教育県という言葉と現代の「引き寄せの法則」とスウェーデン

行政の方針で、教師は子どもたちを星占いの星座でグループ分けをした。すると、その分け方が社会的な意味を帯びるようになったという。ベルビーによると、「私たちおうし座はすぐに連帯感をもつようになった」とか。そしてまもなく、おうし座どうしは似たような行動をとるようになったので、教師の中に星占いを信じるものまで現れた。アジア系の中には、辰年生まれの子供は優秀だと信じる人たちがいる。アメリカ在住のアジア系移民を対象にした研究によれば、1976年(辰年)生まれの子供たちは、他の年に生まれた子どもたちに比べて高学歴だった。もちろん、これは、干支そのものが原因ではない。誕生年の干支の力を人が信じているからだ。(『ジャストベイビー』p130)

引き寄せの法則というものがある。想い続けていれば、叶うというものだ。信じていれば、そうなるというものだ。そう信じ続けて、信じ続けているからたまたまそうなった時に「ああ、本当にそうなった」となるかもしれないし、ある場合には信じ続けてその可能性をできるだけ閉じないようにして働きかけ続けてたまたまそうなった、ということもあるだろう。

で、教育県だとか、スウェーデンとか、そういった言葉で「我ら」の集団性とその優越性を信じさせる環境ができてしまっている反面、叫び声をあげて泣いている人たちもいるのも現実。そう信じることで、そうなるという原理はない。バイアスだ。引き寄せの法則とは、人はバイアスに影響されて物事をみている、暮らしているという事実を述べている。人の心が大切だということを述べているにすぎない。

「我ら」として暮らすことの安全性はある。所属感がある。けどそれで苦しんでいる「あなた」がいたとしたら?「我ら」は何もしてくれないかもしれない。「我ら」は実体がないかもしれない。(社会という言葉はもともと日本になかった。初めて使われた時、それはほとんど会社の意味だった)

ここに、富山の高校生たちが宗教(カルト)の門を叩く動機がある。と、僕はおもっている。

「〈私〉はあなたたち〈我ら〉とどうやって一緒に暮らせるのですか?私は、私でなくなりそうです」

いろいろ言葉にすることが批判、攻撃、非難に聞こえるかもしれない。それが、日本で「研究」の価値、特に人文科学や経済の分野で「知ろうとする営み」の価値が低く見られている原因をつくっている気がしている(そのかわりだろうか、SNSでいろんな情報が自由に発信されている時代になった。)本を出すよりも、今の、まさに今起きていることを即座にSNSで発信できる。動画もつくれる。ライブもできる。

歴史と、積み上げられた時間と、人間のつながり、小さな宇宙があちこちにあって、その中で安心していられる場所、「これでいい」と息を落ち着ける場所がある人は、幸せだ。ひとりでは生きられない。

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