「子ども」に先生の値打ちを「問う」

「今日はなにを学んだの?」
と聞いた時に、「足し算」とか「漢字」とか、単元の名前とかがでてきたら、多分その子は大切なことを学べていない。
「今日は何を習って来たの?」「エチュードの○番」とか、「クリスマスの歌!」とか。
僕が聞きたいことはそこではない。

「今日はなにを学んだの?」
という質問をわかりやすくしてみよう。
「今日は先生は、どんなことを話していたの?」

こう質問してみるといい。

心に残っている部分が、その子がその先生から学んだことの印象であり、実態だ。
それが「足し算」とか「文法」とかそんなものであってはいけない。

さっそく、新学期がはじまったら子どもに聞いてみよう。
「今日は先生は、どんなことを話していたの?」

「宿題を期限までに出さなかったら○○だって」みたいな返事が返ってきたとしよう。
それが、その子と先生の関係なのかもしれない。

もう少し聞いてみてもいいだろう。
「一番、心に残ってる、大切な話はなかった?」
「うれしくなった言葉は?」
「かなしくなった言葉は?」

子どもたちは、どんな大切なことを、大人から学んでくるんだろう。
いいものを、先生からもらわずに、いったい何を先生からもらっているんだろう?
魔王の言葉???

学校は、ただの場所を表している。
「学校」という「自然」、「校舎」という場所。

先生は、学校の管理人であって、学びを与えてくれる人ではない。
囚人に日課(作業)を与えてはくれる警備員のようにもおもえてしまう(富山県の議会の部署(委員会?)で、教育と警察は同じ場所にいる。これは全国みんなそうなのか?)。
これは批判でも悪口でもなく、事実だ。(事実すら、見えない人には見えないのも、また事実)

先生の「子ども」にとっての値打ちを知りたければ、「問う」ことをしてみよう。
その答えから導き出される「子ども」にとっての先生の値打ちが、なんか変だな。とおもったら、オトノネに遊びに来てください。

「どんな先生?」
という言葉で聞いたら「やさしい」とか「いや」とか「たのしい」とか。いろんなエピソードを聞かせてくれるかもしれない。
それなら、学校に何をしに行っているのか、僕にはわからない。

聞き方も大切。

ん?学校に「しつけ」のために行っているのか?????
学校にいる子どもたちをみると、崩れていく日本の社会を新しくするチカラではなく、ただ崩れていくものに埋もれていく人柱にみえてしまう。
それは僕の偏見だろうか。いやいや。事実です。
言葉を育てず「躾」つまり体裁を整えるように、世の中は動いている。
その魔王の代表格が「学歴」とか「成績」という言葉だ!

事実に気がついたお父さんお母さんが、オトノネを大切にしてくれたらいいなぁと強く思っている。

しつけとけじめ
言葉を喋るまでのケジメが大事すぎる件。
しつけと道徳的行動の関係の研究

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