看護学校を目指す社会人と分数の学び直し。1年半を3時間で。数学って勉強する意味あるの?

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 看護学校を目指す社会人と数学を学び直して気がついたこと

 

オトノネにはいろんな人が来る。

社会人で、高校に入り直し看護学校を目指している人がいる。

おとのね さんがつくった特製の教材を使って学んでいる。

レッスンのたびに、教材は改良されていく。

問う姿勢を問う

この社会人の人と、子どものレッスンで違うのは、「なぜ?」を問うことだ。

「数学の世界」では当たり前のことを、当たり前に思えるかどうか。

その一つ一つの「学び」の姿勢(問う姿勢)は素晴らしい。

大人だからこそ、勉強に真摯に向かっているからこそできることだとおもう。

 

 

例えば今日はこんなことがあった。

「これ、数、大きすぎて間違いかなとおもったんです」

「数に貴賎はありません」

 

数学の世界の正しいルールで導かれた答えなら、それが正しい。

おとのねさんの名言も増えていく。

 

質問することは、お互いに学び合うことだ。

 

「3/1と9/3が同じ数なの??」

「同じ数です(分数は割合を表す「数」だから)」

詳しく言えば、「数」の「表現」は違うがそれが「同じ」ことを表している。

 

というのも数学の世界のルールだ。(分数という数はそういう姿をして佇んでいる)

人間でもいろんな人がいるように、数学でもいろんな「数」がでてくる。

その「数」の世界を読み解く、「数」の世界のメッセージを理解していくのが数学だ。

 

 

 

こんな質問もしてくれた。

「これだけ(おとのねさんが)頭がいいんだから、大学入り直すとか、看護学校いくとか考えないの???笑」

 

大学に行くということは僕の頭の中にはあまりない。

今は。

今は「生業」として、学ぼう、成長しようとしている人と一緒に学ぶ充実感を感じていたいと思う。

(もちろん、それ以外の動機もあるだろうが)

 

「式」は「数学的表現」

知らない人が多いが、「式」とは「数学的表現」のことだ。

いろいろな表現で語りかけて来る「数学の世界」の妖精たちの言葉を理解できますか?

それが数学を学ぶということ。

 

そこには「礼儀作法」もある

そうしたものをひとつずつ、学んでいく。

「数学的表現」にはわかりにくいものもある(現代文のわかりにくい文章と同じだ)

小説と論説の違い。悪文とは何か。

 

複雑そうな「表現」はこんがらがった紐のようなもの。

それを「解いていく」のも数学で学ぶこと。

 

宿題の話

宿題は、「これでいいのだ!」と思えるようになるまでやる。

その自信の程度が、結果の程度になる。

結果がほしいのなら「これでOK!この表現はもう理解した」と思えるまで、一つのルールを使ったいろいろな表現に触れることだ。

 

子どもも、「言語」を覚えるときにはルールを理解しながら、間違えながら、使いながら、身につけていく。そのプロセスを「数の世界」でやる、という特殊な状況が「数学」にはある。

数学って役に立つの?学んで意味あるの?

数学で人間を学ぶ

と言われたら、日常生活を送る上では役に立たない、というしかない。

それくらいまでに抽象的な数の世界を、日本では学ぶことになっている。

けど表現方法にルールがあって、それに従って世界を読み解くということは日常茶飯事だ。

(英語も同じこと)

「人」にもいろいろあるように、「数」にもいろいろある。

「数学」は「人間」を学ぶ学問だといってもいい。

分数、負の数、有理数、無理数、はたまた、等号=にも意味がたくさんある。。。。

 

数学で身を守る

だがしかし、

「数」の世界、「量」の世界のルールは、世界との関わり方を変えるのも事実。

数学ができないおかげで魔王が作った「グラフ」や「表」が読み取れずに騙される人が多かったりする。

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数学で楽しく生きる

今日、生徒と「割れないシャボン玉」を作ったのだが、「水と洗剤と洗濯糊と砂糖」の割合を比で表していろいろな割合のシャボン液を作った。

「比の計算ができません」と生徒は言う。

僕は手伝う。

自分だけの「比」をもったシャボン液を作った。

生徒のシャボン液が一番うまくいった笑

 

そうした「数」「量」との関わり合いが、日常生活に少ないのだ

あそびが足りない。

「世界」との関わりが薄い。

 

「数学ってなんの役に立つの?」という質問は「生きるってどんな意味があるの?」と同じだ。

とふとおもう。

それを使うか使わないかは、学ぶ人、生きる人次第だということ。

 

心が大事。

あそびが大事。

 

ルールとは何かを学ぶ

ルールは絶対ではない

社会に出たら、「マニュアル通り」にすれば仕事はこなせる。

けどそれが絶対の「ルール」なのか。

何が「ルール」なのか。

人間のコミュニケーションのあり方を見直す姿勢になるかもしれない。

数学の世界のルールは変えられないけど、人間同士の、少なくとも「自分のルール」は変えられるはずだ。

【子どもに学ぶお城の壊し方】生きるとは○○○○○をつくること【批判的精神とは】

 

数学の世界にも、「ルール」を破壊した人がいる。

例えば幾何学で「ユークリッド空間」というものがある。(もちろん高校では学ばない)

今まで考えてきた「ルール」では説明できない、表現できない世界で「数」がどうコミュニケーションするのかを学べる。

 

ルールの中であそぶ

こんなこともあった。

「これで計算あってる?」

「数学の世界のルールに従って書かれているけれども、この計算方法(計算のプロセス)はあなた独自のものです。けどその結果、理解できたものが正しいので、OKです」

 

一人一人考え方が違っていていい

関わり方が違っていていい。

「数学の世界」のルールに基づいているならば。

 

日常の暮らしにおいて、正しいルールとはなんなのだろう?

人が「共通してもっているルール」はなんなのだろう?

それに対して自分はどういうプロセスで答えを出していくんだろう?

 

そういう数学の楽しみを感じられるようになったら、数学の世界で、あそぶことができる

 

それはとても、楽しいものだ。

 

2年半を3時間で学び直し

分数がわからない、というところから始めて、負の数の掛け算までやった。

できた。

あとは「どれだけ自信をつけたいか」に応じて宿題をしてきてもらう。

 

中学校になっても誰も分数を教えてくれない。

今だから、理解できるのかもしれない。

看護学校に入る!という目標ができて、真摯に「数学の世界」と向き合えるようになったのかもしれない。

 

とにかく「今」が学びどき。

「定期テスト対策」に溺れたら「数学なんて」という気持ちが次世代にも伝わるだろう笑

 

数学を学ぶ時間も大切だが、「世界」を広げる「あそび」を大切にしてこそ、数学を学んでよかったなぁ、と思えるとおもう。

 

シャボン玉の実験を、やってみてほしい笑

 

 

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