批判とは何か。その3(日本の遺伝子・伝統との闘い)

パーソナリティ特性の科学、とか、スイッチ!とかを読みながら、人間の生物くさい側面を大切にしたほうがいいなとおもった。
限りなく動物になったら、もっと楽になるような気がする。
人間らしく、動物らしく。

命。

SNSでいろんな「悪口」が飛び交っていることに疲れてしまってとりあえず考えたことをまとめました。

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日本には日本の遺伝子がある。伝統がある。この伝統を変えるには、いろいろな実験をしたらいいとおもう。山本太郎を総理大臣にするのが一番手っ取り早い。そこまでたどり着くために、現政権の悪口をいうのではなく、大人同士がコミュニケーションをし、教養を高め、「明確な目標」をもって子どもを育てることが大切だとおもう。それは、利己的な、自分の能力を高めることに必死にさせるのではなく、共感能力をもった子どもを育てることになる。それはつまり、競争から子どもを外すことにつながる。多くの親がここで、古い時代に、日本の伝統に、科挙制度の歴史に、足を引っ張られているのだろう。

子どもは伝統と、日本の遺伝子と戦っている。歴史と戦っている。
大人がどうして、子どもの先頭に立って戦わないのか。戦場に送り出す司令官になっていないか。

国民の安全を守れない現政権を批判するのと同時に、子どもの育ちの環境を守れていないかどうか、自分自身を批判していかなくては、ただの悪口になってしまう。それをみた子どもは、悪口ばかりを言って、何も行動しない大人になるだろう。それが日本の伝統であり、精神文化であり、遺伝子のように、僕はおもう。どうしたらいいか?とりあえず、僕はオトノネをつくりました。これも実験。誰もやったことないんだから。

伝統と言うなの、遺伝子プールと言う名のアウシュビッツから、僕らはまだまだ自由になれそうにない?

オトノネひろげるシェアぼたん

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