教室の中は9割が他人。仲間は3人。他者への無関心と暴力。

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教室の中は9割が他人。仲間は3人。他者への無関心と暴力。

 

 

どこかの記事で「太っている人にブスという」ことがどうなのか考えた。

Twitterでこんな記事が流れていた。

 

発言、行動が、誰かにとってプラスになるかどうか。

マイナスになるのかどうか。

例え事実だとしても、その事実を本人が言葉として聞いた時に、祈りになるか、呪いになるか。

祈りだと思ったら呪いになった、ということと、呪うつもりで呪った、のは違う。

 

「ダサい」と思うこと自体がダサいけれど、それは「ダサい」といった本人の今の現状。

「ダサい」と思わなくなるには、時間がかかる。

それよりも、「ダサい」と言葉に出したことで、言われた本人に何が起きるのか、気がついたほうがいい。多分その若者は、気がついていない。気にしてすらいないかもしれない。

 

心は複雑で目が飛び出てしまいそうだ。

もしかしたらそのダサい若者(「ダサい」と言った若者)は後で仲間とその子をいじるためにそう言ったのかもしれない。それがその若者の社会の築き方。人の足を引っ張って出世する年寄りのやり方。

もしプラスになる言葉をかけるなら、「わからなかったところ、一緒に見る?」とか。

 

仲間以外は他人。

 

ポール・アダムスの人間関係の分類

親友、相談相手が5人、

癒し手が15人、

仲間、協力者が50人、

遊び仲間、情報源が150人

知り合いが500人

『精神科医が教える ストレスフリー超大全』のメモ
『精神科医が教える ストレスフリー超大全』のメモ セロトニン的幸福 安らぎ・癒し・気分 朝散歩で感じる幸せ。笑顔で感じる幸せ。幸せ。 オキシトシン 繋がり スキンシップ、人との繋がり、...

 

もしこの割合を教室の30人に当てはめるなら。

親友、相談相手が5人、 1%(未満)

癒し手が15人、2%

仲間、協力者が50人、7% ←ここまでが「仲間」?

遊び仲間、情報源が150人、21%

知り合いが500人、69%

 

9割は他人だ。仲間と呼べる人は、3人だろう。

だとすれば、教室の中は仲間でない人との関係で溢れている。

 

愛せないなら、通り過ぎよ。

ニーチェの名言「愛せない場合は通り過ぎよ」の意味をわかりやすく解説してみました。 | 人はみな違う だからおもしろい

 

もし言われた人が「別に足を引っ張られていない」と言ったとしても、それでダサい若者の行動は強化されてしまう。その言葉に傷つく人はこの世界にたくさんいる。「アナタがそう言われたら嫌でしょ」と言っても、ダサい若者は「嫌じゃない」というだろう。「人にやられて嫌なことをしてはいけない」という言葉は、効果がない。人は違うのだから。

 

「ダサい」と言ったことで何が生まれる?

人を傷つける言葉を使わないようにすることが正当なのは、、

ひとの足を引っ張って自分の報酬を得ることが不当だから。

 

それとも、そのダサい若者は、嫌がらせでもされた腹いせに「ダサい」と言ったのだろうか?

ただ「ダサい」と言って気持ちよくなりたかったのだろうか?

 

こんな話は授業中にはできないかなぁ。

いじめは、日常。

 

人を助ける報酬はなんだろうか?

遠くの国を援助する意味はなんだろう?

「関係のない」国を援助する意味はなんだろう?

ウクライナとロシアの戦争、というが、その戦争を引き起こしたのは、周りの国でもある。

いじめは、暴力は、周りの無関心で激化する。

だからと言って、思慮なく助けようとすると、利害関係に飲み込まれる。

いじめを助けようとしていじめを悪化させることもあるし、自分がいじめられることもある。

 

 

人を助ける報酬はなんだろうか?

年寄りの答えは

「その人が持っている価値を引き出す」こと。

例えその人が他者であっても。、関わりのない人であっても、その価値は、周り回って、自分に返ってくることを、年寄りは想像している。

 

どこかの人が、こんなことを言っていた。

とある国に行ったとき、やたら親切にしてくれる観光ガイドに出会った。あまりにも親切だから危ない人なのかなと思ったけど、最後までただただ優しかった。その人に、どうしてそんなに優しくしてくれるのかと聞いたら、「アナタがこの国でいい思い出を作ってくれたら、アナタがアナタの友達にこの国のことを話してくれる。そうしたら、その人がこの国にやってきてくれる。ワタシはこの国にたくさんの人が来てくれることを願っている」

 

長期的に物事を考えられたら、この言葉の意味も感じられるのかもしれない。

 

 

人生の価値は、人の命の価値はなんだろう。

この巨大化したサピエンス帝国で、他人の価値は、何なんだろう。

どんな世界が、喜ばしいのだろう。

 

競争に勝ち続けるために、安心をするために、利益を出し続けて巨大化する企業もある。

最低賃金で働く労働者と、高給を受け取る経営者がいる。

それは仕方がないことなのだろうか。

暴力とは、なんなのだろう。

 

ある人は、「ベルトコンベア」の一部になる価値しか世の中に見出せないのだろうか。

仕事が終わった後に、楽しいことをして暮らしていく。

「価値」の指標はなんだろう。

そんな普遍的な価値は存在しないのかもしれない。

 

ややこしい。

年寄りの考えが傲慢なのかもしれない。

多くを望みすぎるのかもしれない。

 

ここで思う。

もし「障害者」という言葉が嫌だという人がいたら、その人をどう指し示したらいいのか?

その人に直接聞くしかないのだろうか。

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