スーパーサラリーマン山田流子育て

会社人ではなく、社会人を。
これがスーパーサラリーマン山田さんの考えだと僕はおもっている。

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親からは離れていく。子どもの活動範囲は広くなる。地域を超える。
自分がしあわせになるんじゃなくて、一緒に誰かとしあわせになっていかないと。子どもは社会人になれない。
会社人になっても、社会人にはなれない。

大人も一緒に。友達も一緒に。。。
まずは親が子どもを連れ出す。連れ出す。
連れ出すのに適した年齢は、思春期前。
成人儀礼の前。大人になる前。

子どもが興味を持ちそうなイベントに親子ともに参加したり。
「まぁ行ってみるか・・」といってみて、社会人との会話をして、新しいスキルにも出会って、しあわせを感じられたら、

次の段階は、「お父さん、友達とここいくんだけど、連れて行って」くらいな。
子供が育つには、子供同士で話をしていかないと。親と話すのとは別のたくさんの学びがそこにはある。

イベントの帰りの子どもとの会話
山田さん「自分が楽しかったことには他の人も誘うんだよ。そしたら楽しみが広がるからね」
そしたらお子さんは、「はっ!」という顔したそうです。

友達を引き込む。

親の社交性が子供の社交性(人付き合い)の基本になる。経験を習う。
連れていってみる、「いくよね??」人と繋がる環境をつくる。

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それができるのが、メタ認知力がだいぶ育っている中学生が適切なようにおもう。
塾に行く、習い事をする時間では得られない経験が、そこにはある。

部活をしてもいいだろう。
けど、

子供は子供専用の塾とかでなくて、習い事でなくて、社会人として親が知っている繋がりのなかで学べることがある。
親の社会性から、子どもは社会を学ぶ。
社会性は、伝わるものだ。


社会性は、学ぶものだ。

誰から?

学ぶことなく、いきなり社会に投げ出されて、どうしたらいいかわからないのは、お母さんも、子どもも、同じかもしれない。

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オトノネはしあわせ育てを応援しています。

山田さんの言
困っている知り合いの子どもを助ける感じのとき一言。
「うちのこと一緒に育つ子をきったらダメだよね」

これを一人でやったらしんどいだろう。
山田さんは、たくさんの人的な資源をもっている。
今山田さんのこうした気持ちを文字に起こす(山田さんが苦手なところを僕がしている)ことで、少しでも、笑い仲間が増えるといいな。

と、僕は思っていることをネット世界に放出する係だ笑

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富山県の不思議!県民所得と教育費が不釣り合い。

教育費

県民所得

富山県、不思議がいっぱい!

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山田さんと話しながら、「富山県は自動車の保有数がすごい。あと、持ち家信仰がある」ということで、教育費にはいかず、自動車と不動産にお金が流れているようです。ますます、オトノネは苦しくなりそうです。

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ヒノキとアカシアの家《放課後の学校》なう

何もない床でも、子どもたちはあそんでいました。

廊下の床、スーパーサラリーマン、山田さんの心で完成しました!
集成材ですが、無垢のヒノキです!長く使うためにも、(天然素材で)塗装をしようか、悩んでいます。

山田さんがトントンしているのをみて、子どもたちも木材の破片を使って、トントンしていました。
ただトントンするだけなのですが、何が起きるか、じっくりとみながら、トントンしているようでした。
もちろん、そのうち飽きますが笑

大人を真似て、やってみる。
これはすごいことだなとおもいました。

真似てもらえる大人になろう。。。

3部屋あるうちの、一番広い場所に無垢のアカシア。
男の子が寝そべっていますね笑

実はこの後、すごい遊びがこの床の上で展開されるのですが・・・
(ルールをつくって、その場にある物を使って、たのしく遊ぶ。)
決められているのは、資源であって、ルールではない。
決められている資源、そこにあるものをどうつかうか。
その資源を使うルールを決めていく。
それで子どもは遊ぶし、大人なら、生業をする。
オトノネではルールに従うのではなく、ルールをつくっていける関係性に価値があります。

あそびを通じて子育てをしている山田さん。
「あそばせる」ではなく、自分で「あそぶ」子どもたち。

素敵です。

おもちゃに囲まれて、おもちゃにあそばされる子も、いますね。
「おもちゃ」がないと、あそべない子。
「宿題」がないと、勉強しない子。

自立心、主体性。

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体育館だったら、できない。
公園の芝生でもできない。
そういう遊びを、子どもたちは、「あるもの」をつかって、考える。
狭い学童なら狭いなりに子どもたちは、遊びを考える。

けどやっぱり狭いから「知育あそび」的なものをしたり。
限定されてくる。

多様な場所を、家の中だけでつくるのはしんどい。
《放課後の学校》をどんな場所にしていこう?

10人とか20人とか考えないで、とりあえず初めてみよう。

とりあえずつくってみて、あそんでみよう。
やってみよう!

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大学に行く意味。大学受験の意味とスーパーサラリーマン山田さん

「なんで大学に行くんだろう?」

はて。

なぜでしょう。

「なんで高校に行くんだろう?」

ては。

なぜでそう。

「なんで会社で働くんだろう」

どうしてでしょうね。

などなど。

どれも同じ問いのように、僕には聞こえる。

思春期が来る前は、特に何も感じず当たり前に言っていた学校だが、思春期をすぎると「選択肢」としてでてくる様々なライフイベント。

「なぜ◯◯するのか」

その答え方、その問いへの、振る舞いによる返答が、その人自身を表している。

こうした問いを頭の中に思い描いてしまうのは、それがまだ価値観として、意味として、心でつかめていないからだと僕は思う。

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「なんで大学に行くの?」
という問いは、「どうして大学生になるの?」という言葉に言い換えられるだろう。

で?

おとのねさんのブログのタイトルは
富山・高岡・金沢で暮らしている保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラー/芸術家のブログ。

だ。
(この記事を書くにあたり、書き換えました)

保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラー

芸術家

である。

/より上は職業名、と言っていいかもしれない。
/より下は?

これは僕自身。

自分は何者か?に対する今の所のぼくの答え。

芸術家、という分母(おかあさん)から生まれた子ども(分子)が、保育士・高校英語教諭・塾長・ジャーナリスト・カウンセラーだと表現してもいい。

ある人にとっては、分子が「女性」であったり、「お母さん」であったり。
ある人にとっては、分子が「男性」であったり、「お父さん」であったり。

つまるところ社会的に便利な「名前」だ。
「名詞」の抽象性

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大学に行こうとする人にとっては、こういう問いになる。

「大学生」である私の意味はなんだろう?
「大学生」になることは、私の分母にとって、どんな意味があるだろう?

大学に行かずに働こうとする人にとっては、

「会社員」である私の意味はなんだろう?
「会社員」になることは、私の分母にとって、どんな意味があるのだろう?

「生きる意味」はなんなんだろう?
という問いと同じくらい、曖昧で、漠然としていて、わからないときは、わからない問いのように、僕には聞こえる。

実際に、「大学生」「会社員」になってから、後から意味付けされる場合がほとんどだ。

人間にとっての意味とは、そんな不思議なものだ。

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「お母さん」である以前に、あなた。
「お父さん」である以前に、あなた。
「高校生」である以前に、あなた。

もしそんな「あなた」が自分の生き方を名詞で表せるようになったら、それほど、心強いことはないかもしれない。
誰かから与えられた意味ではなく、自分でつくりだした意味を、心の頼りにすることができるのだから。

そんな「あなた」もどんどん変わって行く。
サルトルの実存主義はまさに「未来に向かって、自分を投げ続けることでしか、人間は実存できない(意味を見出せない)」というような言葉で、それを表した。

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こうした問いを立てるというとてつもない「課題」に立たされるのが、思春期かもしれない。
とっても、とっても、大切な時期だし、一人で乗り越えるには、大変なことだとおもう。

お父さん、お母さん自身が「どうして子どもを大学に行かせたいんだろう?」と悩んでいるかもしれない。
なぜか、心は自然と「大学に行く子ども」を想像してしまうかもしれない。。。

それは、社会的な圧力であって、共同幻想というやつで、社会現象であって、「ああ、世の中では、大学に行くのが、ブームなのね」と思うだけで、少しは心が軽くならないだろうか。

お父さん、お母さんが、子どもが大学に行く意味を見つけようとして、目の前の子どもの心を見失っては、元も子もない!笑

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山田さんの分母は、「スーパーサラリーマン」だそうだ。
昔なら企業戦士、働き続ける会社員を「スーパーサラリーマン」と呼んでいたようだが、山田さんはこういう。

「会社だけで役割を果たしているだけでは、”会社人”であって、”社会人”とはいえない。会社が終わった後で、社会の中で活動する会社員が増えたら、社会はもっとおもしろくなる。そういう人を、スーパーサラリーマン(サラリーマンを超えているサラリーマン)と僕は言っているんです」みたいな。

そうして、山田さんはあるときには「保育園のお手伝いさん」あるときは「お父さん」あるときは「遊び道具製作家」あるときは「おとのねさんとおもしろおかしくやってくれる人」だったりする。

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ちなみに、芸術家という言葉は、インドネシア語でsenimanスニマンという。
インドネシアでは、いろんな人が、芸術家だ。学校の先生も芸術をするし、創造的な仕事をしている全ての人をsenimanと呼ぶ。もちろん、音楽家や絵描き、物書きも。アーティストという日本の言葉は、どこか「キザ」な響きがする。高級感がでている気がする。僕はそうではない。

僕はsenimanとしての意味を、作り続けている。

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あなたが大学に行く意味はなんですか?

あ、ちなみに僕は「空が青かったっから」大学に行きました。

それは僕にとって、とても大きな意味が、そのとき、あったのです。

大学に向かう情動・感情もいろいろ。
その情動・感情が、その人自身を表している。

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あなたが大学に行く意味はなんですか?

行っても行かなくてもいいから、大学受験勉強するなら、ぜひ、楽しんでみてください。
数学であそぶ

僕は、「大学受験」は、日本の高校生にとっては、儀式だとおもっています。
受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。
その儀式を形式的に終わらせるか、実質をもって実らせるか(成長するか)。

ただ、それだけかもしれません。
別に、どっちもでいいけど笑

あなたが大学に行く意味はなんですか?

大学に行くか行かないか、どこに行くかよりも、今、感じている、あなたのもどかしさ、心の「もやもや」があるなら、それに向き合う大切な時間にしてみても、いいんじゃないかな。

その向き合い方が、「今の」あなた自身を表しています。

答えなんてありません。
答えを教えてもらって安心しようとしてもダメです笑
それは宗教です笑

答えに頼らず、あなたの心のまにまに、進んで行ってほしいとおもいます。
答えられなくてもどかしくても、うまくいかなくても、はっきりしなくても、そのままの自分を抱きかかえて、先に、先に、一歩だけでも、先に進んで行く経験は、きっと君のチカラになる。

もちろん、休んでもいい。
休むことも、ひきこもることも、うずくまる時間も、大切にしてほしい。

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この時代に、子どもが大学に行く意味が何か、悩んでいるお父さん、お母さんへ

他人にとっての「価値」を別の人が考えたり、作ろうとすると、徒労に終わらないだろうか。
だって、「価値」はその人、当の本人にとってしか、意味がないように、僕にはおもえるから。

この時代、この場所で生きている子どもたちに伝えられることはなんだろう。

「伝えるべきこと」と「伝えてはいけないこと」の区別を、僕は、よくよく注意しなくちゃなぁと、感じている。

そもそも、大学は歴史的に・・・・とウンチクを並べることも、もちろん、できますが笑
伝えるべきこと「ではない」と僕はおもっています。

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野性のチカラと企業戦士の矛の先と戦闘ゲームと虫取りとあそび

最近、保育園で子どもが「虫取り」をするのを見た。

というか、園内に昆虫が増えた笑

で、この虫取り、、、、、
すごい。

何が凄いかって。

まず目が鍛えられる。
「獲物を見つける」視野。

で、神経も鍛えられる
「獲物を捕まえる」俊敏さ。

で、指先も鍛えられる。
「殺さず、生かす」やわらかさ。

で、頭も鍛えられる。
「逃げられた!次はどうしたらいいか?」

捕まえた虫を観察したり。
飼ってみようとするなら、もっといろんなことを学ぶだろう。

あれだけ生き生きとしていた虫が、死ぬかもしれない。
そんなかんだで、心も鍛えられる。

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サッカーなどは、ゲルマン民族の「戦闘」能力をスポーツ化したものだという記憶が僕にはある。
テニスは「貴族の暇つぶし」。野球の起源はなんだったか。(ネットで調べて見たけど、不明らしい。あんな複雑な、バットを使ってボールをうんたらなんていうものがどうやってできたのか。場外に出す動作、打つ動作。走るどうさ。取る動作。うーん、想像できない。。。)

とにかく、体を使って奪いあったり、捕まえたり、物を放り投げたりする能力は、なかなか爽快だ。
的(獲物)に当たったら、めちゃくちゃ嬉しい笑笑

それこそ自分で「修行」をしたくなる。
そうして、強くなる。

宮本武蔵になれる笑

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スポーツも、ある程度のレベルまでいくと、相手との「心理戦」になる。
どれだけ相手の呼吸を狂わせるか。。。。

そこには野性味があるが、やはり対話がない。
いや、ある意味、対話だ笑

剣を通じて、拳を通じて、語り合う人がいるらしい。
北斗の拳とか??

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現代、この狩猟感覚はゲームの中で体験されている場合がおおい。
オトノネさん、実は生徒に教わって「戦闘ゲーム」を、最近、やってみた。
戦場に降りて、武器を見つけて、相手を狙って撃つ。
相手の足音、打たれた方角、現在地、向かっている先は全て画面に表示される。
けど肝心な情報は、「目視」するしかない。
20分くらい、逃げて、狙って、隠れて、戦い続けた。(結局3位になったが、銃は一回も使わなかった笑ビビりなのね)
オンラインで、世界中の人がやってくる。
時間が来ると、居場所が狭まっていき、敵との遭遇率も高くなる。


身体感覚が伴わない、神経だけが高ぶる感覚、終わった後に、どっと疲れた。

身体感覚が伴っていたら、大変なことになっていただろうが・・・
おとのねさんには、違和感、違和感・・・

ある意味、ゲームは、麻薬物質を出すトリガーだ。
この強度の快感に、爽快さに、はまってしまうのも、無理はない。

脳は野性を、ある意味で求めているかもしれない。「男の子」はなおさらそうかもしれない。

それで高度経済成長期に、「男の子」は、企業戦士になって、戦ってきた。
今、その矛を置いて、さて、どうしたものか。
矛を下ろす先が、わからないのかもしれない。

矛を持ったままでもいいから、その矛で、子どもとあそんだらいいのに。
たったそれだけで、世界はたぶん、変わるから。
(それで少年野球に精を出すお父さんがいるという話もある。スポーツじゃなくて、「させる」んじゃなくて、あそんでほしいんだけどな)

そもそも、狩りは、昔の子どもにとって、純粋に遊びであり、本物の狩りの練習だった。
そうおもうと、昔の「狩り」は今の「宿題・課題・お勉強」なのかもしれない。あそぶように、当たり前のように、「学習習慣」を身につける世の中。


身体感覚が伴わない、神経だけが高ぶる感覚、終わった後に、どっと疲れている子どもが、どれだけいるだろうか

そこには野性味があるが、やはり対話がない。
いや、ある意味、対話だ笑

「テスト、どうだった?」
「赤点じゃなかった!」

テストの答案用紙を通じて、模試の結果を通じて、語り合う人がいるらしい。

ある意味、ゲームは、麻薬物質を出すトリガーだ。
この強度の快感に、爽快さに、はまってしまうのも、無理はない。
「やった!今回も、平均以上だ!」次も頑張ろう!とか。

心が大事。

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ちなみに、オトノネでこの野性の要素を出せる環境は限られています。
走り回るスペースは、ありません笑

けど
お手玉とか、折り紙の手裏剣ごっことか、(山田さんの)吹き矢とか。
あ、この前、庭にトカゲが歩いてたな。。。

あれ?そうおもうと、あそびって、結構野性味があるな・・・

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山田さんとあそぶおとのねさん

オトノネの新しい場所を山田さんに見てもらった。
いろいろと手伝ってもらえそうだ。というか、オトノネの主砲か笑ありがたい。
(勝手に主砲にしてごめんなさい。打ち上げたい時にドカンと打ちにきてください笑ドカンドカンと笑)

で、最近山田さんが開発した吹き矢を持って来てくれた。
(そもそも山田さんが誰か説明しないのは愛嬌です。スーパーお父さんです。)

山田さんの子ども(小学1年生)に吹いてもらった。

むちゃくちゃ飛ぶ。
物作りが好きな山田さん。
つつの太さを変え、長さを変え、吹き矢の形状を変え、素材を変え、一番うまくいく吹き矢をつくった。
(勉強も同じですよね)

動画がこちら…(そのうちアップします)

なぜ、筒が長いと、出てくる「矢」が早くなるのか。
僕には一瞬ではわからなかった。
山田さんは言った。
「空気抵抗を受けずに加速できるんですよ」
なるほど!まさかここでそんな話がでるとは!

空気を味方につける、空気を勉強できる吹き矢。
矢も円錐形であることが大切、そして使用に耐えるだけの強度と軽さが必要。
なるほど…

ちなみに吹き矢で「目でものを追う」チカラもつく。
ゲームの画面の中だけでうろうろしていたら、マジで世界みれなくなりますよ。

マトに当てるだけのゲームが、飛ばしたものを探すというゲームになった時、さらに「視野を広くして探す」というチカラも加えられた。

遊びは、発展する。

もちろんこの遊びは「言語遅滞」の子供達が児童発達支援事業所で「やらされる」口腔トレーニングのあそびバージョンだ。友達と競い合いながら、あそびながら、的を倒す、的に当てるという達成感(ゲーム的な要素)が子どもを自発的に成長させる。

そのほか、目白押し!
遊びってすげー

例えば。、小学生の時に多くの人が悩むという「単位」の計算がある。
山田さんは、こういうことを喋りながら、暮らしているらしい。
「この長さはなんて単位であらわすといいかな?」
そう言って机の一辺を指し示して、子どもが例えば「ミリメートル!」というと「うーん、それは大変そうだな!笑」といった具合だ。

生活の中に学びがある。
学校教育ではない家庭教育で、学校教育の教育課程をはるかに超えた学びをやっている。
ただ遊んでいるだけである。
あそびながら、言葉を尽くしているだけである(もちろん遊んでいる、つくっているだけでも「経験」は蓄積され、役立つ)。

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2017 とある私立中学入試問題

今まで算数を学んできたなかで実生活において算数の考え方が生かされて感動したり、面白いと感じた出来事について簡潔に説明しなさい。

この子は、合格しそうだ笑

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オトノネひろげるシェアぼたん