アウシュビッツで生き残った人の言葉のチカラ

このツイートに書かれたコメントが面白い。読んでみてください!

それで・・・

僕はよくアウシュビッツの物語を思い出す。
いつ終わるかもわからない。
いつ死ぬかもわからない。
そんな暮らしをするために必要なのは、自分自身が自分に投げかける言葉だった。
とおもっている。

真剣なごっこ遊びであるとも、ファンタジーともいえる。

アウシュビッツに入るまえに、その言葉を生み出す経験がなければならなかった。
人生の意味を見出していなければならなかった。
他者にとっての自分の価値を知っていなければならなかった。

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一方で!

自分に投げかける、生きるチカラを与える言葉が生まれてこない心がある。
困難に直面しても、ファンタジーを見せてくれない心がある。
電気柵に体当たりする人たちのこと。

言葉を自分に投げかけられない人でも、アウシュビッツで生き残る術が一つある。
しあわせを生み出す言葉を使う人になりきることである。
言葉も、振る舞いも、呼吸も真似ることである。(行動を真似ることが大切。特に歩き方、喋り方、深層筋の使い方、ありとあらゆるデテェイル)
同じ夢をみるほどに。
行動を一緒にすること。
同じ空気を吸うこと。
同じ位置に立って、同じ景色を眺めてみること。(キングダムで、信が「将軍の馬」にのったアレ)

ただの夢見ではなく、実際にそれを行うこと。
(よくセミナーで一流になりたいなら一流の振る舞いをしなさいというアレ)

これが方法の一つではないかと、ふと思えた。

自分にとっての現実を捨てて、みている世界すら、その人と同じになってしまうくらい、真似る。
実はそれは、思春期に至るまでに、子どもがやっていることではないかとおもう。
お母さんやお父さんに対して。

思春期とは、親以外の人をモデルとして自分を作り直す時期だとおもえる。
だから思春期には、恋をするのだろうか。

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蛇足:プラスの言葉を使うように心がけましょう。というのがある。
プラスのことしか書かない日記をつけることを、僕もいつの間にかやらなくなってしまった。
と、気がつくたびに、「自分を褒めるノートを書いてみたら?」と行ってくれた友達の声を思い出す。
そういう人が、すぐ近くにいてくれる人は、しあわせだ。

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ちなみに、「これは違う!おかしい!」と抗議をしても殺されるだけ。
むしろ「これでもういいや。シカタガナイ」と思って生きている人の方が長生きする。

憐れむことも、羨むこともなく、自分の命をマットウしよう。

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しあわせな人は、俳優になれない。
真似をする必要がないからだ。

しあわせな人は、俳優だ。
きっと、しあわせな人の真似をしているからだ。

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