遺伝子と遊びとサニーブレインと神とお守りと霜降り明星

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『遺伝マインド』安藤寿康

新書では書かれていなかったことが満載。

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遺伝マインド

ビッグファイブ
神経質傾向・調和生・誠実性は行動抑制性
外向性と開放性は行動賦活性
統計的に相関がある。

1環境の自由度が高いほど遺伝の影響が現れる。

都会に住む人は遺伝の寄与率が大きい。(遺伝子の多様性が保たれる)
社会的制約が緩く、自由に振る舞える。
田舎に住む人は遺伝子の寄与率が小さい。(遺伝子の多様性が抑制される)
社会的制約が強く、自由に振る舞えない。

例えば「放蕩」の遺伝子は「規律」によって制約されることで発現しない。

→遺伝的な特性(才能といったポジティブなものを含め)は遊びの環境から生まれて来る。

2環境が厳しいほど遺伝の影響が現れる。

高ストレス条件、逆境では「ポジティブ(賦活的)」な反応、「ネガティブ(抑制的)」な反応が顕在化する(遺伝子が環境に強くあぶり出される)

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『才能あふれる子の育て方』おおたとしまさ

才能というのはオトノネでいう「天の才」のこと。
大人が子どもの「天の才」を潰さない、という当たり前の教育のあり方を書いている。
大人の基準で評価しない(遺伝的な「天の才」が成長することを認める)
「天の才」があぶり出される「環境」を与える。(過剰な刺激を与えない)

「破壊的なものを排除」する

モンテッソーリ教育

すべての不必要な援助は、発達の障害物になる。(環境の自由度を保証せよ)

 

シュタイナー教育

7歳までは身体を育て、14歳までは心を育て、21歳までに思考を育てる。
憂鬱室・粘液質・多血質・胆汁質という4つの気質に分類(遺伝子の多様性を認めている)
自己判断力が身につくのは10代後半から。それまでは判断を求めないらしい。(オトノネ式だと9歳)それまでは「正しい世界観(真善美)」を子供にびしばし提示する。
発達を阻害する過剰な刺激を与えない。(オトノネ式)

 

乳歯から永久歯に生え変わる時期、7歳から文字を教える。(歯の発達段階と人間の精神の発達段階を対応させるオトノネの発達間に合致)

「創造的なものを担保」(遊びを貫く)

レッジョ・エミリア教育

「子供の興味・関心から始まる探究活動」(遊び)
遊びのプロとの連携(脅威行くの専門家と芸術の専門家)←幼児期の子供の環境づくりに必要な人

サドベリー教育

授業を受けたいと思ったら「協定」を結ぶ。オーダーメイド。(自ら求めて行う)
人間の本質である「好奇心」(遊び心)に突き動かされて世界に入っていく。(オトノネの「命」観に対応)

イエナプラン教育

異学年学級(リビングルームを共有する)
探究的・対話的な「ワールドオリエンテーション」好奇心、「命」の動きを大切に。

「わが子だけ」から社会全体に視野を広げる。(教育の本質。人間の本質。オトノネのSQ、「命」に対応)

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遺伝の研究をしている安藤さんは「遺伝」の本の後ろで必ず「教育」について言及している。

【右上のグラフ】

日本のこのデータは「内発的動機づけ」つまり「自分の興味関心」の強さは学年が上がるごとに「下がっている」ことを表している(9歳になってそれが「やや上がる」のは思春期のはじまりだからだろうか)

これを日本の教育、日本の子供環境が「子どもを大人の目線に晒して縛り付ける」結果だとみることができる。いやいや、最近はクラファンで「遊ぶ大人」の姿が世の中にでてくるようになって僕が元気をもらっているところだ。ぜひ、「本気で遊んでいる大人たち」の姿を、クラファンサイトをまわって見てほしい。

『脳科学は人格を変えられるか?』エレーヌ・フォックス

サニーブレイン

物事をポジティブに捉える行動賦活的「心」→報酬への接近
 オプティミズムとは、世界を善悪こみであるがまま受け入れ、なおかつ、そこに潜むネガティブなものに屈しないこと。(この定義には感動した)
自分で状況をコントロールできる。

レイニーブレイン

物事をネガティブに捉える行動抑制的「心」→危険の回避
ペシミストは「悪い物事は、どうやっても起こる。人にはどうすることもできない。自分でそれをコントロールできない」と考える。無力感。

「心」が世界を作る。
同じ環境でも「心」によって見方(解釈)が変わる。
認識・記憶も「心」が決める。(世界を「ありのまま」にみられるだろうか?)

報酬への接近と危険の回避への反応の仕方が、人生観を決める。(性格)

遺伝的にどちらかの脳が強く働くようにおもえる。
それは「命」を守る「心」の仕組みだ。
サニーブレインをもともと強く持っている人はどんな逆境でも活路を見出すだろう。(報酬回路が活発にうごくようにできている)
【コラム】SQ:性格(心の表現)と自己と【古い脳・新しい脳】
(逆に言えば、こういう人が「無邪気な大人(魔王)になる可能性がある。自分の「良いところ」をしつこいくらい無神経にアピールしてくる人はキチガイが多いので注意)

もしレイニーブレインが強い遺伝子をもっていたとしたら?
その人は、「平穏」「のんびりした人になるかもしれないし、「神経質」な人になるかもしれない。

どちらが優勢かは問題ではない。
自分という生まれ持ったもの、「命」をどのように使うか、「命」を燃やすためにどのように「心」を使うのかが問題なのだ。
【ビッグファイブ】『パーソナリティを科学する―特性5因子であなたがわかる』のメモ

コーチング、ポジティブシンキングの押し付けは人権侵害です。
定期テスト対策の弊害【自己改革・心理学系セミナー編】

学校という空間の凶暴性は、組織的に遺伝的多様性を(無邪気に)破壊している。
(人間関係の中で、その凶暴性の中でどう生きて行くかを学ぶことはできますが、そのような人的な資源がない人には、辛いばしょでしょう)

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『スイッチ! ──「変われない」を変える方法』

思い出したのでこちらも紹介。

「サニーブレイン」「レイニーブレイン」はもちろん小さい頃から「脳」がどんな刺激を受けてきたのかで変わっていくが、小学校高学年、思春期の始まりから「自己評価」を始める子供達の「性格」が大きく試される。

成績、学校での評価をどう「受け止めたらいいのか」「解釈したらいいのか」を大人が伝えられるだろうか。

 

中学校時代はこちこちマインドセットの子供にとっては、ターニングポイントだ。ドゥエックは、小学校ではこひこちのマインドセットの子供としなやかマインドセットの子どもにそれほど能力差はないものの、中学校に入るとこちこちマインドセットの子供の成績がすぐに落ちはじめ、それから数年で下がり続けることを発見した。ドゥエックの研究対象になった子供たちは、「僕はバカだから」とか「私は数学がダメだから」というように、成績の低下についてこちこちマインドセット特有の言い訳をすることが多かった。注目すべきは、子どもたちが自分の能力を普遍の性質のように語っている点だ。まるで、「私の目は茶色い」と言っているようなものだ(他にも、「先生の教え方がへたくそだから」とか「数学の教師はデブでいやなやつ」など、人のせいにする子どももいた)。(略)しなやかなマインドセットを教えた生徒には、脳は筋肉と同じで練習すれば鍛えられると伝えた。(略)なかには劇的な変化を遂げた生徒もいた。

『「やればできる!」の研究』のなかで、ドゥエックはこう述べている。「ある日、研究に参加してくれる生徒たちにしなやかマインドセットについて説明していると、突如、ジミーという、どうにも無気力で投げやりな生徒が目に涙を浮かべてこう言ったのだ。”ぼくはバカだと決まったわけじゃないんだね”。その日を境にしてジミーはがらりと変わった。夜遅くまで宿題と格闘するなんて、生まれて初めてのことだった。そうやってきちんと早めに宿題を提出するようになったので、返されてから間違いを見直すこともできるようになり、ジミーはめざましい進歩を遂げていった。(『スイッチ!ー「変われない」を変える方法』p.224)

 

成長している新しい自分、成長していく新しい自分に目を向けるように、大人が「お守り」を渡す。

変化の時期には、自分自身や相手にも言い聞かせなければならない基本的な事実がある。脳や能力は筋肉と同じで練習すれば鍛えられるという事実だ。私たちはスケートボーダー、科学者、看護師として生まれるわけではない。スケボーの乗り方、科学の手法、病人の看護方法を学ぶ必要がある。そして、そのアイデンティティに従って行きたいという願いが、自分自身を変える意欲につながるのだモリー・ハワードのエピソードからわかるのは、新しいアイデンティティの向上心としなやかマインドセットの粘り強さを組み合わせれば、驚くべき偉業を実現できるということだ。人を育てるとはそういうことなのだ。この行動の変化は命をも救った。飲酒関連の交通事故の死亡者数は1988年の2万3626人から1992年の1万7858人まで減少した。ウィステンはテレビのパワーを利用して社会規範を疑似的に作り出した。(『スイッチ!ー「変われない」を変える方法』p.236)

 

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「命」に責任を持つ

 

闇を歩くことに親しくなるか、光を歩くことに親しむか。
「命」を大切にできているのか。
(「命」は暗黙の次元に属するもの、スピノザのコナトゥス)
【暗黙の次元って何?】安冨歩さんの『複雑さを生きる』『合理的な神秘主義』のメモ

僕は多くの時間を闇の中で過ごした。
韓国で作曲をするときに「悲劇専門」と自分で気がついたほどだ。
作曲した曲は「僕自身」の心の表れ、台本を読んだ時の「世界の解釈」である。
劇場の中であれば僕の音楽は人を感動させられるけど、、劇場を出た後の僕はちょっと「生きにくい」感じだ。

日本ではそれを痛烈に感じる。

「日本で生きる」ことは僕にとって大きな課題だ。

今はとりあえず、「遊ぶ」ことに時間をかけて、いろいろ感じてみるつもりでいる。
オトノネのブログは多くの「闇」(学校という魔界、社会の負の側面)にフォーカスしてきた。
そんな昔の自分を、懐かしく感じるように。(けどその記事がたくさん読まれていたりするから不思議だ)

尾崎豊は自殺だか他殺だかわからないが、死んだ。
「闇」の世界を表現しすぎて、もしくは「観客から要求されすぎて」、そうではない「光の中の自分」を感じることができなかったのだろうか。

そんなことを、感じた。

味噌汁が美味しい。
梅のシロップが美味しい。
そうした身近な喜びで、今、体を慣らしているところだ。

他人は関係ない。
自分の「命」に自分が責任を持つ。
オトノネの「積極的自己責任」とは「自分の命に自分が責任を持つ」という当たり前のことを表現している。
(日本では「責任を負わずに回避する」文化がある。日本では「責任」という言葉が呪いとして使用される)
責任という言葉について

今まで閉じ込めてきた自分を、出してあげなきゃ、、、一緒に遊ぼう。

自他を含めた人を破壊する快楽追求ではなく、自他を含めた人を幸せにするような快楽を追求する「心」をつくれたら。とおもう。

 オプティミズムとは、世界を善悪こみであるがまま受け入れ、なおかつ、そこに潜むネガティブなものに屈しないこと。(この定義には感動した)


自分の気質、生き方にあった「オプティミズム」を作り上げることが、「心」を守るということなんだろう。

もし「しあわせになってほしい」と親が子供にねがうなら、何よりも「オプティミズム」を育てよう。
そのためには「遺伝」を理解しないといけないし、その子を「観察」しないといけない。

それはお金をかけて手に入れる「教育」ではなく、親自身が、そしてその周りのありふれた日常的な環境が相互作用して作り出すものだ。

「学歴」などよりも、なによりも優先されるべきことだ。

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生徒が教えてくれた。

お笑い芸人がボカロ曲を作っているという。

前向きな人、なんでも自分を表現する人、何か一つ、そして次、そうして自分を広げるサニーブレインというものが本当にあるんだなぁとおもう。

新しい働き方。役割に縛られた自分の一部だけでなくもっと広い自分を世の中で認めてもらえる働き方、生き方が、まぶしく見える。遊んでいる。

「安定した職」だとか「進路」とか選んでいるうちはまだまだだ。「命」の衝動に従っていけばいい。「心」が病んでいたら、その衝動は破壊的になるけれど。

だからやっぱり、「心」が大事。

遊ぶ神

 

ディオニソスとアポロンの二つの神がいる。
無秩序と、秩序、と言われている。

ディオニソスを遊びの神、と言い換えたら、とっても大切な神様じゃないか!!

バリ島では、ヒンズー教のシヴァがあちこちにいるのを見た。
シヴァは「破壊と創造」の神。遊びの達人だ。

日本に「遊ぶ神」はいるだろうか。
勝手気儘なスサノオだろうか。
母子分離ができなかったこの神に、「遊び」の姿を見出すことは、僕にはできない。(「遊ぶ神」がいるのかな?)

日本で「遊び」はどこにあるんだろうか?
それは「祭り」にある。
「神」にはない。

そこのところが、日本の「宗教心のなさ」につながるのかもしれない。(中国も韓国も「儒教」であって、神はいない気がするのだ)

神という「象徴」を作り上げる。
それはオトノネでいう「お守り」なのだ。
お守り

あーそーぼっ!

オトノネひろげるシェアぼたん
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