コドモとして未成熟なオトナ

文章を書くときには、これが誰に読まれる文章なのか、わからないのが1番困る。

お母さんもいろんな状況の中にいる。
「イイ先生」に出会えなくて辛い思いをしているお母さんもいる。

こどもを苦しめているお母さんもいる。。。。
子供を苦しめていることにも気づかないお母さん。
「また怒ってしまった」といつも反省しているお母さんもいる。

いろんなお母さんがいて、ひとりひとりの気持ちも心も違う。
だからこそ、直接、話さないと、何も生まれないような気がする。

ブログに書いてもなぁ・・・・

といいながら、最近「こどもとして未成熟なおとな」という言葉を思いついたので、書き残して置こうとおもう。

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世の中の不幸を拾い集めると、大人の大人としての未熟さ、大人の子どもとしての未熟さを感じる。
僕自身も未熟さをもっている。
そんななかで学ぶ人、気づく人、と学ばない人、気づかない人がいる。
魔王もいる笑

たとえば「こどもとして未成熟」であれば、大人は無条件で愛されたかったという願望を、もしくはもっと別の人生を歩みたかったという願望を子供にぶつけているかもしれません。

たとえば「おとなとして未成熟」であれば、今この世のなかのメディアが流す、もしくは巷で流されている情報を丸呑みにしてしまって子供に無駄な、理不尽なプレッシャーを与えているかもしれません。

この両方が、混ざっていることもあります。

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そんなとき、子どもは、「沈黙」や「暴力(いじめを含む)」や「小さなガンジー」になって、お母さんに訴えるかもしれません。
小さなガンジーとは?

お母さんが大切にできなかったこと、お母さんが忘れていたこと、我慢してきたことを、子どもは教えてくれます。
将来への不安も、誰かへの怒りも、誰からも認められないというわだかまりも、もしかしたら、結婚を通じて感じている、パートナーへの不信感も。。。。子どもは僕らに伝えてくれています。言葉でなくても、行動でも。(お母さんは、なんとか大丈夫だったことでも、子どもはまだ、大丈夫にできるまで心のしくみができていないのです)

お母さんよりも、より繊細になっているかもしれません。

例えば、お母さんのその行為は、学校のためなのか、学校の先生のためなのか、自分のためなのか、それとも親のためなのか、ママ友のためなのか、果たして、よくわからない、ありもしない将来のためなのか・・・(結局それは誰のための将来なのか)

ということを、こどもはおそらく感じているのです。

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お父さんなら、小さい頃から親にコントロールされて育ったため、大人になっても殴ったり蹴ったり、言葉を荒げて命令口調になるという、自分がやられたことを繰り返してしまうこともあります。自分がたくさん要求されて来た過去を、子どもにも繰り返すという状況は、よくあることです。

おそらく会社でもこき使われたり、感情を押し殺したりして、ストレスが溜まっているかもしれません。
お父さんはお父さんで、自分のケジメをつけられていないかもしれません。
それは大人として、というより、大人の「子どもとしての未成熟さ」と呼べるものだとおもいます。


大人の(大人としての、もしくは子どもとしての)未成熟な心を、子どもは写し返してくれます。

(未熟な大人が作った社会で、子どもたちは暮らしています。「成熟した大人」の知恵はすでに崩壊しています。)

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例えば、恋愛の時から、「未成熟さ」をほとんど誰もがもっている、と考えていいかもしれません。

価値がない自分だから、、、頼られたい。
そうやって始めた恋愛で子どもが生まれて、子どもを甘やかして(頼らせて)しまう人がいるかもしれません。

とにかく認めて欲しい・・・
そうやって恋愛を重ねながら、つぎつぎと男女関係を変えていく人もいます。

傷ついてしまうから、関係を作るのが怖い・・・という人もいるでしょう。

パートナーとの関係の悪さを、子供にぶつけてしまう・・・という人もいるでしょう。

いろいろありすぎて書ききれません笑

恋愛中は気づかなくても、結婚してから気づくこともあるでしょう。

いつもぐるぐる、何度も同じ場所を、過去を繰り返している、、、と気づくかもしれません。
「ああ、またやってしまった・・・・」

何をしても、何度繰り返しても・・・

やっぱり、一人では、ムズカシイのです。
ここが辛いところです。

何かの、誰かの、助けがないと、なかなか、うまくいかないものです。
パートナーと、お互いのそうしたうまくいかないことを励まし合いながら、認め合いながら、少しずつ、何か、何か!変化する日常を作り出せるなら、しあわせです。
だから子どもといるお母さんは、しあわせなのだと僕はおもいます。
子供から、いろんなチカラをもらえるのですから。。

例えば、感じている怒りを遊びのなかで、もしくは絵や音楽の中で表現する子もいます。
遊びの中で、芸術の中で体を使って懸命に外に出そうとします。
素晴らしいことではないですか?
大人が表現できないことでも、子供は表現できるのです。

溜まっていたものを出す。
出したものを、誰かに見せる。言葉を使ってもいい。体を使ってもいい。
それだけでも、プロセスは動き始めます。

それを受け取る大人の準備ができていれば、そのプロセスはよりはっきり、強く、動いて行くでしょう。

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「小さなガンジー」もそうです。
学校に行かない、というだけで、新しいプロセスは動き始めます。
ただただ息を殺して学校に行ったらただただ抑圧される感情を、別のエネルギーに変えることができれば、心は息を吹き替えすかもしれません。(そこで孤独になってしまう子が多い、子どもと子どもが出会う場所が学校の外にあまりない、というのが、未成熟な大人の作り出したこの日本の社会です。子育ては一人でするものではありませんから。)

それを受け取る大人の準備ができていれば、そのプロセスはよりはっきり、強く、動いて行くでしょう。


大抵の大人は、大人としての、もしくは子どもとしての自分の未成熟さを、認められない。

気づけない。
どうしたらいいか、わからない。

そうすると、プロセスが止まってしまいます。
成長できなくなってしまいます。

子どもが変わるよりも、大人が変わった方が、より多くの場合、子どもにとってよい影響を与えます。大人は子供の大切な、環境の一部ですから。だから大人が変わると子どもも変わります。オトノネでは、子どもとオトノネの関わり合いを通じて、子供の成長をみて、大人が学んでいくようです(それに気づけないお母さんも、もちろんいますが)。そうしてイイ循環が生まれたら、もうオトノネ卒業です笑ホースセラピーとかドルフィンセラピーとかドッグセラピーとかあるから、チャイルドセラピーがあってもいいのかもしれませんね。

子どもが問題ではなく、
お父さんやお母さんの不安が問題なのかもしれません。

やり残した宿題に、お子さんと一緒に、オトノネで取り組んでみませんか。

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こどもは自立する心を、生まれた時からもっている。
それを感じられれば、いいのだと、僕はおもっています。

どれだけ心配しても、障害を取り除こうとしても、予測のできないことは起きて来ます。
その全てに保険をかけることはできませんから。。。。

目の前で成長していくこどもを、今ここで、強くしていく。
親が将来が不安だから、、、、子供に○○させる、では殺されてしまう心があります。
それも、こどもの発達段階に応じて、大きく変わっていくものです。

今、伸びようとしている、輝こうとしている命を大切にする。
それがオトノネのやり方です。

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こどもの成長を促すものがあって、はじめてお母さんの「お母さん」としての役割が生まれます。
こどもの成長を促すものとは?それは人であったり、環境であったりそれぞれです。

自律・自立の欲求にたいして困難に立ち向かう時に、「お母さん」の役割が生まれます。
こどもの心に生まれた感情をつまらせずに、排泄してあげる、外に出すときに「お母さん」の役割が生まれます。
健康的な探索、冒険を阻むもの(大抵大人が作り出したどうしようもないもの)からこどもの心を守る時に、「お母さん」の役割が生まれます。


よくよく考えれば、こうしてみると、「お母さん」の役割は、こどもとかかわるただの「人間」ではないか、と僕にはおもうのですが。

いかがでしょうか。

他者の情動世界に敏感性をもって共感的にかかわる方法を伝える、一番子供の近くにいる人が、一番親しい人が、お母さんだというだけではないでしょうか。
お母さんが一人で子育てする必要はないし、それはキビシイです。。

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ただ笑いながら、暮らしていきたいだけなのに、
なかなか難しいようにおもえてしまう世の中になりました。

いえい!

成熟したオトナって、どんな人なんだろう?

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