堕落して初めて課題を真面目にやる無意味さに気づく(坂口安吾の『堕落論』)

アウシュビッツ不登校

堕落して初めて課題を真面目にやる無意味さに気づく(坂口安吾の『堕落論』)

堕落は。自己イメージに固執している人間の姿です。誰もが堕落していると捉えて欲しいのです。

今いる自分は大切なものです。自分が感じているものが脳の働きで固定されている場合、何か問題が起きるときに、自分の姿を振り返ってみてほしいとおもいます。

自己イメージを見つめる、自己イメージをリセットする方法はこちらです。

進学校で疲れ果てた落ちこぼれたもう無理ぽな【自己イメージをリセットする方法】

 


 

僕は昔、某自立学習型フランチャイズで働いていた。
家庭で、学校で、無理をしている子と出会ってきた。
そもそもが勉強以前、心が悲鳴をあげている。

が。

お父さんお母さんも、その子の現状に気が付いていない。
(だってもうその子は悲鳴をあげる元気もない)
本人は??気づいていない。
擦り切れている心が、普通の状態になってしまった。
(だってもう電気ショックで無気力になることを学習してしまっている状態だもの)

もうそれはその子の「正しい生き方」になってしまっていた。
「無意味だ」「これは違う」と頭ではわかっていても、続けてしまう。
頭と心が離れてしまうほど、「させられ続けてしまった」人がいる。
あまりにも理不尽な、ただただ唖然とさせられる状況に陥って、混乱している人もいるだろう。

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「なんか変だ」
「なにかがちがう」と思った時、
「違和感」を感じた時から、本当の学びが始まる。

この「違和感」を感じられるような言葉にも、時間にも、人にもなかなか出会えない不幸な世の中になってしまったようであるが。

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学びがはじめられる段階にない、ただただ状況に流されている人とたくさん出会ってきた。
僕自身、まだ始められていない学びもあるだろう。

そこで思い出したのが、坂口安吾の『堕落論』。
こちらの青空文庫から無料で見られます!

文章は、人間がある種の理想を掲げたあと、「自分はこうあるべき」という観念を守り抜こうとする努力の末、それで?という話。最後の部分を引用します。

戦時中に誰もが思い描いた大国「日本」、
明治維新によって失われた武士の世界を蘇らせるための「武士道」
純潔、貞操を守ろうとする未亡人の「処女性」

これらは全て「こうあるべき」と掲げられた観念であり、ファンタジーである。
捨てられない、という点で、子どものファンタジーとは別物のように僕は思う。

安吾はのたまう。
人間を人間として救うためには(自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには)、「堕ちる道を堕ちきること」をしなくてはならないと。

その根拠は「特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。」という箇所であろう。

人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

体が壊れてから、心が壊れてから、痛みに悶えてから、闇の中に心を閉ざしてから。
堕ちることでしか、次へ進めないことがある。(体を壊してからリクルートをやめて今に至る藤原和博さんとかが有名)

ドラッガーのいう、「連続性を打破するショック」が、安吾のいう堕落のきっかけになる。

ドラッカーは学習回路の閉じた受け手に対して、ショックを与え、学習回路を作動させ、制約を取り払うケースについて興味深い議論を展開している。

人の心おは、印象や刺激を、予期の枠組みに合致させようとする。それは「心を変えさせ」ようとする、つまり、受け取りを予期していないものを受け取らせ、予期しているものを受け取らせないよゆな、いかなる試みに対しても、頑強に抵抗する。もちろん、受け取ったものが予期に反しているという事実に気づかせることは可能である。しかしそれには、何が受け取られると予想されているか、を事前に知る必要がある。そしてさらに、「これは違う」という明確なシグナル、つまり連続性を打破するショックが必要である

ドラッカーはこのショックについて、「聖書の伝えるところでは、神でさえ、サウルに衝撃を与えて盲目の状態にしてはじめて、パウロとして自らを立ち上がらせることができたのである」と指摘している。(『経済学の船出』安冨歩 p.122)

コミュニケーションのための『経済学の船出-創発の海へ-』安冨歩【伝わらないのは自分のせいか?】

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失敗しないように、しないように、、、とおもっていることがそもそも堕落の始まりだったりする。
(毎日部活、課題、親に与えられた夢を背負い「しなくちゃいけないこと」で潰れていく高校生)

正しいことを貫こうとすること自体、堕落である。人間は脆弱で愚かな生き物だ。
(もちろんこの安吾の言葉は人間の堕落性を説明するために使われているのであって、人間の強さは別にあるだろう)

「ちがう」ことを認めざるを得ないところまで、人は堕落を続ける。
堕ちるところまで堕ちたところで、気がつく。と安吾はいっている。

僕自身、身体的、精神的な痛みを伴う経験がなければ人は変わらないとおもっている。

堕ちきったあとに、自分を救おうとする人のために、おとのねをつくったのかもしれない。
自分を救おうとして、堕落ができない人たちと対極にいる人を、ニーチェは「超人」と呼んだと僕はおもうのだが。
不登校の子どもたちは、超人になる可能性を秘めている。
ひきこもりの子どもたちは、超人になる可能性を秘めている。
そういうこともできるだろう。

心をすり減らしながら暮らしている人が、多すぎる。
学校の先生とかね!けど学校の先生は堕ちるところまで堕ちない。堕ちないように、行政が守っているから(この言い方は正確ではないだろうが)。

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健全に、堕落してみよう。
堕ちるところまで、堕ちてみよう。
そしたら気がつくかもしれない。
「課題、やっても意味ないんだ」と。

進学高校の6割以上の生徒にとっては、真実であることが、すでに科学的に統計的にデータ化されているわけですから。

まだ観ていない方はこちらもどうぞ。
富山中部高校、高岡高校、富山高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます。

金沢泉丘高校、二水高校、錦丘高校の偏差値・進学実績の影で泣いている高校生がいます。

 

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今まで頼りにしていた価値観を捨てることはとても難しいことだ。
本当に、難しいことだ。めったにあることではない。

「そのように」体も神経を整え、心も「そのように」なるように作られてしまった人たちがいる。
目の前の不幸が見えない。目の前の子どもが、自分の心が見えなくなっている人がいる。
習い事を無理やりさせるお父さんお母さんも、学校で平均点を取らせようとするお父さんお母さんも、同じ。

誰もがそんな状態になりうる。
(オトノネだって、オトノネの価値観の中にいる。捨てることは難しい!だから、日々つくりかえれるように、いろんな人に会い、いろんな勉強を続けている)

学校の先生も一人の弱い人間だ。
ストレスに耐え家庭を守らなければならないしくみ(ブラック)の中にいる犠牲者ということもできる。
馬の耳に念仏、というより、「あの時はわからなかった」経験を思い出すだけでいい。
そしたら学校の先生をかわいそうな人だと思い、許してあげることだってできるかもしれない。
そして、「じゃぁ自分は、どうするか」を考えたらいい。学校から自立したらいい。
もちろん、助け合えることは助け合ったらいい。

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こちらは

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だからこそ、心を開く習慣、目の前にいる相手をそのまま見つめ、自分の心を「離し」て関わる瞬間が、大切になるのだとおもう。

堕ちることは悪いことではない。
堕ちきった後で、底を蹴って戻ってこれるだけのメタスキルと、誰かの助けがあるならば。

課題の憂さ晴らしにゲームをしたり、ショッピングセンターに行く、部活頑張る、という「ストラテジー」を確立する高校生もいる。
ブラックな仕事の後に居酒屋にいったりカラオケにいったり旅行したり、ゴルフするサラリーマンの姿が重なる。
今の高校生たちは、輝かしい未来を想像して大学に入り、社会に出て落胆しないだろうか。。。
そしたら8050問題再来!(心配事だらけでごめんなさいね)

けど彼らはそれはそれで、うまくやってるということもできる。
ストレスマネージメント!(けどそれで人生終わっていいの?大丈夫、トリックスターはこの世に存在する!と僕はおもっている)

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蛇足すぎるがこんなことを想像した。

学習性無気力の実験は、檻の中で行われた。
本当なら、本当の犬なら、こんな場所にはいない。
本当の場所にいる犬なら、試行錯誤できるし、実際にそれでなんとかなる。
なんとかならなければ、死ぬ。

学習性無気力というのは、「自然」でない状態から生まれる病かもしれない。

本当なら、本当の人間なら、こんな場所にはいない。
本当の場所にいる人間なら、試行錯誤できるし、実際にそれでなんとかなる。
なんとかならなければ、死ぬ。(いや、死にはしないだろう。人間なら、誰かが助けてくれるものだから!。。。)

学習性無気力というのは、「自然」でない状態から生まれる病かもしれない。
それが「ひきこもり」という症状であるとしたら、人間は檻の中に閉じ込められた「犬」と同じだと揶揄することもできる。

檻の中を出ればいい。
ただそれだけで、救われる命もある。

守ることによって、救われない心がある。
守るとはなんでしょうか。愛とは、なんでしょうか。

 

人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

落ち抜けず、守られ続けた人間が起こした事件が、コレでしょう。
堕ち抜くことを妨げられ、救われず、自分自身の処女を刺殺したり、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだしたりできなかった、誰か別の人間の生き方、観念の世界に宙づりにされてしまった人がいる。

8050問題の解釈と学歴、マスコミ、景気の関係

言葉って、難しいですね。
だけど大事じゃないですか。

わんわん!

心が大事。

この記事も見てほしいのですが。いかがでしょう。
生まれた時から、小学校のときから、中学校のときから、ずっと、その子はその子です。
塾や学校を選ぼうとするまえに、お子さんは、お父さんお母さんを選んで生まれてきたんです。

そう考えたら、、、、
お子さんを塾や学校に任せるなんて、ちょっと残酷に思えませんか?
塾に行かせる前に、学校に行かせる前に、大切なこと、ありませんか?

個別化とは何か『クシュラの奇跡ー140冊の絵本との日々』

 

【堕落】言葉の生まれる場所

坂口安吾の『堕落論』が出てくるのはこういう文脈。

8分20秒くらいの場所。
全部みてみるとよいとおもいますが。

その手を離せ。
コーチングとか自己啓発とか、成功とかなんだかしらないが、「お前の幻想をぶち壊してやる!」

【ファンタジーのリアル】敵がみえない世界。敵を殴って倒せない世界。

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