1歳児の【社会的参照】は大人でも有効な件。情動調整のためのリラックス。励まし。

マシュマロ

第16章 麻痺した意志
ホットシステムを冷却するためにクールシステムを使える。が、ホットシステムに働きかけることで、ネガティブな感情に対処できるようになる。

ジョン・チーヴァーの1961年の短編「橋の上の天使」は、自制のスキルに優れ、心理的な免疫系が最善を尽くしており、自制心と石の力を働かせようという動機付けがこれ以上ないほど強くてもなお、クールシステムが容易に損なわれるることを教えてくれる。物語の主人公は、マンハッタンに住む羽振りの良いビジネスマンだ。アルバン彼が家に帰るためにジョージ・ワシントン・ブリッジに近づくと、突然、猛烈な雷雨に襲われる。風が吹き荒れ、この大きな橋が揺れているように感じられて、主人公(名前は出てこないので、「ブリッジマン」と呼ぼう)は、橋が崩壊するのではないかという恐ろしい考えが頭に浮かび、パニックになる。彼はなんとか家まで帰り着くが、自分がジョージ・ワシントン・ブリッジだけでなくほかの橋に対しても、身動きが取れなくなるような恐れを抱いてしまったことに間も無く気づく。ブリッジマンは仕事のために橋をしばしば渡らなければならないので、意志の力で恐怖心を克服しようと必死になるが、どんなに懸命に努力してもうまくいかず、しだいに落ち込み、自分はどうしようもない泥沼にはまってくくだけなのだと思われてならなくなる。(略)幸いなことにチーヴァーの物語の中では、「天使」がブリッジマンを助けてくれた。それはある晴れた日のことだった。彼は橋を渡らないで目的地に着く道筋を見つけることができずに、渡らなければならない橋に近づいていくと、再び恐怖に襲われた。彼はそれ以上進むことができなかったので、しかたなく車を道路脇に止めた。そのとき、一人の愛らしい天使のような若い娘が小さなハープを持って近づいてくると、車に乗せてくれるように頼んだ。その長い橋を渡る間ずっと、娘が耳に心地よいフォークソングを歌って聞かせてくれたので、彼の恐怖心は消えていった。ブリッジマンは、ジョージ・ワシントン・ブリッジを私のはやはり用心して避け続けたが、ほどなく、他の橋を渡る行為は日常生活の一部に戻った。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.231)

これは何かと言えば、赤ちゃんが1歳くらいで「社会的参照」をするのと似ている。怖い、どうしたらいいかわからない、そういう時、励ましてくれる、安心させてくれる、そういう「お母さん」がいることで、恐ろしさに慣れ、ついには一人でも渡れるようになるというもの。恐ろしい原因は何か?といわれたら、ない。恐怖は感情であって、焦燥と同じように勝手に出てきてしまうものだ。石橋を叩いて渡る気持ちは、合理的に「この橋は石でできており構造計算が云々」だと理解して渡るのではない。みんな渡っているから安心だ。というので渡る。最愛の「お母さん」が一緒だからわたる。渡ってみたら平気なものだ。よし、今度は橋の上から川でも一緒に眺めてみよう。といって、世界を広げていく。世界を信頼していく。

ブリッジマンの話は、精神や心理の先生方にいわせればトラウマということになる。トラウマをどう克服するか?そのための手法も数多く研究された。有名なのが、EMDRという手法。ひと昔ではその方法が「極秘」だったが、今はどうかしらん。図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法

例えば昔話で怪物が現れる。そこにとある琵琶法師がやってきて、琵琶を奏でる。すると、怪物(その物語では蛇であった)がいろいろと喋り始めて、とりあえずいい方向に物語が進んだ。怪物は理性を超えた情動、人間の手に負えぬ自然を表していることが多い。神秘的であって合理性では太刀打ちできぬものに関わりあう一つの方法が、身体的感覚的なアプローチである。

これは人間恐怖症、人の中に入るのが怖いとか、家の外に出るのが怖いとか、意志や心が麻痺している人たちが世界を広げるための助けになる考えだ。

少しずつ、慣らしていく。恐怖を飼いならしていく。そのうち、恐怖と付き合えるというより、恐怖の人相が変わってくる。そんなアプローチだ。怖い顔をしていると思っていたのに、付き合ってみたら、まぁなんだ。笑えるではないか。という。

ウォルピは、筋肉をすっかり弛緩させて深呼吸をするリラクゼーションのエクササイズをすれば、患者が必要とする、不安と相反する反応が生じやすくなるだろうし、そうすればリラクゼーション反応が次第に恐怖刺激と結びつき、ついには恐怖心が消えるだろうと考えた。この種のセラピーでは、リラクゼーション反応はまず、トラウマとなっている刺激位とほんの少しだけ関係している刺激(たとえば日差しを浴びた穏やかな浅い池に架かる小さな橋の絵など)に結びつけラエッル。そして、こうした穏やかな恐れの元に対する不安が克服されると、患者は次のもう少し恐ろしい刺激を呈示され、それを段階的に繰り返すことで、ついにリラクゼーション反応は恐怖刺激について考えることに、そして最終的には恐怖刺激そのものに実際に近づくことに結び付けられる。この時点で、もしその刺激がジョージ・ワシントン・ブリッジなら、患者はリラックスした状態でその橋を渡ることができる。(略)短編では、いかにもフィクションらしく、橋を渡っているあいだ、愛らしい天使が歌ってくれるという、これ以上ないかたちでそれが実現した。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.234)

愛らしい天使の姿を子どもに見立てることはできないだろうか。

いろんな恐怖心・不安感を煽る世の中で、扁桃体は熱くなっている。
それを毎日、子どもの笑顔でリラックスをしていく。子どもから、橋を渡る(会社に出勤する)ためのリラックスした状態になるためのお守りをもらうかんじ。子どもからたくさんもらっているお母さんは、しあわせだ。

この心の機能の根底にあるものは「模倣」だ。
信頼できるだれか、憧れるだれかを真似たいとおもう。
踏み入れたことのない、不安と恐怖の世界に入ってみようとおもう。
情動によって情動を乗り越える。

よりポジティブな情動によって、「感情の習慣」を変えていく。
たとえばそれが「褒める」ということなのかもしれない(煽てるオダテルのではない)。

このシステムがまだ作り途中の幼少期にさまざまな感情と出会い、それと関わっていくことの大切さをおもう。大人になると、扁桃体の深く深くに、ある種の神経は埋没していくものだから。その配線を変えるための努力を要する。誰かの助けが必要になるのは、小さいときでも、大きくなってからも、かわらない。

時間をかけて、目の前で起こっている小さな出来事を感じて、噛み締めながら、記憶の奥底で眠っている子どもの心を呼び起こして育てなおす。いつだってやり直せる。大人なら、閉じ込めてしまった子どもが心のどこかに幽閉されていると感じる瞬間が、あるかもしれない。

子育てとは、大人が自分の中にいる子どもを、橋を渡るときに現れた天使を、大切にすることなのかもしれない。

子どものおかげで、いろんな人と出会えたり、世界が広がる。
それがよろこびにならないで、一体何になるだろう。

僕が昔、大切な人から教わったことがある。
「嫌な気分になったらどうするの?」僕は聞いた。
「寝る!」と、その人は答えた。

「失敗してくよくよしちゃったらどうするの?」僕は聞いた。
「ヘラヘラしてたらいいんだよ」と、その人は答えた。

寝たり、笑ったり。
大切なことは、どうやら、子どもが全部、教えてくれそうだ。

がんじがらめになった自分の心を解きほぐして、リラックス!!!!!!リラッX!!!!

大人になってからも、大切なことを、学び続ける。

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第17章 疲労した意志

ニューヨークのアッパーイーストサイドにある上品なハンガリー領事館でのレセプションで、疲れ切った聴衆がプログラムの開始を待っていた。長い1日の仕事が終わった夕方遅くだった。40歳ぐらいからずっと年上までの、ほとんどはグレイか黒のビジネススーツを着た「芸術に造詣が深い」人たちが、ロレックスの腕時計やiPhoneを再び見やり、目を閉じ始める。散々待たされた後で、突然、スピーカー0から大音量の音楽がどっと溢れ出した。

今、悪いことをしたいんだ!あとで苦しんだってかまうものか!

寄せ集めのようなバンドがステージ上でその歌詞をいかにも楽しそうにがなり立て、バイオリンやギターを荒々しく演奏し、ドラムやメタル缶を叩き、カスタネットを打ち合わせ、ラトルを振り鳴らした。小さな古びた中折れ帽を被り、ヒッピーのような服装をしたバンドのメンバーは、お互いに呆れるほどふざけあい、いかにもまじめそうなx聴衆にも誘いをかけてきた。ハンガリーに旅行に行きたいという気持ちを掻き立てるために。居眠りをしていた聴衆は度肝を抜かれて、ロックコンサートで若者があげるような興奮した感性と唸り声を思わずあげた。もしそうでなく、プログラムが型通り、ブタペストのすばらしさについてのビデオと講演ではじまっていたとしたら、咳が止まらなくなったふりをしながら出口に向かう人たちがたちまち続出していたことだろう。バンドが興奮を引き起こすまで、聴衆はおのおの自制心の発揮し過ぎで疲れ、そろって深刻な意志の疲労状態にあったように見えた。毎日意志の力を使った努力を続け、ストレスの多い長い1日の仕事をやり通すだけでも、人は披露しうる。聴衆は内なるキリギリスを今すぐ喜ばせてやりたくてうずうずしていたので、羽目を外せ、陽気にやれ、ホットシステムを楽しませろというバンドの誘いを嬉々として受け入れ、そのあいだ、働き過ぎたクールシステムは一休みしていた。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.239)

疲労感、意志が消耗した、ホットシステムがうずうずしているという感覚が次にどんな反応を引き出すか。

ある人は寝る。
ある人はゲームをする。
ある人は散歩をする。
ある人は修行を始める。
ある人は無茶食いをする。
ある人は麻薬に手をつける。
ある人は人を殴る。
ある人は人を捕まえて喋りまくる。
ある人は音楽を聴く。
ある人はスマホを手に取る。
ある人は・・・

意志の力は消耗する、ということは実験で証明されているし、それは実際、現実に僕たちのみに起こっている。
僕たちにはご褒美が必要だ。

そのご褒美があまりにも頻繁だと、「自制心がない」とされる。

どうしよう・・・

で、人はこうした自制心をどのように学ぶか。というものだ。

この本では、やはり親を真似る。という研究結果がでているという。
親が厳しい基準で自分にご褒美を出すなら子どもはそれを真似る(子どもに厳しい条件を出して、自分へのご褒美は甘いと、子どもは甘い条件を採用する)。

ご褒美が遠く、遠くにあるときでも、ある一定の条件があれば、それに向かうことができる。
この本では、SEALという特殊任務集団のメンバーになるための訓練は「懸垂が100回できたら、それは次の30回を意味するようになる」といった、永遠とも思える意志の力を必要とするものだ。ご褒美は遠く、輝いている。それに向かって意志の力を働かせ続けられる人もいる。

マークの体験や成功が浮き彫りにしているのは、意志の力について人が暗黙のうちに持っている理論の重要性だ。努力や我慢強さを守り立てて持続させるような、熱烈に達成を望む目標と、人を奮い立たせてくれる手本とさまざまな支援を与えてくれる社会環境とがあれば、意志の力は事実上無限の発達を遂げられる。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.252)

赤ちゃんが必死に立ち上がろうとしたり、はいはいをしようとしたとき、向こうでお母さんが笑顔で励ましてくれる。
何かを喋ろうとしたら、お母さんが反応してくれる。
指をさしたら、そっちのほうを向いて、興味を示してくれる。

そうした関わり合いが、赤ちゃんの発達を、成長する意志を、自立する意志を支えている。
人は一人では、なかなか成長できない。

無尽蔵の支援をする。
子どもは自立しようとしている。
(ところで、子どもにとっての1番のご褒美ってなんだろう?たぶん、抱きしめてもらうことだと僕はおもう。高校生になっても、大人になっても、大切なことかもしれない。肌が触れ合う距離で言葉を交わせる人がいることほどのご褒美はないんじゃないか。思春期の女の子にはよくあること。男の子は日本の文化的にそれがなかなかできなくて、うーん。。。。。)

お母さんが一人でできいないこともある。
「社会環境」が大切だ。

だから、僕はれいわ新鮮組の安冨さんに一票をいれます。

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