【子どもに学ぶお城の壊し方】生きるとは○○○○○をつくること【批判的精神とは】

算数・数学 メタスキル 自立 ライフステージ 違和感

○の中に何が入るでしょうか。

仲間?
家族?
お金?
時間?
地位?

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最近、生きるということが「自分ルールをつくること」だと感じた。
「ルール」を変えていくこと。といってもいいだろう。
もちろん「自分ルール」だ。

今まで作ってきたルールがある。
あるものは無意識であって、あるものは意識できる。

例えば食。
習慣になっているというのは、無意識のルールになっているといってもいい。
レトルトのカレーを食べ続けて肝臓を壊したおとのねさんは再び大豆を中心にした生活にシフトしました。

対人的なルールもある。
「心」のあり方だ。

例えば「これこれこういう人に会ったらこうする」とか、「こういう状況ではこうする」といったもの。
「心」のルールの多くは自分を守るものだ。

「命」のルールは、自分がより自分として生きる、喜びを感じるものだろう。
命を大切にするルールを、僕らは顧みているだろうか。

「心」のすり減りを食い止めようとする、なんとか耐え忍ぶためだけにエネルギーを使っていないだろうか。

僕たちは「命」を大切にしているだろうか。

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ダイゴが「習慣にすると楽だ」といっていた。
習慣になるまで、意識的に続けてみる。そうすると、「次」がある。
自分で決めた新しいルールを身につけていこう。

例えばかの有名なジョブズは着る服をルーチン化して、無意識にして、意識は創造的な仕事にまわした。
イチローはカレーを食べ続けていたらしい。

心のエネルギーは限られている。
選択肢を減らして、創造的になれる生き方を目指すには、「自分ルール」をつくることが大切だ。

僕の師匠であるアーティストのガクトもそういっていた。
今になって、なるほどとおもう。

例えば部屋を片付ける、いらないものを捨てる、というのも「自分ルール」をつくることになる。
情報を整理し、取捨選択し、「実行」することにエネルギーを注ぐ。

「ルール」とは行動の枠組みをつくるものだ。

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数学で学ぶメタスキル も同じだったりする。

ただし数学ではルールは決まっている。
ルールを知って、習慣になるまで、考えなくてもできるようになるまで基本的な所作を身につける。
そうすると、次の新しい何かが入ってくる。

頭で理解しただけではだめだ。
無意識にできるようになるまで、鍛錬すること。繰り返すこと。
そうすると、次に進める。
もっと別のことを感じることができる。

数学には原理や公理があるように、「自分ルール」でも原理や公理をつくることができる。
それすらも変えられるのが、人間の凄みのようにおもう。

ルールを自分でつくるのだ。
(そうしてソクラテスは毒杯を飲み干した)

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「自分ルール」を作り出すのは魂だ。命だ。

ある人はブラック企業、ブラック学校で、もしくはブラック家庭で「とりあえずやりすごす」心の仕組みをつくるかもしれない。
それも「自分ルール」だ。

「自分ルール」には2種類あるとおもう。
一つは「闇を歩く」ルール。
もう一つは「光を歩く」ルール。

我慢、忍耐、辛抱、ただただ心をすり減らす、弱らせていくルールを課している人もいる。
一方では心を開いて命が強くなるようなルールを課す人もいる。
(最近僕は、闇を歩くために強くなった自分というものは、社会的にはあまり認められないとおもうようになった。自分がしあわせにはならないと感じ始めた。もちろん、闇ルートを歩いて強くなった自分も、自分なのだが。光のルートを今、探っている)

「ルール」は「心」のあり方であり、「命」の燃やし方だ。

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多くの人は、僕も含めて、今まで使ってきた「ルール」に縛られている。
「こうすべき」「ああすべき」「こういうときはこうする」

けど、それが不思議に思われる、違和感を感じるときがある。
どうしようもなく堕落したとき。
体が悲鳴をあげるとき。

そういった瞬間に、「ルールを変える」ことを意識してやっていきたい。

「ルールを変える」のは、実は、5歳くらいになって僕らがだれでも遊びの中で経験することだ。

5歳のときに学んだこのメタスキル は一生使える。

ルールを作り、おもしろくなかったら、不都合があったら、どんどん変えていく。
「学校に行く」「宿題をする」「会社で働く」「みんなと仲良しする」

「命」のあり方を、「心」が支えいる。

批判的な精神とは、このようにまず自分に向けられるものであって、他者の悪口をいうものではない。
ということを忘れずにいたいものだ。

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無意識の自分ルールを「自動思考」と呼ぶことがある。
自分を相対化できない、客観視できない、ただ流されているだけ、振り返れない、感じられない。
仕事で、宿題で、「どうしようもない」状況で、「ルールに従う」ことで精一杯になっていないか。

そういう時もある。

だからこそ、「違和感」を感じた瞬間を大切にしたい。

「ルールを作り出す」ことこそが、僕には人間らしいようにおもえる。

「違和感」は「命」の叫びだ。
よくよく感じ取って、「命」を「心」で抱きしめてあげよう。

と、僕も自分に言い聞かせる。

「命」は「わたし」を超越している。

生きるとは、「心」で自分の「命」を大切にすることなのだとおもう。
命を大切にするルールを、作り続けていこう。
変え続けていこう。

「わたし」の「命」の本質がわかって、「心」を使うことほど、しあわせな生き方はないように、僕はおもう。

誰も「わたし」の「命」になど興味はない。
「わたし」が自分の「命」を大切にて燃やさなかったら、宇宙の片隅で鈍く光る「わたし」を見つけてくれる人が、一体どこにいるだろうか。

そうして多くの人が、「ブランド」「ラッピング」という「他人のルール」にこだわる。
ようにおもう。

僕にはそれが、不自然におもえるのだ。

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自分で作った砂の城を簡単に壊して笑っている子どものように、自分で一生懸命つくりだした「自分ルール」を笑いながら壊していく心を、子どもから学びたい。

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