知的障害者施設訪問

おとのねさんが行った場所

今日、知的障害者施設に行く。インドネシアのノリでカメラを回したかったが、日本は秘め事にすることが徳とされているのはいたしかたない。ちょうど、今日は年末パーティーということで、フラメンコを近くの文化施設に見に行くことになっていた。その前に、施設を少し案内してもらった。色んな人がいる。喋れる人、喋れない人、筋肉がこわばっている人、表情のない人、動き回る人。そのひとりひとりに、案内をしてくれたスタッフの人は声をかけていた。反応が帰ってくることもあれば、返ってこないときもある。階段を降りておせんべいを焼く機械の説明をしてくれた。今までは炭火でやっていたが、機械を導入してから、利用者の人もたくさんこの作業に取り組めるようになったし、炭火よりもカリッとして美味しいのだという。生産方式というものも、いろんな見直しができるというはなしだった。案内してくれた人は、広い目で、業務ではなく、社会全体のなかのこの施設の位置づけを考えられる人だった。僕はそのはなしを聞きながらも、この建物の中の空気に馴染めずにいた。ビリビリする。

フラメンコの会場に行って、フラメンコが始まる。ああ、いいな、とおもえた。靴で音をたてるあの振動が身体に伝わる。手拍子のポリリズムは脳に入ってくる感じ。真っ赤な衣装は日常を離れて、とてもスペシャルだ。刺激的だ。施設の中で繰り返されてきたパターンを、作業を、壊してくれる。布を使った踊りは美しかった。施設の中では制約される、厳しく禁止される振る舞いが、この場所、この時間では許されている。祭りだ。印象的だったのは、盛り上がった後、ダンスが終わる瞬間、その瞬間をとらえて、利用者の人が拍手を、リアクションをしたときだった。ああ、わかるのだ。伝わっているのだ。感情なのだ。肢体不自由で車椅子に座りっぱなしの人もいた。この時間は、この場所では、車椅子から降りたらよかったのに。もっと、音響をしっかりしてギターの音のボリュームを上げたら、何かまたかわったかもしれない。けどあの空気は、なによりも、施設のなかにあった淀んだ、戦場のような空気とは違った。僕は考えた。この世の中にさまよっているアーティストたち、アートの力を知らない人立ち、そうした人たちが出てこられる場所はたくさんある。知的障害者だけではない。社会の中で埋もれている、見捨てられている人たちは他にもいる。私は、私のやることをしようと思えた。ある程度自由に動ける利用者が、舞台に乱入、一緒に躍る。舞台の上で、足踏みをしたりする。この場所が、躍る場所だということをわかっている。スタッフの人はあわてふためいていたが。一緒に踊ればよかったのに!

最後に案内をしてくれたスタッフの人と話をする。あの建物が、どれだけスタッフの、利用者の負担になっているか。すると「よく、気が付きましたね」ということだった。建物を壊して立て直すこともできない、利用者の数を減らすこともできない、そうした制約のなかで、人は生きている。来年のフラメンコの会に向けて、カスタネットを利用者に渡して施設で練習するのはどうかとアドヴァイスをして会場を出た。

公演に行く。目の前で外国の人の家族があるいていた。小さい女の子とお父さんの会話「おとうさんが背負ってるリュックもちたい!」「おもたいよ」「もちたい!」「ほら」といって、おとうさんはゆっくりリュックを娘に背負わせる。女の子は、うれしそうに、お父さんといっしょに、歩いていった。

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