本当に不思議な【富山ブラック】富山県高岡市という子育ての条件。幸福度と自殺者。


富山県で子育てをしているお母さんへのメッセージです。
高岡市のオトノネがなくなるかも(うーん。うーん)ということで書き始めたこの記事。富山県の話になりました。

知らない単語や話題が出てくるとびっくりしてしまうお母さんにはつらいかもしれませんが。
できるだけわかりやすくしたつもりです。

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まず最初にこのデータから

自殺者数、とありますが、人口10万人あたりの数値に置き換えているので、自殺率、になります。

自殺者数 [ 2016年第一位 秋田県 ]https://todo-ran.com/t/kiji/18573

自殺者数 [ 2016年第一位 秋田県 ]

https://todo-ran.com/t/kiji/18573

自殺率でいえば、東京よりも多い。
最近、富山県に住む知り合いの知り合いの人が2人ほど自殺したと聞きました。
そこで調べたわけなんですが。

その方は「富山県は闇が深いから、外に出なさい」と親から言われたそうです。

こちらは、幸福度ランキング2018

都道府県幸福度ランキングで高知県が最下位はなぜ?理由が意外だった!?

幸福度調査をした母集団の人たちが誰か、偏りがないか。
(自殺者の多くは無職の人、無職の人に幸福度の調査はできないだろう)

福井県は自殺者が少なく、幸福度が高い。
無職者の数はどこの県でも同じだというのが僕の直感。で、調べてみた。

完全失業者とは、仕事をしていない人のこと。
留意点としては、統計として把握しきれていないので、あくまでめやす程度にしてください。ということ。
https://todo-ran.com/t/kiji/11187

富山県は低い。2016年

生活保護受給世帯をみると。
http://grading.jpn.org/y2040003.html#map

富山県は、なんと、47都道府県で生活保護受給世帯が一番、日本一、少ない。

なんで、死ぬの?

経済的な問題ではない。
ではなにか。

心の問題で死ぬ。

と僕は思う。

奥田小の事件もありましたね。

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生徒が集まらなかったら本当に高岡のオトノネを閉じないといけなくなりそうだ。
お金に余裕があってやっているわけでもなく、生徒やお母さんをカモにするためにやっているのでもないオトノネ。

子どもの学びと成長を大切にしているオトノネ。
定期テストの点数を取ろうとして大丈夫かと本気で心配するオトノネ。

そんな心づくしのオトノネに、なぜか生徒が集まりません。
なぜかわかりません。
たぶん、出会ったことのない人への、高岡市の人たちの反応(恐怖心)なのだとおもいます。
男の人が怖い(お父さんからDVを受けている人たちがいます)人は男の自営業の人というだけで、オトノネを選択肢にいれないこともあるとおもいます。

いろいろな都合があるのだとおもいます。

けど本当にわかりません。
なぜでしょうか。

この文章が悪口に聞こえるひとは一度こちらの記事をご覧ください。
批判とは何か。その1

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いろんなお母さんたちに出会いながら、とりあえず県外からきた人が多くのカルチャーショックを受けて、価値観が違いすぎてストレス満載で暮らしていることが多いとわかった。少しでも部活の応援を休むと村八分にされる。親だけでなく子どもも村八分にされる。そんな話も聞く。大人だってひとりひとり違うのに、「みんな一緒」にされてしまう。

自分のペースで、自分の興味を、自分のバランスで取ろうとすると叩かれる。
学校でもそうだ。
子どものペースで、子どもの興味を、子どものバランスでやろうとすると「成績が下がる」のだ。
そして、成績が下がることは、どうしてか、「悪い」こととされている。

長男と結婚をした人はさらに、お父さんからDVをうけたり、お父さんのお母さんからいじめられることで心をすり減らしていることが多い。富山県、特に高岡市だろうか。ストレスフルに子ども時代を過ごしたお父さんがビジネスの原理でしか人間関係を築けないことがおおい。家族であっても。そういうギリギリのところで暮らしている高岡市の財政はさらに狂ってきている。日本はもうどこもやばいが。教育費にお金を出さずに、統合する。ただただ、縮小していくだけ。このような不安でさらに家を買うという風習で重圧がかかる。富山市も汚職で有名だし、まだまだ経済開発し続けている、教育費に税金を使わない、御三家信仰をまだ作り続ける。

このような場所で、

困っている人がいる。

はずなのに。
(別に困っていない人が普通に学習塾だからきていいのだが)

オトノネには人が来ない。

不思議だ。

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子育てに税金を使わずとりあえず国から与えられた条件で、市町村は頑張っている。
舟橋村も頑張っている(ようするに、選択なのだ)。
舟橋村は子育てで有名だ。富山市や高岡市が大きく、力があるなら、どうして子育てがこんなにも困難なのか?
放課後児童クラブは小学6年生までが対象だが、小学2年生までの学校がほとんど。それでも、役所は平気な顔をしている。

そうなのだ。

役所には役所の事情がある。
高岡市には高岡市の事情がある。
学校には学校の事情がある。

それぞれの都合で生きている。

お母さんたちが部活の試合で厚化粧をしていく事情がある。
子どもの部活の試合で厚化粧をしたい心理がお母さんのなかにある高岡市。

お母さんが、子どもの部活の応援でしか輝けないのだろうか。
子どもの進学先(高校名)でしか、子どもを褒められないお母さんが多いんじゃないか。
オトノネにきてくれるお母さんたちの話を聞くと、そんな想像をしてしまう。

子どもはもっとすごいチカラをもっているのに。。
僕はオトノネで、ひとりひとりのもっているチカラをみているし、気づくし、それをお母さんにも伝えている。
もっと自信をもって、お子さんを褒めてほしいから。

お母さんももっとハッピーになってほしいから。

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不登校が恥ずかしくて相談できない?
誰かに話すだけで陰口を叩かれて村八分?

そうして困っているお母さんもいるとおもう。
誰のためでもないけれど、もし一人で悩んでいるお母さんがいたら、気軽に来られるようなオトノネにしたい。

日本でタブー視されている政治の話をするのは、オトノネが本気で子育てを考えているからです。
が、別に政治活動をしているわけではありません。健全な精神活動の一つに、子育てへの広い視野の中に、政治への眼差しは不可避的にはいってしまいます。子育てする環境を考えるのですから。

ただただ自民公明党に票を入れるお父さんお母さんは、考えを改めてほしいとおもう。
子どもが育つ一番いい環境は、お父さんお母さんが生きているこの暮らしがもっと、心から、豊かになることだと。
自分の利益のために自民公明党に入れるより、もっと大きな視点で子どもたちの暮らしを守ってほしい。

表現の自由・信仰の自由・学問の自由が、この国で、どんどん小さくなっていく。
子どもも、そのサイズに合わせて、成長していく。

僕は、そんな子どもが大人になっても、僕が楽しく遊べないとおもうから、いやなのだ。
受け身で仕事をする、言われたことだけやる会社員か引きこもりの大人を育てるつもりは、オトノネにはありません。

人と違うことをして生きていい。
人と違う道を歩いてもいい。
オトノネでそうした信念を強くしていってもいい。

人と同じでもいい。
価値観にいい悪いはない。ただ学び続ける、批判し続けることでしか、人間は成長しない。
人と違うことをすると叩かれる高岡市で、困っているお母さんがいたら、もっと話をしてみたいとおもう。

話をするだけでも、「私はこのままでもいいんだ」「私が悪いわけじゃないんだ」とおもってもらうだけでも、お子さんにはその安心感が伝わるはずだから。お母さんが自分を苦しめていたら、子どもも苦しくなってしまう気がして、僕はいやなのだ。

理不尽の中で多くの才能を消耗している子ども。
お母さんも同じ状況かもしれない。

お母さんの天の才を、子どものために、伸ばしませんか。
オトノネはそういう場所です。

ちなみに、勉強をちゃんとやりたい、一流の勉強方法をしたいという人がきてもいいんですよー。

というかそのつもりで開塾したんですが笑

オトノネは、深い闇の中でどう生きるか、実験しているところです。

心が大事。

オトノネひろげるシェアぼたん

お母さん、子どもを守るために、参政しよう。

オトノネは子育て、お母さんの悩み、子どもの育つ環境を本気で考えているので、本当に腹が立っています。
これが日本の子育ての難しさの原因です。

子育ては、家庭の問題ではないのです。
社会問題です。

一人で悩んでいるお母さん。
子育てに困っているお母さん。
不安でいっぱいなお母さん。
頭が不安になりすぎて塾業界・家庭教師業界のカモになっているお母さんと子ども。

学ぶべきことを、学ぶべきときに、学ぶ。
ただそれだけのことができない。

子どもを守れない。

オトノネは本気で子どもの育ち、成長、発達を考えているので、こうした行為を学校、親、国を問わずバシッといいます。
「土足で入ってくるようなことをしたら・・・」という人がいるかもしれません。
子育てを家庭の問題、個人の問題。学校の問題としていたら、そうでしょう。

僕はそう思っていません。
子育ては社会全体で、みんなでするものだからです。
もし不安なことや心配なこと、困っていることがあったら、助けてくれる人がいたらしあわせです。

僕は子どもから、お母さんたちからたくさんのチカラをもらっています。
だから応援したいのです。

だから僕はオトノネをつくりました。
どうぞ、土足で、入って来てください笑

ビリギャルで有名な坪田先生のツイッターにコメントしました。
もう次の選挙で自民公明党を「大敗」できなかったら、、、、

お母さんひとりひとりの力が集まれば、国が変わります。
オトノネは、ツイッター上でこっそりと、「参政」をしているところです。

最近、いろんな制度を作りましたね。
全部、キャンペーンです。お母さんや現場の人の過酷さ、子どものサバイバル状況は悪化します。

え?そのこと詳しく聞きたいですか?
保育園無償化の本当の「ねらい」知りたいですか?

影響力のある人に、たくさん発信してもらいたいとおもっています。

僕はれいわ新鮮組の安冨さんに入れます。
内側から見た「れいわ新選組」

『生きるための経済学』や『誰が星の王子様を殺したのか』などの本を読んでいたので、出馬したときはびっくりしました。
いろんな本を書いています。どれも「人間らしさ」についての本です。

こういう人が、参政しています。

なのでまだ、希望があります。

こんな感じで、おとのねさん、暗躍しています笑

本気、ですから。

僕なりに!

お母さんも、ツイッターで有名人を見つけたら、教育や労働のことで発言している人を見つけたら、その人のツイートにコメントを残して行ってほしいとおもいます。人の言葉が、人を動かすと僕は信じています。

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねさんはなぜ謎なのか。

おとのねさんは音の国から来たので不思議のベールで包まれています。

とかいうから、謎なのです。

そういう人物だから、いいことがある。
それがオトノネのいいところです。

どんな人なの?
HPをみるといくつか写真が乗っていたりyoutube チャンネルにいくと見られたりするのですが。
誰かオトノネさんの写真とってくれないかな。

僕の写真をとってくれる人が近くにいないから謎、なのかもしれません。

どうぞオトノネにお越しください。
おとのねさんを実際に見てみてほしいです。
オトノネのいいところを感じ取って、使っていただければうれしくおもいます。

いいところ。
それは金儲けのためでなくて、心を豊かにするために、人と向き合う、ということだと、僕はおもっています。

オトノネひろげるシェアぼたん

おとのねさんが泣いたワケ

おとのねさんは泣いていました。
この記事では、その理由を、お伝えします。

世界を勘違いしていた自分が情けなかったのか。
解釈はいろいろだけど。

無力感からか。

泣いていました。
混乱して、泣いてしまいました。

なんて小さな、小さな塾なんでしょう。
なんて弱い、弱いおとのねさんでしょう。

情けなくて、泣いたのかもしれません。

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とある社会福祉法人が新しい事業をするというので、法人の偉い人と話す機会があった。
子ども関連の事業を立ち上げるけど、ノウハウがなく、人を探しているという。
で、結局何のためにその事業をするのかということを聞くと。

新しい事業をしないと、生き残れないから。

ということ。

僕は、現在の、大部分の放課後ディサービス、保育所、児童発達支援の「ずさんさ」を見てきたから、同じようにやったら不幸が増えるだけだと言った。

考え方が違うと一蹴された。
考えたこともないのだろう。

現在の、福祉に携わる人たちが薄給で長時間労働していて、時間もお金もなくて子育てもうまくできていないという話をしたら。

私はお金に困ったことがないからわからないと一蹴された。

新しい事業は、法人を潰さないためだ。
雇用者を守るためだ。
地域住民の人へのアピールだ。という。

福祉サービスは溢れている。
お客の取り合い。
それって福祉なの?

高齢者福祉業界は民間で高いお金を払って高いサービスを売る事業所が増えてきている。富山ではまだそうした民間参入はないが、新しい施設は、高額な利用料をとって運営するという。では、お金がない高齢者は?

そうした格差の問題は役所の仕事であって、私たちの仕事ではないと。

僕とは見ている世界が違う。

この人は、社会福祉法人の理事長から直々に命を受けて、この新規事業に着手している。
退職した後、いわゆるあまくだりだ。
役所とのコネもある。退職金もがっぷりもらっている(オトノネに寄付してくれといったら今はこの仕事が楽しいからそれどころではないと言われる)

話を聞いていると、心が伝わらない。
「能力の高さ」をプレゼンしていたように僕は思う。

自分たちが生き残ることを考える。
極めて当然のことかもしれない。
戦乱の世の中、食うか、喰われるかだから。

心なんて、いらないののだろう。

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ナチスの党員の一人に、アドルフ・アイヒマンという人がいる。
いかにユダヤ人を強制収容所に送るかを計画し、合理的に、効率的に実行した人が、戦後の裁判で言った言葉。

「命令に従っただけだ」

心なんて、いらないのだろう。

心をもっていたら、殺されていただろう。

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同じ福祉という言葉を使う、全く別の心をもった人間が目の前にいて使っている言葉の響きを聞いて、僕は泣いた。

かつて福祉というものは、篤志家(とくしか)が財産を叩いて、だれからの援助もなく心を尽くしていくものだった。
それが日本では「西欧と比べられても遜色ないように」と補助金を使って誰でも行えるものになった。

海外に対して成果をアピールする福祉の定期テスト対策。

事業所は「へいへい、お金をもらえるなら、あなたのお役にたちますよ」といいさえすれば、福祉を始められる。
欧米諸国にたいしてのアピールができれば、国は目標を達成できる。

福祉の本質は「日本の福祉の成績を上げること」であり、評価するのは「欧米諸国」といったところか。

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「必要最低限の生活」という言葉がある。

日本国憲法 第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

努めるというのは、努力義務であって、やらなくても罰則はない。
福祉は、必要最低限の生活のためにあって、だから生活保護レベルの給与しか払わなくてもOKらしい。

生活は必要最低限にして、心は最大限、豊かにしようか。

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事業を維持するために。
資金がいる。
時代は変わる。
新しいサービスが必要になる。
「よりよく」するために。
もし雇用者に十分なお金を払っていたら?新しい事業ができない。
雇用者が働いている組織のために、組織が潰れないために、儲けなくてはいけない(理事長が外車にのっていても)。

そもそも雇用者は「薄給を承知で」働いている。
だから、何も問題はない。

考え方が違うだけ。

働くことの対価に不満があれば、仕事を変えればいいだけ。

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社会福祉法人には歴史がある。
理事長が自分のお金で作った法人は、利益を一人が独占できる(外車パターン)。
昔ながらの、みんなが寄付を出し合ってつった法人は、理事が毎年変わっていく。

結局、一人一人人間が違うように、組織もひとつひとつ違うということ。
僕はその組織に文句をいうことはできない。

ただ僕は福祉という言葉を二度と使いたくないとおもった。

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るろうに剣心という漫画がある。
「ある出来事」がきっかけで、悲しみの末に、「殺さず」を誓い、逆刃刀で戦う剣士の話。

キングダムという漫画がある。
「ある出来事」がきっかけで、悲しみの末に、「殺しまくる」を誓い、誓いの矛で戦う剣士の話。

どちらの漫画の主人公にも、仲間がいる。

ワンピースという漫画がある。
いわゆる「悪い」海賊もいるし、「いい」海賊もいる。
どちらの海賊団にも、仲間がいる。

いろんな「つながり方」がある。

どちらかが潰れ、どちらかが生き残る。
争い。

よりよく生きるために。

必要最低限の生活を、雇用者に強いよう。
それが、現在、日本で組織が生きるルールだということ。

経済格差で悩んでいる人は、その職を選んだのだから、仕方がない。
積極的に自己責任を負っているのだから。
しょうがない。

僕が他人の生活にあれこれ口を出すことではない。

多くの事業所の福祉は国の「定期テスト対策」に協力しているのであって、本来の福祉well-beingを目指してはいない。
教育も、福祉もこの点、似ているようにおもう。

ルールは簡単だ。
これが現実だ。

現実が、これだ。

では、ゲームを始めよう。

ーーーーー

僕が泣いたのは、どうしようもなくコミュニケーションができなかった心の断絶を感じたからだった。
今でも覚えている。大学生の時、重度知的障害者施設で実習をしたとき、僕は泣いた。

その時と似ている。

ゲームを始める前から、泣いている。

ーーーーー

僕には僕の心があって、心の使い方がある。
が、こんな不安定な心では、前頭前皮質は発達できやしない。

手に余る。
なんと弱々しい。

僕は自分の心に幻滅したのだった。
なんという傲慢な、なんという世間知らずな、なんという、愚かな。

困っている人がいると思っていた。
けど困っている人はいなかった。

喜劇として笑うしかない。

一人ごっこ遊びをしている、ドンキホーテ。
サンチョがいたからこそ彼の旅は側から見て笑える文学になったのだろうが。

泣いている場合ではない。
自分の無力さに癇癪を立てている場合ではない。
それじゃぁ子どものままではないか。

とりこぼした「発達の課題」に今更とりくんでいるおとのねさんでした。

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経営者が一人で出資してつくった社会福祉法人は、経営者の私物だ。
みんなが出資してつくった社会福祉法人は、みんなで理事をまわしていく。

これから民間が参入して、お金をもった老人は、高額だけど、そっちを選ぶ。
だから高額のサービスを提供する。

子どもは?

子どもにも高額なサービスを提供するか。
高岡市の大人が子どものために高額な福祉サービスを選ぶか。
選ぶしかなくなるのだ。
その近くにある保育所が市立で、役所は費用がかかるその保育所を潰したいから。
(地方公務員として雇うよりも、賃金を安くできるから)
市立が潰れたら、その地域には、新しくできる高額の保育所しかなくなる。

選べない。

なんと戦略的な。
その人物は役場ともコネクションがあるから、そこまでできる。
役所も私物化される。

けどそれが現実。
放課後児童クラブも高岡市は民間に補助金を出さない方針だが。
それも、コネで解決するという。

そうして「地域に選ばれる社会福祉法人」を目指すという。

事業が縮小したら、それだけ雇用者が(もちろん無償で)残業する時間が減る。
それでいいではないか。
経営者がもらう利益が減るだけで。

けど老朽化で建物を建て替えないといけなかったり、なんだかんだお金は必要だ。

もう頭がパニックになる。

善悪なんてこの世にはない。
ただみんな勝手に自分がしあわせになるために生きている。
伸るか反るか。
自分次第。

世の中のルールは変わらない。

僕はまだこのルールを使いこなしていない。
僕は僕ひとりのしあわせだけ考えたらいいんだろうか。
それってしあわせなんだろうか?

僕は目の前の人が苦しんでいるのが気になる。
目の前の子どもが大人の金切り声の中で暮らしているのが気になる。

塾業界もそうだ。
一斉授業。効率的な経営。
利益は経営者に。
事業拡大。
収益を上げる。
競争。

目の前の生徒は見えていない。
見えているのは、遠くにいる、まだ塾にきていない親。
目の前にいる生徒は見ていない。
そういう塾が、お金を儲ける。

学校もビジネスだ。
生徒を追い込み、囲い込み、契約し、利益(実績)を得る。
学校の場合は収益が上がるわけではない。
ただ学校の見栄がハレルだけだ。
それでどれだけの生徒が苦しんでいるかなど、見向きもしない。
「ここを選んできたんでしょ?だったら、やりなよ」
たしかにそうだ。

たしかに。
目の前の生徒は見えていない。
見えているのは、学校の名誉であって、生徒の人生ではない。
目の前にいる生徒は見ていない。

同じ世界にいるはずなのに、これだけ考えていることが違う人間がいる。
そんな当たり前のことを、僕は今、学んだのかもしれない。

こんなわけだから、好きなことをして、ヘラヘラと生きていければいいんじゃないかとおもう。
ポジティブに生きる、人工的に幸せをつくりだす能力が、生きる力かもしれない。

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サイコな人が経営している社会福祉法人は弱肉強食の原理で成り立っている。
組織の内部に対しても。

僕は強く、やさしくなりたいとおもった。
雇用者の限界を超えた仕事をふりわけて新しい事業に手を伸ばそうとしているサイコが強者になる世界。
僕はそんな世界で、強くなりたいとおもった。

ありのままでいて、自分が強くなる姿勢。
合気道でもそう。自分の姿勢がかわれば、強くなる。
僕も強くなろう。

ーーーー

僕が出会ったこの人のパーソナリティ特性は明らかに「この仕事」に向いていた。
仕事が楽しくてやめられない、という。

誰のための仕事をしているとか、そいういう倫理には興味がない。

ただ拡大することがおもしろいのだ。

こういう人はいる。

羨むことも、嘆くこともなく、ただ自分を強くしていくしか、ないのかもしれない。
風車に向かって行く姿がドンキホーテにならないためには。

僕は弱いから、まだ強い人と戦えないというだけだ。
僕は強くなれるだろうか?
大切なものを守るために?

僕が強くなるためには。
僕のパーソナリティ特性を極限まで突き詰めるしかない。

それは、不足した僕の一部を、誰かに助けてもらうことを意味するのだけれども。

「お金に困ったことがない」管理職が、薄給で長時間違法労働をしながら目の前の利用者に日々関わり合っている献身的な労働者によって支えられているように。
お金はあるが、福祉には興味がない経営者が社会福祉法人をつくり、巨大化していくように。

本性を出すことが、強く生きることになるんだろうとおもう。
僕はこの時代で、僕らしく生きるために、いろいろと、捨てることがたくさんあるようにおもう。

僕は僕の持っているものを出す。
それで、何か、もっとハッピーなことは起きないか??????

「私にはひとつ目的があります。それはもう一度金持ちになることです。私にはそれができる。金持ちの生活がどんなに素晴らしいかわかっていますからね。人生なんて、金がなければ生きる値打ちはありません……引退なんかしたくないですね。死ぬまで働きたいと思っています。いまはロシア語を勉強しているところです。ロシアの女性は世界一美しいし、生き生きしていますからね……いつかウクライナ出身の女性と結婚して、彼女に良い生活を見せてやりたいと思っています」一度は頑張って百万長者にのし上がり、それからすべてを失い、またもや何もかもはじめからやり直そうとしているこの人物。彼の楽天主義、断固たる決断力、そして捨て身の蛮勇ぶりには、感服せざるを得ない。何よりも、彼がそうしようというのは、必要に迫られているからではないのだ。ビルにとっては、チャレンジを引き受け、報酬を手に入れることが猛烈に楽しいのである。(『パーソナリティーを科学する』p.98)

マリアが他の人のためのさまざまな活動に道徳的満足を感じているのにくらべて、この人物が異常なほどの関心を寄せるのは、自分の個人的な成功である。「私には未来の自分んお姿を見ることがdけいる。そのとき、私は偉大な仕事を達成し、革命的な新しいアイデアを発見し、全世界の人々から畏敬の念を持って見られている。」そのような将来の展望が他の人々から利己的とみられることについて、彼ははっきりとこう述べる。「そんな批判は、頭の悪い人間どもが私の評価を落とそうとしているだけのことだ。自分より劣る人間たちのことになると、なぜいつもこの利他主義という考え方に屈服しなくてはならないのか。私が重視するのは、他のだれの利益でもない、つねに、疑いなく私の利益である……サバイバルとはそういうものではないのか」(略)「私は人を助けるのは好きではない」ー別の場面で彼は言うー「人道的な愛に駆り立てられて人類の病を救おうなどと、考えたこともない。」明らかにこの報告とマリアの道徳的満足についての報告は、調和性のスペクトルの対局にある。そして私たちの大半は両者の間のどこかに収まるのだ。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.178)

オトノネひろげるシェアぼたん

困っているけど声を出せないお母さんなう

孤独なお母さんという言葉から、僕が連想するのは、

家でお父さんから受けるストレスで頭がいっぱい。
仕事で会社から受けるストレスで頭がいっぱい。
将来への不安で頭がいっぱい。

そんなお母さん

家事に時間が取られる。
仕事に時間が取られる。

昔なら、仕事をしながら、いろんな話ができた。
今は仕事は仕事。

人が話をする時間が減ったとおもう。
DVを受けていたら、話どころではなくなってしまう。
(キングダムの登場人物セイの生い立ちはその状況を描いている)

お父さんはビジネスの原理を体得していたら、子育ての原理など「は?」となるだろう。無視。
一番近くにいる人が、一番遠い状態。

つらいことだとおもう。

子どもが社会化する大きな窓口である学校も閉鎖している。
学校は学校で身を固めている。
学校の先生も忙しい。

子どもが過ごす時間が長い学校の先生たちも「立場上」話を聞けないことがたくさんある。

ご近所さんに何か話したら変な噂が立つ。
怖い。

ママ友仲間は修羅場になりがちらしい(ライン炎上って何?)。

沈黙。

沈黙。

オトが聞こえない世界。
オトを出してはいけない世界。

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ようこそオトノネへ^^

オトノネひろげるシェアぼたん

不登校とは、学校を変えるとは、県外に逃げるとか海外に行くとは、「戦うか逃げるか」という選択なのか。

学校に行くかいかないか、というのは、塾に行くかいかないかと同じくらいのレベルだとおもう。
塾にいかないなら、家でやるといい。
家でできないなら、それは別の場所を探さなくてはいけないが。

肝心なのは、子どもが学校の環境で困難を感じているということであって、どんな声かけをするか。
どんな風に、その子の学びの機会を補償できるか。

強みを、強められるか。

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女性は男性よりもおたがいに強い友情を育て、一族の世話をする。心理学者のシェリー・てイラーは、すべての哺乳類において、脅威に対する「闘争もしくは逃走」反応は、実際にはオスだけに特有の反応だとさえ述べている。女性の場合、脅威に対する反応は「世話と友情」という方が適切であろう。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.194)

遺伝的にも、人格的にも不利な場所でも、環境の中で最適化をすることを選択する心がある。
遺伝的にも、人格的にも、不利な場所から抜け出しもっと有利な環境を目指す心もある。

それはひとりひとり違っている。
富山県はそもそも、選ぶための選択肢がないために、多くの人が「耐え忍ぶ」習慣をもっている。
動き出そうにも動き出せなくなるほど嫌味、悪口、脅しをかけられる感じ。

自称を含めた進学高校と同じだ。
学校全体にこういう傾向がある。

遺伝子が慣習として、文化として受け継がれ続けている。

女性にとっての脅威とは?
部落の女性の間のゴシップ、妬みやら恨みといったものだろうか。

わからない。
わからないのでとにかく逃げるということについて記事を書いてみる。

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環境が人間を作る。
もう遺伝子はもらっている。
残りは環境だ。

環境に合わせて、人間は「つくられる」。

環境の中で、環境との関わりで、子どもは学んでいく。
その環境の中で、よりよく「自分が」生き残る方法を学ぶ。

スラム街に生まれた子供は、それなりの生き方を覚える。
富山で生まれた子は富山で暮らすために最適化される。

でも、個性というものもある。
不登校、不適応は、「今の私はこの場所では最適化されません」というメッセージだ。
個性ある個人、尊重されるべき人間の叫びだ。

では、「最適化されません」と子供からメッセージをもらったら、どうするか?

ーーーー

不登校の原因は、富山という文化、日本という文化だけではない。
その文化で育ち暮らす大人がつくりだす環境がすべて子どもに影響する。

おとのねさんがブログで書きまくっているように、日本という組織は子育てにやさしくない。
正しく言えば、子ども環境は「昔から比べて」別の有様になっている。
引きこもりは、それまで生きて来た子どもが出した「適応」「最適化」の答えだ。

子供が出した答えに、大人がどう応えるか。

不登校は「よく答えをだしたね」といって、褒めてもいいことだ。
と僕は思う。


学びというチカラをつける、その子の進化の道をたどる個別化の道の一つが、逃げる、ということである。

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逃げる。

強くなること。
自分を信じること。
逃げたい心に向き合うこと。
「大丈夫だよ。君は強くなる」と励ませること。

ぐちゃぐちゃになっている頭を、リセットすること。

逃げたっていいんだよ。

もう少し文字を大きくしてみよう。

逃げてもいいんだよ。

逃げたっていいんだよ。

逃げてもいいんだけどねぇ。。。。

それができないのが「学習性無気力」だが。

ちなみにこんな記事もあります。
学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら

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ーーーーー

こういう話もある。
小学校でいじめにあった。
不登校になった。
中学校でもいじめにあった。
不登校になった。
高校でもいじめになった。
不登校になった。

そこで「環境を変えても、人はかわらない」ということは正しいように思える。
本当だろうか?

僕も人は環境で変わらないとおもう。
人が変わるというのは、そうとうのライフイベントだ。
そう簡単に変わらない笑

たとえば「他の子が自分の悪口を言っているようにおもう」という現象がある。
(これが不登校の理由の第一位のようにおもう最近)

なるほど。大人になっても、人の悪口は絶えない。
どこに行っても、環境を変えても?

保育の現場すらこうですから。

そう、環境は、選べないらしい。

結局、「環境を変えても、人はかわらない」ということは正しいように思える。
(人は変わらないが、人間関係のしやすさは変わる。おかげで僕は今、学校と保育園で働けています。ありがたいことです。)

同時に「同じ環境の中にいても、結局変わらない」ということも、正しいように思える。


学校をサバイバルするための力をいつ、どういうきっかけで得るか。

学べることがないなら、学び方がわからないなら、それを学べる環境をつくる、見つけることだ。

選ぶとは、

別に日本にいても「学びのインフラ」があればよい。
「学びの資源」を手に入れられない人は、海外にいってもいい。

「転校しても変わらない」
「県外に行っても変わらない」

本当だろうか?

いじめられていたとしよう。
悪質ないじめだとしよう。
「環境を変えても人は変わらない」だろうか。

環境が変われば、周りの人が変わる。
いじめは無くならないかもしれないが、いじめに立ち向かっていける力をくれる友達と出会えるかもしれない。
学びの資源との出会いが大切。

もう資源が枯渇して、無理!という人は、逃げたらいい。
そこにいたら、死んでしまわないだろうか。

学習性無気力で。

学ぶことは、強くなること。

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こんな話を最近聞いた。

就学以前、保育所に行っていた子が「行きたくない」といった。
どうしてか、理由を聞かず「いいよ」とお母さんは言った。
そうして保育所を変えた。

大きくなってから、子どもは告白した。
「お昼寝のとき、さみしくて泣いていたら、先生が黙って毛布を頭の上にどさって被せてきたのがこわかったの」

もしそのままその保育園にいたら、その子の心は、死んでしまっていたかもしれない。
逃げることが懸命なことは、多々ある。

逃げることが「負け」のように思う人がいるかもしれない。
逃げることが「楽」のように思う人がいるかもしれない。

その人は、逃げたことがないのだ。

逃げるには、コストがかかる。
逃げることは、ほとんど戦うことと同じだと僕は思う。

新しい保育所を探さなくちゃいけない。
送り迎えに時間がかかるかもしれない。
探すのに手間も時間もかかる。
新しく人間関係をつくることもしなくちゃ。

逃げることに後ろめたさを感じている人もいるかもしれない。

そういう呪いを、富山県の人は、たくさん受けてきた。
日本人が全般的にその傾向がある。

逃げることは、新しい環境に身を置かなくてはならないということ。
用意されたレールの上を歩けなくなるということ。

ただそれだけのことだ。

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ーーーー

不登校の子は?
そう、逃げたのだ。
超重要なスキルを使った。
無気力どころではない。
逃げる気満々だ!
道無き道で闘いが始まるのだ!

では次は。
どこに向かうか!!!

逃げるために、学ぼう。
開かれた選択肢の中でもがこう。
直感と向き合おう。
よろこびをみつけよう。

逃げながら、管理されたシステムの外に自分を守るシステムをつくりあげよう。
不登校は、体のサインだ。

大丈夫、君にはそれができるから、君は不登校になった。
それは君の意思ではなく、体からの、心からのメッセージだ。

逃げるために、チカラをつけよう。
逃げ切って、たどり着こう。

自分が背負うしかない人生で自分が責任をもって正しい選択をしていくこと。

彷徨い続けてもいい。
さまよう中で、強くなれるなら、と僕は思う。
強くなるために。

僕も逃げて来た。
日本では得られなかった能力、価値観、チカラを、海外を旅することで得ることができた。
(もちろん、きっかけは日本にあったりするが)

そしてチカラをつけた。
そうして生き残った。

選んで来た。

必要最低限、必要なチカラ。
それは自分を個別化し、積極的な責任を自分で負うことであり、自分がリッチになれることをよろこぶことだ。

忍耐?自分が豊かになれない場所で忍耐力を発揮して、どうなるだろう?
それが、価値観だ。
「やらなきゃいけないことはやらなきゃ・・・」その判断は普遍的な事実ではない。
個人的な能力の限界に応じて、つくられる、ただの行動様式だ。

どうして、富山に、ここにある、過去に縛られる必要があるだろう?
不登校は、そのきっかけになる。

人生は、きっかけで溢れている。
新しく開けた窓からどんな風景がみえるだろうか。


窓の外をみて、わくわくして、飛び出したくなった子どもに、お母さんは、どんな眼差しと、声を、かけるだろうか。

ーーーー

今まで作って来た環境、家、学校、地域、すべてを含めて、壊すこと。
思春期の課題に向き合う子どもたちの挑戦を、大人はどうやって応援できるだろうか?
富山人、日本人であることを超えて、お母さんは、子どもとどう向き合えるだろうか?

「いや、家、建てちゃったし。」

子どもが生きるために、家にお金をかけるか。教育にお金をかけるか。まだ家を建てていないのなら考え直した方がいいかもしれない。

というのが僕の考えだが。
それも文化だから。
自称進学校の《課題が多すぎる》伝統から何を学び取るか

大人も子どもも、伝統・歴史・文化を見つめ直して、新しく作り上げていったら、もっとハッピーになれるとおもうんだけど?

もちろん、僕自身の伝統・歴史・文化も、見つめながら。。。(自己批判)

オトノネも、もう少しきちんと明示してみようかとおもった。
「そのためには?」オトノネはもう少し答えをだしたらいいかなとおもった。

商売とは、商品とは、サービスとは、そういうものだとおもった
さて、何を売ろうかな。どんな夢を、見てもらおうかな。

オトノネは、「道」をつくるつもりはなかった。
けど、「道」があるから、歩く勇気を出せる人も、いるんだろうとおもった。

ーーーーー

日本というシステムから。

逃げられなかった人たちが、特にお父さんたちがいる。(富山の長男は大変だ)
お父さんから逃げられなかったお母さんたちが、いる。

(逃げグセがつく、という言葉を聞いたことがある。こうした呪いが日本のブラック経済を支えている。部活で、学校で、勉強で、企業で、保育園で、こういう言葉を使う人がたくさんいる)

その家に生まれた子どもが、いる。

「自分のようにはなってほしくない」
そうおもったら、手放すのも一つの選択肢。

もうその土壌は、その子が育つには、不足しているものが多すぎると。

たんぽぽが、タネを飛ばすのは、どうしてだろう。と考えてみてもいい。

たったそれだけのことなんだから、外にでてみたらいい。
今その子には、そのチカラがあるのだから。

少し休んだら。
旅にいっておいで。

旅にでながら、君の足が、君を支えてくれることに、君の心が、前に向かっていることに、気が付けるから。
君の顔が、まだ笑えることに、君の笑顔が、誰かをしあわせにすることに、気が付けるから。

——

SICT-SUSに「お話しませんか?」と問い合わせをしたところ、「お話しません」という返事が返ってきました。
倫理的に問題ある発言がでてきたので記事にはかけませんが。

泣きそう。

泣かないけど。

いろんな人がいるから。

いいんだよ。

ーーーー

教育環境

その子にとっての最良の環境を目指すことが、どうして不道徳であったり、責められることなのだろう?なぜ「我慢」が美徳なのだろう?パーソナリティ特性の違い(遺伝が半分)が環境に適していないことはよくある。「適応する」能力がないのも個性の一つだ。ではどうやって生きる?

「分をわきまえろ!」という士農工商の時代から、日本は「わきまえる」文化を背負っている。(アニメは、テクノロジーで進化した浄瑠璃のことだ。)それぞれの環境にとって最良の生物がいるとすれば、それぞれの生物にとっても最良の環境がある。

環境が変わる。遷移する。
不登校は不適応であり、環境からの離脱の宣言。
環境を変える。遷移させる。
不登校は適応であり、環境の積極的な選択の宣言。

お母さんにとっては「現代」を学び、子どもを見つめ直す、関わり直すきっかけ。
アフリカ大陸からベーリング海を渡っていった「環境不適応人間」のおかげで、私たち日本人がいるとおもえば、喜ばしいことではないだろうか。

「でも」というお母さんの声が聞こえる。

それは、デモという、批判者の抗議活動のことだ。
その心は大切にして大丈夫です。
行動だけ、変えたらいいんです。
環境だけ、変えたらいいんです。

心は、ふと自然に、突然、気がついたら、変わるものです。
心というものは、変えるものではないと、僕は思っています。
変わっていくものです。

心とは、そういう不思議なものなのです。

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✳︎どうして僕は日本にいるのか。
これはただの解釈だけど。
日本に生まれたものとして、日本のことは知っておきたい。
日本で泣くとはどういうことか。
日本で笑うとはどういうことか。
日本人のことを、知りたいとおもったから。

日本人らしくはなれないかもしれないけど。
僕は変わらないかもしれないけど。
学べることはたくさんある。
その中で、強くもなれるとおもっている。

今までずっと日本に「負けて」きたから、少し強くなったか、試しているのかもしれない。

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悩むコスト

悩んで、選び抜いて、選び抜くだけの時間と労力の対価があるのか。
僕にはわからない。
『自由からの逃走』という書物を書いた哲学者がいる。
「人間は自由の刑に処せられている」とのたまうこの思想家は、ずばり現代人が選択肢の多さに滅入って自由の名の下に抑圧されている様子を書いたのだった。

罰ゲームのように自由に振り回されずに、人生をよる自由に生きるには?
無限の選択肢の中から「わたし」にあったものを選んでいく。
次第に自分がわかってくれば、選択のために悩む必要はなくなる。
次の一歩を踏み出すだけで、風景は少しずつ変わっていくのだ。
今ここにとどまるより、「どれか」を選んで進み出すことの方が、人間的で、自由で、わくわくすることだと僕は思う。

離婚、中退、退社。
将来の不安(無限に広がる不安なまでの自由)が人を臆病にすることがある。
それもまた人のパーソナリティー。
それぞれの生き方にあった、生きる戦略をひとりひとりが身につけて、強く生きよう。

そしてあるとき、人生のとあるライフステージで、大きな選択をしなくなったとき、人の脳みそはしあわせを感じるのかもしれない。ひとりひとりのしあわせは違う。

一体誰が、曲がりくねった道で起きるひとつひとつの出会いを予測できるだろう?
一体誰が、出会った人たちから出てくる一生心にとどまる言葉を予測できるだろう?
一体誰が、ある日、ある夜にふと空を眺めてみつけた月に感動することを予測できるだろう?

悩みっぱなしでもいい。
悩み疲れたら、オトノネにあそびにおいで。

子どもをなんとかしたい一心で、常に悩み、選択しているお母さんは疲れていて、多分子どもの本当の姿が見えていないかもしれない。休むという選択も、とても自然で、大切なことだとおもう。毎日「いいこと」を意識的に繰り返すことで、それが自然になって、「しあわせ」がやってくるかもしれない。

心から、子どものためをおもって、子どものためにならないことをしていることがある。
子どもはそれでもたくましく成長するが。
こらえきれなくてまた富山県の長男(報道はされていないが長男でしょう)が一人、思春期を乗り越えられなかった。
たくましく、健康に育ってほしいとおもう。

思い出し、再現していく能力。
「あのとき、しあわせを感じたのは、なぜなんだろう。どうしたらそういう状況を作り出せるだろう」

面談の際、「この人の助けがあれば、この子は変われるかもしれない」という希望をもててもらえたら、うれしくおもいます。

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オトノネが公的機関でないからいいところ

DVの現場に子どもがいる場合、それは面前DVといい、児童虐待として発見者が児童相談所に通達することになっている。DVされているお母さんがよくても、その子がそれでいいのかどうか。法律の答えは、NOだ。

もし法律がなくても、オトノネはNOという。
DVのような大げさなものでなかったとしても。
それが、子どもにとってどんな影響を与えているのかをしっかりと観察し、感じてもらって、しあわせが育つことを祈り続ける。

機関どうしての「なわばり」など子どもには関係ない。
大人の都合で子どもが困りすぎだ。

公的機関になると、業務が細分化され、「これはうちのいうことじゃないから」といって、かゆいところに手が届かない、大事なことを言えない、気が付いていても、話せないことがたくさんある。

学校の先生は学校の先生の領分で話す。
おかげで、本当にその子にとって大切なことを、言うことができない(先生だって学校の呪縛にかけられた犠牲者かもしれない)。

ただ何者にも縛られずに、その子の成長を祈る一人の大人がいる場所。それがオトノネです。

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価値ある仕事

とある心ある放課後児童クラブのスタッフの人。

「働いてくれる人が少なくて、いつでも人手不足です。近くのイオンの時給が高いので

生徒が授業中に手遊びをしていてかんしゃくをおこして、机を蹴り飛ばして生徒を身体的に傷つけて、「親にはいうな」と口止めをして、子供が親に報告して問題になって「定年間近だから、教育委員会には言わないでくれ」と懇願した先生たちがいる。

もちろん、その先生は高給取りだ。
この後に及んで退職金、天下り先まで持って行こうとしている。
(そういう事件が起きた学校の管理職の先生にも影響が及ぶから必死だ)

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お金は付いてくる、と誰かが言った。
まだ、僕にはついてこない。

その仕組みを知りたいと、僕はおもった。

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