【大人の宿題】「愛」を学ぶ心の屋根裏部屋otonone-オトノネ-

カウンセリングルームでもつくろうかなとおもってきた。

そんなお話。

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お母さんが学ばないといけない理由は何度か記事にしてきたがもう一度。。

一人の人間を尊重するというのは、「人間」を尊重するのであって、「人間」でなければ尊重する必要はない(機械を尊重する必要はないのと同様)。
ただ、うまい具合に対処するだけだ。(日本は、そういう国だ。もう認めるしかない。)
考えること、感じることができない、目の前の子どもが見えていない人に子どものことを考えろ!感じろ!といっても無理なのだ。

だから、

学校の先生に何をっても、無理なのだ。
保育園の先生に、何を言っても、無理なのだ。

と割り切ってしまったほうが、自分自身の成長が望める。子どもにもプラスだ。
(「学び」の回路が閉じた人と関わってもなにも学べない)

そのくらい、「人間」らしさのない人間が多い世の中だ。
そんな「人間」が希少なこの世の中で、富山県で、子育てしているお母さんがいる。

本当に、大変なことだとおもう。

さて、僕にできることはなんだろう。
オトノネで試したいことはなんだろう。

大人の宿題のお手伝いかなーとおもっている。(大人は子供に宿題を出すが、子どもも、大人に宿題をだしている)
子育てのパートナーとして。

それは僕のお母さん自身が一人で、孤独で、悩みながら、狂いながら、僕を育ててくれたことに対する、僕なりの、なにがしかなようにおもっている。

子どもを塾に行かせるだけで子どもがしあわせになることはほとんど望めない。
お母さんが学ばないと、子どもはしあわせになれない。
そんな時代になってしまった。お母さんは、「ビジネスの原理」からの暴力のなかで、暮らしているからだ。
お母さんが自分を守る術を、学んだほうがいい。

しわよせは子どもにいく。

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お母さんに自覚的になってほしいことは次の二点。

どんな人になってほしいか。
お守り

そのためにどんな関わり合いをするか。
愛とは何か?

子育ては、この二点。
「自然」に任せていたら、「命」の輝きがが消されてしまう時代だから。
不健康な社会という「自然」の中で健康を保つには。「自然」でいちゃだめ??
「学校」という「自然」、「校舎」という場所。【嫉妬学】和田 秀樹
【自然な子育て】とは何かー学者たちの出した簡単な答えー『成功する子・失敗する子-何が「その後の人生」を決めるのか』
好きなことをして学ぶ。遊びながら学ぶ。子どもの自然な姿。
脳は断捨離する。そして自然のあるところに知恵は生まれる。

心に留めておいたほうがいい。

呪いのかかった暴力の支配する世界で、お守りと、愛がなかったら、子どもを魔王の世界に丁稚奉公させることになる。

つまるところ、自分自身を、子どもを、人間として尊重しているか、人間としてつきあっているか、というお話。

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第一段階は、「どんな人になってほしいか」という願い。
何を子どもに望むか。でもいい。
「何も望んでいません。この子の自由で」という言葉が返ってきたら、違和感を覚えるかもしれない。
「いい親」を演じているだけかどうか、それこそ、僕はちゃんと判断するだろう。
そのために、「自由とはなんですか?」と聞くだろう。
おそらく抽象的な答えが返ってくるだろう。
それを僕は具体化してもらう。
今現実の話をしてもらう。
「どんなときに、子供を心から褒めたか。感動したか」をはなしてくれたらいい。

目の前の「困りごと」はひとつのきっかけ。
「どんな人になってほしいか」を言葉にして出していくプロセスが必要な人もいれば、すでに答えを出せている人がいる。
対話をしながら、屋根裏部屋に閉じ込められた心の大事な部分を見つけていってもいい。

具体的なエピソードを語る。
子どものエピソードではなく、お母さんのエピソードを話してくれてもいい。
(というかお母さん自身が「生きる」価値を、よろこびを、積極的に捉えているかどうか、ただ擦り切れていくだけの暮らしをしているのかが、子どもにも影響している。人は人から学ぶ。お母さんの価値観がそのまま子どもに伝わると考えるのが自然だ)

言葉がでてこないなら、自分を感じる時間が、体験がプロセスを動かすきっかけになるだろう。
そのための「しかけ」をおとのねさんは考える。

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多くのお母さんたちの心は不安や恐怖でいっぱいになっていて、子どもの姿や自分の気持ちがわかっていない。
自分の不安を直視せずに、とにかく子どもを使って自分の不安を消そうとする。

「塾」に行かせて終わりのパターンだ。
第一段階でつまずく人は多い。

自分を騙している、自己欺瞞の程度が強いほど、心は落ち着かない。
どれだけ自分が自分の気持ちを隠蔽しているのか(政治家や企業がよくやる隠蔽よりも大切なことだ)。
どれだけ押しつぶされて「生き延びて」きたか。

そういう自覚のある人であれば、第一段階はとりあえず、終わっているといえる。

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第二段階は、現実的な話であるがゆえに、また別の困難さがある。
時間もお金も有限だ。

大切なものを守るために何をどうするのか。
いままで作り上げていきた自分自身の「伝統」をどう作り変えていくか。

変えていくか。

それこそ、成績が上がらないといって地団駄を踏んでいる子ども(実際は成績など大して気にしていないのだが)と変わらない。

変えていくための、現実との折り合いのつけ方を学ぶ。
その過程で、「お守り」も変わっていくかもしれない。

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オトノネに長く、深く、関わってくれているお母さんの話を聞くと、親子関係がよくなった、子どもがすくすくと成長しているのを感じてうれしくなったらしい。
それが、僕が子どもに言う言葉を家でも使ってくれているらしい笑

言葉は心。

お母さんが子どもから学べるなら、それが一番いい。
子どもをちゃんとみられるなら、オトノネで変化する、もしくはオトノネで見せる子どもの様子をきちんと見つけられるお母さんなら、それで十分だ。

けどそれができないお母さんもいる。
そういうお母さんは、塾の代用としてオトノネを使っている。
笑うということがない。

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本当に変えたい人でないと、オトノネを使うことはできない。
「定期テスト対策」が好きな人、「宿題をやらなきゃいけない」と思っている人に、オトノネは合わない。

そんな風に、僕は思った。

自覚がない、堕ちきっていない人は、まずちゃんと、ボロボロにならないといけない。
それが、「大人の宿題」の基礎だ。


ボロボロになってから、オトノネに来てください。

僕自身がそうでした。きっと人間、そんなものなんだろうとおもっています。
ドラッカーが言う通り、自分を知ることが、マネジメントの基本だ。

家、家族をマネジメントするために、「大人の宿題」をきちんと認識してみてほしい。
その上で「質問」をしてほしい。

子どもの人生を変えたいなら、親の人生を変えるといい。
それが嫌で、無い物ねだりをして「塾」に甘えて子どもを強制収用するから、子どもはかわいそうだ。
そういう暴力的なお母さんが、たくさんいる。

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ただ、ボロボロにならなくても済んでしまうようなさまざまな仕掛けを、文化は用意しているから、本当に日本は魔界そのものだとおもう笑

「甘え」の関係は、創造的であると同時に、破壊的だ。
「分別」とは、人間の理性とは、どちらに転ぶかわからない綱渡りを無事に終え、子どものように笑いながら死んでいくために、使うといいのかもしれない。

ねぇ、そうでしょう、ツァラツストラ。

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