(自称)進学校の子どもが危ないというデータ?

【放課後ディサービス・自立支援センター】ひこうき雲・はなれ雲訪問

にも書いたけれど。
学歴が幸福で満足な人生を約束するのではない。
間違った「学歴対策」をすることで、大切な関わり合いができないことで、失われる人間らしさがある。

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アメリカのリバーデールという富裕層が通う学校で教師から「ヘリコプター・ペアレンツ」という親がいる。(『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』p.135)

つねに上空をうろつき、何かあれば助け出す準備は万全ーしかし、だからといって気持ちの上で子どもの結びつきを築こうとか、一緒に時間を過ごそうとしているわけではない。

そういう親が、裕福な家には多いという。

—-

この後に書かれているデータには、富裕層の子どもたちは、貧困層の子どもたちにも劣らぬほど、不健全、不健康な精神状態に陥っていることが書かれていた。

子どもたちの悩みは「成果をあげることへの過大なプレッシャーと、精神、感情の両面における孤立」だった。

という。

ーーーーー

この記述を見れば見るほど、自称進学高校の現状そのものじゃないか?
このデータはアメリカのものだ。
アメリカの富裕層の親が与える子供へのストレスだ。

で、

親を教師に読み替えると。。。

同じデータが、日本では、富裕層ではなく、(自称含む)進学校の生徒にも言えるのではないか。
日本の場合は、
学校の先生が与える子供へのストレスだ。
親も学校と同じポジションにいたら、子供は・・大丈夫かな。

この困難を、なんなく乗り越えて、先に進もうぜ!
そのプロセスで、強くなれる。
【自然な子育て】とは何かー学者たちの出した簡単な答えー

オトノネひろげるシェアぼたん

「子どもの子ども」のためにお母さんにできる大切なこと

子育ては、社会をつくること。
お母さん一人でしているのではないですね。

「子どもの子ども」のためにお母さんにできる大切なことは、お母さんが社会に働きかける、社会をつくっていくことです。

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ひとつめ。

お母さんが笑っていると、子どももしあわせになるんです。

お母さんが「お母さん」という役割を超えて、「◯◯さん」として充実した生活を送ることはもちろんです。

「あ、こうしたら、しあわせになるんだな」という作法を、子供はお母さんからたくさん学びます。
お母さんがしあわせになることが、子どものしあわせになるチカラを伸ばします。

お母さんの今の暮らしを豊かにすること。
これがひとつめです。

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ふたつめ。

ふたつめは、お子さんの将来の暮らしを豊かにする「しくみ」をつくることです。
「お母さんが」!です!
子どもが!何かするではありません。

さぁ、どうしたらいいのでしょうか・・・

お母さんが不安を感じてしまう社会の「しくみ」を変えることでうs。

不安な世の中、「この子をどう育てたら、しあわせになれるんだろう?」と悩んでしまうかもしれません。
学歴社会?貧困?この子は勝ち組に・・・?

繰り返してしまいますが、高学歴の人でも、引きこもりになることがあります。
不安の中で暮らしている子どもは、しあわせになるチカラを発揮できないことが多いのです。

お母さんは、どんな世の中になってほしいですか?

「正規雇用が少なくなった、外国人労働者が入ってきた、子どもは仕事をちゃんとできるだろうか」
そういうしくみをつくっている政治を変えるチカラがおかあさんにはあります。

「もしうちの子の時代に戦争が起こったら?」と考えてもいいでしょう。

「いやいや、政治なんて・・・」とおもっていませんか。

有権者として、政権を変える努力ができます。
別の政党になっても同じ・・・かもしれません。
ただ、今の「不安な世の中」にブレーキはかけられます。
また最近、希望に満ち溢れた言動をしている政党もでてきました。

子どもの子どもを「安心できる」社会に送り出したいという気持ちを、祈りを込めて、投票に行くことは、子育ての一部です。
「安心できる」社会をつくるプロセスに参加することは、子育ての一部です。

絶望しないための貧困学: ルポ 自己責任と向き合う支援の現場
画像をクリックすると、amazonという通販サイトに行き、関連する図書のリストが見られます。

責任とは何か。
「貧困になったのは、その人の自己責任」か。
「学校についていけなくなった」のは、その子の自己責任か。

いえいえ。
学力、経済の格差が生まれる「システム」になっているのです。
「システム」を変えれば、ずっと、よくなる、よくならなくても、最悪の事態は免れるでしょう。

だって現政権はこれから戦争しようとしているんだから。。。
だって現政権は、お金をオリンピックにつかって「国際的な評判」を高めようとしているのですから。

貧困はどの国でもある。
埋まらない格差がある。
ではどう生きればいいのだろう?
とりあえず一票!で簡単に変えられるのだから、一票入れたらいいでしょう。
簡単じゃないですか?

責任についておとのねさんが考察した記事はこちらからまとめてみられます。

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選挙に関心がなかった僕が、はっ!とさせられたのは、安冨さんが出馬したこと!
安富歩『生きるための経済学』シジョウとイチバ

ある保育園の美術の時間と保育×美術×コーヒー

『誰が星の王子様を殺したか』というモラルハラスメントの本も書いている。おもしろかったですよ。星の王子様の、悲しい物語が、とても現実味を帯びて、さらに悲しく感じられるようになりました。

安冨さんがれいわ新撰組に入った後に書いた記事がこちら。
「組織」としてダメだから政治はダメだと思っていたところで、政党という「組織」を解体して選挙に挑んだ山本太郎。
その本意を汲み取って、文章化した安冨さん。

内側から見た「れいわ新選組」

「こどもを守り未来を開く」と訴えて参院選を戦ったれいわ新選組比例候補は、近現代史に精通し、社会生態学者でもある経済学・経済史の専門家!岩上安身による東京大学東洋文化研究所 安冨歩教授インタビュー 2019.8.9

社会の現状、見えない貧困と、「いい会社」一人勝ちになる格差社会を「よし!」とするのが今の政治です。
塾業界、学校はこれをさらに加速させています。
受験戦争、「定期テスト対策」をさせることは、貧困を生み出すシステムを強化することになります。
塾に通わせること自体、この貧困システムを強くしていることになります(さらに競争を激化させるコマーシャルをするわけですから)

貧困は拡大します。
そんな社会から子どもを救うために、大人は今、「課題」をしなくちゃいけないとおとのねさんは考えています。

犯罪、競争、さまざまな不安を作り出している今の政治を変えるのが、「子どもの子ども」を守る今の大人がしなくてはいけない、親としての責任だと僕は思っています。

【そろそろみんな怒ろうや!】
このデータがどこからきているかわかりませんが、彼の言うことなので、まぁ正しいのではないかと、おもってしまいます。

自民党すげえ金額企業から献金もらってる!!
お母さんが思い描く「いい会社」はこういうところですか。

「救いようのない世界それでも救いたい人がいる」
crisis 公安機動捜査隊特捜班

随所にちりばめられた問題提起に感動
こちらのドラマで、とある「犯罪者」が語る「貧困者」の姿は、お母さん自身、お子さん自身かもしれません。

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今話題のキングダムで、武将の誰かが騙されて、「全て」を失う瞬間があった。たしか、えっと、「離眼」の話だ。
その時、騙された、殺される運命にある武将(王?)が、殺戮者にこう申し出た。
「女子供には手を出すな」みたいなセリフだった。

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現状、隠された貧困やらなんやらのデータはこちらのフェイスブックページで収集できます。
子どもを守るために、お母さんがやらなくてはいけないことが、あります。
山本太郎「れいわ新選組」を応援する会

オトノネひろげるシェアぼたん

学歴って本当に役に立つの?なんで勉強するの?

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ビスタワークス研究所という会社が「高知やばいなー。社員、やばいな、教育しないと」ということで立ち上げた
示道塾なるものが、ある。

あの、教育の人件費に税金を47都道府県で一番使っている、教育熱心な高知県の会社!

ビスタワークス研究所に共鳴した人たちがつくった「示道塾」は富山にもある。

一般社団法人 百年示道塾とやま

で、ビスタワークス研究所のHPをみてみたら、おもしろい記事をみつけた。
つまるところ今「いい会社」が求めているのは、主体性、コミュニケーション能力、、実行力ということだ。
それをどう、採用面接時に計るのかは気になるが。

「学歴」ではなく「人」をみているのだろう。
非認知能力で、みられている。

ビスタワークスのHPから見習いたいものがある。
こういうレイアウト
で、みてほしい画像はこれです。


教育が「目指す」ものは、指示待ち、挑戦しない(受け身な)70%を作り出すことか。

お母さんは、どういう子を育てたいのですか?
「せめて大学までは・・・」いやいや、それは、教育ではないですよね。お金があれば、行ける大学は山ほどあります。

せめて「ふつう」の成績を・・・というお母さん、いますよね。。。
いやいや、会社いったら、「ふつう」は「向上心がない」の代名詞だと僕はおもいますがいかがでしょうか。

企業が、会社が、きちんと自分たちがどういう人材を求めているのか、学校ではなく、保護者に伝えるようになったらいいとおもおうんだけどな。

ちなみに、別に全員に主体性、コミュニケーション能力、、実行力が必要だとはおもいません。
ただただ淡々と、作業を丁寧にこなす人もいるからできることがある。

「さぶ」という小説があるので、読んでみるといいかもしれない。
さぶ

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第四回:求める人財はいない 人が輝く日本流経営〜経営品質の視点から〜[文:大原 光秦]

2011年に発表された経団連による統計「産業界の求める人材像と大学教育への期待」
とみてみると、たしかに、、、

このアンケートの対象である富山県、石川県の企業は以下のページより。
富山県経営者協会
石川県経営者協会

第一回:即戦力からポテンシャルへ 全国公立学校教頭会学校運営誌『夢を語ろう』寄稿[文:大原 光秦]

オトノネひろげるシェアぼたん

踊る小学英語

水泳、そろばん、塾、英語教室、公文。毎日分刻みで習い事に勤しむ小学生。
いつもは元気な先生とワイワイやっている小学英語の授業だが、今日は僕がピンチヒッター。
静かぁに話をしていると、白目を向いて気絶したかのように、眠った。
疲れてるんだね!気を張っているんだね!睡眠学習がいいとおもう!

小学英語が導入されて、子どもの心がよけい擦り切れていませんか?

オトノネひろげるシェアぼたん

日本が子どもに戦争を続けさせるのは、教育産業で特需景気になるから。

人工知能「東ロボくん」、センター試験模試で「偏差値57.8」 数学と世界史は偏差値60超え

こっちは進研模試
HOME> 教育> 教育動向> 教育ニュース ICT 全対象 2016/08/24 人工知能に勝つには「読解力テスト」から!?

こういうものを見ると、アニメ『サイコパス』のシビラシステムの世界が、各個人を一人一人テストし、その診断結果で職業を決めるのを思い出す。
それが、合理的な、世界になる。

外国人労働者が入り始めた。
もう教科書が読めなくても、言われたことだけできたらいい人材がいたらいいということでこうなった。

いいんだけどさ。

人間の価値って何?

なんで勉強しなくちゃいけないの?

そう、教育産業にお金を流すために、君は勉強をさせられている。

そういって、生きていく人も、たくさんいるだろう。

国の方針は、決まった。

オトノネは、そうするか。

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AI、テクノロジーは人間に問いかける。
「僕を、どう使うんだい?僕をつくって、何に気がついたんだい?」

心次第。

オトノネひろげるシェアぼたん

勉強する意味・何故勉強する・勉強する理由・どうして勉強しなくちゃいけないの?

テキストとは、本来、「問いかけるもの」である。
教科書とは、テキストブックである。

けれども日本は「再現させる内容」を一方的に「喋る」ものだ。

だから、「なんで勉強しなくちゃいけないの?」という問いかけは、「なんで一方的なおしゃべりをずっときいていなくちゃいけないの?」という問いだとおもっていい、と僕はおもっている。

ーーーーー

残念ながら、富山県、石川県の高校で「一方的なおしゃべりを聞く」以外の授業は受けられないと、僕はおもっている。

大人のつくった「しくみ」に君たちがどう答えるか、大人はそれにどう答えるか。

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学校で学ぶべき(「べき」という言葉を強く使いたい)ことは、メタスキル である。
一人一人の生きている世界が違う、価値観が違う、そんな世界で生きて行くことを学ぶためのスキル。
それがメタスキル だ。
メタスキル は学ぶために必要なスキルだ。

もしくは学んだことを使うスキルだ。

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学校で学んだメタスキルを使う、自分たちのフィールドが、どこか。
それがわからないまま、なんとなく、大学に流れてただただ、ベルトコンベアの終着地点でまた次の工場に向けて集荷されていく高校生がいる。

学んだメタスキル を生かす場所が、時間が、子どもたちの近くにあるか。
子供達は、定期テスト、外部模試以外で、自分の得たスキル、メタスキル を試す場所があるか。

「なんで一方的なおしゃべりをずっときいていなくちゃいけないの?」とう問いが起きる理由であると思う。
高校生たちがストレスを感じている状況を、こう説明したい。

自己と対話するメタスキル
他者と対話するメタスキル
世界と対話するメタスキル

このような対話を、学びのカリキュラムを発動させる学びの場が日本の公教育で(特に高等学校で)デザインされていない。

ーーーー

簡単に申し上げると。
問い:勉強する意味とは・何故勉強するか・勉強する理由・どうして勉強しなくちゃいけないの?
答え:そんな問いがでてくる勉強なら、しなくていい。

これが僕の、答え。

もし、これが君がほしい答えではなかったとしたら、

別の聞き方をしてみてほしい。

オトノネひろげるシェアぼたん

学校教育の政治的背景(県立高校生は富山県の政治と教育ビジネスに巻き込まれている?)

富山県の異常さは本当に、よくわからない。
(石川県も異常らしいが、高校生の顔をみると、富山県の方が、異常に、病的な子どもたちが多い気がする。みんな疲れている)

僕たちの知っている学校ではない。
強制収容所で働いている労働者みたいだ。
(ちゃんとお昼休みと部活動というレクイエーションが与えられている!)

けどそれがなんとなくわかった気がしたので報告。

ことの発端はコレ。
公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2(富山・石川は教育県ではない)

石川、富山の平均所得は他の「大都市」と同じレベルに高いという不思議が、教育に使われる予算も「大都市」と同じくらいに低い不思議と結びついたデータでした。

なぜ富山県の平均所得は、日本海側にあって、閉ざされた地域にあって(地理的には発展しにくいはずが)、高いのか。
これが不思議だった。

路上における犯罪者検挙数の割合も東京並み。

所得格差も大きい。

けど人口は減っている…

人口は減っているのに、新築住宅がバシバシ建っている。

よくわからない富山県。

そしてお金にがめついという曰くつきの、富山県(高岡市は高岡商人でさらに有名)。
歴史的に、奈良の都以前に、歴史に葬られ都があるのではないかと僕はおもっている富山県(というか能登)。

富山には富山の歴史がある。
その歴史とどう関わるか。
それは今生きている人たちが、歴史を相対化して、離れて見て、決めることではないだろうか。

ーーーーーー

ある日、誰かが僕に教えてくれた。
「富山の県長(だか市長)は東大学閥なんだよ」

ああそうか。

富山中部、富山高校、高岡高校が東大にこだわる理由があるとしたら(東大でなければ、いけないらしい)、政治的な影響力を強めるために、子どもを育てていると考えたら、つじつまがあう!(合わせているだけで、本当かどうかは、誰もわかりません)

自分の味方になる議員数を増やす、ということ。
次の世代でも、自分の社会的な地位をまもれるということ。

封建的な考え方だが、まぁ確かにつじつまがあう。

だから、富山中部、富山高校、高岡高校(最近は全然進学校でもなんでもない高校までもが生徒を課題漬けにしているようで意味がわからない)は、子どもに「意図的に」ストレスを与えて、政治家になった後の恐ろしい「政治家世界」を生きるためのストレス対応能力を鍛えているのだと。選抜を行なっていると。課題、テストは、計画された「潜在的カリキュラム」である。と、僕は「妄想」に近いほどの「推測」をしてしまう。

学校は変わらないだろう。
政治が変わらないならば。

政治は変わらないだろう。
人間が変わらないならば。

人間は変わらないだろう。
もし、ひとりひとりがもっている「天の才」を守り育てられないならば。
子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

ーーーーー

この政治的な策略に、子どもをどう関わらせるか、どう守るか。
お父さん、お母さんの知恵が試されるところかもしれない。

学校をやめなくてもいい。
学校をラクラクとサバイバルできるように、小さい時から関わるだけでもいい。
サバイバルしながら、多くの子どもたちが、「才」を失ってしまっているように僕はおもう。
だれかをしあわせにする、大切な「才」だ。

小学校に入る前に塾に通わせたり英語をやらせたりするよりも、大切なことだ。と、僕はおもう。
「子どものしあわせ」ではなく「子どもが関わる多くの人のしあわせ」を考えなくては、その子は犯罪に巻き込まれて死んでしまうかもしれない。
「その子のしあわせ」が、習い事をしたら手に入るのか。英語塾にいかせたら手に入るのか。某有名大手学習塾に入れたら手に入るのか。

ーーーー

有名な話、大手の予備校と行政は繋がっている。繋がる土壌・文化が、日本にはある。
塾・予備校業界との癒着…下村文科相がむさぼる「教育利権」
教育委員会が塾の下部組織なのか、その逆かはわからない(お金をたくさん握っているのは塾だろう。とすれば、教育委員会の方が弱いのかもしれない…)

どちらにしても、「うちを信じろ!」と、競い合っている。
が、どちらも「経営重視のシステム授業」、「受験対策」、「古い時代の勉強法」は変わりばえしない。
レッドオーシャンだ。

こうした組織の価値観しか知らないお父さんお母さんが、「あっちでもこっちでも、似たようなもの?他の選択肢はないの?」とおもってくれたら、おとのねを選んでくれてもいい。こちらはブルーです。

参考:
「学校の課題だけで合格できます」は本当か。塾の合格実績を全て調査して検証。

ーーーーーー

靴を履く文化がない地域で、靴を売ろうとした人がいる。
「うーん、ここは文化がないから、売れないなぁ」
「どこにも競合がいない、チャンスだ!」
どちらで考えるか。

ビジネスは、需要を作ること。
需要がなくても、作り出すこと。
靴を履くように「させる」こと。

そうすると、何が起こるか。

戦争はビジネスだ。
争いのタネをつくることから始める。
そして武器商人は、儲ける。

塾はビジネスだ。
争いのタネ(古い時代の価値観)をまく。
そして、経営者は、儲ける。

必要もないことを、「それは、やらねば!」とおもわせる。
モデルに靴を履かせて歩かせるとか。
靴の効用を宣伝するとか(布教活動だ)
合格実績や合格ストーリーを乗せるとか。

そして、それがいつの間にか、スタンダードになり、文化になる。(それそれは、ただただ自然な現象として)

こういうことが、起きる。

教育はビジネスだ。
プログラミングを必須化して、英語を必須化して、教育業界は動いた。
需要を作り出した。
それがただのビジネスに留まるか、それとも、社会を調整する、時代に「適応する」子を育てることになるか。
学校の成績のために習い事を増やすだけの結果に終わったなら、日本の教育はただのビジネスでしかないだろう。

もう、戦争も、経済成長も、終わりましたよ?

オトノネひろげるシェアぼたん

子どものひとりひとりの「天の才」

小さい時はまだよくわからないかもしれない。

いつそれを感じられるかはわからないけれど。

その子を助けてくれる、その子のチカラになる、その子の生き方になる。
そういうチカラを子どもは育てている。守護霊、といってもいい。

「私は目標があればがっつりうごける」
「私はものごとを不思議におもうチカラがある」
「私には、超暗記能力がある(何かを不思議に感じるチカラはないが…)」とか。

それがいつわかるかわからない。
ただ受験受験、習い事習い事、勉強勉強、試験試験、課題課題でわからなくなることは多々ある。

だれかが「君にはこんなチカラがあるね」と言われなければわからないこともある。
自分で気がつくこともある。

高校生たちは社会に出ないと「自分の姿」がわかるようなきっかけがなかなかないのではないか。
学校の中で受ける先生たちの目線、お父さんお母さんの目線だけではみえないものもあるだろう。
慌ただしく暮らしていたら、自分の中にある芽に、気がつかないこともあるだろう。

お父さんお母さんが、そのチカラ(天の才)がでてきたときに、守ってあげるような環境をつくってあげてもいい。
それだけで、「自然に」伸びて行く。

youtubeをみて英語のチカラを勝手に伸ばすインドネシアの女の子。
「させる」以前に、開いた芽。
芽が開くように塾に「行かせる」、習い事を「させる」ことで、実際に開く芽もあるかもしれない。
それでストレスを受けて、開かれない世界の扉の前に呆然と立ちつくしている子どもがいるかもしれない。

不思議だ。

多くの人にとって、「大学」というものは「本当に自分と向き合えるような仲間と出会える」場所のようにおもう。
子供らしく、あそべる場所。本気で将来を考えられるばしょだとおもう。
ちゃんと遊べる仲間と出会える。
ちゃんと教えてくれる大人たちと出会える。
自分の種を大切にできる場所だとおもう。(もちろん、働いてもいい。働きながら、いろんな人と出会える)

そんな場所にいくまでの3年間、3年という時間を、どうか、心を守りながら、悠々と過ごしてほしいと僕はおもっている。

子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。

オトノネひろげるシェアぼたん

小学生、中学生の心を学校から「守る」という愛で子どもの「命」を守ること。高校になった時に自立すること。自由に生きること。

「自由にさせたい」

ということが一つのキーワードになる。
ひとりひとりが自由に世界をつくっていけば、世の中はもっとおもしろくなるだろう。
では、

子どもに「自由に生きて欲しい」という祈りを届けるための、愛とは何か。

ーーーー

さっき、ドジョウが2匹、死んだ。
正確に言えば蘇生しようとしているのか、死んでいこうとしているのかわからない。
とりあえず、フタをせずに「カルキも抜きたいし、水たっぷりにして泳がせたいし」ということで2匹が今、埃にまみれて瀕死。
奇跡的におとのねさんに食べられることを免れた命。
飼うつもりだった。
生存者は3名

ーーーーー

「自由にさせたい」
けれども、守らなくてはいけない。
何を?命を。

人間なら、僕はもっと別のものを大切にしてほしいと思っている。
心だ。

命、といってもいい。

その人が生まれて来て、燃やせるもの。
他の人にも与えられる炎。

で。

「自由」がうまく働かない場合がある。
自由は条件付きだ。
「みんなで一緒」で小学校・中学校を過ごした子どもたちが、高校になって、「みんなで一緒」になって、本気をだせずにいる。
「個別化」されるべき進路を「課題」に阻まれている。
3年間を学校で「みんなで一緒」のわけのわからない課題に耐え、終わる。
それがお父さんお母さんの望んだ「自由」の結果だろうか。

(学校変えるか、課題や定期テストを拒否するだけでいいのに…それは困難なのだろう)

それで、子どもは、「殺された」と言えないか。
お母さん、お父さんが「自由だ」といって子どもの大切な心を、命を殺していないか。
おとのねさんも「自由だ」といって子どもの心を殺してはいないか。

そこはおとのねさん、実にドライだ。
「もう育ってしまった。もう思春期を超えた。あとは、今あるものでやっていくしかない。もう高校生になったなら、痛みがなければ、変わらない」
発達課題を、思春期の意味を僕はそのように理解している。
入試が終わった後で、希望しない大学に入学した後で、大切なことに気がつけばいい。

ーーーーーーー

「自由」を大切にすることはいいことだとおもう。
ただそれで「自由」を発揮するチカラを育てられているか。
「自由」にすることで「不自由」になっていないか。

「教えてはいけないこと」と「教えるべきこと」をはっきりさせているか。

「みんな一緒」から子どもを守ることがお父さんお母さんの役割ではないのか。
学校で「みんな一緒」の価値観で育った心が「自由」を発揮する、「個性」を生かすチカラを発揮することができるだろうか。
障害にならないか。

学校という環境がつくる心から、子どもの命を守ることが大事ではないのか。
それほど学校の先生は、学校というシステムのなかで生き延びることに精一杯なことが多い。
(一部の先生が生徒の心に大きな負担をかけることも往往にしてある)

ーーーー

もし本当に「自由」を、「その子らしさ」を育てるなら、学校から子どもの心を「守る」ような関わり合いをしなくてはいけないのではないか。
小学生・中学生の発達の課題は、「個別化」ではないのか。
それは学校から「自立」することも意味するだろうとおもう。

「先生、いろいろ大変だね。まぁ、私は私でやっていくよ」という目線。

心を圧迫してくるあらゆる言葉、振る舞い(時として脅迫や精神的苦痛といういじめに相当するものが公然と教育の名で行われることもある)から自立すること。僕がよくDVをDVだと思わないお母さんの話をするが、それの学校バージョンだ。毒親の支配から逃げられない子どもに例えてもいい。

小学校、中学校の発達の課題には学校からの「自立」がある。
だからこれを意識して就学以前から、低学年から関わりあうこと。
小学校になってからも、「自立」できるように子どもの心を守ること。

ーーーー

テストの点数が悪くてもいいよ!とはいっていない。
学校という環境の中で、「その子」をみつけて、どうしたら「その子」が「その子」として自立できるか、かけがえのない命を燃やせるのか、他の誰かを照らす炎になるのか。見て、守ってあげることが大事だとおもう。(場合によっては、学校がいうことなど気にしなくていいと、言えるだろうか)

ーーーーー

子どもを「守る」ために課題をやらせ、テストの点数をあげさせようとするお父さんお母さんの心はわかる。
ドジョウを2匹、自由にして殺してしまった気持ちだ。

「自由」になるために「檻に入れる」のだ。

ーーーーー

勉強「させる」、習い事を「させる」のは悪いこととは限らない。
ただ発達の過程で刷り込まれた神経は残るということは知恵として知っておいて欲しいとおもう。

小さな子どもの「気を引き締める」「ケジメをつけさせる」のも同じだ。
その一挙手一投足が、子どもの心をつくる。神経を作り上げる。

ーーーーーー

命を守るとはどういうことだろう。
僕は生まれて来た命にかける願いを、祈りを、言葉で、仕草で、振る舞いで子どもにかけたい。
小学生・中学生の発達の課題は、「個別化」ではないのか。
そして高校生になったときに、本当の自分を社会にプロデュースするという課題に、向き合えるように。
そのための基礎が「自立」する心であって、これはつねに自分という物差しで、自分の心で世界をみる行い(自分が自分のことを語るという単純なこと)の繰り返しで強められる。

小学校、中学校で「みんな一緒」の「定期テストに追われる」、「学校の先生が怖くて従う」、「友達の視線が気になる」神経を作り上げる学校の環境から子どもを守ることが、「自由」のために教えなくてはいけないことではないのだろうか。命を、殺さないために。

小学校、中学校で「死にに行く」ことを覚えた体は、高校になってから「個別化」を拒むだろう。「自立」することが難しくなるだろう。
身体は記憶する。
気持ちとか、精神論とか、正論は関係ない。
わかっちゃいるけど、、
先生に頭ごなしに否定されると体がすくんで、心の元気がなくなる。
身体は記憶する。
心理学の一般書のコーナーにいけば、すぐにでも手に入る真実だ。

ーーーーーーーー

別に課題をしなくてもいい。
勉強しなくてもいい。
本気になれることさえあるなら。
それが個別化だ。

勉強ができなくても、しあわせを育てている人を、僕はたくさん知っている。
勉強ができても、しあわせそうではない人も、僕はたくさん知っている。

ーーーーー

自由にさせて、小学校・中学校で心をすり減らしていないだろうか。
「みんな一緒」を神経に、体に刷り込まれていないだろうか。
それは僕には、発達障害のようにもおもえる。「え?まだ学校から自立できていないの?」

子どもの命を殺していないだろうか。

知恵をもって、仕草をもって、愛のある言葉をもって、子どもと関わりたい。

(ブログの記事)
愛とはなにか?

そうして僕は、ドジョウを入れたボールにラップをかけた。

ボールの外から飛び出して「死ぬ」のは自由。
けどそれは、言い方を変えれば僕がラップをかけずに「殺した」ことにもなる。

小さな赤ん坊が、歩き始めた時、わけもわからず車道に出ようとするのを引き止めるように、学校から子どもを守ることも、命を守ることになるのではないかと、僕はおもっている。それほど学校は、生徒たちの心をすり減らしている。子どもたちは、笑いながら、「自由」であり続ける。

僕は子どもたちに、どんな祈りの言葉をかけよう。

小学校、中学校の発達の課題は学校からの「自立」と「個別化」だとおもう。
学校は利用するのであって、機会は「与えられている」のであって、「従わなければならない」法はない。

教育基本法 第四条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

オトノネひろげるシェアぼたん

ゲームの効用(個性化の過程はとまらない)

チカラになる

ウノ、大富豪は勝率が上がるパターンを探すゲームだということはどこかの記事で書いた気がする。
ただの運任せではない。試行錯誤をして、パターンを見つけていく、手を考えるゲームだ。
同じ風にゲームをしてても、ゲームとその人との関わり方によって、効用が変わってくる。

ポケモンには英語版があるらしいではないか!これで英語に慣れたり。
ぷよぷよなどは、試行錯誤、実験の連続だという。
ポケモンでカタカナを学ぶ。できるようになったら漢字を選ぶ。
(例えばそのゲームがマリオカートとかスマブラとかなら、また別の神経が鍛えられるだろう)

そういえば僕もブラインドタッチをパソコンのチャットで鍛えた。
もちろん楽しくてやるのだが。

ゲームをやりまくる。量をこなす。たくさん試す、それで見えてくる。
一定量をこなす。カッテがわからない、数をこなしながら、こうしたらどうかな?という工夫ができる。

アニメが好きならアニメをたくさんみて、ふかく考える。
サイコパスやハルヒなどなど、また何気ない日常モノの中にも、学べることはたくさんある。
そうした心が豊かになるアニメと出会うためには、いろんなアニメをみてみることだろう。

ーーー

それは勉強も同じだ。
本気でやっことが、ホントにチカラになる。
オトノネの座右の名。
効率化、自分の勉強法の確立をするためにも、取り組まなくてはいけない。
取り組まずにはいられないような、ファンタジーを与えてくれるのが塾であり学校であり、社会なのかもしれない。
(オトノネはファンタジー破りの方向ですが。やらないならやらないで、今の自分の大切なものを見つめるところから、気持ちを確立するところから、うわついた状態で勉強をしない、勉強そのものでなかったとしても、今の生徒の課題に向き合ってもらうのがオトノネ流です)

あそびは個性化の過程、他の人と同じ動作をしたとしても同じようにならない、自分にあったやり方を自分で見つける。
自分を本気にさせる対象と関わる。深く関わる。本気で関わる。

そのチカラが、他のいろんなところで応用できる。
子ども時代の一見なんでもないあそびは、大人になってから大切になるという結論は、まだ変わりそうにない。

さぁ、勉強をしてあそぼう^^

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