責任

「責任」というコトバがいつも気にかかっている。

世の中では「責任」が降ってかかってくるような使い方がされている。
「この状況の責任は誰ソレにある」とか
「私が責任をもつから」とか

責任をとるとは
償いをすることらしい。
人と人が出会わなければ「責任」なんてコトバは生まれなかっただろうか。
人と人が出会うと産まれてくるものがある。そのひとつが「責任」なのだろうか。
どうもそれは堅苦しく思えてしまう。

「責任」とは使命のことだと考えてみよう。
それを他人から与えられるだけの人間は不幸だ。
責任を負わされる人は不幸だ。
責任を突きつけられる人は不幸だ。
責任を自覚し、行いをもって果たし続ける人はしあわせだ。

本当に自分がしなくてはいけない使命を果たすことが責任だ。責任が降ってかかってくるだけの人は不幸だ。
責任に怯える人は不幸せだ。

責任は生き方だ。責任をとることは償う行動ではない。
責任は死ぬまでずっともって生まれる。

火は、火の責任を果たしている。
風は、風の責任を果たしている。
人は、人の責任を果たしているだろうか。

生まれてしまったものの使命。
これを責任の原義としたい。
どこかそのコトバは、摂理に身を委ねるような響きをもっている。
自分の本性を理解すること。本性を守ること。
自己欺瞞に気をつけること。歪められた社会の中で、歪められた人間のなかで、大切なものを守ること。

自分に対する責任。これが一番大切なはずだ。
多くの人は、自覚なく、この責任を果たしている。
多くの人はまた、自覚なく、この責任を果たしていない。
どちらもただ普通に生きているように見えてしまうから、不思議だ。

中国かどこかの物語で、こんな話があった。
ある日、ギリギリの生活をしていた父と娘がいた。2人は曲芸をして生きていた。
命をかけて、命を繋ぐ毎日。ある日、父は言った。「私たちはお互いにお互いの気を使って生きていかねばならない」
娘は言った。「違うよ。お父さんはお父さんのこと、私は私のことを本当に懸命にやらなくてはいけない」と。
原典を思い出したいものだ。

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