成績が伸びない課題が終わらない自称学畜の進学校のあなたへ

自称進学塾オトノネ
  1. 勉強は、楽しいですか。孤独ですか。あなたの「先生」はいますか。『残酷すぎる成功法則』
    1. 上司ではなく「非公式のメンター」を見つける
  2. EQが低い人生は、不幸せ。IQが低くても、EQで幸せになれる。
  3. オトナの願いとコドモの願いを区別するー「脳」が求めているものは何か
    1. 不安、心配、欠乏感、空虚感を感じているのは誰か
    2. 大事にしたい「より大きな自分」BIGミー
  4. 「お勉強」ができる子
    1. 遺伝と環境とintention
    2. 意味不明な世界。不確実な世界で生きる「合格実績病」のお母さんに送る言葉。
  5. なぜ高岡高校の生徒は自殺したのか。
  6. 自称進学高校在校生必見!「課題」が生徒および親に及ぼす影響の考察。
    1. 進学高校に行って成績が落ちるケース1
      1. ケース1の生徒に対する課題の効力
    2. 進学高校に行って成績が落ちるケース2
      1. ケース2の生徒に対する課題の効力
    3. 進学高校に行って成績が落ちるケース3
      1. ケース3の生徒に対する課題の効力
    4. まとめ
  7. 「時間」が課題・宿題というバケモノになったら(おとのねさんは、やれ!やれ!と言う人だった)
  8. 親のプライド
    1. 言いたいことが言えない。
    2. 子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。『魂の殺人』アリス・ミュラー
    3. 合格実績と偏差値の裏で泣いている高校生たち
  9. 駅前で高校生を泣かせてしまいました。
    1. 学校も学校の先生もお母さんもお父さんも子どもも悪くない。
    2. 「学校の課題だけで合格できます」は本当か。塾の合格実績を全て調査して検証。
    3. ブラックはラーメンだけでいい。学校はホワイトであってほしい。
  10. 富山県・石川県の進学高校で課題が多い件について
    1. 学校教育の政治的背景(県立高校生は富山県の政治と教育ビジネスに巻き込まれている?)
  11. 学校という試練が適切かどうか。オトナの願いとコドモの願い
  12. AI化する子どもたち
  13. 子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??

勉強は、楽しいですか。孤独ですか。あなたの「先生」はいますか。『残酷すぎる成功法則』

残酷すぎる成功法則

高校においても、良い教師は大きな違いを生む。スタンフォード大学 の経済学者、エリック・ハヌスヘックによれば、不出来な教師が一年で 六か月分の学習内容しか教えられないところ、良い教師は一年半分の内 容を教えられるという。この数字を見れば明らかなように、ハヌスヘッ クは、学校の質に問題があっても素晴らしい教師に習えるなら、その逆よりはるかにましだと言う。

あまり認識されていないが、良きメンターが与えてくれるものがもう 一つある。エキスパートになるための「一万時間の法則」の話、およ び、人はなぜ長年苦しい修業に耐えてまで何かを習得するのか、という 問題を何度か取りあげてきた。その一つの答えは、いささか常軌を逸し た執念だった(第1章)。

しかしそれがすべてではない。修業を楽しいものにしてくれるメン ターの力も大きい。 彼らは修業というストレスに師弟関係を加え、あなたが最大限能力を 開花できるように後押ししながら、フラストレーションを乗り越える手助けをしてくれるのだ。

世界レベルのパフォーマーはほぼ例外なく、彼らの活動を楽しくして くれる一流のコーチ、一流の師を得ている。あなたが何かに秀で、何かに熟達しているなら、一流の指導者につくことは、それをもっと面白くて楽しめるものにしてくれる。

じつは興味を惹かれるのが先で、それから才能が磨かれるという逆方 向の効果を私たちは見過ごしてきた。エキスパートになるために必要な 練習に時間を費やすようにあなたを導くのは、その活動を心底楽しいも のにしてくれるコーチや教師との出会いにほかならない。(『残酷すぎる成功法則』エリック・パーカー)

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上司ではなく「非公式のメンター」を見つける

「楽しみ」はふつう、「専心努力」や「専門的知識(技能)」、「第一 人者になる」と同じはん 範疇には入れられない。「楽しみ」は、感情に基づ くものだ。ところが、この感情的な構成要素が決定的に重要なのだ。だから、あなたがメンターを大切にすべきだけでなく、あなたを成功へと 導くメンターも、あなた 、 、 、のことを気にかける必要がある。

ジャド・アパトーには何人もの素晴らしいメンターがいたが、彼が首尾よく成功へと導かれた背景には、微妙でありながらも重要な理由があ る。その一つは、彼らの心の絆だった。ジャドは、大物の彼らもかつて はコメディを愛する孤独な子どもだったのだと気づいた。 彼らとの絆を感じることは、たんに居心地がいいだけでなく、決定的に重要だった。

研究者のペネロープ・ロックウッドとジーバ・クンダに よると、ロール・モデルに情熱をかきたてられるか、逆に士気をくじかれるかどうかを左右するのは二つの要素だと言う。それは、「目標の妥当性」と「達成可能性」だ。人は、尊敬する誰かと関わると俄然やる気 になる。加えてその人物が、あなたも同じことを達成できると感じさせ てくれたなら、それは素晴らしい成果がもたらされる。 職場の雇い主によるメンターシップが、たとえ善意からでもうまく機能しないのも、同じ理由からだ。クリスティーナ・アンダーヒルが、過去二〇年調査したところ、その成果は衝撃的なほど極端に分かれてい た。たしかに職場のメンターシップも小さな改善をもたらしていたものの、実質的な成果は、人びとが自分で見つけた「非公式のメンター」から生まれていた。(『残酷すぎる成功法則』エリック・パーカー)

EQが低い人生は、不幸せ。IQが低くても、EQで幸せになれる。

IQはペーパーテストで高得点をとる能力です。

EQは感情に渦巻いた人間社会を上手に生きる能力です。

IQはよく聞く言葉です。IQとは「学校の成績を予測するもの」ですが、今まで勉強した通り、EQが低ければストレスを健全な形で対処できずにIQが高くても上手に使うこともできません。また、IQが高く学業成績がよくても、社会に出てから「ふしあわせ」な人生を送っている人はたくさんいます(世の中では「成功者」の方が表に出やすいのですが、実際、中毒者・自殺者・家庭内暴力・DVといった社会現象はすべてEQの低さに起因するといってよいでしょう)。

脳内のお父さん、お母さん、そして子どものバランスがとれている時、EQが高いといえそうです。

同じような追跡調査が、マサチューセッツ州サマビルのハーバード大学から数ブロック離れた スラムで育った四百五十人の中年男性についてもおこなわれている。この人たちは大多数が移民 の子で、全体の三分の二は生活保護受給家庭に育った。四百五十人のうち、三分の一はIQが九〇以下だ。しかしここでも、IQは仕事や人生全般における成功とはほとんど関係ないことが らかになった。たとえば、IQ八〇未満の人たちのなかで十年以上失業状態にある人は七パーセ ントだった。けれどもIQが一〇〇以上の人たちのあいだでも、十年以上失業状態が続いている 人は七パーセントいたのだ。たしかにこの調査でも、一般的な四十七歳の集団においてみられる ようなIQと社会経済レベルとの相関関係は認められた。しかし人生に大きな差をつけたのは、 IQよりも子供のころに挫折を克服する能力や感情をコントロールする能力や他人と協調する能力があったかどうかだった。(略)

ここが問題なのだ。学校の成績がよくても、人生のピンチやチャンスにはほとんど役に立たない。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.62)

極端な例をあげると次のようになります。

高いIQを持つタイプ(この場合EQはIQの範疇から除外する)は、理性の領域では有能だ が人間くさい世界では不器用な、頭でっかちを絵に描いたような人物像になった。プロフィール は男性と女性で少し異なる。高いIQを持つ男性の最大の特徴は、やはり広範囲にわたる知的興 味と能力だ。このタイプは野心的かつ生産的で、不撓不屈の精神をもって予定どおりの行動をとり、自分自身について不安がない。他人に対しては批判的だが慇懃無礼で、神経質で羽目をはず さず、性的・官能的体験が苦手で、自分の感情を外に表わさず超然と構え、情緒面は冷淡で無味乾燥だ。

対照的に、EQの高い男性は社会的なバランスがとれ、外向的で快活で、何かを恐れたりくよ くよ悩んだりすることがない。人のため大義のために身を投げ出す気持ちがあり、責任感や倫理感がしっかりしている。他人との関係においては親切で思いやりが深い。情感は豊かだが、暴走 することはない。自分自身に対しても他人に対しても、また社会に対しても、身構えたところがない。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.76)

 

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女性については次のように書かれています。

IQが高い女性は当然ながら自分の知性に自信を持ち、自分の考えを堂々と主張でき、知的な ものごとを高く評価し、広範にわたる知的・美的興味を持っている。一方で内省的な面があり、 しばしば不安を感じたりくよくよ悩んだり罪悪感を抱いたりする。また、怒りをオープンに表現 することをためらう(間接的に表現する)。

一方、EQが高い女性は自分の感情を率直に主張し、自信にあふれている。人生に充実感があ るのだ。男性と同じように、EQの高い女性も外向的・社交的で、自分の感情を適切に(あとで 後悔するような爆発のかたちでなく)表現できる。社会に対して不安がないので、新しい人間関係を容易に作ることができる。官能的な体験ものびのびと心を開いて受けいれる。IQタイプの 女性とちがって、不安感や罪悪感を感じたりくよくよ悩んだりすることは少ない。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.77)

EQの低さはビッグファイブ の「神経質傾向」と相関がありそうです。EQの高さは「調和性」「誠実性」「外向性」に関係するかもしれません。(ビッグファイブ の詳しい説明を見て見て下さい)

 

オトナの願いとコドモの願いを区別するー「脳」が求めているものは何か

あなたの脳は変えられる 「やめられない! 」の神経ループから抜け出す方法

不安、心配、欠乏感、空虚感を感じているのは誰か

その苦しみ、その不適切感の多くは、何かが欠けているという感覚から生じている。私たちは実際にはすべてを持ち合わせており、間違いなく奇跡的な存在で、本当の天才で、生涯 を通じて学習し、成長し、治癒し、変容する可能性を持つ比類なき才能を有しているにもか かわらずである。どうすれば、この恵まれた状況を理解できるのだろう。

そもそも私たちはなぜこれほどまでに空しさを感じるのか。なぜつねに満足しなければならず、絶え間なく直ちに欲望を満たさなければならないのだろう。そしてつまるところ、私 たちは実際何を欲してやまないのか。なぜそれを欲してやまないのか。実際にそれを欲して やまないのは、強いて言うなら何者なのか。あなたの脳を所有しているのは何者なのか。責任者は誰なのか。その結果として苦しむのは誰なのか。物事を正せるのは いったい誰なのだろう――。 説得力に満ちた本書の中で、ジャドソン・ブルワーはこれらの疑問に取り組み、見事に答えてみせた。(『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.331)

 

大事にしたい「より大きな自分」BIGミー

ブルワーは、臨床や研究の現場で(そして本書でも)、心全般や、物事に溺れやすいその性質についての東西双方の洞察を見事に生かしながら、マインドフルネスというこのシンプル な実践法が、いかにしてあらゆる渇望(短期的にも長期的にも)から私たちを救い得るのかを 示してきた。 「あらゆる渇望」と言ったのには、必要以上に肥大化した「自意識」にしがみつこうとする 渇望も含まれる。そうした自意識は、何かを欲してやまない「私」が、より大きな「私」の 一部にすぎないという事実を見失っていると思われる。一方、より大きな「私」は、その渇 望が次々と残念な行いを生み出しており、しかも、そうした耽溺のパターンが最終的に残念 な結果を招くということを知っている。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.333)

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「お勉強」ができる子

お勉強ができるー学校でストレスをうけないーストレスフリーな生活 お勉強ができないー学校でストレスをうけないーストレスフルな生活 問題行動をなくすことではない。 問題行動を起こさないことではなく、 適切な行動をするためのスキルを学ぶ。 それが学校であるはずが。

遺伝と環境とintention

僕がやってきたのはなんだったのか。 いくら勉強しても、ダメ、な人がいる。 勉強をすることが「無理」な人がいる。 とおもえば、勉強なんて、ちょちょいのちょいという人もいる。 変な言い方だけど、「一年あれば私立大学ならどこにでもいける」という言葉を信じて塾に行かず見事、大学に入学した人の話。 高校時代は遊びまくって、本当に、一年だけ、受験勉強をした。 朝から喫茶店や遊び場を歩いて、そろそろ出席日数たりないから午後から学校いくかーという生活。 けどお父さんが「一年あれば」という話をした。 それを信じた。 それで見事に一流私立大レベルまで三教科の成績が上がったという。 塾に行かずにだ。 ーーー

ーーー このお父さんの子供は、今二人とも塾に行かず、中部高校に在籍している。(そのお父さんはいわゆるスパルタではなく子供が勝手に決めて入った) そのうち一人は1日30分くらいしか勉強していないのに、「いいところ」をキープしているらしい。 その子の中学校からの友達は、そのこと同じくらいの成績だった。というか中学校の頃はその友達の方が成績が良かった。 けど高校に入ってその子は成績が落ちた。平均以下になったという。 一方で、付属中から中部高校まで全教科成績1位をキープしている人もいる。 (いったいどんな生活を送っているんだろう。どんな人なんだろう) この差はなんなのか。 この「個人差」は一体、なんなのか。 ーーー

ーーー 僕自身の話をすれば、僕はとても要領が悪い。 ショックだったのは、高校受験の時に受けた中高一貫校の英語の問題が、まったくわけわからなかったこと。 同じ中学生が解く問題か?とおもったものだ。 中3の夏から勉強をしゃかりきにやって、その結果、うーん。 そこで塾に通うことにした。 自分に自身がなかった。 「自分のやり方に自身がなかった」 ーーーー

ーーーー 歯並びが悪い、汚れが溜まりやすいところを知って、歯磨き、フロスをする。 歯磨きも、勉強も同じだ。 虫歯になりやすい人もいれば、歯周病になりやすい人がいる。 水虫になる人もいれば、花粉症になるひともいれば ーーーー

ーーーー スタディハウスというイカした塾がある。 塾長の熱量がある、気合の入った塾だ。 結果にこだわる! ということでどんどん結果を出している。 ーーーーー

ーーーー 僕が「教育」を感じたのは、韓国の劇団だった。 誰もがその人なりの役割を担う。 僕が音響担当、作曲家として認められた、からかもしれない。 けど誰もが舞台の上で、舞台の裏で、みんなでひとつの作品を、公演をつくっていく。 俳優の能力はもちろん、大切だ。 ある作品は、ある人物は俳優の「力量」を必要とする。 演劇は本当に生まれ持っての能力を感じる。 みんな同じように、熱心に訓練をしたり、、、、けどほとんどは、自分の持ち味を出すしかない。 センスを磨くしかない、という世界。 ーーーー

ーーーー 塾に行かないで「できる」子。 「できる」子が塾に行くこともある。(「お勉強」の環境をもとめてか?) 小学校から塾通いしても、知能には影響がない。 ただ、「お勉強」の環境を作って整えているだけ。 その環境にかけるコスト。 ーー

ーーー こういう人もいる。 「お勉強」ではなく、「表現」に全てを注いだ。 自分の「表現」に必要な勉強をした。 「頭の良さ」もあるだろうし、「センス」もある。 それを何に使うのか。 その人は、アートだった。 ーーーー

ーーー 勉強をしなくても、「勉強」が苦手でも、人間として素敵な人もいる。 素敵な子育てをしたり、素敵な、人を笑顔にする。 勇気をくれる。元気をくれる。 ーーー

ーーー ネットの世界では、大人が知らない「コミュニティー」がある。 受験という、成人の儀式に向き合うそのやり方が、その人自身かもしれない。 その儀式をひとりで、誰の助けも借りずに遂行する器用な人もいるだろう。 器用でない人もいるだろう。

 

意味不明な世界。不確実な世界で生きる「合格実績病」のお母さんに送る言葉。

例えば、「小学校になったときに困らないように椅子に長時間座る」ことを卒園児の目標にしている保育園があると聞きます。 そして小学校では「中学校になって学校内で暴れないようにオリコウにしている」ことを卒業生の目標にしていることでしょう。 中学校では「決められた手順でイイ子・デキル子から進学校に送る。デキナイ子(誰の言葉だ?)、ワルイ子(誰の言葉だ?)は進学校に送らない」ことでしょう(そのために内申点があります)。 高校では「決められた手順で生徒を課題とテストで振り落とし、できる子に進学実績をつくってもらう」ことでしょう。 大学は、志のある私立学校でないかぎり「大学生でしょ?勝手にやってね」です。 ここから先は、というか高校から先は、専門学校だったり、就職だったりもうわけがわからないわけです。 「レールを引けるのは大学まで。点数を取ったら、確実に入れるのは大学まで」 大学が終わったら、、、リストラ、犯罪、暴力、いじめの世界に入っていく。 生きられますか???笑わらうところです。 誰も確実な世界を知らない。 そんな世界はじめからないです。 もしかしたら、なんの苦労もなく、幸せでいられるかもしれない。。。「ふつう」に生きていけば。。。 「ふつう」にまぎれこめば・・・普通って何でしょうか。

ーーーーー 東大にいって首を吊る人、います。 高岡高校に行って、自殺する人、います。 錦丘高校で、飛び降りした人がいるらしいのですが。(記事は見つからないのですが、なぜか頻出検索ワードの中に錦丘、飛び降りとありますね。) あくまで可能性の話ですが。 当たり前が揺さぶられる時代ですね。 黒字で、リストラする時代。現実を見るのが、まずは大切です。

「不安」だからこそ、希望をもたせたい。だから大学に行かせたい! 大学にいったら、社会人になる前の「自由」が手に入ります。いろんな人に出会えます。 それは僕、すごくイイ経験になるとおもう。(専門学校に行っても、就職しても、いろんな人に会えますけど!) 「夢を追う」ことが小さい時から許されなかった人。 高校生になってから、「させられる」事ばかりで「やりたいこと」ができなかった人。 「間違って」(自称)進学高校に入って高校を卒業できなくて、混乱している人。 いろんな人がいる。 いろんな可能性がある。 だからこそ、子どもは「イイ大学に…」「とりあえず大学に…」 そんな不確実な未来のために、「今」、コドモが成長を止められている場合がほとんどです。 お子さんの今の姿を、ちゃんとみられていますか。 どうしたらいいかわからない、わからなくなってきた・・・そんな時はオトノネにあそびにきてください^^ ーー

READ  『未来のイノベーターはどう育つか』遊びと情熱と目的意識で育つ

ーーー オトノネは、生徒にはどんな状況でも自分らしく生きられる子になってもらいたいとおもいます。 「今」心を強くするための関わり合いをしていきます。 いい高校、いい大学、普通級にこだわるお母さんお父さんには向いていません。 お子さんが成長するのは、今です。 今しかありません。 今に最善を尽くすのが、オトノネです。

なぜ高岡高校の生徒は自殺したのか。

少子化という現象を説明せよ! という宿題をちょっとやってみた、というお母さんから聞いた話 1974年、会議で「人口減らそう」となっていた。 『子供は2人で豊かな暮らし』~政策が与える出生数への影響~ もうわけがわからない。 ちなみにこんなことが本に書いてあった。

私が”ボーダーライン的”な子供達に初めて接したのは、もうすでに20年ほど前のことになります。「ボーダーライン」をもっと正確に描写すると、非常に衝動的で気分変動が激しく虚無感が強く、アイデンティティーが混乱しており、自分の怒りをコントロールすることができないということになります。対人関係が不安定で、時にはストレス生の被害妄想や心因性の健忘が生じることもあります。また、とても重要なこととして、幼児のような極めて強い愛情欲求を持っていることも大きな特徴です。強い愛情欲求をもつようになる原因には、幼児期に親の角の愛情を受けた「過保護型」と、幼児期に親に虐待された「愛情飢餓型」があります。(町沢静夫『心の壊れた子どもたち』p.154)

この本の出版年は2000年。 20年ほど前なら、1980年。 1974年、会議で「人口減らそう」となっていた。 その因果関係がありそうで怖い。 この混乱は、人間(政治家)によってつくりだされたものなのだと。 日本はまだ、戦国時代にいるわけだ。 お母さんには、子供を守ってほしい。 どうやって? それをオトノネではじめてみませんか。 ーーーーー で、今日、聞いた話。 愛知女子中学生集団入水自殺事件とは、1977年(昭和52年)に愛知県で3人の女子中学生が集団で入水自殺を図って、うち2人が死亡した事件のことをいう。 愛知女子中学生集団入水自殺事件 もうこの時から日本は暴力であふれていたことになる。 最近になって、面前DVとかでてきたけど。 昔からあった。 忘れられてしまうかもしれないから、念のため。 「事故物件」サイトで調べると、高岡高校で生徒が自殺した事実がきちんとのこっています。(いや、誰が死んだかまでは書いてはいないけど)

情報の量に、多様さに、圧倒されてしまう。 再来した大リストラ時代と「雇用流動化」礼賛の幻想 あ、そうか、だからみんな宗教にいくんだ! —– もっと僕らしく、牢獄に閉じ込められた音楽の力を解放することに、時間を使おうとおもう。

自称進学高校在校生必見!「課題」が生徒および親に及ぼす影響の考察。

高校受験と大学受験は違う。課題をやれば成績があがるなどということは、まったくない。オトノネの記事を見て問い合わせをしてくれたお父さん、お母さんのお話を聞きながら、(自称)進学高校に入学し、成績不振に陥る、学校に行けなくなる、勉強できなくて茫然自失となるケースを3つにまとめてみました。あとは自分で、判断してください。人それぞれですから。もし「あ!やっぱりダメだった!」とおもったら、無理をせずに、休んでください。心が大事。

進学高校に行って成績が落ちるケース1

〈なんとか課題についていくがセンターレベルの中堅大学にしか合格できない生徒の大部分〉 小学校で真面目に勉強して宿題もこなして成績優秀(親や先生の期待に応える子) 中学校で真面目に勉強して宿題もこなして成績優秀(親や先生の期待に応える子) 高校でも同じ戦略でいこうとするがあまりにも量が多すぎて潰れる。成績も落ちていく。

ケース1の生徒に対する課題の効力

  (自称)進学高校には「課題提出率」なるものが存在する。先生はそれをいちいち計算するのに時間をとっている。(高校内部の生徒だけが受ける◯◯高校模試というものがあり、先生が作っている”といわれている”が、先生方はそんなことに時間を使っている)何のために「課題提出率」の数値を使っているのでしょうか。生徒の親に「お子さんの課題提出率はこのくらいです。もっと勉強させてください」というためではないだろうか。親と学校とで精神的に追い詰められる生徒がいる。ご両親には、学校の情報に惑わされず、お子さんの心を大事にしてほしいとおもいます。課題には「親を不安にさせる」機能がある。

進学高校に行って成績が落ちるケース2

<部活動やら何やらでなんだかんだエンジョイするタイプ> 小学校でなにもしなくても成績優秀(学習習慣がない) 中学校でなにもしなくても成績優秀(学習習慣がない) 高校でも同じ戦略でなにもしないでなんとかなるとおもいきやなんともならずに成績は上がらない(大学受験は別格)。

ケース2の生徒に対する課題の効力

このタイプの生徒は「あそび」と「勉強」をまぁ両立している。課題はやるときはやったり、自分で見極める判断力をもっている。課題をすることを放棄するケースもある。このような生徒にとって、課題は「中学校時代の友達」と遊ぶ時間を減らすものとして効果を発揮する。いろんな子が中学校にはいる。御三家に入る子と、私立に入る子が友達である場合、学校としては「私立に入る子とつるんでほしくない。真面目な雰囲気を学校の中でつくってほしい」という思いから友達関係をもてないように遊び時間を減らそうとする。課題には「友達関係を希薄にさせる」機能がある。

進学高校に行って成績が落ちるケース3

〈エンジョイするか、病気になる〉 小学校、中学校で普通の成績だが、真面目に誠実に言われるがままに生きてきて学校の期待に答えてきて内申点を稼いで入学するケース(入試で140点で御三家に入る子)。もしくは、富山県立高校は暗記型なので、直前でものすごく暗記して一夜漬け状態でギリギリボーダーで進学高校に入学した子。 1学年の1学期の1日目から180点の子を対象にした授業をするので当然成績など上がらない。

ケース3の生徒に対する課題の効力

脅威でしかない。心ある勉強法を高校入学時から教われたなら「高校受験本気モード」のまま大学受験にむけて実力を育てられたかもしれないが、課題に時間を使われることで高校受験から大学受験へシフトチェンジする可能性がつぶれる(富山県立高校入試は暗記型、大学受験であればセンターレベルの大学どまりの勉強法です)。課題には「生徒の可能性の芽を摘む」機能がある。

まとめ

いい子で優秀で従順で真面目な子は親からも学校からも、評価されるためには成績を取らなくてはいけない、いい子でいなくてはいけないとおもっている。そうやって9年間(もしかしたら15年間)を生きてきた。親もそうやって関わり続けてきたかもしれない。だから、もし子どもが「学校に行かない」「課題をしない」決意をしたのであれば、それは、とてつもなく大きなメッセージだと僕はおもっている。 進学高校に入学したら、成績を上げようと思うより、心身ともに健康で卒業できれば御の字だと思えばいいのではないでしょうか。無料で受けられる教育に多くを求めてはいけないのだろうか。

「時間」が課題・宿題というバケモノになったら(おとのねさんは、やれ!やれ!と言う人だった)

「ああすればこうなる」という世界に生きていた。 心がなんなのか、ぼんやりとも、わかっていなかった。 「こうなりたいんでしょ?じゃぁこうしよう」といって、無理をさせていた。 「この子の学力をあげよう。そうしたらこの課題をこうやってやらせて…」ハードルを下げるアプローチは今でも間違っていないとおもうが、やっぱり「やらせる」ことをしていた。 そして、「この方法は、正しいのに、できないのは、生徒がいけないんだ!努力が足りない!」とおもっていた。 同時に「もっといい方法はないのか!?」と「やらせる」ことを研究したり。 行為レベルで言葉を使っていた。 行為レベルで人と関わっていた。 自分に対しても、行為レベルで関わっていた。 いろんな出来事があった。 繰り返してきた。 何度も、人の心を壊してきただろう。 「堕落」を繰り返した。 その度に、浮き上がるたびに、新しい旅を始めた。 「自然」という旅だったり。 「演劇」という旅だったり。 「子ども」という旅だったり。 その中で、「物語」「民謡」「踊り」「芸術家」「カウンセリング」「心理学」「ヨガ」「ストレッチ」「歴史」いろんなことを学んだ。 旅をしながら、周り周り、巡りながら(何度も失敗をしながら)今も、繰り返しながら、ようやく、心を大事にすることを、学び始めている。 人の成長とは、発達とは、すぐにどうこうなるものでもない。 「ああして、こうして、こうする」ということを考えていたらみられなくなる、大切な「今」がある。 そしてその「今」に気がつくためには、いつも誰かの言葉があったし、出来事があったし、何よりもそれらを感じる「時間」があった。 「時間」は、大切にしたい。 焦っても、どうにもならないことがある。 こう言う場合、焦ってもダメだ!もがいたら沈んでいくだけだ!ということを、まずは学んでもいい。 (それを学ぶのが、大学の合格発表の日だったりする。それが模試の結果だったりする。突然やってくる。DVをうけてボロボロになって、何度も試みて、やっぱりダメで、「違う生き方をしよう」という日が、やってくる) ーーー

ーーーー 「あー、これからどうなるんだろう…」とおもって友達に話すと 「どうすんのお前笑」とかいう適当な返事や 「おもしろそうだからそのまま行けば?」という何か逆に誇らしくなる返事や(いやもっと役に立つ返事くれよと当時はおもっていた笑) 「小説家になったら?」というちょっと気になる返事がでてきたり。 いくらもがいても、足掻いても、焦っても、わからないときはわからない。 わからないなりに、「違和感」を感じたまま、抱えたまま、明日を迎え続けて来た。 高校中退をした時から、不登校になった時から、いまだに僕は同じ「違和感」を抱えている。 それでもまだわからない。 そのくらい長い、ゆっくりした時間を感じられるようになったのも、「ある出来事」を境目にしてだった。 そういう日がくるらしい。 ーーー
ーーーー 突然やってくる日を、大切にしたい。 それはいつやってくるかわからない。 オトノネは出来事を起こそうとは思わない。 外ででてきた出来事を心できちんと感じ、フィードバックして、いつやってくるかわからない出来事に備える感じ。 (狙ってその出来事を起こす「導く」ことをまずはやってみるケースももちろんある) ーーーーー
ーーーーー 「仕組まない」ことで生まれる不思議があり、「仕組まない」ことで出会える心がある。 (芸術家は、生まれたもの感じたものを身体化、具現化する仕事であり、生まれたものを大切にしながら育てることをする) 僕はそれを大切にしたい。 (だからオトノネに来た人は困るらしい。「何をしてくれる場所なのかわからない」と) 人には誰しも、発達の段階、人生の曲がりくねった道の上にあり、僕が関われるのはほんのその一部だ。 到底、最後まで道案内することなどできないし、案内できるほど多くの道を知らない。 「導く」「任せる」「誘い」。ご招待。。 だからもし、おとのねさんに会ってみて、話をしてみて、感じてもらって、僕ができる小さなことが、少しでもその人のチカラになると感じてくれたら、お付き合いをしたいとおもう。 例えば。 「◯◯ができない」 「私は◯◯」 という言葉を生み出す心を、僕は感じようとしている。 縛られているものから、少しでも抜け出して、心を自由にして、今置かれている状況の中で、精一杯、チカラを使って先に進んでほしい。 神経は、記憶している。だけど、心は、成長したいとおもっている。 僕自身が、今、そのプロセスの中にいる。 なにしろ、時間がかかるものだ。 定期テスト対策なんて、なんともまぁ、この悠々とした時間に比べたら、小さなことのように僕はおもう。 その小さなことの繰り返しが、人の心をつくるのだろうけれど。(高校生になっても定期テストでピリピリしている。定期テストという呪いだ。) 頭ではわかっていても、やっぱり定期テスト勉強に勤しんでしまわないと心が落ち着かない子もいる。 それでもいい。なにしろ、定期テストは、小さなことだから。 けどそれで大切な「時間」が減ってしまうとしたら、困ってしまうかもしれない。 時間は減るものではないのかもしれない。 ただ悠々として流れているものかもしれない。 もしその「時間」が課題・宿題というバケモノの姿をして牙をむいて、台風のように、終わりのない嵐のように君に襲いかかっているとしたら? 君は呪文を唱えて、「時間」を元の姿に戻してあげるのもいいかもしれない。 本当に大切なことは、本当に大切なものは、内側から、やってくる。 外から与えられるものではない。 もしかしたら、今君の中に生まれた、気持ちが、「大切なこと」を知っているかもしれない。 聞いてみてもいい。その子はきっと悠々とした「時間」の中にいる。 その子の「時間」に入っていけば、きっと、話ができるはずだ。 ーーーー

ーーーー Do it! Doit!と英語で書いてみる。 綴りが、Idiot(馬鹿者)と似ているなぁとおもった。

親のプライド

今日、隣の家の瓦をしいている職人さんと話をした。 富山県はなぜか「教育県」と言われていて、そのプライドがあるためにコドモの居場所を学校の外に作らない。 大手予備校は格式のある雑誌でしか宣伝をしない。 親は大手予備校に子供が通っていることにプライドを感じている。 富山の子は就職してもすぐにやめる人がおおい。 そういう話だった。 昨日、高校の前で出会った高校生は「中学校から大手予備校に行って、そのまま高校まで通い続けているけど、先生が嫌」じゃぁなんでやめないの?塾を変えないの?ときくと、すこし自分でもよくわからなそうだった。親にも話したことがあるというが、どこかまだ違和感を感じているようだった。多分、親がその塾に行かせたいという気持ちを、その子は感じて、受け取っているんだろう。その子が無理をしなければいいのだが。 学習塾を初めていろんなひとと話してみて、いろんなことがわかった。 otononeを必要としている人に、私のメッセージが届けられたらとおもう。

言いたいことが言えない。

大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。 小さい頃は、「さかな」が「たかな」になったりする。 言いたいことがあるけど、まだ、「口」がついて行っていない。 もう少し、時間がたったら、食べ物をちゃんと食べて、いろんな音を出してみながら、遊びながら、「さかな」といえるようになる。 言いたいことが言えない。 と、一言いっても。 世の中には「もう、いわなくていいや」ということもたくさんある。 言葉が出るのが遅い子は、そんな気持ちではないのかとおもうこともある。 お母さんが全部守ってくれるし! 遊ばせてくれないし!楽しくないし! なんかもう無理無理!なんでこんな世の中生きにくいのかな? 場面緘黙という言葉もある。 言葉のチカラを僕自身が、どこかですり減らされていないか。 まずは、僕はご飯をたべよう。 昨日、食べられず、寝てしまったのです。 ほとばしるエネルギー! 別にしゃべらなくても。 エネルギーが溜まっているのを、出すところが大切だと、おとのねさんは考えています。 ーーー

ーー 別のパターンもある。 「NO!」といえない人がいる。 「私、課題、やりません」と言う必要はないのだが、やらなくてもいいのに、やらなきゃいけない(内言レベルでNO!と言えない)人がいる。 「NO!」という練習、「NO!」という経験が少ないと、大人になって、こうなるのかどうかわからない。 本当に自分にとって大切なことを忘れてしまうほど、「させられてしまう」人がいる。 これもある意味、「さかな」が「たかな」になったりする、 言いたいことがあるけど、まだ、「口」がついて行っていない子どもと同じ。 といってしまえば、少し残酷だろうか。 大人は大人で、お母さんはお母さんで、子育てをしながら、お母さんではなく、人として、学び直すきっかけがでてくるという話を聞く。 本当にそうだとおもう。 ーー

ーーー 学校では、もしくは場所によっては保育園のときから、子供達は大人から「はたらきかけられる」ことが多くなる。 言葉を喋る価値がなくなる。言葉を喋っても、どうにもならない、受け取ってくれないことが増えてくる。(進学校にいったらさらに、それは激化する) お母さんにも同じことがいえる。 「よくしよう」「この子のために」言葉を尽くして、子どもの心が沈黙してしまわないか。 子どもからのはたらきかけに答えることが大切。 それが言葉の基本であるし、心の大切な働きであるから。 だれも「応えてくれなくて」この世の中に埋もれている声に、おとのねさんは耳を傾けています。

子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。『魂の殺人』アリス・ミュラー

怖い話ではありません。 よくある話です。 こういう記事を書くのも、実際に、子どもを追い詰めるお母さんと某フランチャイズ塾で出会っているからです。 石川県は、この傾向が特に強い。死ぬな高校生!と思ったくらいだった。 結論から言えば成績が伸びないケースには「お母さんに食べられて」いるケースがあるということです。 ーー

ーー バリ島のランダ、日本の山姥、伝説にでてくる鬼母神が、世の中にはある。 ばりのランダ
優しい母、育てる母、生み出す母。 一方で、食らう母、殺す母がいる。 ランダも山姥も母の二つの側面を物語っている。 「悪いおばあさん」の話がでてくるのは、その名残のようだ。 白雪姫だか、なんだか。西洋では、魔女のイメージになっているかもしれない。
魂の殺人
アリス・ミラーのこの本にもそういう大人たち、母親たちの姿が書かれている。 僕が某フランチャイズ塾で出会ったお母さんの中にも、「子どもを殺す母親」がいた。 もちろんお母さん自身は、気が付いていない。 成績は伸びるわけがないし、勉強も進まない。 成績が伸びないケースには「お母さんに食べられて」いるケースがあるということだ。 子どもによかれとおもっていろんなことを「やらせている」お母さん、子どもをちゃんとみてみたら、気がつけるかな・・・ お子さんのこと、ちゃんとみてあげていますか?みつめていますか? これは学校の課題もそうかもしれないとおもうと、おもしろい。 「山で山姥におわれる」かのごとく課題の森に迷子になり、追いかけられる、職員室で捕まったら、食べられる!笑逃げ切ったと思っても、ついてくる笑 ここは笑えるところ! イメージの普遍性について考察したいところ! で、ここからこの記事に関連して来ます。 課題を真面目にやる無意味さに気がつくために、まずは堕落しよう!? オトノネにはそういうお母さんが来てくれてもいい。 「どうしても、食べてしまうんです!」 オトノネには、そういう子が来てくれてもいい。 「どうしても、食べられちゃうんです!」 では、どうしたらいいのか。 どう考えたらいいのか。 これはもう、心と向き合うしかないことかも、しれません。 ーーー
ーーーー 最近、オトノネの生徒でついに進化して思春期を迎え、「小学校の時、わかんない宿題やらされて、私、心底怒っていたんだからね」と、お母さんに向かって言った子がいる。 子どもは、お母さんが大好きだから、小さいときには、何も言えずに、気持ちを抑圧してしまうことが、よくある。 まだ言葉にならない、どうしていかもわからない、だから、「お母さん」を学ぶ。 「一番信頼できる、一番頼りになる、一番助けてくれるお母さんが、僕を助けてくれるのに、どうして、怒りや悲しみが沸き起こってくるんだろう?」 その時、子どもには、わからないのだ。
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合格実績と偏差値の裏で泣いている高校生たち

泣きながら「あっちいけ!」といわれた話は前に書いた。 いろんな子がいる。 学校を信じて課題をやり続ける子 他の生徒がいうことと同じ言葉を言う子(おそらく集団心理にかかっている) 本当に不満そうに課題をこなし続いける子 私にはどこか情報を制限された北朝鮮かどこかと同じではないかとおもってしまう。 学校も「課題をやっていれば大丈夫だ」と生徒にいう。 そうでなければ、暴動が起きるからだ。 東京では考えられない。 富山県・石川県の進学校はなぜ「学校で」進研模試を受けさせるのか。 自信をつけさせるため。 ひどいでしょ。「君たちはすごいんだ!」と学校の先生はあなたを励まして、勉強させたいのではないか、とotononeは考えています。フランチャイズ、個人経営塾、大手予備校とわずによくあるモチベーションを持たせる方法です。 いや、そんなことないよ、と思いますか? 学校の先生に聞いてみてください。 なんて答えてくれたか、教えてください。 僕もその答えが知りたいです。 その二日間、ちゃんと勉強させてあげてよ。 と思うのですが。 合格実績、進学校というパンを与えて、「大丈夫」「大丈夫!」という。 本当に大丈夫な生徒は4割だという計算が出た。 6割は中堅大学か、それ以外のどこかにいく。 いいところにしか光が当たらないと、暗いところが、後で病になる。 病は、高校卒業とともに、3年後に自動的になくなる。 だから高校が成り立つ。 仕方がない。文科省からもう予算が下りないのだから。 高校生は自分で自分の身を守るしかない。 [泉丘高校 合格]で検索すると【偏差値・合格実績の裏】で泣いている高校生、というタイトルででてくるので検索してほしい。 [高岡高校 合格]でもでます。 進学校と呼ばれる高校がなぜ課題を出すのか、生徒を管理しようとするのか。 底辺校と呼ばれる高校がなぜ部活にいそしませるのか。 全ては学校の秩序のためだとおもっている。 若さというエネルギーが創造的に使われることを恐れているのではないか。 学校という場所が、日本の縮図のように思えてしまう。 日本は芸術家の形見が狭い。 それも、日本という国の秩序を守るための、国の政策のようにおもえてしまう。 私はどうするか。 高校生のことを考えながら、他人事には思えない。

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駅前で高校生を泣かせてしまいました。

2年半学校で勉強してきたのは、なんだったのか。 「大丈夫だよ」といわれて信じて課題をやり続けて、今、「ちがっていた」ことに気がついたのだろうか。 今までただ単に勉強してなかっただけなのか。。わからない。けど、こんなことがあった。 高岡駅の休憩所で勉強をしている子がいたので、声をかけてみた。 どうやらセンター試験の勉強をしているらしい。 高校を卒業した友達か先輩に解き方を聞いているようだった。 僕はちょっと気になっていろいろ話してみることにした。 話を続けようとしたら 「何をしたら帰ってくれるんですか!?(あなたはいなくなってくれるんですか!?)」 と泣きそうな表情で、声で、僕に訴えた。 2年半、勉強を続けて、課題をこなしてきて、それでもまだ目の前に受験が見えていない。 自分が受けるのではなく、「デキるはずだった」未来の自分と、今の自分のギャップに挟まっていると私は感じた。 僕は驚いてすぐに謝って、とにかくそこを離れた。 不安で不安で仕方がないのだ。 心が、締め付けられながら勉強をしているその子の姿をみて、悲しい気持ちになった。 学校の先生はひとりひとりをみていない。 初めての受験、何がなんだかわからない。 そんな道中を、もし歩いて行くなら、やっぱり誰かと一緒に歩いていってほしい。 高校3年生に、今の状況を何度か聞いたことがある。 海で溺れている。 出口がない。 私は今日、遭難しているという言葉で、受験生の気持ちを代弁したい。 不安で、怖くて、勉強どころではない高校生たちがいる。 つまずいて、転んで、泣いて、その時に 誰かが近くにいてくれる人は、幸せだ。

学校も学校の先生もお母さんもお父さんも子どもも悪くない。

最近書きたいことが溜まっていてどばーっと書いてしまい言葉を選べていない気がするので書いておこう。。 誤解されたら嫌だからね。 学校も学校の先生も悪くない。というか、ごくごく普通の人間だ。 法律には違反しているけど。。。(だから教育に関する新しい法律ができてきます。それは、人間として悪いことではありません。人間ですから。) むしろ学校の先生を擁護することもできる。 先生も苦しんでいる。 僕もその一人だった。 (オトノネにはそんな学校の先生が来てくれてもいい) 大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。 学校は学校の歴史を背負っている。 先生には家庭があり、先生の大切なものをまもっている。 しくみが、歴史が先生を、学校をそうさせる。 世の中は歴史の流れの中にあり、物語の中にある。 そういう考え方をすれば、見方をすれば、学校は「病気」なのだ、子どもが行くところではないのだ、と素直に、思うことができる。 人は誰でも自分たちの物語をつくりながら暮らしている。 そのためのお手伝いをするのがオトノネ。 僕は自分の大切なものを守るためにオトノネをつくった。つくってみた。 いろんな事情があって、みんな生きている。 学校も学校の先生も悪くない。 法律には違反しているけど。 (だから学校に行かないことに決めた生徒のための教育機会確保法というのがH28にできたそうだ。知らなかった。その前には「いじめ防止法」とか。) 教育機会確保法 それぞれが大切なものを守っている。 だから君も、大切なものを守っていくのはどうだろう。 本当に大切なことに気がつくのは、今ではないかもしれないけれど。 笑いながらね! いや、泣きながらでもいいけれど。 無表情でもいいよ笑 とりあえず次にすすむために、むちゃくちゃ受験勉強してもいい。 これからは勉強ではない、君らしさがAO入試で問われる時代だ。と考えてみてもいい。 もうお勉強とは別の道にいって、新しい時代に向かってまっすぐに進んでもいい。 人と出会うこと、出会って人のなかで、君たちは作られていく。 君たちは、大人になって行く。 先生たちは「学校という病」に犯されているとおもったらいい。 一部のいい先生、という先生は、「免疫」をもっている先生だ。 病気の先生には近づかない方がいい。 病気の先生は悪くない。 だって病気なのだから。。。 DVの加害者(お父さん?)は悪くない。 会社でいじめられて、ブラックで染められて、昭和の時代のお父さんからギビしいしつけをされて、学校ではいじめられたかもしれない。 そういう物語の中で、ではそのお母さんは?その子どもは? 学校とどう関わるか。逃げるか。 DVの夫とどう関わるか。逃げるか。 それとも、、、、、 それは人それぞれ。 繰り返していうけれども、DV防止法はあるが、DVの加害者を罰する法律はない(児童虐待防止法も同じ)。 教育機会均等法はできたが、不登校になるような生徒がいる学校そのものは変わらない。学校は罰せられない。 「じゃぁ私はどうしよう?」 で、学校教員による組織的生徒虐待防止法、学校教員による組織的生徒いじめ防止法を作ってほしいのだが。 いかがでしょうか。 オトノネでAO入試・小論文の勉強しようぜ! AO入試が出て来たということは、大学が「もうその大量の課題やめようよ」といっていると同じではないのか。 君はどうする? 「それが普通」なのではない。 病気の人と暮らしていたら、それが普通になってしまうが。 学校は病気なのだ。 経済的には(逆に言えば経済格差は)都会型、都市型なのに、やっていることは、ふるいままではないのか。 まるで軍隊のように毎日、朝から晩まで、意味不明な訓練をさせられていないか。 宿題のプリント、テスト、意味不明なバツと罰に覚えがあるお母さんもいるでしょう。 学校の先生は、もう、仕方がないのです。

学校の先生は悪くない。 「学校」という名前の病気なのだ。(もちろん、病気でない先生もいる。子どもたちに、たくさん、いいものをくれる先生もいることは、確かです) そう思うことで、自分の置かれた環境を相対化してみてほしい。 戦うことを選ぶこともできる。 逃げることを選ぶこともできる。 耐えることを選ぶこともできる。 選ばない、といって、ただ「終わる」のを待つこともできる。 その選択が、君をつくる。 ーーーーーーーーー 同じことがお母さんにもいえる。子どもの魂を食らうお母さんは確かにいる。(世間では毒親といわれています) けどどうしてそうなったか。 お母さんにも歴史がある。そして今があり、関わり合いの中でいきている。 お母さんが悪いのではない。 「じゃぁ私はどうしよう?」 世代間連鎖を止めるとかいう使命を僕は全く感じていないが、僕は自分一人の連鎖くらいは止めようかなとおもっている。

「学校という名の病」への免疫力のある、こういう、健康的な先生もいる。

「学校の課題だけで合格できます」は本当か。塾の合格実績を全て調査して検証。

富山県と石川県の塾の合格実績を総調べ! 入学時から「学校の課題だけをやってください。塾に通わなくても合格できます」という話を先生がするという話、 自称を含む進学高校ではよく聞きますが。 実際は? 数値でできるところまで実証しました。全部、調べちゃいました。 もちろんこれは、統計的な結論です。 あなたのお子さんは、違うかもしれないし、違わないかもしれません。 心が大事。

ブラックはラーメンだけでいい。学校はホワイトであってほしい。

富山ブラックはどうやら学校の課題まで黒くしてしまったようだ。

高岡高校の生徒から「もう、ブラック企業」と揶揄された学校が出す大量の課題。 富山高校の生徒に「自分たちのことを、しばしば学畜と呼びます」と言わしめた学校が出す大量の課題。 私は笑ってしまうが、笑い事でもなさそうだ。 伝統の話は前に書いた。 やれといわれて全部やるのが当たり前か。 仕事ではないのだ。 なんのために学校にいるのだ。 学校は君を卒業させてくれる。 変なことをしない限り、卒業させないとお上から怒られるからだ。 それでも課題をしたい気持ちがあるなら、してもいい。 ただそれは積極的責任を、自分で負っていることを、感じてくれさえすれば。 君の伸びる力が、学ぶ力が、課題や小テストの嵐で根こそぎやられてはいないか。 私はそれが心配だ。 もっと君たちのいいところを伸ばしたい。 キラキラしておしゃべりできることを、大切にしたい。 宇宙の話をしてもいい。 建築の話をしてもいい。 君の体験は?経験は? きっとそこには、受験勉強で眠っている本当の気持ちが、あるはずだから。 金沢泉丘高校は「課題が少ない」らしいが、ある生徒は「もうめちゃくちゃです」という。 ひとりひとり違う。 もう課題をしたくない生徒がいるなら、なぜその生徒にとって課題を「やらせる」ことがいいのか。 君たちは課題を「させられる」ことに違和感を感じたら、口に出して、先生に聞いてみるといい。 疑問を持ち続けさえすれば、いつか気づける。 それも、心の、大切なメタスキル だ。

富山県・石川県の進学高校で課題が多い件について

富山県石川県の高校生はとにかく生徒は口を揃えて課題が多いという。 学校は学校で都合があって課題を出す。 先生には先生の事情がある。 生徒は別にやらなくてもいいのに課題をこなす。 生徒には生徒の事情があっていいのに。 やらなくてもいいのに。。。 そんな学校でも、楽しい子は楽しんでいるし、部活が生きがいの子がたくさんいる。 僕も学校で教えていたことがあるが、授業中に、目をキラキラさせている子に出会うのはめったにない。 集団授業という指導法が、やっぱり合わないのだとおもう。(だから個別指導塾が流行る) けど学校はそういう場所だから仕方がない。 みんなも学校に行っているんだから、ちゃんと利用してほしい。 「課題に追われて、他のことが考えられない。。。」 今otononeに通っている進学校の生徒は、学校の課題を捨てている。 学校にはちゃんと行っているけれど、与えられた課題が自分を成長させないことにずっと前から気がついていた。 ひとりひとりの課題は違っているはずなのに、それをみんないっしょにする学校の都合に合わせていては、本人の勉強が進まない。 ひとりひとりが誰のために学んでいるのか、誰のために勉強しているのか。 アンケートで「自分たちのことを学畜といいます」と書いてくれた子がいる。 誰かのせいにする気持ちで勉強したって、辛いに決まっている。 悪循環を断ち切る場所が、otononeであってほしい。 otononeでは、全部自己責任で学んでもらう。 もちろん私はもっている情報をすべて出す。けど、決めるのは、本人なのだ。 それが一番、心を大切にして、チカラを伸ばす、一番の方法だと私は信じている。

 

学校教育の政治的背景(県立高校生は富山県の政治と教育ビジネスに巻き込まれている?)

依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

富山県の異常さは本当に、よくわからない。 (石川県も異常らしいが、高校生の顔をみると、富山県の方が、異常に、病的な子どもたちが多い気がする。みんな疲れている) 僕たちの知っている学校ではない。 強制収容所で働いている労働者みたいだ。 (ちゃんとお昼休みと部活動というレクイエーションが与えられている!) けどそれがなんとなくわかった気がしたので報告。 ことの発端はコレ。 公立学校(小中高)の一人の生徒に使われる人件費・教員数を計算して気が付いたこと2(富山・石川は教育県ではない) 石川、富山の平均所得は他の「大都市」と同じレベルに高いという不思議が、教育に使われる予算も「大都市」と同じくらいに低い不思議と結びついたデータでした。 なぜ富山県の平均所得は、日本海側にあって、閉ざされた地域にあって(地理的には発展しにくいはずが)、高いのか。 これが不思議だった。 路上における犯罪者検挙数の割合も東京並み。 所得格差も大きい。 けど人口は減っている… 人口は減っているのに、新築住宅がバシバシ建っている。 よくわからない富山県。 そしてお金にがめついという曰くつきの、富山県(高岡市は高岡商人でさらに有名)。 歴史的に、奈良の都以前に、歴史に葬られ都があるのではないかと僕はおもっている富山県(というか能登)。 富山には富山の歴史がある。 その歴史とどう関わるか。 それは今生きている人たちが、歴史を相対化して、離れて見て、決めることではないだろうか。 ーーー

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ーーー ある日、誰かが僕に教えてくれた。 「富山の県長(だか市長)は東大学閥なんだよ」 ああそうか。 富山中部、富山高校、高岡高校が東大にこだわる理由があるとしたら(東大でなければ、いけないらしい)、政治的な影響力を強めるために、子どもを育てていると考えたら、つじつまがあう!(合わせているだけで、本当かどうかは、誰もわかりません) 自分の味方になる議員数を増やす、ということ。 次の世代でも、自分の社会的な地位をまもれるということ。 ===== 「自称進学高校」に通う子どもたちの声です。

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== 封建的な考え方だが、まぁ確かにつじつまがあう。 だから、富山中部、富山高校、高岡高校(最近は全然進学校でもなんでもない高校までもが生徒を課題漬けにしているようで意味がわからない)は、子どもに「意図的に」ストレスを与えて、政治家になった後の恐ろしい「政治家世界」を生きるためのストレス対応能力を鍛えているのだと。選抜を行なっていると。課題、テストは、計画された「潜在的カリキュラム」である。と、僕は「妄想」に近いほどの「推測」をしてしまう。 学校は変わらないだろう。 政治が変わらないならば。 政治は変わらないだろう。 人間が変わらないならば。 人間は変わらないだろう。 もし、ひとりひとりがもっている「天の才」を守り育てられないならば。 子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。 いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。 ーーー

ーー この政治的な策略に、子どもをどう関わらせるか、どう守るか。 お父さん、お母さんの知恵が試されるところかもしれない。 学校をやめなくてもいい。 学校をラクラクとサバイバルできるように、小さい時から関わるだけでもいい。 サバイバルしながら、多くの子どもたちが、「才」を失ってしまっているように僕はおもう。 だれかをしあわせにする、大切な「才」だ。 小学校に入る前に塾に通わせたり英語をやらせたりするよりも、大切なことだ。と、僕はおもう。 「子どものしあわせ」ではなく「子どもが関わる多くの人のしあわせ」を考えなくては、その子は犯罪に巻き込まれて死んでしまうかもしれない。 「その子のしあわせ」が、習い事をしたら手に入るのか。英語塾にいかせたら手に入るのか。某有名大手学習塾に入れたら手に入るのか。 ーー

ーー 有名な話、大手の予備校と行政は繋がっている。繋がる土壌・文化が、日本にはある。 塾・予備校業界との癒着…下村文科相がむさぼる「教育利権」 教育委員会が塾の下部組織なのか、その逆かはわからない(お金をたくさん握っているのは塾だろう。とすれば、教育委員会の方が弱いのかもしれない…) どちらにしても、「うちを信じろ!」と、競い合っている。 が、どちらも「経営重視のシステム授業」、「受験対策」、「古い時代の勉強法」は変わりばえしない。 レッドオーシャンだ。 こうした組織の価値観しか知らないお父さんお母さんが、「あっちでもこっちでも、似たようなもの?他の選択肢はないの?」とおもってくれたら、おとのねを選んでくれてもいい。こちらはブルーです。 参考: 「学校の課題だけで合格できます」は本当か。塾の合格実績を全て調査して検証。 ーー

READ  進学校で疲れ果てた落ちこぼれた自己イメージとマインドをリセットする

ーーーー 靴を履く文化がない地域で、靴を売ろうとした人がいる。 「うーん、ここは文化がないから、売れないなぁ」 「どこにも競合がいない、チャンスだ!」 どちらで考えるか。 ビジネスは、需要を作ること。 需要がなくても、作り出すこと。 靴を履くように「させる」こと。 そうすると、何が起こるか。 戦争はビジネスだ。 争いのタネをつくることから始める。 そして武器商人は、儲ける。 塾はビジネスだ。 争いのタネ(古い時代の価値観)をまく。 そして、経営者は、儲ける。 必要もないことを、「それは、やらねば!」とおもわせる。 モデルに靴を履かせて歩かせるとか。 靴の効用を宣伝するとか(布教活動だ) 合格実績や合格ストーリーを乗せるとか。 そして、それがいつの間にか、スタンダードになり、文化になる。(それそれは、ただただ自然な現象として) こういうことが、起きる。 教育はビジネスだ。 プログラミングを必須化して、英語を必須化して、教育業界は動いた。 需要を作り出した。 それがただのビジネスに留まるか、それとも、社会を調整する、時代に「適応する」子を育てることになるか。 学校の成績のために習い事を増やすだけの結果に終わったなら、日本の教育はただのビジネスでしかないだろう。

もう、戦争も、経済成長も、終わりましたよ?

学校という試練が適切かどうか。オトナの願いとコドモの願い

子どもが、学校に行きたくないと言った。担任の先生が、どうやら暴力的な人らしい。 三者面談があった。 先生が「○○さんがきてくれるなら、担任を変えてもいい」といった。 お母さんはこう答えたという。(その人自身が教えてくれた) 「それは困る。これはこの子が世の中にでたら何度でも出会う状況だ。ここで練習してもらわなくちゃいけない。担任を変えられたら、困る」 と。 なるほど。なんとなく、理にかなって聞こえる。 聞こえる。 が、 何かがおかしい。 なんだろう・・・・・   子どもの気持ちを意に介していないこと。 どれだけ辛い思いをしても、「自分で学校に適応しなくてはいけない」「助けてもらえない」という絶望感の中で、子どもは何を学ぶんだろう。 もちろん、その願いもわかる・・・・ けど、コドモはその願いに押しつぶされているかどうか。 ちゃんとみなくちゃいけないし、コドモの願いは何なのか。 この状況に限ったことではない。 多分このお母さんは多くの状況で「試練」を与えてきただろう。 その一つ一つをどうやって乗り越えるのか、、、助けを求めているのかを、感じたい。   この子は、学校で、魔界で暮らす技術を、誰にも教わらず、一人で開拓しなくてはいけないらしい。 神経症になってしまうだろう。実際、神経症に、この子はなった。 この子は、地獄で生きる以外の道を選べなくなるのではないか。 他の道を選び取っていく、積極的自己責任をもつという経験がないのではないか。 いやまぁ確かにこの世は地獄だろうけど、地獄を推奨するなら、それなりの手助けをしてあげているのか、この話からは読み取れなかったが。 そう、読み取れなかった。。。。。 しかも、「それは困る。これはこの子が世の中にでたら何度でも出会う状況だ。ここで練習してもらわなくちゃいけない。担任を変えられたら、困る」 と先生に言ったことを誇らしげに喋っているから、ナルシシストだ。(なぜあの状況で僕に喋る必要があったのか今でもわからない)   ーーーーー 実はこのお母さん自身が、破壊的な関係の中で、長い間、小さい時から、大人になってからも、暮らしていた。 このお母さん自身、逃げるということ、自分を守ることができずに、必死にただ生き延びてきたサバイバーだ。(両親からも、新しい家庭でも、差別され、支配され、蔑まれてきた) 加害者は被害者。 今も、親鳥が育ち、次の卵が、生まれ落ちようとしている。

 

AI化する子どもたち

AI

『AIに負けない子どもを育てる』新井 紀子 こんな本が出ているようだが。 そもそも子どもがAI化している、という視点を、オトノネのお母さんから聞いた笑 なるほどおもしろい言葉のつながりだなとおもって、オトノネを広げてみる。 ーーーーーー

ーーーーーー 「この子はAIだろうか?」とおもう子がいる。 何を喋っても、心から言葉が生まれてこない。 ロボットみたいな子供がふえている。 コントロールされている。 上の子は見事なロボットになれたかもしれない。 けど下の子はロボットになることを拒絶した。ということもある。 お父さんお母さんはそれに気づいているのか。 オトノネは、ロボットをつくる場所ではない。 ロボットを作ろうとする人に、オトノネの価値はない。 「どんな子になってほしいですか?」 「どんな人間になってほしいですか?」 オトノネは、オトノネを大切にする。 オトは出せても、オトノネがだせなかったら。。。 「日本的な時間」で育まれた社会の「自然」、 その自然のなかで「適応」するには、AI化が必要だったのだろうか。 オトノネは、人間には出せても、AIには出せない。 ーーーーー

ーーーーー こんなニュースが最近。 子どもは、逃げられなかったのか。 親は、逃がせなかったのか。 AIとして育てられたために、「生きる」チカラがなかったためか。 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20200122-00000077-jnn-soci AIに、生きるチカラはない。

たとえば、一番子どもたちに身近なAIは学校の先生だ。 学校で学べるのは、AIとしてどうふるまうか、ということだろう。 笑 不登校になって休学していて、「登校したい」といって行ったら、学校で歩いているAIは「休学延長をしにきたとおもった」といった。そういう世界が、AIの世界であり、学校だ。 宿題をしてこなかったら「再提出」という音声を出力するAI。 笑 ディープラーニングはどうした 笑 なるほど、AIに、すでに負けている 笑 大人が 笑 ーーー

ーーー 子どもが不登校になる、成績不振になるなど、お母さんの予測を超えた行動をとることがある。 というか別の人間なのでそんなことだらけだ。 (AIも予測不可能な「行動」をするだろうか?しないだろう。やっぱり人間は人間だからだ。) だがそれが認められず、さらなるコントロールを受けた場合、子供は「AI」になる。 「AI」としての環境を与えられたのだから、「AI」になる。 環境というのは、そういうものだ。 「無能さ」しか与えられない環境では「無能な人間」になるのだ。 学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら『よくわかる情動発達』 学習性無力感・学習性無気力とは? 「絶対無理!」症候群!無気力の原因は? そういう学校という劣悪な学習環境を許して、子どもを塾に通わせるなどはお笑いごとだ。 学校に使われている、AIではないのか。 ーーーーー

ーーーーーー 「不登校になってくれてありがとう!」といえるようになれるか笑 「勉強しないでくれてありがとう!」といえるようになれるか笑 勉強をしない分、楽しいことをたくさん運んでくれるかもしれない。 子供からのメッセージ、子どもの現実を理解することで、「生きる」ことを大人は学べる。 AIの大人に育てられた子供はAIになるかもしれない。 親が、決定的だ。 その中でも、サバイブする子がいる。 傷ついて、それでもなんとか、気づいて、心を取り戻そうと修行の道に入る子がいる笑 ーー

ーーー 依存性のものがある。 薬もそうだけど。。。

エネジードリンクを飲む小学生 薬漬けになる子どもたち。 睡眠薬、精神安定剤、子供にどんな薬でも処方される。 こういう子も、AI化している。 ディープウラーニングできないただのロボットかもしれない。 AIという言葉は適切ではないかもしれないが、まぁ簡単にいうと人間さのかけた人間のような形をした何か、である。 本当の自分の心に触れることなく、「カラダからのメッセージ」を無視して薬を飲んで頑張って学校に行ったり??? エネジードリンクを飲んで「成長を止めて」「脳を殺して」「慢性的なストレスに脳を晒して」自分からAI化する子供たち。心を守れない。暴力に支配された「自然」の中で、暴力から身を守ることを学べる「自然」は淘汰されてしまったのだろうか。 社会という「自然」、社会という「不自然」 学校は暴力の世界だ。 生き残っただけでも赤飯ものだが、生き残る過程でAI化されているかどうかわからない。 人間として生き残れない、子供達をAI化するシステムが学校という組織だからだ。 (学校という環境がそもそもAIのようだ。何をディープラーニングしているのかって?それは、生徒をAI化するためのいままでの取り組みの膨大な情報を使って学び直すしかない哀れなAIだ。自分で意思を持って、創造的に情報を選択して、学び直すことができない。) 家庭も暴力に加担してしまって、どうして子どもの心を「自然」に伸ばすことができるのか。 ーーーーーー ひきこもりは、身の安全確保です。 子どもが、自分の体のメッセージに素直に従った、とても「自然」なことです。 AIの子にはできない、素晴らしいことだと僕は思っている。

子どもが沈黙する、日本の言語環境。空気読む(言葉が育たない)文化??

 

PISAで「無回答」が多すぎた問題。 大人のやましい沈黙。子どもの計画的不登校。 はっきりいいます。 (おとのねさんそこらへんはっきりしています) 休みない定期テストと外部模試、宿題、課題は、学校の生徒(自らを学畜と、進学校の生徒が自分で称していました)管理システムです。 お子さんの心を、刑務所送りにしていませんか? 刑務所でもたくさん、学ぶことはありますが。。。。 僕は、脱獄しました笑 学校の囚人管理システムから、大人になったら、今度は会社の奴隷(社畜)管理システムに移行します。 本当に「いい」会社、社畜になっても守りたい大切なものに出会えたなら、しあわせですが。。。 日本の「こけん」のために? 親の「こけん」のために? 日本や親から子どもが自立していく場所が、おとのねです。 PISAの「定期テスト対策」する日本。 「テストの勉強したの!?」という言語環境が、子どもの大切なタネを殺していませんか? 子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。 子どもの魂を食らうお母さんの話と学校の課題の話。

 

 

児期に「お母さん」の心を豊かにすると、子どもはしあわせになる。学童期の「子ども」にお金をかけて大丈夫?   泉丘高校、二水高校、錦丘高校の【偏差値・合格実績の影】で泣いている高校生がいることに、気が付いていますか? 高岡高校、富山中部高校、富山高校の【偏差値・合格実績の影】で泣いている高校生がいることに、気が付いていますか? 富山県で小さな塾をはじめた東京の先生が高校生の課題の多さに心を痛めている個別指導塾otonone-オトノネ- 暗記をせずに難関大学に合格したい人のための個別指導学習塾otonone-オトノネ- 富山県高岡市の家庭教師おとのねさんは登校拒否、不登校、成績不振で困っている小学生・中学生・高校生に向き合います。 保育士試験に合格するための筆記、実技、過去問の使い方、勉強法を教えます。 富山県高岡市の音楽教室otononeでピアノとギターとグンデルを習いませんか? 泉丘高校、二水高校、錦丘高校の【偏差値・合格実績の影】で泣いている高校生がいることに、気が付いていますか? 高岡高校、富山中部高校、富山高校の【偏差値・合格実績の影】で泣いている高校生がいることに、気が付いていますか? 富山県で小さな塾をはじめた東京の先生が高校生の課題の多さに心を痛めている個別指導塾otonone-オトノネ- 暗記をせずに難関大学に合格したい人のための個別指導学習塾otonone-オトノネ- 富山県高岡市の家庭教師おとのねさんは登校拒否、不登校、成績不振で困っている小学生・中学生・高校生に向き合います。 保育士試験に合格するための筆記、実技、過去問の使い方、勉強法を教えます。 富山県高岡市の音楽教室otononeでピアノとギターとグンデルを習いませんか?

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