高岡市のコミュニティハウス、ひとのま訪問

ひとのま、という場所に行ってきた。
高岡市で誰でも行ける、そのままいける、という場所。
その場にいる小さい子から大人までの雰囲気を感じて、ああ、こういう場所が、街の中にもあるんだなぁとおもった。

こういう場所がどうしてできるんだろう。
どうやって・・・

オーナー(?)の宮田さんの話を聞くと、「誰かを助けるとか、誰かのためとか、そういう目線ではなくて、目の前にいる人をみていたらこういう場所をつくろうかとおもった」といった話。

大手の教育企業に勤めながら「目の前で悩んでいる、勉強じゃないもので困っている子をみながら、業務として子供達と接するのと、どっちがやりたいのかなっとおおって会社を辞めて塾を始めた。誰でもきていいよというスタンスでやっているからいろんな人が来た」それが大きくなって「ひとのま」ができたという。

原子も同じような気がする。
何事もなく、とにかくそのままの姿で存在しているだけで、場ができて、いろんなひとと反応していく。
「いや、俺は塩素と結合するから」といっていると生まれるものも生まれない。

やわらかく、確率の森の中で、不確定の中で委ねていくことで、生まれるときは生まれ、なくなるときはなくなる。
「今年になって、人に助けてもらうようにお願いしはじめたんです。そしたら、みんな助けてくれることがわかった。きちんと話して、思いを伝えて・・・」それでひとのまは続いている。無理をしてひとのまを支えようとも思わない、もしそれでなくなれば、それはそれ。こういう場所を守る人、という意識もなく、管理するとかも考えずに、ごくごく今はそれがあたりまえのようにひとのまは存在している。

この日は、晩ごはんをみんなで食べる日だった。ひとのまに来ている人の誰かが「仕入れた」とんかつをあたためて、キャベツを切って食べた。いろんなことが起きる。昔、私が無人島キャンプで感じていたような感覚。決められたことよりも、その日突然起きる出来事の新鮮さ。何かが起きるときにそれをちゃんと感じられるゆるさ、余裕、あそびがある。

オトノネはどこか、気を張って「子どもを守る」と言って来たきらいがある。
塾で苦しむ生徒をたくさんみてきたから。けど・・・
実は、高校生のアンケート結果をみながら、みんなしっかりしてるじゃないか。オトノネができることってなんなんだろう。。。
と思っていたところで、ああ、なんだか力が抜けた。

力が抜けたところで、ひとのまに行って、宮田さんと話して、また力が抜けた。

ゆらり。

だらり。

オトノネひろげるシェアぼたん

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