環境と遺伝と自己(もしくは意志・人格)

意志(人格)は遺伝子にとっては環境と同じみたいだ。

とふとおもう。

意志(自己)が遺伝子のお世話をする、とおもったら、人は誰でも、自分という子どもを育てているのかもしれない。

遺伝とか、エピジェネティクスとか、人体のしくみを学ぶと、「私」というものは「遺伝子」にとっては他者のようなものだと、おもえた。

遺伝子が僕らの人格(意思決定装置)をつくる反面、私たちも民主的に、遺伝子と関わることができる。

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こういうファンタジー、虚構、物語の世界を書き下したらおもしろいかも。

「生きるための生物」
「生きるための数学」

生きるためシリーズ。

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神経細胞の発火の仕方は遺伝子レベルで決まっているんだろうか。
神経細胞もDNAをもっているのだから、脳のはたらきを遺伝子で説明することだってできるだろう(まだ詳しく分かっていないらしい)。
脳は情報を記憶するのと同様に、環境に応答するやり方も記憶している。

脳に対して、遺伝子と意志は対等だろうか。

人間づきあいを変えるのも大変かもしれないが、遺伝子づきあいを変えていくこと、再構成していくことも、大変だとおもう。

遺伝子にも自分にも「OK!」を出したら、もうすこし生きやすくなるんだろうか。

とふとおもう。

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そんなことを考えたりしないでも生きられるのだろうに。

ねぇ、デオキシリボ核酸くん。

オトノネひろげるシェアぼたん
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