【お母さんもお父さんも必読】『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』

ライフシフト

『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』

今までと時代が違いすぎているけど、今若い人たちが「あー」とか「うー」とか言っていることは、時代を敏感に感じているからだと思えた。
急いで仕事を始める、ずっと仕事を続ける時代ではないと。
昔のままに生きていたら?

・・・

おとのねさんの生き方は完全に、いやぁもう立派に100年時代のスタイルらしい笑

あそび経験という無形資産

人間がロボットや人工知能と違うのは、イノベーション精神と創造性があり、遊んだり、即興で行動したりできることだ。(略)前章で論じたジミーとジェーンのシナリオにも、それが見て取れる。ジミーのポートフォリオ型のシナリオの特筆すべき点は、自分が心底楽しめる活動へ移行することで高揚感を味わえることだ。やりがいを感じられる活動をたくさん実践できるのだ。ジェーンの場合は、若い時にアルゼンチンとチリを旅して青空市場を散策したり、ビジネスパートナーと一緒に本当にやりたい事業に挑戦したりする。その後、45歳のときに短い移行期間を経験して、子どもや両親と過ごす時間を取り戻し、70歳を過ぎてから若々しさと円熟を組み合わせ自分が興味を抱けるアイデアと活動で構成するポートフォリオを組み立てる。これらの時期に、ジミーとジェーンは遊びと即興を実践する。フルタイムの仕事における休みなき労働という足かせから解き放たれて、精神を自由に羽ばたかせるのだ。遊びとは、なにをするかではなく、どのように行動するかに関わる概念だ。例えば、人類学者たちの魅力的な表現を借りれば「はしゃいで跳ね回る」ことにも時間を費やす。「一見すると無意味なことにこだわったり、行動に無駄に思える装飾を加えたりする」のである。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.227)

選択肢を狭める決断は、先送りする。

長寿というお贈り物を手にする世代は、もっと選択肢が多く、もっと多様な人生を送ることができ、もっと多くの選択をする必要がある。そのため、正しい道を選び取るために時間を費やすことの重要性が高まる。未来を見据えて、自分の関心と情熱に沿った教育を受けること。自分の価値観ん胃適合し、やりがいを感じられ、自分のスキルと関心を反映していて、しかも袋路地にはまり込まないような仕事を見つけること。自分の価値観を尊重してくれ、スキルと知識を伸ばせる環境がある就職先を探すこと。長く一緒に過ごせて相性のいいパートナーを見つけること。一緒に仕事ができて、自分のスキルおよび働き方との相性が良く、できれば自分を補完してくれるビジネスパートナーと出会うこと。具体的には、こうしたことが必要になる。長く生きる時代には、自分と相性のいいものを見出す資質がきわめて重要になる。長寿化に伴い、それによって影響を受ける期間が長くなることに加えて、アンソニー・ギデンズのいう「ポスト伝統社会」である今日、相性のいいものと巡り合うための仕組みの多くが弱体化しているからだ。私たちが行う選択は良い結果を生むこともあれば、悪い結果を生むこともあるが、人生が長くなると、悪い選択や判断ミスの弊害が大きくなる。だから、100年生きるジェーンが選択肢の探索に多くの時間を割くのは当然のことだ。長寿化時代には、ライフスタイルにせよ、キャリアにせよ、結婚相手にせよ、自分にあったものをみつけることがとりわけ大きな意味を持つ。自分と相性の悪いものを選択したり、早い段階で不適切な道に針路を定めたりした場合に失うものは多い。「あわてて決断、ゆっくり後悔」ということわざは、100年ライフにはひときわ重要な金言なのだ。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.236)

実験と選択

チャンスに気づいた人は、実験と再度プロジェクトを通じて、自分がもっている選択肢について理解を深めていく。その家庭で人的ネットワークの中身が変わるケースも多い。最後に待っているのは、確認の段階だ。進むべき道をもっと絞り込み、未来に向けてさらに多くの計画を立てる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.258)

一斉行進から脱落すれば、踏み殺されかねない

教育への投資

時間の構成だけでなく、時間の使い方、とくに余暇時間の使い方も変わる。100年ライフでは、家族と友人、スキルと知識、健康と活力などの無形の資産を充実させることの重要性が高まり、そのための投資が必要になる。家族や友人と過ごす時間、教育とスキルの再取得にかける時間、エクササイズをする時間に投資しなくてはならない。長い人生の生きる人には、これらの資産への投資、とりわけ教育への投資が不可欠だ。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.310)

計画と実践

100年以上にわたって生産的に生きる人生を設計する上では、計画と実験が重要になる。長い人生で経験する多くの変化によって金銭的資産と無形の資産を破壊されないためには、計画して準備することが欠かせないし、ありうる自己像について検討するためには、実験を行う必要がある。計画と実験は、人生に目的と個性を生み出し、アイデンティティを形作る心理的連結性をもたらすものだ。計画と準備の重要性が増すのは、個人の選択の幅が広がるからだ。一貫性をもたせなくてはならない人生のステージの数が増え、悲惨な結果につながりかねない選択をしてしまう機会も増える。しかも、万人向けのロールモデルを模倣することも難しくなる。100年ライフの計画をたてるためには、自分がなにをしたいのか、どのようにそれを達成したいのかという重要な決断をしなくてはならない。問題は、正しい決断ができる場合ばかりではないことだ。行動経済学者のダニエル・カーネマンが指摘するように、私たちはおうおうにして誤った楽観主義に流される。私たちが適切な準備や行動をしないのは、それがもたらす結果を恐れるからではなく、未来について愚かなほど楽観的な考えをもっているからなのだ。(略)実験が重要な理由もここにある。昔のように特定のロールモデルに従っていればいい時代ではなくなり、ありうる自己像の選択肢が大きく広がる時代には、実験を通じて、何が自分にとってうまく行くのか、自分がなにを楽しく感じ、なにに価値をみいだすのか、なにが自分という人間と共鳴するのかを知る必要があるからだ。実験は、若者だけのものではない。それは、あらゆる年連想の人にとってきわめて大きな意味をもつ。私たちを次の地点に導き、どのおうに意向を成し遂げればいいかを明らかにするのは、実験なのだ。実験と探求は、一人の人間の人生を貫く要素の一部をなすものである。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.360)

辛抱して続けることがいいか、別の道を探した方がいいか、という話は『残酷すぎる成功法則』の本にも書いてあった通り。
その選択に責任をもてる人間になることが大切。

無形資産を、有形(お金)に、どこかで変えなくちゃ、オトノネさん本当にやばいということがわかりました!

マシュマロ実験

自己主体感に関して難しいのは、寿命が長くなれば、考慮しなくてはならない未来の自己像が何通りも出現することだ。100年ライフでは、お金を使うことより貯めることが重要になるし、余暇時間をレクイエーション(娯楽)から自己のリ・クリエーション(再創造)に振り向ける必要性も高まる。家庭内での役割と互いの関わり方について、パートナーと難しい会話をする能力と意思も強化しなくてはならない。ここで問われるのは、未来に得られるかもしれない恩恵のために、いま厳しい決断ができるかどうかだ。(略)研究によれば、セルフコントロールの能力は人によって異なり、その違いは幼い時から現れる。例えば、3歳の子供に、いまマシュマロを食べるのを我慢すれば、30分後にもう一個マシュマロを上げようというと、満足を味わうのを先延ばしにしてセルフ・コントロールができる子どもと、それができない子どもがいる。ものごとに習熟するためには、満足を先延ばしできるかどうかが重要だ。なんらかのスキルを習得しようと思えば、長期の恩恵(たとえば、イタリア語を話せるようになること)のために、目先の快楽(例えば、お気に入りの連続ドラマを見ること)を我慢しなくてはならない場合が多いからだ。研究により、セルフ・コントロールは後天的に身につけられることがわかっている。ものごとに習熟するために快楽を先延ばしにする能力は、学習できるのだ。スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックによれば、厳しい課題に向き合い、なにかに習熟したり、プロジェクトをやり遂げたりする能力をどの程度持っているかは、人によって異なる。ドゥエックの言う「成長思考」の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て生き、未来につながる道に思考を集中させようとすることにより、将来の計画を貫くことができる。そうした人たちは、「現在の暴虐」ーいつもすぐに手に入る果実ばかりを追い求めたり、手ごわい課題を与えられると動揺したりすることーをあまり経験しない。こうした思考習慣を身につけるためには、方法論を学ぶことが有効だと、ドゥエックは主張する。不可能とは言わないまでも困難な課題に取り組むように指導・奨励された子どもは、成長思考をはぐくみやすいというのだ。もしドゥエックに助言を求めれば、長い人生を通じて生産的でありたいと思う人は、困難な学習目標を立てて、強い覚悟を持ち、目標に向けて脱線せずに忍耐強く努力し続けるよう言われるだろう。100年ライフでは、人々に自己効力感と自己主体感をもたせ、計画と実験と習熟を後押しすることの重要性が高まる。教育機関と政府は、そのために貢献することができる。(『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』p.362)

誰かに評価されるのではない、死ぬ前に、自分が振り返ってみる、自分の人生。

教育をイイ学校で「受ける」「与えられる」よりも大切なことを、学んでいってほしいとおもう。

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「老後」で30年生きる時代。『ライフシフト』を読んで。

life shift
『ライフシフト-100年時代の人生戦略-』
この本が世界中で読まれていること自体、もう100年時代がきていることを告げている。

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100年生きることが普通の時代。
今までの福祉制度ではやっていけないのは確か。
そのための準備ができていない日本。
今までの仕組み(既得利権)を手放したくない政治家に任せてたら、本当にやばい。
どう考えても電車に乗る人なら気がつく、(あ、だから富山人は気がつかない?)外国人労働者が増え続けていること。
日本人って何?って感じ。

とっとと「子どもの子どもは国外へ」という戦略を立てるお母さんすらいるとおもう。
いやもう今の子どもたちはすでに100歳生きる、とおもっていい。
日本では、2007年生まれの半数の子どもが107歳になると、この本には書いてある。

そんな長い時間を生きるという、人類初めての「課題」に、どう応えるか。

そんなことを、この本の1ページ目を見ておもった。

100年人が生きる。
年金?は?
退職?は?

/wa/ではない、/h?a/である。

老後、会社から出て、死ぬまで、気楽に過ごす、退職金をつかってのんびりと。。。30年間。。。。

そりゃボケるわ!

年老いてからの生活、車を使って大丈夫なのか?

そりゃ事故増えるわ!

そうなったら、新しいビジネスが生まれるだろう。
新しい社会ができるだろう。

レクリエーション、ゲートボールをして楽しむ、消費するのではなく、
リ・クリエーション、新しい価値を生み出すステージを楽しんでほしい。
60年、70年生きた人だけにできることが、あるはずだ。


会社を離れて、消費を離れて、生産する側として、自立した個人として、社会人として、どうやって生きていこう。

今のお父さんお母さんの世代にもいえること、なおさら、お子さんの時代なら。。。。

今、大学に入る子どもに借金を負わせていいのか。
今、家を買って借金を背負っていいのか。(富山人は妙な意地があるらしいが。土地と家に、背負う価値があるか、僕にはわからない。借りても高いけどさ。。。高岡、高い!)
今、車を新しくしてウハウハしていいのか。
戦争に備えて、子どもの「生きるチカラ」を育てるのもいいとおもう。

というか次の選挙で政権交代する前提で話しましょう。
じゃないと本当に、不安だらけで何も、進まない笑!

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子どもが大きくなって、巣立った後の、自分の新しい生き方があるとおもったら、お母さんは、なんども生まれ変わる、超人のように、僕にはおもえてしまう。

お母さん自身の、新しいステージのために、お金の使い方を、今から考えておくのも、よいのでは????

と、おとのねさんは、おもうのです。

お母さんの宿題、たくさんありますね笑

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人間がつくったテクノロジー(理系)が生み出したもろもろの「現象」に、まだ倫理も、価値観も、制度も、文化も(これら全て文系)追いついていません。日本では、大学の文系の研究室に予算がおりにくくなり、大合併がなされています。本当に、やばい。

政治はテクノロジーの責任をどうとる?
金だけとる?笑

医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

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この本の結論は、経験が積み重なる中で新しくなっていく「ポートフォリオ」「自己像」を描き続け、数値化されない無形の資産(健康・知識・経験・能力・人間関係)に投資し、スキルを磨き続け、「自分」を能動主体的積極的に「環境」の中で生かしていくことである。

新しい時代の価値を最大限、高め、古い時代の組織で振るうことで、「お金」を手に入れる。
古い時代の組織の中でも、新しい時代の価値を必要としている場所を選び、選び抜き、そこに行く。

「終身雇用」という不文法は、存在しないと考えていい。
自己犠牲的な「骨を埋める覚悟で」という会社には行かなくていい。
だって、それは、毒親と同じ、毒会社。
自立や成長の限界を決めてくる組織を選ばなければいい。
親は選べないが、会社は選べる。

職業選択の自由がある。

こうした戦略を、この本は僕に教えてくれた。

おとのねさんは、80才になったとき、誰と一緒に、笑っているだろうか。
「長寿」が「恐怖」になるか、「しあわせ」になるか。

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あ、ちなみに、スーパーサラリーマン山田さんの「会社人」でなく「社会人」に!という話は、この本では「レクイエーション余暇活動」でなく「リ・クリエーション再創造」を!という言葉に変わっていますが、同じことを言っていました。山田さん、最先端いってますね・・・

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教育の定義を考える【適応能力・選択能力・決断能力】

教育の目的は
成人をした時に、適応障害を作らないということ

であると定義してみよう。

あらゆる状況に「適応する」チカラ。
これはメタスキルだ。

適応するとは、本人が「生きていく」「持続的に代謝していく」ということ。

だとしてみよう。

「誰かに守ってもらう」ことで適応してもいい。
「好きなことを、伸びることを伸ばし続けて、特殊能力をもった人になる」ことで適応してもいい。
「にこにこしながら隅っこでじっとしている」ことで適応してもいい。
「なにをしてもへこたれない」ことで適応してもいい。

適応の仕方を、学んでいく。
「その子が」適応する、「その子の」適応の仕方を学んでいく。
それが教育だと。

定義してみよう。

これはキャリア教育であり、自分を生かす自己肯定の敎育でもある。

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思春期以降に学ぶことは。
(もっと行ったら、8歳以降は)

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、
生得的な、もしくは8歳までに作られたチャンネルに合わせて、取り入れる世界を内的世界の仕組みに合わせてカスタマイズする方法を学ぶことである。

凹凸ある、非定型な、個別的な、ユニークな、特殊な、ひとりひとり違う、生得的な、もしくは8歳までに作られた認知特性に合わせて学ぶ。働く。
それは、どのようにして学べるか?

「知識」は「お金」と一緒で、それ自体が目的になってしまえば、人生を壊すことになってしまう。気がする。

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世界と関わる意欲がなければ、何も起きない。

心をみとめて、心の動き(意欲)を大切にしなければ、アウシュビッツ行きになってしまわないか、心配している。
心を認めてくれる人に出会えない学校なら、やめたほうがいい。
そこは、監獄だ。

関わる世界が、そのままその子に受容されるわけではない。
しかし、世界は確実に、何かしらの形で、受容されていく。心のシステムに、影響を与えていく。
さまざまな適応能力をつけるため、自己理解をするために学校があるのであって、学校が「適応対象」として適切かどうか。

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意欲が出るために、ゲームをする人がいる。
ゲームの世界で課金をしたり。
ゲームに時間を費やして、そこで生まれる成果で意欲を出す人がいる。

そういう世界も、ある。
そういう世界に、入り込む入り口が、いろんなところに開いている。

「世界の見方」はこどもひとりひとり違う。
「世界の見せ方」を、大人は考えているだろうか。
どんな世界を「見せる」か、大人は、考えているだろうか。

考える必要もないくらい、大人が、ちゃんと自分の世界を作っていたらいいのかもしれない。

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子供の見ている世界を、大人が教えてもらうのに、子供が自分の見ている世界を表現できるような、非言語、言語能力が一番大切なようにおもう。
それは、大人の方が、受け取れなかったら、いけないのだけれど。。。

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