批判とは何か。その1

critic cri- 決定的な・判断する
crisisは決定的な出来事のこと

ゲームでよくいう「クリティカルヒット!」というのと同じ。

 批判とは、理性的な営みのことである。
 批判とは、決定的に、それによって人生に大きな力が加わる事態を生み出す、恐ろしいものでもある。

 批判ができる人間がどれだけいるか。
 

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 批判とは、つまるところ自己批判であり、大変危ないものだ。
 相手に言っていることは、すなわち自分に対する問いかけにもなる。
 「振り返る」「負のスパイラル」から抜け出すために自己批判が大変役立つ時がある。
 それは学びであり、教育である。
 批判は「問いかける」ことを表す一つの言葉であり、辛辣な響きがする、強い会話形式のひとつである。
 議論、討論、弁論、異質な価値観をもった人たちとの会話に不慣れな人にとっては、攻撃に聞こえるだろう。

 自己に対する批判を抜きにして、他者批判は成り立たない。

 「働く」ことを批判してみよう。
 働きすぎて、見えなくなっている、聞こえなくなっている声はないか。
 聞こえないように、見えないように、働き続けてはいないか。
 大切なものを、忘れていないか。

 批判というのは、判断することであり、判断とは「分ける」ことである。(鋭利な刃物で半分に分ける)
 新聞を批判的にみなければ、テレビを批判的に見なければ、情報に騙されて生き続けることになる。

 批判とは、情報リテラシーの一部であり、新しい時代をしあわせに生きるのに、必要なスキルだ。
 古い時代を生き続けたいなら、批判も、リテラシーも、必要ない。

 例えば、「森を守らなくては。木を植えなければ。木を切ってはいけない」という人がいたとしよう。
 日本にたくさん生えている人工林のスギやヒノキはもともと、戦後に家を建てるための資材として植えられたものだ。(日本にもともとあった雑木林、広葉樹林は切られた)スギの山・ヒノキの山は「古い時代」の人の願いであり、祈りであった。そして輸入材で資材が賄われるようになると、価格で負けて、日本の山は使われずに、荒れた。

 新しい時代の人が、今この時代に、古い時代の人たちの祈りをどう受け止め、変えていくのか。
 これも、問いかけであり、批判といえるものだと思うのは僕だけだろうか。

批判とは何か。その2

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