人は不完全。
うまくいかないのはあたりまえ。
希望していた学校に入れない。
思うように結果が出ない。
人に誤解される。
喧嘩した。
「こうなったらいいなぁ」とおもったりする。
だがしかし。
失敗はありふれたものだという真実
「今日も失敗した」から、「次はこんな風に変わった失敗をしてみよう」と思えるくらいがちょうどいい。
試し続けて、「悪い結果」を出していく。
突然、「いい結果」がでてくることもあるだろう。
「いい結果」が実は「悪い結果」になることもしばしば。
いろんな豆腐を買って、食べてみて、本当に美味しいものを見つけるようなもの。
見つかるまで、失敗し続ける。
「これだ」とおもって食べていたら、実はその豆腐も「美味しくない」豆腐になることもある。
世の中は、
失敗であふれている。
このご時世、命に関わる失敗にはそうそう出会わない(人が心を病んで死ぬ時代だ)。
失敗はしても後悔はしないようになれるだろうか。
コミュニケーションもよく失敗する。
次はどんな言葉を使ったらいいだろうか?どのタイミングで?どんな言い方で?
楽観主義、外向性が高い傾向の人は、失敗しても振り返らないことがある。
それはそれで幸せだ。(この傾向がある人はムードメーカー、カリスマの気質があるが、他人の感情を気にしない、権威的になる、サイコパスの傾向をもっているケースがある。興奮物質が流れやすい体質なので、まわりがよく見えないこともある)
神経質な人は失敗して振り返りすぎて次の失敗をすることができないことがある。(逆に自分の内部に目が行き過ぎる体質)
それはそれでつらいかもしれない。
かのモンテーニュはこういったらしい。
「わたしの人生は起こりもしなかったひどい不幸に満ち溢れていた」
どちらをとっても不完全。
どちらの人も、他人を傷つけるか、自分を傷つける。
バランスよくなりたいものだとおもう(大抵この考えも失敗する)。
ポジティブ思考がよい!というが、ポジティブを履き違えると、刺激を求める性格になるため破滅したり他人に迷惑をかけたりする(共感性がおちる)。自分の気分を高めることに熱中してしまう。「いいところ」にフォーカスする。
ネガティブ思考はよくない!というが、ネガティブに物事を捉えることは熟慮につながる。ただ思考の中にとどまっていると、鬱々としてくるかもしれない。冷静さも、冷たくなれば残酷さになる。
人というものは、ダメダメすぎて、欠点ボロボロな存在だとおもってみたらどうだろう。
あらゆる「美徳」が「背徳」だとおもったらどうだろう。
あらゆる「背徳」が「美徳」でもあるのだ。
こんなことが言えてしまうほど、言葉も不完全だ。
人は弱い。
声を張り上げて強がっている人を見かけたら、小さな犬が吠えているだけだとおもえるだろうか。
優しい人がいるなぁとおもったら、その人は、やさしくしないと生きていけない弱さをもっているとおもえるだろうか。
自分は弱いなぁとおもったら、他の人も弱く、不完全で、ボロボロなのだとおもえるだろうか。
(だからといって「いい」とも「わるい」とも言わないが、ヒトラーは、弱い人だった、といえるだろうか。弱い人が権力を握った時、今のどこかの国のように、暴走する)
東京のとあるバー。
壮年の男が一人、グラス片手に語った。
どうやら彼はどこかの有名な自動車会社の重役らしい。
で、なぜそんなに悲しそうな、死にそうな顔をしているのだろう。
「成功」している人が、「失敗」しているように思えた。
結局、なんなのだ。
successという英単語はもともと「進む」という意味だった。
successive は連続した、と言う意味。
successfulは成功した、と言う意味。
成功するから連続できる、と考えるか、連続するから、成功する、と考えるか。
それとも、続いていくこと、進んでいくこと自体が成功だと考えるか。
今日も1日、失敗にあふれていた。
さて、明日ももう少し、失敗してみようかな。
同じ失敗をするのも、そのうち飽きるだろう。
子どもがなんども転んでそのうちふと歩けるようになるまで、失敗を重ねられるだろうか。
そんな人は、存在しないのかもしれない。
人は不完全。
食卓を囲んでこんな話をしてみようか。
「今日はどんな失敗をした?」
今日はどんな失敗をするんだろう。
そんな心で、1日を始めてみたら、どうだろう。
失敗は空気のように漂っている。
こんにちは。
暴力も
狂気も
空気のように漂っている。
こんにちは。
よろこびは、道端の花のように、目を向けなければ、みえないものかもしれない。
チャップリンはこんなことをいったようだ。
「人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットから見ると喜劇である」
生きることが人の務めであるなら、務めに打ちのめされないように。
かき集められるすべてのやさしさを総動員して、生きる。
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