できないこと、しないこと、やれないこと、やらないこと。

小学生の時、僕は宿題を熱心にやらなかった。その時決まって先生にいうセリフがある。「宿題はできませんでした」と。しかし気が付いていた。「やろうとおもえばできたのだが、やらなかったのだ。だからできませんでしたではなくてやりませんでしたと言った方が正確ではないか」と。しかし、子供ながらに「やりませんでした」と言った場合、めんどくさくなるということを察知して「できませんでした」を採用することにした。それが小学6年生の話だ(自分のためにならない作業をどうしてこの時期、遊ぶ時間を減らしてまでやらなくちゃいけないんだろう?)。

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この時期になると志望校を決める、今までの勉強法を振り返って焦る、そんな時期。
不安になる時期だ。これでいいんだろうか?いわゆる「自称進学校」の生徒のお母さんから「うちの子は大丈夫でしょうか」という問い合わせが増えるこの時期。

今まで勉強をしてこなかったから、これからやればできる、と考えることもできる。
「やってなかっただけさ!」その通りだ。が。
『ビリギャル』の成功例や数々の風の噂が生み出す(そして多くのお母さんたちがそこにしがみつく)バイアス(心のお守り)の存在はさておき。

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勉強を果たして、してこなかったのか。
してこなかったのかもしれない。
やれなかった、のではないかどうか。
要するに、意思ではどうにもならない迷宮ラビリンスに入っている可能性はないか。

だとしたら、「これからやればできる」というのは、とりあえずうろうろと歩き回っていた迷路をダッシュで駆け抜けようとするのと同じで、同じ迷路の中にいることには変わりがない。

というのが僕の考えだ。

しなかったのではない。
できなかったのだ。
やらなかったのではない。
やれなかったのだ。

迷路から抜け出せなかったのだ。
道に迷って、もうダメだと、とぼとぼと歩いていたのだ。走れる気力がなかったのだ。走らなかったのではなく、走れなかったのだ。

迷路から抜け出すか、自分でできる?
もちろん、迷路を疾走してもいい。
もし抜け出したいと思うなら、「もう無理!」なら、オトノネに来てみたらいいとおもう。

一人じゃできない、やれない、のか、
一人でできる、やれる。のか。

オトノネは、一人じゃできない、やれない、わからない、そういう人のための学び場です。

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今から初めてみるといいかもしれない。
「しなかっただけだ。やればできる。できないのではない、やらなかっただけだ。」と考えてみて、ダッシュで迷宮を駆け抜けて成果が出る人もいるだろう。
なにせ発達は人それぞれ、十人十色、いろんなゴールの仕方がある。
やってみたらいい。できなかったら?できなかったのだ。。ということがわかるのは、おそらく合格発表が出てからだろう。そうして多くの人が、受験という経験を、受験という儀式を、未完了のまま、ただただ終える。「長い定期テスト期間だった」と。

オトノネなら、迷路を進むか、迷路に穴を開けてとりあえず抜け出して最短距離を走るか、そもそもゲームを降りるか(爆)というところから、問いかけたいとおもっている。もちろん、ひとそれぞれ。迷路から出た時の、あまりにも長い、遠い、ゴールまでの最短距離を目の当たりにして愕然とする人もいるだろう(自称進学校でバイアスをかけられた多くの生徒たち)。そもそもゴールが見えないほどの迷宮でずっとさまよっていたのだから。塾や学校の課題、一斉授業という小さな世界でしか暮らしてこなかったのだから。途方も無い世界の広さに、驚くかもしれない。遠くのものがもう見えなくなっている子もいる。

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有名な話だが、野生動物は、体の調子が悪いとき、自分で「必要なものを食べる」「必要なだけ休む」。
放牧された牛は、自分の健康管理を自分でする。草を選んで食べるのだ。

それと同じことが、人間にも言える。
与えられた飼料(課題)だけを食べて健康を保てていればそれでもいい。
けどそれでどれだけの鶏が短命で、病気になっていくか。

自主自立とは、「自分で選んで食べる」ことだ。

何をどう食べたらいいのか。
選ぶ力、食べる力は、小学生までにほとんどできあがっていると、僕はおもっている。

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人それぞれに完全に対応するのがオトノネの完全子別指導です。

お子さんへの期待に「愛」が込められていますか?
今のお子さんの姿を、きちんと見れていますか。見えないですか。見ることが、できませんか。見てみませんか?
受験勉強と、定期テスト対策勉強は違うのだということを、ご存知ですか?

思えば、フランチャイズの塾で働いていた時代、「あ、この子は、お母さんの影響が強すぎて勉強に迎えていないんだ」という生徒がたくさんいた。自営業を始めた今ならそのことをきちんという。言うからお客さん来ないんだろう。自分のしていることに気づかないお母さんが多い。フランチャイズ時代は、「お母さんは塾に、安心感、自分はこれでいいのだという安心感を買いに来る。だから「無理」な生徒でもだれでもかまわない、とにかく買いては保護者だ。お母さんさえ安心できればいい。多くのお母さんは子どもの成績はみているかもしれないが、子供はみていない。」ということを学んだ。

オトノネの生徒が増えないのも、そういった事情があるからなのだとおもう。

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