言葉のプロになるための1万時間の4段階。

プロになるには1万時間練習しなくちゃいけない法則があるのだという。(科学的な根拠は知らない。嘘かもしれないしまぁどうでもいいけれど発達の目立つ時期が『ことばでつまずく子どもたち』(p.91)に書いてあって少なからず2年のサイクルがあると書いてあるので少しは信じられるとおもう。

簡単なメモ
3−10ヶ月:言葉を理解する
2−4歳:会話力を獲得
6−8歳:文字を読む(促音、濁点などを音読しながら意識して読む。字と音韻の一致)
10−12歳:文字を書く
14−16歳:文章を書く

で、生まれてから言葉が出る、二語文、会話らしい会話ができるようになるのが2歳の終わり、つまり0歳からの3年間だとしよう。1万時間を3年で割ると、1日あたり9時間。まぁ子供が起きている時間、ずっと学び続けているとすればそのくらいになるか。

で、3歳の段階では、言葉のプロ、というよりも、言葉の学習者として一流だとおもえばおもしろい。(興味関心をもって意欲的に他者の会話を聞こうとする、聞ける、安心してこの世にいられる感覚)

と考えると。。。。

で、3歳になってから6歳になるまでの3年間で、言葉のプロ、になれるはずだ。けど話し言葉に限られる

というように、次々と考えていくと・・・!!!

次の3年間でプロになれるとしたら・・・文字を(口に出して、意味を知って)読むことのプロ、になれる。書くことはできないかもしれないが。文字を、気持ちを込めたり、速度を変えたり、いろいろな表現で、書かれた文字を読むプロにはなれそうだ。小学校低学年。

小学校が終わるころには、文字を書くプロになっている。いやでもこれ、どうなんだろ・・・文字、小学生とか中学生の時とかまだ僕はかなり(今以上に)汚くてうーん。。。。まぁいいや。

とりあえず行けるところまで想像の羽を伸ばしていこう!

中学生になったら、話し言葉で表せていた心を紙に写し取る、書き言葉のプロになっている。そのときには本居宣長や小林秀雄の言葉を思い出しながら先生は指導にあたるべきだろう。書くとはなんぞや。心のどういう営みだ。「丸々した。面白かった。」ではないはずだ。

小学校で理科や社会を、高校受験のように「系統的に習う」必要性を私はあまり感じない。理科はただの不思議をおうあそびだし、社会はおもしろそうな人の写真をみて物語を読む時間だ。言葉の時間、音楽の時間、美術の時間、図工の時間、あそびの時間、それだけでどれだけ、人間らしく、人間が成長できることか。もちろん、言葉の時間に算数や第二外国語を入れてもいい。

中学生なら、もう達人の域に達しているはずだ。ただどうしてだろう?大人が想像する中学生、未熟な中学生、まだ高校生になっていない中学生、自立していない、未発達な中学生というイメージが子供を幼くしてしまっているだけだと僕は思っている。

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