【753教育】と【学習性無気力・無力感】のオキシトシン欠乏コンボ

自称進学塾オトノネ

学習性無力感・学習性無気力とは?『残酷すぎる成功法則』

刺激に対して「もう無理」だと心が「お手あげ」になっている状態です。

 

セグリマンとメイヤーの実験。
まず、犬を「どうにもならない」電気ショックの環境に置く。
すると犬はもうどうにもならないからうずくまったままになる。
次に、犬を「どうにかなる」電気ショックの環境に置く。
すると犬は、敷居を一つまたぐだけで電気ショックを受けなくなるのに、電気ショックを受ける場所にとどまって、動かなくなる。
これを学習性無力感という。
やってもやっても、どうにもならなかった。
だからもう、諦める。
もうやめた!
僕自身が、実は、そうだったりする(もっと頑張ってみる?)。
頑張れば頑張るほどドツボにはまってしまう感じ。
こういう時に、誰かが「いや、あっちいけばいいのに」といって突っついてあげて、犬に敷居をちょっとまたがせたらいい。
そういう人がいる人は、しあわせだ。
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「いや、もう少し、頑張ってみようかな」といって超えられる困難もあるかもしれない。
残酷すぎる成功法則
『残酷すぎる成功法則』のなかで、超過酷な軍隊の訓練(試験)を超えたある人物は他の人と何が違うかを調査した結果、
「大丈夫、大丈夫!」とポジティブな言葉を使っている人が、試練を耐えた、という。
楽観的に物事をみる!!!!
こんな人もいる。
エベレスト登頂中にザイルが切れて墜落して歩くのもやっとのボロボロの状態で、「あの岩までたどり着くまでに何分でいけるか」をゲーム化した。そうしてなんとかベースキャンプにたどり着いた!という話。
はたまた。
アウシュビッツの生存者は他の人と何が違ったか?

“自らの命が自分自身より大きな理由のために存在していることを知る者は生き残り、それ以外の者は、煙草を一服したのち、電気柵に向かって最後の疾走をした。”

他者にとっての自分、自分の命は自分だけのものではないことを自覚している人が生き残った。
待っていてくれる、応援してくれている人がいる人は、しあわせだ。
しあわせを感じながら、暮らしていこう。
幸せを言葉にしながら、言葉にされた幸せを聞きながら、味わいながら、暮らしていこう。

幸せな言葉をみんなで共有する文化がある。
宗教だ。
しかしその宗教が人をしあわせにしない例も多々ある。

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逃避とは「刺激が引き続き起こらないようにするための行動」
回避とは「刺激が与えられないように前もって示す反応」
学習性無力感とは「逃避や回避が不可能な場所で、対象に嫌悪刺激を与え続けるとほとんど動かなくなり、回避可能な状態になってもその刺激を受け続けるようになる。また別の状況でも般化が怒り、新たな回避行動の学習ができなくなる現象」
どうして無気力になるの?
適切な発達段階の課題に取り組めなかったから。
拷問台に自ら進んで行く子どもは、ほとんどいない。
文科省データで見る不登校の原因|中3生徒の追跡調査からわかったこと

諦めるか、諦めないか、諦めないなら、工夫したほうがいい。

ペンシルバニア大学のマーティン・セリグマンとその同僚は、パブロ フの条件づけの実験をしていた。犬たちは、真ん中が低めの壁で二つに 仕切られた大きな箱の片側にいた。ある音が鳴ると、床に軽い電気 ショックが走る。犬たちが壁を飛び越えて反対側へ行けば、衝撃を逃れ ることができる。セリグマンたちは、電気ショックの前に必ず音が鳴る こと、したがって音を聞いた瞬間に壁を越えればショックをまったく受 けずに済むことを犬に認識させようとしていた。

簡単な実験のはずだった。ところが、犬たちはいっこうに動こうとせ ず、哀れっぽい声を発しながら座ったまま。予告音が鳴り、ショックが 与えられても、何もしようとしなかった(研究者たちは額に手を当て、 職業選択を間違ったかと考えた)。

やがてセリグマンは気がついた。トレーニングの早い段階で研究者た ちがしくじり、音と電気ショックの関係を犬にはっきりと理解させな かったに違いないと。ショックはランダムに与えられると犬たちは認識 していた。つまり、音を警報と捉えるかわりに、自分たちは何をしても ショックを回避できないと学習し、無気力状態になっていたのだ。彼ら は、人間のように三〇〇~一〇〇〇語も考えないかもしれないが、決し てばかではない。彼らの声を代弁すればこうなるだろう。「何をしよう とどうせ電気ショックだ。逃げようとしたってムダさ」

犬たちは、無益という概念を学んだのだ。その結果、悲観的になり、 行動を起こすことを断念した。そんなわけで、パブロフの条件づけに関してはその日大きな進展が得られなかったが、グリットを理解するうえ で得られた意味は非常に大きかった。同様の研究は人間を対象にしても 行われ、人びともまた犬と同じような反応を示すことが確かめられた。

こうした反応は極めて合理的だ。もしもあなたが芝生の上で空を目が けて飛びあがり、そのたびに頭から花壇に落下したら、「スーパーマン と私の共通点が一つ減ったな、私は飛べない」と賢く判断し、かわりに 車でスーパーへ買い出しに行くだろう。

しかし実生活では、これほど単純明瞭ではない。人は諦め、正当化 し、運命を受けいれる──それでもときどき、どうしてもっとうまくでき なかったのか、もっと頑張れたのではないか、などと思いめぐらす。

「自分にはできない」という私たちの判断がいつも正しいとはかぎらな い。ときには打開策があるのに気づかないこともある。その前に諦めて しまうからだ。

興味深いことに、人間を対象にした先ほどと同様の実験で、三人に一 人は無力感にとら囚われなかったという結果がある。これらの被験者は諦めずに、ショックが起こる理由と、それへの対処法をつきとめようとする。彼らはすべての失敗は変則的なものだと考え、あくまで前進し続け る。

そして当然のことながら、彼らが迎える結末は次のいずれかだ。

①まったくの誇大妄想に終わる

②人並みはずれて成功する

詰まるところは、私たちが自分に語りかける言葉が肝心だ。

学校のしくみ【753教育】とは何か。『教育753』の現場から

「教育七五三」の現場から-高校で7割・中学で5割・小学校で3割が落ちこぼれ

ゆとり教育は難しすぎ? 高校生3割が小学校レベルの勉強わからず

簡単にいうと、エリート選抜システムだ。
学校の授業、課題は平均以上の子のためにデザインされている。

変な表現で言うと、「おちこぼれをおとす」システム。
(もちろんいい先生もいますよ)

別の言い方をすれば


学校は、大切なことを学ぶための「試練」は提供するが、「試練を乗り越える」ところまで手伝ってはくれない

と思ったらいい。

統計的な事実を物語にすると、そうなります。

では、「試練を乗り越える」プロセスで学べる大切なこととは?
非認知能力だ。
情動知性といってもいい。

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多くの子どもにとって

学校は、受刑期間が過ぎるまで、耐える場所。
受刑が終われば、出なくてはならない場所。

だから、これがお母さんの大切な役割だとおとのねさんは思っています。

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中学生・高校生になって劣等感を抱いたら?コルチゾールの生み出す怒り

経済は「競争」では繁栄しない

タイプAの人は猛烈で短気な辣腕家だが、何百万ものタイプAの人たちが、長時間仕事をし、会議 から会議へと飛びまわり、携帯電話に向かって怒鳴りながらも、じつは健康で末永く幸せに暮らして いるというのが現実だ。ストレスや健康やオキシトシンの分泌に関して、決定的に重要なのは幸福度の部分なのだ。

あなたがハリウッドのエージェントや投資銀行家、政治家、または花形営業マンの職務を嬉々とし てこなし、仕事は万事順調で、あらゆる幸運に恵まれているとしたら、あなたのタイプA型の人生 目が回るほど忙しい―― が、かならずしも心身が蝕まれるようなストレスの多い毎日だというわはない。コルチゾールの致命的な影響力を解き放つのは、不満が募ったり社会的に下位に置かれすることによって生じる、内にこもった怒りであることが判明している。心臓発作や脳卒中、オキシトシン欠乏障害の危険がもっとも大きいのは、頂点を目指して疾走している人たちとは限らず、むしろその途上で立ち往生している人たちなのだ。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.159)

子どもをストレスから守ること

学校や塾でたっぷりストレスを受けてくる子どもたち。(学校は楽しかった?と聞いて楽しかった!という子に、今日はどの授業が楽しかった?と聞いてみてください。音楽か体育か図工でしょう。今日の授業で、おもしろいことあった?とか、いろんな聴き方をしてみてください。お子さんの学校生活が想像できるとおもいます)
家庭でお母さんに怒られるとしたらもう意欲もあったもんじゃない。

学校は法律に違反していることもお母さんにはわかってほしい。
家庭教育は、学校教育が踏み込む場所である、とは規定されていないのに、学校は家庭教育にまで口を出す。
社会教育もあるのに、学校はその機会を与えることがないほどに宿題を出す。

学校教育は学校教育でわきまえて、自立したらどうだろうか。
家庭は家庭でしかできない大切なことを学ぶ場所なのだ。
学校ができない仕事を家庭に押し付けていないか?お母さん、お父さんと過ごす大切な時間を、学校の課題で終わらせていいのか?

学校の授業においてきぼりにされてその上、わけのわからん宿題を出される子どもの苦しみをわかってほしい。
感じてほしい。できなくて当然。やれなくて当然の宿題。

学校は子どもをみていないことを認めて、そのストレスを和らげてあげること。
これが子供が伸びる秘訣といってもいい。

学校はお子さんが学ぶ場所ではないと認めてあげること(だって実際に成績が悪いのは学べていないからではないか?)で、お子さんは伸びる。
オトノネは子どもたちが本当に学べる、ちゃんと学ぶためにつくった。

大人都合でなく、子どものための学校だ。

ちなみに、外国に行くと「ストレス」という言葉がないらしい。(インドネシアでも?という顔をされたし、インドネシアで出会ったスイスの人も?だった)。
らしい。
日常会話にストレスなどという言葉はでてこない??
私がびっくりした。
日本はストレス社会だ。学校も会社も。
「授業?なにそれ?」が高校生の合言葉(実際、大多数がそういう)。
学校は、友達とおしゃべりをしながら、ご飯を食べるところなのだ!(学ぶ場所じゃない!)

 

学校の先生を助けてあげよう。

もしこういう先生がいたら、お母さんから「休んでいいんですよ」と言ってあげてほしい。
学校の先生の多くが疲れて自分でも何をしているかわからない、のかもしれないから。

学校の先生は、病気の人が多い。職業病。

助けてあげなくちゃ、学校の先生はもう、限界を超えているから、無理なんだということ。
これからもっとたくさん忙しくなる。

学校の先生を助けてあげてほしい。

じゃないと宿題やったかとか罰を与えるロボットになってしまう。
そのくらい、先生は疲れている。疲れていない、実際に自動思考(プログラミング)で動いているロボットの先生もいる。

そうでなければ、先生という仕事を続けられない。
救いを求めて、こういう場所にいく先生もいる。
助けてほしい!と叫びたくても叫べない先生がいる。

いやもちろん、ちゃんとした先生もいるけれど。
っというか、ちゃんとした先生というくくりは属性に聞こえるかもしれないが、属性ではなくて、学んでいる先生、対話している先生、自立した先生、積極的に責任を負っている先生のことを、僕はちゃんとした先生といっている。

 

学校の先生も、学習性無気力なのだ。

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子どもが疑問に思ったことを「学校の先生が言ったことだから」と、親が思考停止になってはいけない。
その「悪癖」は子どもに移る。否定せず、批判を試みるといい。
学校の先生から言われたことを鵜呑みにする子どもにならないためには。

学ぶ人間に「いわれたことだからする」というセリフはない。
学ぶ人間にあるものは対話であり、理性である。

納得できないなら、どうするか?
そこからは、社会情動的スキルの出番だ。

学校の偏差値教育(相対評価)と家庭教育(絶対評価)でセルフハンディキャップ・無気力・無力感よさよなら『よくわかる情動発達』

今の学校は相対評価
家庭はその子のスケールに合わせた宇宙的な絶対評価をお願いいたします。

よくわかる情動発達

小学校への入学に伴って同じ年齢の子供たちが一つのクラスに集められて授業が行われるという学習環境の変化は、自分の能力を他者との比較によって評価しやすい状況を構成します。とくに教師が競争的な課題を導入したり、個人内の変化よりも他者との相対評価によってフィードバックを伝えたりするとこの傾向は一層強められます。その結果、子どもたちは自分の有能さの基準として「個人内基準」に代えて「相対基準」を用いるようになります。このような変化は同時に自己評価や有能感の低下をもたらします。(『よくわかる情動発達』p.98)

優秀な作品だけを展示したり、成績の良い生徒を特別扱いするといったやり方は、「遂行目標」を選択させ、援助要請の回避やセルフ・ハンディキャッピング、挑戦の回避など不適応的な学習パターンを導きます。(セルフハンディキャッピングとは、いざ失敗した場合にその原因をハンディキャップのせいにすることによって自分の能力の低さが露呈するのを避けようとする自己防衛方略)(『よくわかる情動発達』p.99)

自分の能力を伸ばすことや新しい何かを習得すること(熟達)を目標とする「学習目標」と、自分の能力の高さを他者に示して良い評価を得ること、あるいは自分お能力の低さを他者から隠して悪い評価を避けることを目標とする「遂行目標」とがある。学習目標を持つ人にとって、失敗は現在の行動が適切ではないことを教えてくれる大切な情報であり、またこれからの努力によって自分の能力が伸びると信じているため、たとえ失敗してもやる気は失われません。しかし遂行を目標を持つ人にとって、失敗はそのまま自分の能力の低さを意味します。このため失敗して自分の能力に自信が持てなくなると、能力の低さを他者から隠そうとして新しいことに挑戦することを避けたり、あえて努力しないことによって自分の能力の低さがあいまいになるようにします。このような防衛的な反応が他者からは無気力に見える状態を作り出しています。(『よくわかる情動発達』p.101)

ちなみに、無気力には2タイプあるそうです。

大芦は、家庭での甘やかしもあって幼少期からあまり元気が無く、小学校、中学校と進むにつれてしだいに怠学が目立つようになるケースで、自発性を呼び起こさない社会に無気力化することである意味安住している「自発性欠如型無気力」と、人一倍まじめ、きちょうめんでよくできる子どもが、自発性を育てるのに適していない社会に無理やり、自発的であろうとして、結局それが実現できず無気力かしていく「脅迫型無気力」という2つのタイプの存在をしていきしています。

環境そのものが無気力な環境に適応するために、無気力になるタイプ。(養鶏場の鶏タイプ)
挫折して、無気力になるタイプ。(出る杭が打たれるタイプ)

どっちも、無気力な、自発性を呼び起こすことに価値を置かない社会が無気力な、自発性を封印した子どもを作り出しているだけですね。

そんな無気力社会に適応することが、成長することだとしたら。
子どもを無気力にすることは、その子を社会化すること。
無気力は、意欲を失うことは、大人になるために、必要なこと。

世の中は、うまく回っている。

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へその緒を繋げたまま、胎盤という大地の上で暮らしている子どもたちがいる。

サーカスに売られた小さな像が、小さな杭に鎖で結ばれていた。
大きくなって、杭を引っこ抜く力を得た後になっても、見えない鎖で繋がれている像は、そのチカラを使うことなく、サーカスに止まりました。

おとのねさん自身、まだ繋がれていると、おもっている。
なすすべもなく、杭の周りをうろうろしている。

ホームスクールの勧め

ホームスクールのススメ実は、教育基本法に書かれている「教育」は学校だけではありません。

「家庭教育」「社会教育」があります。つまり。。。

「学校だけでなく、学校の外で学んでください」ということです。

学校には予算の限界があります。これから教員も減っていきます。合併統合で人数が増え、一人ひとりに目が向けられなくなります。

そんな学校だけでは「学び方」を学べないお子さんもたくさんいるとotonone-オトノネ-は考えています。

一人ひとりが違うのですから。学校という暴力からお子さんの心を守ることが大切です。

 

ホームスクールのススメ一人ひとりの生き方は違います。興味関心、能力、希望、夢、信念、心のあり方。

一人ひとりがその気持ちや能力を高めて行くこと、実現して行くことが教育だと思っています。

オトノネは「なんか変だよね、これ」と、違和感を持った人に来て欲しいと思っています。

「ふつう」の価値観をもっていない人のための、オトノネです。

自ずと立つ、と書きます。子どもはいろんなことができるようになりながら、一人の人間として自立していきます。もちろん、一人で生きていく意味ではありません。自立とは、自ら意欲をもって大地を踏みしめて、人間らしく、創造的に、自発的に振る舞う様子を表しています。人間は動物で唯一、「立」ちました。おかげで脳が「創造的に」使われるようになりました。意欲あること、創造的であること、自発的であること、これが自立の意味です。個性と自立のための創造力の話はコチラ

自立とは

「絶対無理!」症候群!無気力の原因は?

学校の中にいるとたまに耳にする「絶対無理だよ〜」という言葉。

明るく言う子はまだいい。
心の中で「むりむり、それは無理」とおもう子がたくさんいるにちがいない。

無理なことをさせすぎだ。(無理な課題を与えられ続けて、失敗ばかりしていたら大人だって元気なくなって、むりむりと言いたくなる)
多くの先生は困っている子どもを放っておく。
「ちょっと頑張ったら自分でもできる」ことに困っている時だけ、1人で解決していく。

遊びの中ではこの「試行錯誤」のレベルを自分で選べる。
自分で課題を見つけて、目標をつくって、やってみる。
けれども学校や塾で与えられる課題は、自分では選べない。
与えられたままにやっていくしかない。

学校で生徒が受けているストレスは本当に大きいだろう(先生すらストレスをうけている。だれもハッピーでない。)

その点、個別指導塾は、自分の課題を選べるからいいんだろう。
マニュアルがあって、テストをして、点数が取れなくなったところからやり直せばいい。

誰にでもできる仕事だ。
AIがうまくやる仕事だ。

これから先生は、日本からいなくなるかもしれない。
これから先生は、生徒管理、保護者対応係になる(生産管理と苦情窓口のように聞こえるのは私だけだろうか)だろうし、現にそうなっている。

先生は決して、教えてはならないことを、教えてはいけない。
だれかに潜在的カリキュラムで生徒が学ぶことをきちんと研究して世の中に出して欲しいのだが、そうすると叩かれるので誰もやらない。

研究者がそれをしたら、科研費でなくなるし、、、、
なかなか研究者として自立ができない。

「絶対無理!」な「自立」への道。
多くの大人が「自立試験」受験生としてすでに無気力、無意欲毎日の仕事で追われている。。。(もちろん、志願者がいない、といってもいい)
そういう言い方をしてみれば、少しは子どもたちの気持ちもわかるだろうか。

その中で自立していく人たちはどんな人だろう。
もう最初っから、根っこから自立できる環境で育ち続けた人(大切なものを守り続けた人)。
或る日突然、「症状」がでて、苦しみの末、自分を見つめ、「みんな一緒」から抜け出し、自立の道を歩まざるを得なくなった人(そういう人が多い気がする)。

READ  『マインドセット』と『残酷すぎる成功法則』は失敗から学ぶことを促す。

変われない。学習性無気力ー学習することを諦めさせる学校

あなたの脳は変えられる――「やめられない!」の神経ループから抜け出す方法

患者とのやり取りについてさんざん思い悩んだ末(そのときはわからなかったが、実はまっ たく周りが見えなくなっていた)、ある日、頭の上で電球がパッと灯ったように突然ひらめいた。 こう考えたのだ。人は安定した子育てが受けられなかった場合にどうなるのだろうと。

私はオペラント条件付けの観点からBPD患者を見はじめた。BPDの人が、子ども時代 に予測可能なフィードバックを安定して受け続けることなく、スロットマシンのような育て られ方をされていたらどうなのだろう。安定した強化ではなく、間欠強化を余儀なくされて いたら……。

そこで私はちょっとした調査をはじめた。BPDの人の子ども時代に最もよく見られる特 徴は、母親の愛情が薄いことと、性的、身体的虐待とされる。私の患者たちもこれを裏づけ ていた。育児放棄と虐待の話は頻繁に耳にした。問題は育児放棄のタイプだ。突っ込んで尋 ねてみると、親はときどきは温かく愛情を注いでくれたという。そしてときには、正反対に なる。子どもは、ママやパパが帰ってきて自分を抱きしめてくれるか、それとも殴られるか、予測がつかなかったのだ。

答えが見えはじめた。そして、ある患者の最近の行動について考えながらホワイトボード の前に立っているときに、突然すべてがあるべき場所に収まった。

患者たちの症状。そして師のアドバイス。それらが結びついて意味を持ちはじめた。BP D患者は人との関わりの中で予測可 なルールを持てなかったために、安定した自意識を発 達させられなかったのだろう。彼らの脳は、どうすれば愛されていると感じ続けることがで きるか、少なくとも苦しまずにすむか、その方法を見出そうとずっとシミュレーションを繰 り返してきた。これに比べれば私のアームストロング依存などたいしたことはない(少なく とも本人が告白した段階で、シミュレーションは完全に消えた)。レバーを押し続けるラットのよ うに、あるいはフェイスブック に投稿し続ける人のように、彼らは無意識のうちにもう一度 ドーパミンを得られる方法を探していたのだ。

私がセッションを延長すれば、彼らはそれを特別と感じる。行動と報酬だ。「本当に必要」 という理由で追加のセッションの予定を入れれば、彼らはやはり特別と感じる。行動と報酬。 うぶだった私は、彼らが「危機的状況」にあるかどうかがわからず、その場でどうすれば最 善かを決めなければならなかったのだ。つまり、患者だけでなく私も、自分の行動の予測が 付かなかったわけだ。 患者たちは、最も基本的な意味で愛してくれる人、安定した愛着と予測可能な案内図を示 してくれる人(この場合、私)を求めていた。彼らは無意識のうちに、私がそういう人である ことを示唆する行動を私に取らせようとしていた。そして、私が何らかの一貫しない行動を 取ると、彼らは最たる強化である間欠強化を受けるはめになる。私は知らないうちに彼らの行動を強化していたのである。 (『あなたの脳は変えられる』ジェドソン・ブルワー p.135)

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