医療が発達して学校教育で排除される子どもが生まれる。教育はテクノロジーの責任を取っているか。

医療が発達して、障害児が増えた。

障害児認定されずとも、ふにゃふにゃして、力のない子が増えた。といわれたら、どうおもう?(特別支援学級など昔は、昔々は今ほどなかったといわれたら納得してもらえるだろうか)

医療が発達して、昔だったら生まれてこなかった人が生まれるようになった。

医療が発達して、昔だったら弱くてすぐに死んでしまっていた子が延命されるようになった。(晩婚化によって母体の生命力が・・・という話もできる)

それは、喜ばしいことかもしれない。

医療が発達して、人間はシアワセになっただろうか。
人はいつもテクノロジーの使い方で悩まされているようにおもう。
道具をつくり、道具に悩む生物。人間。

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ギターという楽器がある。これ一つと人間が一人で、どれだけの無限に近い音楽が生まれるだろうか。
ピッケルという登山道具がある。これ一つと人間が一人で、山登りの困難に立ち向かうことが可能になるのか。

道具を使う人間が豊かにならずして、道具だけが豊かに成長していく。
人間は成長しないもので、仕方がない。
といってしまうこともできる。

私は人を「道具を使う生物」であるとおもう。「道具に仕える生物」だとはおもっていない。
医療をどうつかおう?命とどう向き合おう?お金も一緒だ。
お金に操られていないか?お金をきちんと使えているか?お金に仕えていないか?

医療が発達した。「弱い命」が生まれ育つようになった。「弱き者」のための社会でないとしたら、医療は一体、どのような責任をとってくれるというのだろうか?医療は、無責任なのだろうか?(患者を2時間待たせて2分しかみないという笑い話がある)なぜ医療は発達したのだろうか?(悲しみを増やしているのではないか?と考えることもできる。延命治療も同様)

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低体重で生まれた子は、当然、認知発達も遅れるだろう。
遅れる可能性が高い。

なのに、「生まれてからの年齢」でベルトコンベアに乗せられて、「発達障害」「学業不振」のレッテルを貼られる子がいる。
今の日本の現状では、生まれが、その子の運命を握っているかもしれない。

ただ、その子に必要な学びの環境が、学校にはない、という理由だけで。

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かつて、どこの国でも「子どもを殺す」風習があった。もしかしたら、その時のお母さんの悲しみを、お母さんは、生まれた後で、子どもを育てながら、感じているのかもしれない(もしくは社会全体にその悲しみは分散されている。もしくはマスメディアにより、分散させられている。教育現場とか、家庭とか、保育所とかに)

悲しみと喜びの保存則!!

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