オトノネのお母さんと「みのたけ」について語る【ビジネスと子育てと命】道草を楽しめ

あそび ゲーム ビジネスの原理

最近こんな本を読んだ。

メンタリズム 最強の講義 メンタリストがあなたの心理を操れる理由

で、最後の方に「目標を達成するには、目標を無意識につなげないといけない」ということが書いてあった。
そのためには「毎日、書く」のだという。

強い想い続けていれば、叶う。
というより、具体的に何をしたらいいのか、具体的に行動するための具体的な目標を立てるのだという。

目標設定をきちんと書き出しているか???

なるほど。

僕は若い時は強く「目標」を設定していた。
それが年をとると何を目標としたらいいのかわからなくなってきた、といっていいだろうか。

そこで例えばオトノネの現在のテーマである「みのたけ」についてオトノネの生徒のお母さんとお話をしてみた。

みのたけ屋さんのお豆腐のように、みのたけで美味しさを追求することがとても気持ちいいと思っています。

で、「みのたけになる」という目標を掲げて見ると、「一体何をするのがみのたけなのか?」がわからない。

「オトノネにとってのみのたけが何なのか、わかる」という目標にしてみようか。

そうしたら具体的に何をしたらいいだろう?

「みのたけ」かどうかを判断する基準はなんだろう?

そうだなぁ、例えば、「続けられるスピード」とか?
「やっていて自然だとおもえること」とか???

けどその基準自体が間違っているかもしれない。
結局、自分にとって「みのたけ」が何なのかを探しているのだ。

ーーーーーーー

ここで僕は気が付いた。

「目標」とはビジネスの原理(コーチング)の領域であって、「成果」として認められる、はっきりとわかる、数値化できるものなのかもしれないと。
例えば「シンガーソングライターになる」のであれば事務所にアプローチすればよい。
例えば「業績を上げる」のであればメソッド本を読んだり顧客へのアプローチを変えたりすればよい。

至極わかりやすい。
正解が社会的に準備されている。(といいながら西野さんのようにイレギュラーな方法を思いつく人もいる)
(昔、獲物を追いかけていた時代、獲物をとるという目標は至極ビジネスだ)

一方で「みのたけ」になることを「目標」にした場合はどうだろう。
それが「みのたけ」かどうかの基準がはっきりしていればよいのだが、「みのたけ」が何なのかを探って行くプロセスが果てしないような気がする。

「これはみのたけだろうか?」という目標そのもへの問い。

自分がその基準、価値観を決めるというのは、ビジネスの原理ではない。
「起こってくるもの」「今そこにあるもの」を感じて受け止めて行くカウンセリングの原理、子育ての原理だ。

そうやって言葉を整理したら、「みのたけ」になることを「目標」にするという言葉がどこか浮いているように感じたことが納得いった。

ビジネスは他者から評価できるもの。
子育ては自分で評価するもの。

そういう区別をしてもいい。

けど、どちらも目標設定ができる。

ーーーーー

「みのたけ」とは何かという問いに答える、

という目標設定をしてみよう。
毎日書き出したり、心の中で問い直してみよう。

そして、具体的になにか行動してみよう。

長い時間がかかるだろう。
「結果」「成果」を見つめるのも自分自身だ。

ーーーーー

「人生はゲームだ」
といった人がいた。

課題設定をして、こなして行く。
クリアしたら、次に行く。

ビジネスも子育ても関係ない、遊びの境地に達しているような人の言葉だったから、僕にはその言葉が心にとても重たく残っている。

ビジネスが子育てを支え、子育てがビジネスを支える、そんな暮らしをきっと、誰もが目標にしたら世の中は幸せになるのかもしれない。

遊び心が、人の命を豊かにするというよりも、遊び心そのものが、命なのだとおもったら、「みのたけ」という目標は、あまりにも没個性的なきらいがあるだろうか。

そんなことはない。

遊び方は、ひとりひとり違うのだから。
命のもやし方は、ひとりひとり違うのだから。

世界のリッチネスを探してみよう。
自分のリッチネスを探してみよう。
今思い出したアニメが、「ハンターハンター」だ。

「道草を楽しめ 大いにな。ほしいものより大切なものが きっとそっちに ころがってる」
主人公のお父さん、ジン=フリークスの名言

道中が楽しめない道は、きっと、心ある道ではないのだ。

ーーーー

果てしなく続くようなこの記事もそろそろ終わらせないといけないなぁとおもう。

「好きなことをする」の「好き」が自分でわからない。
「楽しむ」という感覚、リッチネスの感覚が弱い人がいる。(僕自身かなり弱い)

「好き」という気持ちを守っていく心の元気がないのか。
「嫌い」を避けるだけの、「嫌い」を否定するために長い時間を使ってきてしまったのかもしれない。(闇を歩くスキルだけ鍛えて光の中を歩くことを忘れている人が多いこと多いこと!!!!僕もね!)

僕は韓国で、僕の「好き」「楽しみ」を演劇という仕事が守ってくれていた。
日本ではどうだろう。

自分を好きになれるような暮らしなんてあるんだろうか。

そんな問いを、また立ててみる(少しぐらいバッチリビジネスの目標を立てたらいいのにとおもう)。

簡単なことで「嫌なものをすべてやめる」だけでいいのになぁと、おもってみたりする。
「死ぬ気で」遊ぶのだ。

そんな大人の流儀があってもいいような気がしてきた。

「どうでもいいこと」は本当にどうでもいいとおもえるか。
ハナクソな狂った世界がどうでもよくなるくらい、死ぬ気で遊んでいるだろうか。

「あーそーぼっ!」といえる仲間の大切さ。


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