禁じられたあそび

今日はシャボン玉で遊んだ。1時間くらいシャボン玉で遊んだ。1時間くらい遊べる。おとぎの森で、子どもたちとあそべるな。とおもいながら。で、肝心なのは、目の前が通学路になっている、この道路で起きた出来事である。

まず最初に、下校中の低学年の子が通った。

ものすごい興味津々でシャボン玉を眺める子ども。で、「楽しそう?」と聞くと「うん!」という。遊びたそう!その時!別の子が「早くいくよ!」と言った。叫んだ。え?早くいくの?道草しないで帰りなさい、怪しい人に付いていってはいけませんと言われているからだろう。僕の前を通り過ぎたあとも「早く早く!」と言っていた。結局、低学年のみんなはシャボン玉を見て目をキラキラさせるだけでおわった。

その次に、高学年の子が通った。

向こうから走ってきた。「壊していい?」「いいよ!」「やってみたい!」「いいよ!」ちょっとだけ遊んだ。女の子も、男の子も。うん。ちょっとあそんだ。車がちょくちょく通る道だったから、車に注意しながらだったけど。。。うわー!といいながら。

この反応の違いはなにか?単純に高学年は思春期が近づいて、判断を自分でするようになって、大人に言われたことを鵜呑みにしなくなっているのだろう。これだけ反応が違うとは。。。僕もびっくりした。

すぐそこが交差点だった。そこにはボランティアの下校指導のおじさんが立っていた。僕と一緒にちょっと遊んだ子どもたちに「まっすぐ帰りなさい!」と指導をしていた。子どもに何かがあったら大変だ。「責任問題」になる!子どもを無事に家に届けるのが仕事だからね!

子どもの命を守るために、子どもの魂を大切にできなかったらどうなるだろう。これからの子育ては、本当に、いろいろと、大変だ。お金(税金)を使って子供を保護する学童の存在自体が、どこか、子どもの生きにくさを象徴しているようにも思えた。中学生になったら、放課後は部活という組織で管理されることになる。そのしくみも問題だ。子供はあそぶことをほとんど、禁じられている。

とあるNPO法人は、放課後に、学校で、子どもがちゃんと遊べるようなしくみをつくっている。学校の中に民間の団体が入っていく。


放課後アフタースクール

学校や自治体がそれを望んでいるわけだ。大人が、みんな、真剣に、子どもの暮らしを、リッチな暮らしを考えていけるだろうか。大人同士が仲良くならないと、子どもはしあわせになれないのかな。。。

ところで、シャボン玉で遊びながらいろんなことをしているのだ!ということを書いておく。風の観察力、風に合わせて道具を操るスピードを変える、手をやさしくスナップする微細動作、シャボン液の状態を把握する、大きなシャボン玉を作るとかたくさんシャボン玉をつくるとかいう課題設定をする、試行錯誤する、みんなと喜び合う、シャボン玉が割れるのはなぜか考える。空気についてシャボン玉を通じて感じる。車がこないかどうか気をつける。風に乗って踊る。世界のいろんなところに落っこちているしあわせを拾い集めること。

あそびがどれほど複合的な人間のチカラを引き出すのか、奥が深すぎる。

オトノネひろげるシェアぼたん

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