コドモの成長を楽しむという親の特権

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親の特権ーしあわせを分けてもらうこと

久しぶりの電話があった。

高校1年生の時に、フランチャイズの塾で出会って、僕が辞めた後にその子は、塾と学校をやめた。

そして全国から「不登校(小さなガンジー)」があつまる学校に転校した。

その子は今、看護学校???みたいなところで学んでいる。

 

その子が転校してから学校で起こったできごと。

その子の持っている「よいところ」がでてくるエピソードをかつて聞いたことを思い出した。転校したからこそ、心が動いて、「よいところ」がでてきたのだろう。新しい環境には、何かを動かす力がある。心の仕組みを、つくりなおす元気がどこからか湧き出るのだろうか。

話は繋がる。

その「よいところ」が進路にも繋がって、今、看護学校で学んでいること。

成長とともに、その子自身も自分の「よい」ところを表現するようになって、今、新しい挑戦をしようとしていること。

お母さんとの日常的なやりとりのなかで、自分の「よい」ところを「よい」ものとして受け取れるようになったこと。

 

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親でなければみられない「子ども」の姿がある。親であるからこそみられない「子ども」の姿がある。子どもと関わる人は誰でもその子の「よい」ところをみつける責任がある、と言ってしまえるだろうか。

 

話が逸れたが、お母さんは、こうしたコドモの「よい」ところが伸びていく、「よい」ところがその子を伸ばしていく姿を見守れる特権をもっている。

成長は、うれしいことだ。

実ることは、嬉しいことだ。

しあわせなことだ。

 

喜びのために、その子の「天の才」、「命」を知ることだ。

そしてその子の周りで起こってくることを、その子が感じたことを、しあわせを分けてもらうことだ。

お母さんの特権は、ここにある。

将来の不安をするのもお母さん。

喜びを分けてもらえるのもお母さん。

 

喜びの権利を使うか、使わないか。

どのように使うのか。

 

「●●大学にいったのよ」でしあわせを感じるお母さんもいる。

いろんなお母さんがいる。

しあわせのカタチは一人一人違う。

お母さんの幸せがコドモの幸せになるのではなく、コドモの幸せがお母さんの幸せになるように。

 

しあわせを全く?感じないお母さんもいる。

心次第。

 

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コドモの世界は、今の大人の想像をはるかに超えて広い。ネットの世界でゲームをすれば、海外の人と「Wow!」といった情動交流ができる。

ネットをみれば海外のアイドルを見られる。どんな人が何をしているのか、、、コドモの興味、「よい」ところを中心に、自分たちで「よい」ところを使っていける。

古い世界に住んでいる僕たち大人にできることは何なのだろうか?

大人ぶっていることはないだろうか?

コドモたちに、新しいこの世界を感じる心を大切にしたいと思う。

 

命ってすげぇよ!

 

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話が二転三転するようで同じ話なのだが。

「不登校」を通じてコドモが命を取り止めるケースはたくさんある。

不登校は、擦り切れた心を回復して、弱っていた命を強めていくプロセスのことだ。

コドモの成長をよろこべないお母さんがいるだろうか?そうだとしたら、世の中の圧力から自分の命を守れていないのかもしれない。

 

進んでいってほしい。

もうこの時代に終身雇用という刑はない。

学び、成長し、次へ、次へ。

進んでいってほしい。

 

進んでいないようにみえるって?

種を植えて、芽が出るまでずっと座って待っていても、すぐにはでてきませんよ!

 

自然とは、摂理とは、そういうものです。

プロセスとは、そういうものです。

 

コドモすげぇ!!!

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