おとのねさんが泣いたワケ

おとのねさんは泣いていました。
この記事では、その理由を、お伝えします。

世界を勘違いしていた自分が情けなかったのか。
解釈はいろいろだけど。

無力感からか。

泣いていました。
混乱して、泣いてしまいました。

なんて小さな、小さな塾なんでしょう。
なんて弱い、弱いおとのねさんでしょう。

情けなくて、泣いたのかもしれません。

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とある社会福祉法人が新しい事業をするというので、法人の偉い人と話す機会があった。
子ども関連の事業を立ち上げるけど、ノウハウがなく、人を探しているという。
で、結局何のためにその事業をするのかということを聞くと。

新しい事業をしないと、生き残れないから。

ということ。

僕は、現在の、大部分の放課後ディサービス、保育所、児童発達支援の「ずさんさ」を見てきたから、同じようにやったら不幸が増えるだけだと言った。

考え方が違うと一蹴された。
考えたこともないのだろう。

現在の、福祉に携わる人たちが薄給で長時間労働していて、時間もお金もなくて子育てもうまくできていないという話をしたら。

私はお金に困ったことがないからわからないと一蹴された。

新しい事業は、法人を潰さないためだ。
雇用者を守るためだ。
地域住民の人へのアピールだ。という。

福祉サービスは溢れている。
お客の取り合い。
それって福祉なの?

高齢者福祉業界は民間で高いお金を払って高いサービスを売る事業所が増えてきている。富山ではまだそうした民間参入はないが、新しい施設は、高額な利用料をとって運営するという。では、お金がない高齢者は?

そうした格差の問題は役所の仕事であって、私たちの仕事ではないと。

僕とは見ている世界が違う。

この人は、社会福祉法人の理事長から直々に命を受けて、この新規事業に着手している。
退職した後、いわゆるあまくだりだ。
役所とのコネもある。退職金もがっぷりもらっている(オトノネに寄付してくれといったら今はこの仕事が楽しいからそれどころではないと言われる)

話を聞いていると、心が伝わらない。
「能力の高さ」をプレゼンしていたように僕は思う。

自分たちが生き残ることを考える。
極めて当然のことかもしれない。
戦乱の世の中、食うか、喰われるかだから。

心なんて、いらないののだろう。

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ナチスの党員の一人に、アドルフ・アイヒマンという人がいる。
いかにユダヤ人を強制収容所に送るかを計画し、合理的に、効率的に実行した人が、戦後の裁判で言った言葉。

「命令に従っただけだ」

心なんて、いらないのだろう。

心をもっていたら、殺されていただろう。

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同じ福祉という言葉を使う、全く別の心をもった人間が目の前にいて使っている言葉の響きを聞いて、僕は泣いた。

かつて福祉というものは、篤志家(とくしか)が財産を叩いて、だれからの援助もなく心を尽くしていくものだった。
それが日本では「西欧と比べられても遜色ないように」と補助金を使って誰でも行えるものになった。

海外に対して成果をアピールする福祉の定期テスト対策。

事業所は「へいへい、お金をもらえるなら、あなたのお役にたちますよ」といいさえすれば、福祉を始められる。
欧米諸国にたいしてのアピールができれば、国は目標を達成できる。

福祉の本質は「日本の福祉の成績を上げること」であり、評価するのは「欧米諸国」といったところか。

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「必要最低限の生活」という言葉がある。

日本国憲法 第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

努めるというのは、努力義務であって、やらなくても罰則はない。
福祉は、必要最低限の生活のためにあって、だから生活保護レベルの給与しか払わなくてもOKらしい。

生活は必要最低限にして、心は最大限、豊かにしようか。

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事業を維持するために。
資金がいる。
時代は変わる。
新しいサービスが必要になる。
「よりよく」するために。
もし雇用者に十分なお金を払っていたら?新しい事業ができない。
雇用者が働いている組織のために、組織が潰れないために、儲けなくてはいけない(理事長が外車にのっていても)。

そもそも雇用者は「薄給を承知で」働いている。
だから、何も問題はない。

考え方が違うだけ。

働くことの対価に不満があれば、仕事を変えればいいだけ。

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社会福祉法人には歴史がある。
理事長が自分のお金で作った法人は、利益を一人が独占できる(外車パターン)。
昔ながらの、みんなが寄付を出し合ってつった法人は、理事が毎年変わっていく。

結局、一人一人人間が違うように、組織もひとつひとつ違うということ。
僕はその組織に文句をいうことはできない。

ただ僕は福祉という言葉を二度と使いたくないとおもった。

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るろうに剣心という漫画がある。
「ある出来事」がきっかけで、悲しみの末に、「殺さず」を誓い、逆刃刀で戦う剣士の話。

キングダムという漫画がある。
「ある出来事」がきっかけで、悲しみの末に、「殺しまくる」を誓い、誓いの矛で戦う剣士の話。

どちらの漫画の主人公にも、仲間がいる。

ワンピースという漫画がある。
いわゆる「悪い」海賊もいるし、「いい」海賊もいる。
どちらの海賊団にも、仲間がいる。

いろんな「つながり方」がある。

どちらかが潰れ、どちらかが生き残る。
争い。

よりよく生きるために。

必要最低限の生活を、雇用者に強いよう。
それが、現在、日本で組織が生きるルールだということ。

経済格差で悩んでいる人は、その職を選んだのだから、仕方がない。
積極的に自己責任を負っているのだから。
しょうがない。

僕が他人の生活にあれこれ口を出すことではない。

多くの事業所の福祉は国の「定期テスト対策」に協力しているのであって、本来の福祉well-beingを目指してはいない。
教育も、福祉もこの点、似ているようにおもう。

ルールは簡単だ。
これが現実だ。

現実が、これだ。

では、ゲームを始めよう。

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僕が泣いたのは、どうしようもなくコミュニケーションができなかった心の断絶を感じたからだった。
今でも覚えている。大学生の時、重度知的障害者施設で実習をしたとき、僕は泣いた。

その時と似ている。

ゲームを始める前から、泣いている。

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僕には僕の心があって、心の使い方がある。
が、こんな不安定な心では、前頭前皮質は発達できやしない。

手に余る。
なんと弱々しい。

僕は自分の心に幻滅したのだった。
なんという傲慢な、なんという世間知らずな、なんという、愚かな。

困っている人がいると思っていた。
けど困っている人はいなかった。

喜劇として笑うしかない。

一人ごっこ遊びをしている、ドンキホーテ。
サンチョがいたからこそ彼の旅は側から見て笑える文学になったのだろうが。

泣いている場合ではない。
自分の無力さに癇癪を立てている場合ではない。
それじゃぁ子どものままではないか。

とりこぼした「発達の課題」に今更とりくんでいるおとのねさんでした。

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経営者が一人で出資してつくった社会福祉法人は、経営者の私物だ。
みんなが出資してつくった社会福祉法人は、みんなで理事をまわしていく。

これから民間が参入して、お金をもった老人は、高額だけど、そっちを選ぶ。
だから高額のサービスを提供する。

子どもは?

子どもにも高額なサービスを提供するか。
高岡市の大人が子どものために高額な福祉サービスを選ぶか。
選ぶしかなくなるのだ。
その近くにある保育所が市立で、役所は費用がかかるその保育所を潰したいから。
(地方公務員として雇うよりも、賃金を安くできるから)
市立が潰れたら、その地域には、新しくできる高額の保育所しかなくなる。

選べない。

なんと戦略的な。
その人物は役場ともコネクションがあるから、そこまでできる。
役所も私物化される。

けどそれが現実。
放課後児童クラブも高岡市は民間に補助金を出さない方針だが。
それも、コネで解決するという。

そうして「地域に選ばれる社会福祉法人」を目指すという。

事業が縮小したら、それだけ雇用者が(もちろん無償で)残業する時間が減る。
それでいいではないか。
経営者がもらう利益が減るだけで。

けど老朽化で建物を建て替えないといけなかったり、なんだかんだお金は必要だ。

もう頭がパニックになる。

善悪なんてこの世にはない。
ただみんな勝手に自分がしあわせになるために生きている。
伸るか反るか。
自分次第。

世の中のルールは変わらない。

僕はまだこのルールを使いこなしていない。
僕は僕ひとりのしあわせだけ考えたらいいんだろうか。
それってしあわせなんだろうか?

僕は目の前の人が苦しんでいるのが気になる。
目の前の子どもが大人の金切り声の中で暮らしているのが気になる。

塾業界もそうだ。
一斉授業。効率的な経営。
利益は経営者に。
事業拡大。
収益を上げる。
競争。

目の前の生徒は見えていない。
見えているのは、遠くにいる、まだ塾にきていない親。
目の前にいる生徒は見ていない。
そういう塾が、お金を儲ける。

学校もビジネスだ。
生徒を追い込み、囲い込み、契約し、利益(実績)を得る。
学校の場合は収益が上がるわけではない。
ただ学校の見栄がハレルだけだ。
それでどれだけの生徒が苦しんでいるかなど、見向きもしない。
「ここを選んできたんでしょ?だったら、やりなよ」
たしかにそうだ。

たしかに。
目の前の生徒は見えていない。
見えているのは、学校の名誉であって、生徒の人生ではない。
目の前にいる生徒は見ていない。

同じ世界にいるはずなのに、これだけ考えていることが違う人間がいる。
そんな当たり前のことを、僕は今、学んだのかもしれない。

こんなわけだから、好きなことをして、ヘラヘラと生きていければいいんじゃないかとおもう。
ポジティブに生きる、人工的に幸せをつくりだす能力が、生きる力かもしれない。

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サイコな人が経営している社会福祉法人は弱肉強食の原理で成り立っている。
組織の内部に対しても。

僕は強く、やさしくなりたいとおもった。
雇用者の限界を超えた仕事をふりわけて新しい事業に手を伸ばそうとしているサイコが強者になる世界。
僕はそんな世界で、強くなりたいとおもった。

ありのままでいて、自分が強くなる姿勢。
合気道でもそう。自分の姿勢がかわれば、強くなる。
僕も強くなろう。

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僕が出会ったこの人のパーソナリティ特性は明らかに「この仕事」に向いていた。
仕事が楽しくてやめられない、という。

誰のための仕事をしているとか、そいういう倫理には興味がない。

ただ拡大することがおもしろいのだ。

こういう人はいる。

羨むことも、嘆くこともなく、ただ自分を強くしていくしか、ないのかもしれない。
風車に向かって行く姿がドンキホーテにならないためには。

僕は弱いから、まだ強い人と戦えないというだけだ。
僕は強くなれるだろうか?
大切なものを守るために?

僕が強くなるためには。
僕のパーソナリティ特性を極限まで突き詰めるしかない。

それは、不足した僕の一部を、誰かに助けてもらうことを意味するのだけれども。

「お金に困ったことがない」管理職が、薄給で長時間違法労働をしながら目の前の利用者に日々関わり合っている献身的な労働者によって支えられているように。
お金はあるが、福祉には興味がない経営者が社会福祉法人をつくり、巨大化していくように。

本性を出すことが、強く生きることになるんだろうとおもう。
僕はこの時代で、僕らしく生きるために、いろいろと、捨てることがたくさんあるようにおもう。

僕は僕の持っているものを出す。
それで、何か、もっとハッピーなことは起きないか??????

「私にはひとつ目的があります。それはもう一度金持ちになることです。私にはそれができる。金持ちの生活がどんなに素晴らしいかわかっていますからね。人生なんて、金がなければ生きる値打ちはありません……引退なんかしたくないですね。死ぬまで働きたいと思っています。いまはロシア語を勉強しているところです。ロシアの女性は世界一美しいし、生き生きしていますからね……いつかウクライナ出身の女性と結婚して、彼女に良い生活を見せてやりたいと思っています」一度は頑張って百万長者にのし上がり、それからすべてを失い、またもや何もかもはじめからやり直そうとしているこの人物。彼の楽天主義、断固たる決断力、そして捨て身の蛮勇ぶりには、感服せざるを得ない。何よりも、彼がそうしようというのは、必要に迫られているからではないのだ。ビルにとっては、チャレンジを引き受け、報酬を手に入れることが猛烈に楽しいのである。(『パーソナリティーを科学する』p.98)

マリアが他の人のためのさまざまな活動に道徳的満足を感じているのにくらべて、この人物が異常なほどの関心を寄せるのは、自分の個人的な成功である。「私には未来の自分んお姿を見ることがdけいる。そのとき、私は偉大な仕事を達成し、革命的な新しいアイデアを発見し、全世界の人々から畏敬の念を持って見られている。」そのような将来の展望が他の人々から利己的とみられることについて、彼ははっきりとこう述べる。「そんな批判は、頭の悪い人間どもが私の評価を落とそうとしているだけのことだ。自分より劣る人間たちのことになると、なぜいつもこの利他主義という考え方に屈服しなくてはならないのか。私が重視するのは、他のだれの利益でもない、つねに、疑いなく私の利益である……サバイバルとはそういうものではないのか」(略)「私は人を助けるのは好きではない」ー別の場面で彼は言うー「人道的な愛に駆り立てられて人類の病を救おうなどと、考えたこともない。」明らかにこの報告とマリアの道徳的満足についての報告は、調和性のスペクトルの対局にある。そして私たちの大半は両者の間のどこかに収まるのだ。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.178)

オトノネひろげるシェアぼたん

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