小説と論説の違い。悪文とは何か。

小説と論説の違いは何か。

小説は、物語だ。
論説は、意見だ。

小説は具象を顕し、抽象を隠す。
論説は抽象を顕し、具象を隠す。
(荒々しく表現すると、そうなるとおもう)

小説を読むには、具象の中に抽象を見ること、
論説を読むには、抽象の中に具象をみることが大切だ。

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物語は論理を隠すことがある。
論理、というものも抽象の一部だろう。
物語は心情を隠すことがある。
心情、といううのも抽象の一部だろう。

文章には書かれていない言葉を、文章から紡ぎ出していく。
言葉を自分のなかに生み出していく。

意見は論理を隠さない。
一方で、その論理を生み出した数々の血肉が伝わらないことがある。
論説は、抽象語で書かれている。どれだけその言葉に血肉を与えられるのか。

文章には書かれていない言葉を、文章から紡ぎ出していく。
言葉を自分のなかに生み出していく。

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これは人間の社会でも同じこと。
ある人がいう言葉、ある人が起こす行動、そういうもの一つ一つには書かれていない言葉を、文章から紡ぎ出していくことで、人を理解する。

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悪文、というものがある。
物語にしても、悪文があり、論説にしても、悪文があるのだろうけれど、とくに論説で悪文が多い。

今でも記憶に残っているのは、大学受験の現代文でみた文章。
「悪文がでてきたら、君はどうするのか」と問われているかのような、わけのわからない文章だった。

読み手がわかるかわからないか、その限界を狙うかのような、「ご意見」。。。。
抽象語の嵐。「何言っているのか」意味がわからない。

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これは人間の社会でも同じこと。
わけのわからない現象や出来事、人間がいる。
そんな文章と出会ったら、どうするのか?

これはお父さんやお母さんにもいえること。
「悪文」を「悪文」とおもえない状況が、この日本ではまかりとおっているのだが。
文章を批判できる人が少ない。
(おかげさまで、合格実績とか雰囲気とかブランドとかいろんなイメージだけで売れる教育業界である)

経済対策?
無償化?
外国人労働者?
消費税?

言葉自体が抽象の海をただよって、目の前で起こっている現象を具象としてみることができない。

これは、とてつもなく、「悪文」だ。
だれか、本当のことを、僕らにもわかるように、「説明」してくれないのだろうか?
いやいや、自分で「学べ」ということらしい。

今、日本はどうなっているの?
僕はまだその情報にアクセスできていない。
論理立てて、「経済」と「歴史」を語れない。
高度経済成長は、どのように引き起こされたのか?
この国の体質は、どのように生まれたのか?
ただただ、貧しい暮らしの中で、楽しみを見つけるだけ・・・が日本人に残された唯一の救いなのか。

パンとサーカス。

安冨さんの本読まなきゃかな・・

「お金」という抽象語の実態を、まだ僕はお金の気持ちで理解できていない。
「名詞」の抽象性
「蛇」は抽象語か
抽象の効果

うーん。

お金について、学ぶ時期かな。
日本という場所を知る時が、来たのか・・・
(多くのお母さんたちはこの貧しい国の現状を直感で察知して、子供を戦争に送り出して勲章をもらおうとしたり、それこそ東大話法というやつか)

逆にこの戦争から遠ざかって生きるように、子どもを励ますお母さんもいる。
それは「勉強できないから」ではなく、それが新しい時代に適応する最適解だと直感しているからだろう。

日本が子どもに戦争を続けさせるのは、教育産業で特需景気になるから。
対話ができない政治家。令和時代の戦争とピクニック。
戦争をさせられる子どもたち(学校という経験・受験という経験)
「堕落」しなければ、課題を真面目にやる無意味さに気がつかない?(坂口安吾の『堕落論』)

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僕の書く文章も「わかりにくい」だろうか。
わかりやすく伝えるための修行が、僕にも必要なのかもしれない。

多くの人は、もしかしたら僕の文章を理解できないかもしれない。
その場合は、ブログではなくHPの印象だけで電話してくれてもいい。
話した方がいい。

読むのが苦手なら、話をしたらいい。

得手不得手は誰にでもある。

言葉では語られていない言葉を、紡ぎ出していく。
自分のなかに言葉を生み出していく。
その言葉を、出してみる。

そのプロセスが、お父さんやお母さんにも必要なのかもしれない。

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