【幼児期と学童期の思春期の違い】「堕落」のプロセスと「お守り」のプロセス

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【幼児期と学童期の思春期の違い】「堕落」のプロセスと「お守り」のプロセス

堕落のプロセス

「堕落」という言葉を初めて目にして新鮮に感じたのは坂口安吾の「堕落論」を読んだ時だった。

「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない?(坂口安吾の『堕落論』)

というか「堕落論」は昔々、塾の先生から教えてもらった文章だ。

 

僕の人生もいろんな堕落を経て、今も堕落をしながら新しいものを取り入れている最中だ。

といいながら堕ちきれない人間の弱さも感じるのだけれど・・・

 

人が変わる、そのプロセスは長く、紆余曲折としている。

そんな時間をゆっくりと、自分に許して成長を、変化を待ち構えている。

 

「お守り」のプロセス

 

ところで白石正久さんの本を読んでいると、「励まし」や「人の心」といったものが人を変化させる、成長させる、という言葉と出会うことが多い。

 

心が通じる、感じる喜び。

励まされて、できないことにも挑戦しようとする心。

そういうものもある。

それは「堕落」という捨てる(禊ぐ・身削ぐ)イメージとは対極的な、もらうイメージをもっている

 

オトノネではそれを「お守り」と言っている。

僕自身がどんな「お守り」をもらってきただろう。

僕がもらった「お守り」の力をオトノネに来てくれている人にも伝えているつもりなのだが。

 

白石正久さんの本を読んで、そうした「もらうもの」、プラスのもの、「しあわせ」なもの、「心」を支えてくれるもの、「命」を強めてくれるものへのアプローチは、僕には苦手なのだなと思う節がある。

 

僕の知り合いに「皿回しのおじさん」がいる。

いつもにこにこしている。

うまく人を「のせる」。

乗らなくても気にしない。

超サニーブレインの持ち主だ。

遺伝子と遊びとサニーブレインと神とお守りと霜降り明星

 

遺伝的な気質、そうして育って来た「心」のあり方が、人それぞれの「命」へのアプローチをつくる。どれも完璧ではない。それぞれ、自分なりの道しか歩めない。

 

 

もっと自然に考えてみよう。

「あっちにいってみたいな」と子供が思ったとする。

けど、言ったことがなくて怖い。

そんなとき、「一緒に行く?」と言ってくれるだけで、それは「お守り」になる。

オトノネは、「一緒に」を僕自身が実践する場所でもある。

 

「どこにもいきたくない」というなら、「それもいいね」といいたい。

お守りは「心」を守るものであり、「命」を強くするものでもある

 

「お守り」を受け取ってもらうために、まず「堕落」から始めなければならない人が多いのは事実。(魔界で生き残るための鎧だとか武器だとかを捨てないと、お守りのつもりが呪いになってしまいかねない)

子ども時代とは、「堕落」せずに「お守り」をもらい続けられる、そして変化して成長していける特別な時代なのかもしれない。「排除する人」ではなく「信頼できる人」をたくさん増やしていける時期なのかもしれない。

そう考えると、学童期の思春期は、幼児期の思春期とは違って、「堕落」のプロセスを伴う、大変なイベントのように僕はおもう。もちろんどちらのプロセスでも、「ひと」は「葛藤」するのだけれど。

 

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