れた社会で、子どもも育っている。
「勉強ができないと、将来困るわよ」とか「大学ぐらいは出ないと」という言葉は、脅しであり暴力であると、わかっているのだろうか。学校の先生と一緒になってお父さんお母さんも子どもに暴力をふるっている現状がある。

生きているだけで、十分頑張っている、というレベルだと、僕はおもう。

ーーーーーーー

今は、自分の声で生きる、ということしか、
今僕にできる小さいことをすることしか、ただ自分の声で生きるということしか、
自分の心で生きるということしか、

思いつかない。

ーーーーーーーー

宮台真司さんは、「男がダメすぎる」という話をする。
安冨歩さんは、「大人がダメすぎる」という話をする。
(言葉は僕がかなり婉曲しているので実際に動画をみて、聞いてほしいです)

子どもに、悪いところは一つもない。

富山の長男と結婚することをお勧めしない理由は、あまりにも、長男の人と結婚した女性の話を、実際に僕が聞いてきたからだ。
長男に生まれた「劣等感」、おじいちゃんやおとうさんから教わった「暴力」の方法。
富山県だけではないかもしれない。長男信仰によって、少なくとも暴力漬けの子供時代を過ごした子がいる。
成長できなかった心は、満たされることがない。

子どもに、悪いところは一つもない。
ただその子どもが「子どもとして未成熟」であるために、大人としても、未成熟のままなのだ。

子どもはいつから、大人になるのか??

もう、大人と子どもというくくりも意味がないだろう。
人間としてどれだけ未熟か、どれだけ成熟しているか。

ーーーーーー

未熟な人間を引き込み、コントロールしようとするカルトな宗教組織と同じことが、この社会で公然と行われている。
未熟な「コドモ」をコントロールして、利用する「オトナ」が、どこかにいるんだろうか?
その「オトナ」を探し出したらいいのか?

たぶんね、ほとんど全員だよ

ーーーーーー

子どもという未熟な人間を、コントロールしようとする大人は、すべて、社会的な犯罪を犯している、ということを、未熟な大人がみても、何も感じないだろう。

暴力が当たり前の世界が、目の前に広がっているのだから。

いや、そうおもえば、人間の営みはすべて宗教的だろう。

人の心があるだけだ。

心が、大事。

===========

今は、自分の声で生きる、ということしか、
今僕にできる小さいことをすることしか、ただ自分の声で生きるということしか、
自分の心で生きるということしか、

思いつかない。

君は君の声で
僕は僕の声で
歌おう。

オトノネひろげるシェアぼたん

高岡高校の自殺は、政治が根本的な原因?

高岡高校の自殺は、政治が根本的な原因?

少子化という現象を説明せよ!
という宿題をちょっとやってみた、というお母さんから聞いた話

1974年、会議で「人口減らそう」となっていた。
『子供は2人で豊かな暮らし』~政策が与える出生数への影響~

もうわけがわからない。

ちなみにこんなことが本に書いてあった。

私が”ボーダーライン的”な子供達に初めて接したのは、もうすでに20年ほど前のことになります。「ボーダーライン」をもっと正確に描写すると、非常に衝動的で気分変動が激しく虚無感が強く、アイデンティティーが混乱しており、自分の怒りをコントロールすることができないということになります。対人関係が不安定で、時にはストレス生の被害妄想や心因性の健忘が生じることもあります。また、とても重要なこととして、幼児のような極めて強い愛情欲求を持っていることも大きな特徴です。強い愛情欲求をもつようになる原因には、幼児期に親の角の愛情を受けた「過保護型」と、幼児期に親に虐待された「愛情飢餓型」があります。(町沢静夫『心の壊れた子どもたち』p.154)

この本の出版年は2000年。
20年ほど前なら、1980年。
1974年、会議で「人口減らそう」となっていた。
その因果関係がありそうで怖い。

この混乱は、人間(政治家)によってつくりだされたものなのだと。
日本はまだ、戦国時代にいるわけだ。

お母さんには、子供を守ってほしい。
どうやって?

それをオトノネではじめてみませんか。

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で、今日、聞いた話。

愛知女子中学生集団入水自殺事件とは、1977年(昭和52年)に愛知県で3人の女子中学生が集団で入水自殺を図って、うち2人が死亡した事件のことをいう。
愛知女子中学生集団入水自殺事件

もうこの時から日本は暴力であふれていたことになる。
最近になって、面前DVとかでてきたけど。
昔からあった。

忘れられてしまうかもしれないから、念のため。
「事故物件」サイトで調べると、高岡高校で生徒が自殺した事実がきちんとのこっています。(いや、誰が死んだかまでは書いてはいないけど)

情報の量に、多様さに、圧倒されてしまう。

再来した大リストラ時代と「雇用流動化」礼賛の幻想

あ、そうか、だからみんな宗教にいくんだ!

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もっと僕らしく、牢獄に閉じ込められた音楽の力を解放することに、時間を使おうとおもう。

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(追記あります)前澤さんという一人の人間から学んだこと。

「世の中からお金をなくす」ことで世界は平和になる

お金をばらまくことで有名な前澤さん。
上の記事をみつけてなるほどなと思いながら、あれ?と違和感を持つ。
前澤さんのことを知っているわけでもないので憶測・推測でしかないが。。

このお年玉動画を見た時、僕は感じた。
「さみしい人なんだ」と。
いやいやそんなことはあるまい笑と思う人もいるだろうけれど。。

前澤さんのおかげで、お金というものに世の中がどう反応するのか、その凄まじいツイートの数でわかる。
書かれているコメントをみると、いろいろな人がいろいろなことを喋っている。
「お金」ということに対するみんなの考え、感じ方を窺い知ることができる。

宇宙旅行・・・この時代に、前澤さんに夢を託そうとする人もでてくる。
面白い人生だ、見ていてスカッとする、と。

それも全て、お金があってのこと。
お金がなくなっても、前澤さんを誰が助けてくれるかな?
お金のないところから、人と人の関係を作り出してZOZO大きくした前澤さんならできるかな?

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まだ10億円だせるってことは・・・どんな仕組みでそんなに稼いだんだろう?
そんなに稼げるしくみって、なんなんだろう?
一代で1兆円企業を築いたZOZOTOWN社長「異形の履歴書」

いろいろな疑問を生んでくれる。
持ち前の前向きさから、僕らが学べることはおおい。

なぜ「ブランド」を売ろうとしたのか?金儲け??
目的がなんだったのか。。金儲け?
「ブランド」を売るということは、ブランド志向を助長するということ。

だと考えると、

ZOZOでは前澤さんの「世の中からお金をなくす」ことで世界は平和になる という気持ちと矛盾していないかとやっぱりおもえてしまう。

平和を育てることは、人の心を育てることだと僕は思うだから。

ZOZOから離れたのは、いいきっかけになるとおもう。

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CDもアパレルも、好きだから注げた情熱。
それだけは、文句なしに、子どもたちにも伝えたいことだと僕は感じている。

「前向きな気持ちがあれば、それに没頭したら道が開ける(成功というわけではない、進めるという意味)」という「成功例」のひとつとしても学ぶこともできる。

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ただ僕はやっぱり疑問だ。。。

富裕層のことがよく分かる5つのWEBサイト

どのサイトをみても、「お金で娯楽を受け取る」「お金を作る」ことは書いてあるけれども、「お金でみんなのしあわせをふやす」ことは書かれていない。「お金を富裕層に集めるしくみの強化」と「富裕層からお金を集めるしくみ」で埋め尽くされている。

「純金融資産1億円以上の方だけが入会できるオンライン上のプライベートクラブ」って何。。。
YUCASEE(ゆかし) – 富裕層限定 プレミアム・プライベートクラブ

あら、魔王がこんなところにも笑

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僕が思うに。
前澤さんのしたことで、人が育つこと、をしたとしたら一つ。
公益財団法人 現代芸術振興財団 公式ホームページ

この財団をつくって、「賞」を増やしたことだろう。
芸術という分野でくすぶっている人はたくさんいるから。
けどもっとできることは、たくさんあるはずなのになぁ。

前澤さんの「さみしさ」を、感じてあげられる人が、近くにいてくれたのたら、前澤さんはしあわせだとおもう。
といいながら、前澤さんは前澤さんで一人の人間としてもがいているんだから、僕もがんばろう、とおもったりもする。前澤さん自身も、そのさみしさを埋めるのに必死なのかもしれない。

逆に言えば、よくいえば、それが前澤さんのチカラだ。
いろんな人とつながりたい、みてほしい。
とても人間的な、人間らしい、チカラだ。

お金の使い方・・・前澤さんは、いろんな人の話、聞いたのかな?
誰か、前澤さんを助けてくれる人はいないのかな。と、僕はおもったのです。

「金持ちらしく、知的に創造的にお金を使う」
金持ちは金持ちとしての知性を。

前澤さんには、
そのモデルになってみてほしい。
みせてほしい。
と僕は、だだをこねたいとおもいます。

けどそれは僕のオモイ、僕ならこうするというものであって、前澤さんだからこそできる生き方をみて、じゃぁ僕はどうしようと、お互いに捨てられない自分、大切な自分を育てていけばいいんだともおもう。

(ちなみにYOSHIKIはお金をどう使っているかって?イチローはどう使っているかって?総理大臣は、何にお金を使っているのかな?調べてみたら、おもしろいかもね!!!!)

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追加情報

これも「定期テスト対策」ですが。

日本で「処分」されている犬や猫を助けて!というツイートが前澤さんからでてくるだろうか。
10億で何ができるか。その創造力を、想像力を、補ってくれる人が、前澤さんの近くにいてくれたらなとおもう。

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前澤からお金をなくしたら、何が残るか。

それが前澤さんの「最後の実験」だと僕は思っている。
そのプロセスや結果をしっかり受け止めて、僕たちが学んで行きさえすれば、前澤という人間は活かされるの、だろうか。

ちなみに、僕ならここで「自然発火」であるならそれは大地がもっている変化のプロセスで、そこに住んでいる動物たちが死ぬのは、自然の流れ。ということをまず考えたいとおもう。そして、動物愛護の名目で金を集めているグリーンピースの存在も思い出したい。

「なぜ10億円を使ってコアラを助けないのか?」というコメントがあった。
「みんなの力で助けるからこそ意味がある」と前澤さんはいうかもしれない。

前澤さんは世界中のお金持ちのお金を全部吸収しよう、としているのかな?
だとしたら、10億円のお年玉は、悪手だと、僕はおもうのだが。

いやそもそも世の中をお金のない世界に、平和な世界に、という言葉すら、僕には怪しく思えてしまう。
僕はそのくらい、言葉を大切にしているから。

僕には、前澤さんの心がわからない。
たぶん、さみしい人なんだと、おもう。

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オトノネさんの言葉を多弁にするとダイゴになる(?)件。

目の前にあることを。
今感じていることを。

といいながら、僕自身が、その生き方を、やれているだろうか。
今までの経験を、使っているだろうか。
使えているだろうか????

創造力!

ダイゴすごい喋るな。。。
いろいろたくさん、本気でやってきたんだろうな。
僕ももう少し、遊ぼうかな笑

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