いじめの文化とネットの匿名性と主語のない日本の無責任社会

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いじめの文化とネットの匿名性と主語のない日本語の無責任性

 

あなたの脳は変えられる

悪口、いじめは子供から大人まで多くの人が「感情処理」のために使っている。

「感情処理」ではなく「感情獲得(興奮)」のために、と行ったほうが、よいかもしれない。

 

井戸端会議で「そういえば、だれだれさんが・・・」という匿名性あるゴシップが広まるのは匿名性のあるインターネットとなんら変わりがない。

いじめも「誰が始めた」かわからないようにしておけばよい。「ちくった」人は次のいじめの対象にすればいい。日本のいじめは目の前では怒らない。どこかで隠れて行われる。匿名性だ。

学校の先生も、学校という影に隠れていじめを行なっているといえば、怒りを感じる人もいるだろう。学校の先生も、匿名なのだ。

責任の所在がわからない。主語を省く日本語自体が、いじめを内包している。

そんな気がした。

「他人の悪口」を言うのがやめられない人たち 

タイラー・ドロルとブルックス・バフィントンが開発したソーシャルメディア・アプリ Yik Yakは、ある程度の近距離にあるスマホ間でスレッドを立て、匿名でグループチャ ットができるアプリだ。運営会社のブログによれば、2013年のサービス開始から6カ月 で、アメリカで9番目に人気のアプリとなった。なぜこれほどの人気を集めたのだろう。ア プリのトップ画面がすべてを語っている。 「あなたの周りの人が何を言っているか、ライブでフィードが見られる。良いコメントには アップボート。良くないコメントにはダウンボート。プロフィール不要。パスワード不要。す べて匿名」

ニューヨークタイムズ紙に「誰が悪口を言っているのか? 匿名のYik Yakアプリで はわからない」という記事が掲載された。ジョナサン・マーラー記者が、イースタン・ミシ ガン大学の専攻クラスでの出来事を伝える内容だ。 「(3人の女性)教授が終末論を巡る文化について講義をしていた。大講義室には230人ほ どの1年生がいたが、その一部はYik Yakというソーシャルメディア・サイトで、授業 とは別に、教授たちについて会話をしていた。何十もの投稿があり、大半は教授たちを貶め る投稿で、粗野で性的に露骨な言葉やイメージを使っているものも多かった」

本来であれば終末論に関係する文化を学ぶべきところを、学生たちは *別の文化”に夢中 になっていたのだ。この手のアプリ文化は、利用者同士の直接のやり取りに重きを置かず、ポ イントやスキナー風のごほうびといった報酬の付与を行い、利用者を引き付けている。事実、 Yik Yakのサイトにはそのことがはっきりと記されていた。 「ヤッカーマ・ポイントを稼ごう。素晴らしいYakを投稿すればもらえます」 おそらく、利用者にとってそのポイントを獲得する以上に魅力的なのは、ゴシップを語る 機会を得られることだろう。ゴシップは、エキサイティングな出来事を経験するのと同じよ うな興奮を与えてくれる。 大学の講義室に座っているときに、膝の上のスマホがぱっと明るくなって、おかしな投稿が表示される。予期せぬ刺激にドーパミンがドバッとあふれ、興奮に巻き込まれた心は落ち 着いてはいられない。そこで、その投稿を上回る面白い書き込みをしなければとがんばる。投 稿は匿名なので、(当人にとっては)安全な行動だ。記事の中で、ミドルバリー大学2年生の ジョーダン・ジーマンは、こんなことを語っている。 「酔っ払っていようと、落ち込んでいようと、誰かに復讐を望んでいようと、どんな精神状 態でも投稿は簡単にできる。あとに何の影響もないから」

ネットの匿名性が「いじめの快楽」を得やすくした 

誰にでも子ども時代のいじめの思い出があるだろう。中には、校庭や教室で自分をいじめ た子の顔を思い出すという人もいるかもしれない。しかし、たいていは1人か2人だ。では、 匿名性とソーシャルメディアの規模のせいで、自己中心的なネットいじめは急増したのだろ うか。コメディアンのルイ・C・Kは、テレビ司会者コーナン・オブライエンとのインタビ ューの中で、スマホについて鋭い見方を披露している(2013年9月20日)。

もちろん、ああいったものは、とくに子どもには有害だと思ってますよ。そう、これ。ひ どいですよ。話しかけられても顔も上げない。人に共感を持てるようにならない。子ど もというのは意地悪なものです。それは、そうしようと思っているから。いじめっ子が 別の子どもを見つけて「おいデブ」と言ったとしましょう。言われた子は顔をくしゃく しゃにして「イーだ」と言う。いじめっ子もいい気持ちはしないはず。でも、いじめっ 子が(スマホ上で)「あいつデブ」と書くとすると、ああ面白かった、ですんでしまうわ け。

第2章でスマホの魔力について見た。自撮り写真を投稿したり自分の秘密を暴露するなど の自己中心的な行為をいろいろと強化しながら、それにはまり込むのがいかに容易かを考察 した。しかし、ルイ・C・Kがここで問題にしているのは少し別なことに思える。直接顔を 合わせる必要がないスマホ技術の特性が、私たちの生活に影響を及ぼし、人付き合いについ ての人間の学び方を根本的に変えているのかもしれない。

匿名ソーシャルメディアこそ、このうえなく人がはまりやすいアプリだろう。スキナー的 な単純な学習原理に基づいて言うなら、あらゆるおいしい報酬が得られる一方で、説明責任 (負の強化)は負わずにすむ。また、自らの行為の結果すべてを正しく見ることができないた め、主観的バイアスがかかって、おいしい報酬ばかりを探し求め、自分が他人に与えている かもしれない損害からは目を背けるようになる。

「罰」や「ルール」があれば、ネットいじめはなくせるのか? 

スキナーは『ウォールデン2』の前書きにこう書いている。 「良好な人間関係は、単純な規則や決まりごとに基づく非難や譴責の徴候が即座に示される かどうかにかかっている」 「学校は生徒がいじめをしたら罰することができる。ソーシャルメディア・アプリは使用制 限をかけることができる。しかし、この種の規則は反抗的なティーンエイジャーをよけい刺 激するだけかもしれない。 「思い出していただきたいのだが、報酬学習で重要なのは、報酬が即座に与えられることだ。 Yik Yakでは投稿にアップボートが付くと即座に報酬(ヤッカーマ・ポイント)が与えら れる。学校が停学処分などの罰を与えるとしても、それは報酬を受けてからずっとあとにな る。しかも、こうしたアプリの使用禁止というのは、結局、認知的な(あるいはその他の)コ ントロールの問題であって、たとえ授業中にスマホをオフにしておくべきだとわかっていて も、ゴシップから得られる熱狂的興奮に溺れている瞬間には、自分ではどうすることもでき ないだろう。

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