なかなか変われない人、変われない組織の「自己防衛」のしくみと子どもの「抑圧」

だれもが、プロセスの中にいる。
いつ起きるかわからない心の動きで、人生が変わって行ったり、同じことを繰り返したりを繰り返しながら、進んでいく。

オトノネにきて、新しい心の動きが、人生を新しいプロセスに向かわせるように変わっていく人もいる。
いろんな人がいる。

ぐるぐるしながら、進んでいく。
いろんな人に出会いながら、人と出会うことで、変わっていく。

僕もそうしてオトノネを始めることになった。
人との出会いと同じくらい、お母さんにとっては「子ども」と出会うことは、とってもとっても、大切なことだとおもう。
誰かと一緒にいるから、何かが起きる。

近くにいる、誰かの心を大切にしているだろうか。

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心がつながるのが怖い

感情、の本を探している時に気になったので借りてきた。

こちらはカウンセラー、心理学のための本で、「自己防衛」で関係がつくれない人たちの話を読むことができる。

「自己防衛」とは、どうしようもない状況で情動が引き起こした防衛反応のこと。

それは、理不尽な身体的、精神的暴力を振るわれたのを「自分が悪いんだ」とおもうことも含まれる。

また、関係を避ける、といった振る舞いにもでる。

「自己防衛」は主に、思春期以前の経験が元になっている。
無力感、悲しみを抱いた時に、「若さが故」に心がはじき出した最適解。

その時は、役に立った。
困難を切り抜ける作戦として、有効だった。

しかし、
自己防衛が大人になっても、無意識のうちに繰り返される場合、「うまくいかない」といって苦しむ人がいる。

「何か変だ・・・」

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この本は、子供の頃の自己防衛が大人になってから「人を愛せない」で困っている人たちに焦点をあてている。

心は成長したのに、子どものころにつくりだした作戦が無意識のうちにまだ働いている状態が、苦しいのだ。

「なんか変だ」という違和感を感じたら、きっと、大人になったその人が、その人の中にいる子どものときの自分に語りかける時だ。
カウンセラーは、そのお手伝いをする。

本人が気がつかないような身体のメッセージがある。
少しづつ、忘れていた、無意識に落とされてしまった心、気持ちを拾い上げていく。

自覚して、言葉にして、思い出して、そして、今、その場で子どもの頃の自分と対話をする。
そうしたプロセスが、「大人な私」と「子どもだった私」を出会わせる。

こう語りかける。
「もう大丈夫だよ。子どもの頃の君は、そうするしかなかった。つらかったんだ。心から、君がつくった作戦に感謝する。そのおかげで今の僕がある。けど、もう大丈夫だよ」と、心から、心から語れるようになるまで、向き合う。

「誰も信じない」という作戦をとった子どもがいる。
けどもう今は分別もついたし、心も強くなった。信じてみないかい?
怖くなったら、誰かの力を借りよう。君は一人じゃない。大丈夫だよ。

子どもの頃に受けた精神的、肉体的暴力を大人になってから繰り返す人がいる。
自分の無価値さを無意識のうちに心に刷り込み、おかしくなってしまった心の防衛のために、「他者に暴力を加える」という、自分がされたことを他者にも繰り返す。「暴力を加えた人」を防衛のモデルにするしかない、子ども時代の記憶が、無意識に繰り返される。厳しく育てられた子ども。厳しいのは、親の愛情だと思っていた。そう信じるしかなかった。けど今は、そうは思わない。僕は強くなった。親は私を愛してはいなかった。だから、僕は暴力を繰り返さない。

「大丈夫だよ、ほら、だって、今、あなたに僕の姿がみえるでしょう。僕のことを抱きしめてくれているでしょう。僕を、ちゃんと感じてくれているでしょう?」

子ども時代に欠けていたものを、大人になってから誰かに求めることもある。(それは子ども時代、に限ったことではないが。)
けど、その子が欲しかったものは、他の人からは手に入れられない。ことが多い。
大人になったから、強くなったはずだ。もう大丈夫だ。欠けているものは欠けている。けど、その悲しみを何かで埋めようとしていた子どものころよりも、「もっと、より」今は強くなっている。大人の私は、子どもの君(もしくは、大人になった後の、あの時の、あなた)を、おもいやれる。

だから、大丈夫だ。

悲しみを暖かく抱きしめる、今の私と、かつて悲しみにくれていた私が、出会う。

自分を抱きしめてみてもいい。
大切な誰かを抱きしめてみてもいい。

自分の心と、相手(自分自身)の心、を感じられたら、きっと、何かが動き出す。

動いていく心を感じてみよう。

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無意識に触れる時、体のどこかが反応し、心の底で情動がうごめき、頭のなかでその動きを捉えることができる。
感じること、を通じて、子どもの時の自分(もしくは大人になってからの、あの時の自分)、無意識に落としてしまった、本当の心を知る。

感情に触れられない、心に触れられないまま、「防衛」「抑圧」を繰り返してしまうと、それからも不幸な人生を送り続けることになるかもしれない。現実不可能な願望を抱き続けるかもしれない。そうして、今目の前にある世の中と、今、大人になった私の折り合いがつかなくなる場面がでてくる。

そうなった時、助けてくれる人が、近くにいるだろうか?
自分に向き合う、自分を感じる時間をつくれるだろうか?
(あくせくと、残業や課題でおわれていないだろうか?繰り返される「自動思考」で頭がパンクしていないだろうか?)

「悲しみ」を避けていたら、「悲しみ」と一緒になってやってくる(物事は大抵そんなものだ)他の何かを得ることができない。
今、大人になって、「もっといい作戦」を考えられるはずなのに・・・・

「防衛」とは「感じないようにする」ことだ。
本当の自分を感じないようにして、誰かのために命を捧げることも、「防衛」といえる。
心を安定させるために、「その時」選んだ、最適解。

だから、防衛を解いて、感じることは、ある意味とてもつらいことだ。

一人では、とてもやっていけないくらい、つらいこと。

だから、、、、
だから、一人でがんばれる!とはおもってほしくない。

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自己防衛とは、無意識に繰り返される心の「生き残り作戦」である。
もうそれは、古い。新しいものにしたらいい。

そんな時に必要なことは、思い出し、子どもの時の心に気がつき、対話すること。
これは「学びの共同体」の「学び」そのものだし、ナラティブアプローチともいえるし、無意識に溜め込まれたその人の経験が生み出した「情動の仕組み」を理解することでもある。回避していては、理解はできない。対話をする場がなくては、理解ができない。そもそも、気が付いていないことが多い(だからカウンセラーは、まず、まずはクライアントがクライアント自身の感情に気がつくような働きかけをする)。

「愚痴をいう」という行動で「防衛」するという作戦がある。
「しゃーなしでもやる」という行動で「抑圧」される心がある。

もしかしたら、癖になった「防衛」や「抑圧」の影で、本当に見て欲しいあなたの一部が「僕には気づいてくれないの?」と、声をだしてすすり泣いているかもしれない。

目の前で苦しんでいる保育園児、小学生、中学生、高校生に気がつかない親や保育士、学校の先生と同じだ。
君の中で、泣いている、悲しんでいる君がいるかもしれない。

本当にいるんだろうか?

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多くの親の「怒り」が子どもに向けられている。
それが習い事の嵐だったり、勉強勉強という言葉だったり。
「怒り」の奥にある色とりどりの感情に気がつかない。
「怒り」に気がつかない。

「怒り」にもいろんな名前がある。
妬み、憎しみ、悲しみ、恨み、、、、、

怒りの底にある、親が経験した悲しい出来事に、向き合えない。
自分が向き合えなかった感情・出来事を、子どもに向き合わせることをしている親がいる。

子どもは、お父さん、お母さんが好きだから、

満たされなかった願望・欲望と付き合うことができず、折り合いをつけ、前に進むことができず、対話ができず、子どもにそれを再現させようとする人がいる。「私は◯◯だったから、この子には!」というセリフを使ったことがある人が、きっといるでしょう。

けど子どもは子どもで親とは違う人生を歩むものだ。
同じ人生を歩かせようとしてはいないか。

子どもはやさしい。
お父さん、お母さんを愛している。
だから、命をかけて、命を燃やして、身を捧げて、応えようとしているかもしれない。
その子の、一番大切なものを、捧げていく。

それは本当に「その子」のためだろうか。

子どもが大切な「今」を差し出している。
大人は、そんな子どもの心に、どんな「今」を差し出せるだろうか。
大切なものを、差し出せるだろうか。

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こちらはオトノネの宣伝です!
富山市の民間学童保育

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悲しみの経験を思い出して、今でも悲しがっている自分の心のために、今日も、1日の終わりに、祈りをかけよう。
「まだ私はうまくやれていないかもしれないけど、いつも泣いている君の隣に、私はいるよ。ちゃんと気が付いているよ。感じているよ」

そうして悲しみを自分の一部にすること。

少しずつでも、少しずつでも、、、、

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痛みや悲しみを引き受けられるようになると、たくさんの出来事に出会うことができます。
苦しみや悲しみを避けることに使われるエネルギーで、苦しみや悲しみを暖かく抱きしめられるようになったら、いいなぁと、僕もいつもおもっています。

弱い人を助けようとする自分は、弱い自分と向き合う代わりに、その人に関わろうとする。
(これを心理学用語で投影といいます。別に悪いことではありません。そういう現象を、投影といっているだけです)

嫌いだな、と思う人が、実は自分の中で「まだ統合できていない」自分の姿だったりする。

情動が動いた時、そこには何かしらの「心の作戦」があるとおもったらいい。
心に向き合う時間を大切にしたい。

人を愛したい、とおもうなら、自分を愛するようにしよう。
愛せていない自分を誰かに映し出してしまうとき、宇宙は、離れていくようである。

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古い時代の作戦をそのまま使っているケースは、よくある。
個人だけではない。学校、保育園、組織は体制を変えることができない。
「もう大丈夫だよ。そのとき必要だった仕組みは、もう今はいらないんだ。大丈夫だよ」

という対話を、一体、組織の中で、誰かしているのだろう。

人生を変えるのは、多くの痛みを伴うこともある。
輝いていた自分が、とつぜん、光を出さなくなるような、ギャップを感じるかもしれない。
それを支えられるような段階に達した時、人は、「危機」に見舞われる。

人を成長させるプロセスがしくむ、劇の幕開けのタイミングは、なんとも巧妙だ。
「え?大丈夫だよね?もう乗り越えられるでしょ?」

痛みを感じないわけではない。
痛みと寄り添えるようになること。
痛みを抱きしめられるようになること。

それだけで、プロセスは動き出す。

大切な自分を守れるようになったら、勝手に向こうから、儀式はやってくる。
学ぶべきものを学ぶべく、人は人と出会う。

心が大事。

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自己防衛の仕組みと受験生になんの関係があるかといったら。

だいたいみんな、「やらされ」て過ごす小学校・中学校時代。
多くの受験生にとって、「やってたことをやる」習慣や、「できる自分」へのプライドがある。

「やらなかったら怒られる」から、「やらない」ことから生まれる不安・恐れを隠してしまったかもしれない。
「当然、できていたことができなくなるなんて許されない」と、「やらない」ことが怖くなっているのかもしれない。

大学受験は、そんな高校生たちが生まれてから今までつくりあげた、「防衛」「抑圧」と向き合う時期だと、僕はおもっている。

それを僕は、高校生の発達課題だとおもっている。
思春期だと、おもっている。

もっと自由になるために、心を大事にしてみたら、不思議なことが起ってくるかもしれないよ。

先生も、お父さんもお母さんも、子どもも、おとのねさんも、そんな「成長」のプロセスの中にいる。
僕はプロセスの中にいる一人の人間として、学校の先生も、お父さんもお母さんも、子どもも、僕自身をも、大切にしたいとおもっている。

オトノネひろげるシェアぼたん

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