思春期と中学校と高校の違いと子どもの可能性と個別化と。

人はどこまで遺伝子に左右されるか

この記事にコメントをいただき、考えが深まった。
僕なりに。(コメントを書いてくれた人のオモイとは違うかもしれないけれど)

教育の領分。

というより、中等教育までと高等教育の違いがはっきりした気がします。

僕はいま僕を寝かせてあげたいのだけれど書きます。

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可能性という言葉がある。
「その子の可能性を伸ばしてあげたい」という言葉がある。
その子の可能性をどこまで大人が知っているのか。

本当に、わかっているのか。

可能性がわからない神秘が人間にはある。
人との出会いで変わる人生がある。

中等教育、中学校、もっと正確にいえば思春期の前まではこの神秘の世界の中に子どもはいる。
大人ですら神秘をもっている。(物語は動き続ける)

「こう生きるべきだ」
「こんな人生がすばらしい」

という大人(親や学校?)の価値観があって、子どもは影響を受け(人間と出会い)成長する。
というか背中をみながら影響を受ける。自分をそっち(どこ?)のほうこうへ伸ばしていく。

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例えば、今の日本の現状をみて「いやもう安心安全な日本ではない。海外に行ったほうがいい」
と考えて、その考えに賛同する「子どもたち」がそっちに向けて学ぶのが高校、高等教育、もっと正確にいえば思春期を超えた後の学びなのではないか。

テストが「できる」「できない」で高校を選ぶ、「できる」「できいない」でしか高校を選んだら、中学校の延長か。
中学校と高校は全く違う段階になるのではないか。子どもの心は、思春期を超えて、発達していく。分化していく。そのなかでギャンググループ、チャム、ピアといった集団をつくるのも、その心の現れだ。

学ぶ場所を、学ぶことを、学ぶ大人を、学ぶ環境を自分で選択するのが
テストで“決められる”以前に、自分で“決められる”ような段階になるのが、中等教育の目標なのではないか。

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中学校で部活をするのもいいが、部活のおかげでいろんな人との出会いがなくなるのもまた事実。
習い事で「能力を高める」のもいいが、それが子どもの可能性を、神秘と向き合う過程を無視することになっているかもしれない。

社会人になってから、いろいろな人との巡り合わせのなかで僕の人生は変わって行った。
そんな巡り合わせの中で、オトノネに縁のある人たちと、僕は出会っていくのだろうとおもう。

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自分の神秘をどう使っていくか。
おちこぼれなどない。
中学校・小学校で、学校の成績で、きみの価値が低くなることなどこれっぽっちもない。

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