保育園もサバイバルな件(オトノネさん唖然)ー「あそび」という名の労働

聞く話では聞いていたが。。。

わかっちゃいたけど…

実際、現場の人の話を聞くと、やはり唖然というか、呆然というか。
そんな世の中になりました。

保育園の時から「させる」ことがたくさんあるらしい。
(いやいや、おしっこの自立とか、椅子に座ってご飯たべるとかそういうレベルではありません)
「導く」「任せる」「誘い」。ご招待。

いわゆる、行事のための掲示物。
お母さんに見せるために、、、、つくる、、、、
6月はカエル。
7月はヒマワリ?


「ねぇ、これつくったらあそんでいいの?」という子ども。

保育士は「え?これは遊びじゃなかったの?」と驚いたという。

「次はなにをするの?」という子ども。
え?「あそばされてた」の?
大人のあそびにつきあってあげてるの?

大人という動くおもちゃがいなかったら遊べない子、「深く」取り組めない子がいる。

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運動会、発表会、月一で入ってくる習い事や英語!は、実は子どもはそこまでうれしくない(まるで定期テストのよう)と僕はおもうのだが。
記憶には残るかもしれないが、、、

お母さんの思い出作り、他の園のお母さんとの話題のために、「行事」をしているようなものだ。
もしそれが、「子どもたちがやりたくてやっているもの」でないとしたら。
保育士の先生が「手持ち無沙汰」でないように、「行事」をしているようなものだ。
(若い先生の仕事を増やして笑っているワルイ先生がいるのかもしれない。まるで、小学校で、やたらバツをつけたがる先生のように。実際に、そういう先生、いますよ。)

お母さん、保育士のみなさんに、行事よりも、日常の保育に力を注いでもらうのはいかがでしょうか。
一部の保育園は、行事のためにブラック化しているらしいことが、SNSで情報を集めた僕の印象です。
保育士への負担は、子どもにも影響します。もちろん。
保育園の園長さん、保育へのプライドをもって、真心をもって、保育園のしくみを見直すのも、ひとつでは?

「行事」の文化は、伝統は、いつから、どこから始まったのか。
なぜ「保育園でそれをしなくてはならなく」なったのか。
それは本当に、大切なことなのか。

行事のおかげで、保育士の先生たちが子どもに注げるエネルギーを、削いでしまっていないか。
(子どもを喜ばせるなら、日々の保育で十二分ではないのか)

「毎月の季節」「日本の伝統」を経験するための行事が、学校になれば「定期テスト」という名前になります。
学校も定期テストのおかげで、先生たちは大切なことができていないのです。
声が聞こえるでしょう?「テストが終わったら、あそぼう!」
自称進学校の《課題が多すぎる》伝統から何を学び取るか

同じことが、保育園でも起きていませんか?
それはもしかしたら、私の呼んでいる「保育」とは違うものなのかもしれませんが。

子どもに、「教えてはいけないこと」を教えていませんか?

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その点、運動会を民営化(笑)した麹町の中学校はよくやっているとおもう。
また伝統的に、時期になると勝手に子供達が「発表会の準備を始める」保育園がある。
ある時期になると、年長さんが、遊ぶ暇もなく(?)あそびながら発表会の準備をしているのを、みれる環境を作っているのだ(年齢を超えて別のクラスの部屋に言ってもイイしくみができている。そしてこの保育園には、美術の時間がある!)

これは、清々しい。

小学校もサバイバルな件。

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お昼寝の時間、イベント、「全部食べるまで椅子から離れられない」信じられないようなことが、当たり前のように保育園で起きています。どうか、心を大事に。新しい時代を生きる子どもたちが、笑っていられるように。今まで当たり前のこと、それはもう役目を果たしたことかもしれません。「全部食べなきゃだめ」は戦時中、食糧難の時の話。保育園のイベントは、幼稚園の「キラキラ」しているのを、専業主婦のお母さんたちに見せていた(先進性をアピールしていた)時代の話。時代を繰り返そうとしている大人に育てられ、時代に揉まれる子どもたちの姿を、僕はあまりみたくありません。

お昼ご飯の時間ひとつにしても、「しくみ」は様々です。
ある保育所では、異年齢混合で、子どもたちが自分たちで、年長が年少者に食べ物を渡していく。嫌いなもの、少なくしてほしいもの、今日は少量で、といった交渉も言葉で子ども同士がやる。ある保育所では、配給は調理師さんがする(保育士はその時間、別のことができる)、もちろん、交渉は、調理師さんに子どもが直接する。給食の時間は固定されていない。遊びが早く終わった子は早く食べにいく。場所も決まっていない。その様子を見ながら、「◯◯ちゃん、◯◯ちゃんと仲直りしたねぇ」とかいいながら、子どもの様子をしっかりみる保育士さん。

やるか、やらないか。
ただ、始めればいいだけなのに。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

それができないのも、また人間なのです。
教育者、保育者としては、いかがなものかとおもいますが。

オトノネひろげるシェアぼたん

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