本当に不思議な【富山ブラック】富山県高岡市という子育ての条件。幸福度と自殺者。


富山県で子育てをしているお母さんへのメッセージです。
高岡市のオトノネがなくなるかも(うーん。うーん)ということで書き始めたこの記事。富山県の話になりました。

知らない単語や話題が出てくるとびっくりしてしまうお母さんにはつらいかもしれませんが。
できるだけわかりやすくしたつもりです。

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まず最初にこのデータから

自殺者数、とありますが、人口10万人あたりの数値に置き換えているので、自殺率、になります。

自殺者数 [ 2016年第一位 秋田県 ]https://todo-ran.com/t/kiji/18573

自殺者数 [ 2016年第一位 秋田県 ]

https://todo-ran.com/t/kiji/18573

自殺率でいえば、東京よりも多い。
最近、富山県に住む知り合いの知り合いの人が2人ほど自殺したと聞きました。
そこで調べたわけなんですが。

その方は「富山県は闇が深いから、外に出なさい」と親から言われたそうです。

こちらは、幸福度ランキング2018

都道府県幸福度ランキングで高知県が最下位はなぜ?理由が意外だった!?

幸福度調査をした母集団の人たちが誰か、偏りがないか。
(自殺者の多くは無職の人、無職の人に幸福度の調査はできないだろう)

福井県は自殺者が少なく、幸福度が高い。
無職者の数はどこの県でも同じだというのが僕の直感。で、調べてみた。

完全失業者とは、仕事をしていない人のこと。
留意点としては、統計として把握しきれていないので、あくまでめやす程度にしてください。ということ。
https://todo-ran.com/t/kiji/11187

富山県は低い。2016年

生活保護受給世帯をみると。
http://grading.jpn.org/y2040003.html#map

富山県は、なんと、47都道府県で生活保護受給世帯が一番、日本一、少ない。

なんで、死ぬの?

経済的な問題ではない。
ではなにか。

心の問題で死ぬ。

と僕は思う。

奥田小の事件もありましたね。

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生徒が集まらなかったら本当に高岡のオトノネを閉じないといけなくなりそうだ。
お金に余裕があってやっているわけでもなく、生徒やお母さんをカモにするためにやっているのでもないオトノネ。

子どもの学びと成長を大切にしているオトノネ。
定期テストの点数を取ろうとして大丈夫かと本気で心配するオトノネ。

そんな心づくしのオトノネに、なぜか生徒が集まりません。
なぜかわかりません。
たぶん、出会ったことのない人への、高岡市の人たちの反応(恐怖心)なのだとおもいます。
男の人が怖い(お父さんからDVを受けている人たちがいます)人は男の自営業の人というだけで、オトノネを選択肢にいれないこともあるとおもいます。

いろいろな都合があるのだとおもいます。

けど本当にわかりません。
なぜでしょうか。

この文章が悪口に聞こえるひとは一度こちらの記事をご覧ください。
批判とは何か。その1

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いろんなお母さんたちに出会いながら、とりあえず県外からきた人が多くのカルチャーショックを受けて、価値観が違いすぎてストレス満載で暮らしていることが多いとわかった。少しでも部活の応援を休むと村八分にされる。親だけでなく子どもも村八分にされる。そんな話も聞く。大人だってひとりひとり違うのに、「みんな一緒」にされてしまう。

自分のペースで、自分の興味を、自分のバランスで取ろうとすると叩かれる。
学校でもそうだ。
子どものペースで、子どもの興味を、子どものバランスでやろうとすると「成績が下がる」のだ。
そして、成績が下がることは、どうしてか、「悪い」こととされている。

長男と結婚をした人はさらに、お父さんからDVをうけたり、お父さんのお母さんからいじめられることで心をすり減らしていることが多い。富山県、特に高岡市だろうか。ストレスフルに子ども時代を過ごしたお父さんがビジネスの原理でしか人間関係を築けないことがおおい。家族であっても。そういうギリギリのところで暮らしている高岡市の財政はさらに狂ってきている。日本はもうどこもやばいが。教育費にお金を出さずに、統合する。ただただ、縮小していくだけ。このような不安でさらに家を買うという風習で重圧がかかる。富山市も汚職で有名だし、まだまだ経済開発し続けている、教育費に税金を使わない、御三家信仰をまだ作り続ける。

このような場所で、

困っている人がいる。

はずなのに。
(別に困っていない人が普通に学習塾だからきていいのだが)

オトノネには人が来ない。

不思議だ。

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子育てに税金を使わずとりあえず国から与えられた条件で、市町村は頑張っている。
舟橋村も頑張っている(ようするに、選択なのだ)。
舟橋村は子育てで有名だ。富山市や高岡市が大きく、力があるなら、どうして子育てがこんなにも困難なのか?
放課後児童クラブは小学6年生までが対象だが、小学2年生までの学校がほとんど。それでも、役所は平気な顔をしている。

そうなのだ。

役所には役所の事情がある。
高岡市には高岡市の事情がある。
学校には学校の事情がある。

それぞれの都合で生きている。

お母さんたちが部活の試合で厚化粧をしていく事情がある。
子どもの部活の試合で厚化粧をしたい心理がお母さんのなかにある高岡市。

お母さんが、子どもの部活の応援でしか輝けないのだろうか。
子どもの進学先(高校名)でしか、子どもを褒められないお母さんが多いんじゃないか。
オトノネにきてくれるお母さんたちの話を聞くと、そんな想像をしてしまう。

子どもはもっとすごいチカラをもっているのに。。
僕はオトノネで、ひとりひとりのもっているチカラをみているし、気づくし、それをお母さんにも伝えている。
もっと自信をもって、お子さんを褒めてほしいから。

お母さんももっとハッピーになってほしいから。

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不登校が恥ずかしくて相談できない?
誰かに話すだけで陰口を叩かれて村八分?

そうして困っているお母さんもいるとおもう。
誰のためでもないけれど、もし一人で悩んでいるお母さんがいたら、気軽に来られるようなオトノネにしたい。

日本でタブー視されている政治の話をするのは、オトノネが本気で子育てを考えているからです。
が、別に政治活動をしているわけではありません。健全な精神活動の一つに、子育てへの広い視野の中に、政治への眼差しは不可避的にはいってしまいます。子育てする環境を考えるのですから。

ただただ自民公明党に票を入れるお父さんお母さんは、考えを改めてほしいとおもう。
子どもが育つ一番いい環境は、お父さんお母さんが生きているこの暮らしがもっと、心から、豊かになることだと。
自分の利益のために自民公明党に入れるより、もっと大きな視点で子どもたちの暮らしを守ってほしい。

表現の自由・信仰の自由・学問の自由が、この国で、どんどん小さくなっていく。
子どもも、そのサイズに合わせて、成長していく。

僕は、そんな子どもが大人になっても、僕が楽しく遊べないとおもうから、いやなのだ。
受け身で仕事をする、言われたことだけやる会社員か引きこもりの大人を育てるつもりは、オトノネにはありません。

人と違うことをして生きていい。
人と違う道を歩いてもいい。
オトノネでそうした信念を強くしていってもいい。

人と同じでもいい。
価値観にいい悪いはない。ただ学び続ける、批判し続けることでしか、人間は成長しない。
人と違うことをすると叩かれる高岡市で、困っているお母さんがいたら、もっと話をしてみたいとおもう。

話をするだけでも、「私はこのままでもいいんだ」「私が悪いわけじゃないんだ」とおもってもらうだけでも、お子さんにはその安心感が伝わるはずだから。お母さんが自分を苦しめていたら、子どもも苦しくなってしまう気がして、僕はいやなのだ。

理不尽の中で多くの才能を消耗している子ども。
お母さんも同じ状況かもしれない。

お母さんの天の才を、子どものために、伸ばしませんか。
オトノネはそういう場所です。

ちなみに、勉強をちゃんとやりたい、一流の勉強方法をしたいという人がきてもいいんですよー。

というかそのつもりで開塾したんですが笑

オトノネは、深い闇の中でどう生きるか、実験しているところです。

心が大事。

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放課後児童クラブ・学童保育も無償化にしていくんだろう。

学童保育の大半が、アルバイトで成り立っている。
つまり本気で学童保育、放課後児童クラブをやろうとしている人に、お金が行かない。

これから、学童保育も無償化になるかもしれない。
だから今のうちに、一人にしておけ!という話のようにもおもう。
大丈夫、学校の先生も、一人で40人とかみてるんだから。。。と。
保育所でも20人で一人をみている現実がある。

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僕はよくコーヒーを飲む。
プランテーションで搾取されている人たちを、コーヒーを買うことでどん底に突き落としている。
格差の仕組みを作っている。

けどその仕組みを、使うしかないくらい、僕は切羽詰まっている。
フェアトレードコーヒーを買うお金もない。

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学童の料金は、高いだろうか?
保育料と比べたら?同じくらい、かな。。
どうして時間にして、放課後児童クラブが割高なのか。。。

放課後児童クラブに対抗して作った放課後子供教室という制度が頓挫した文科省が内閣と手を組んで、とうとう、学童をブラック化する方針。
と、おとのねさんはよみました。

もう十分ブラックだけどさ。。。

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少数の大人で大人数の子供を管理する体制、仕組み、環境が強まっていく。
学童は厚生労働省の管轄だけど、内閣府として予算を配分することで干渉できる。

やばいね。
みんな元気でいてね。

SFみたいになってきたな。

そんな世の中になったら、オトノネは、どうなるでしょうか。

大人のいない、子どもの世界。
大人になっても、子どものままの、世界。
保護者のいない、子どもの世界。

SFみたいになってきたな。
さすが、漫画の国、日本である。

大人が算数できないんだから、子どもができなくても、しかたない?

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保育園もサバイバルな件(オトノネさん唖然)ー「あそび」という名の労働

聞く話では聞いていたが。。。

わかっちゃいたけど…

実際、現場の人の話を聞くと、やはり唖然というか、呆然というか。
そんな世の中になりました。

保育園の時から「させる」ことがたくさんあるらしい。
(いやいや、おしっこの自立とか、椅子に座ってご飯たべるとかそういうレベルではありません)
「導く」「任せる」「誘い」。ご招待。

いわゆる、行事のための掲示物。
お母さんに見せるために、、、、つくる、、、、
6月はカエル。
7月はヒマワリ?


「ねぇ、これつくったらあそんでいいの?」という子ども。

保育士は「え?これは遊びじゃなかったの?」と驚いたという。

「次はなにをするの?」という子ども。
え?「あそばされてた」の?
大人のあそびにつきあってあげてるの?

大人という動くおもちゃがいなかったら遊べない子、「深く」取り組めない子がいる。

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運動会、発表会、月一で入ってくる習い事や英語!は、実は子どもはそこまでうれしくない(まるで定期テストのよう)と僕はおもうのだが。
記憶には残るかもしれないが、、、

お母さんの思い出作り、他の園のお母さんとの話題のために、「行事」をしているようなものだ。
もしそれが、「子どもたちがやりたくてやっているもの」でないとしたら。
保育士の先生が「手持ち無沙汰」でないように、「行事」をしているようなものだ。
(若い先生の仕事を増やして笑っているワルイ先生がいるのかもしれない。まるで、小学校で、やたらバツをつけたがる先生のように。実際に、そういう先生、いますよ。)

お母さん、保育士のみなさんに、行事よりも、日常の保育に力を注いでもらうのはいかがでしょうか。
一部の保育園は、行事のためにブラック化しているらしいことが、SNSで情報を集めた僕の印象です。
保育士への負担は、子どもにも影響します。もちろん。
保育園の園長さん、保育へのプライドをもって、真心をもって、保育園のしくみを見直すのも、ひとつでは?

「行事」の文化は、伝統は、いつから、どこから始まったのか。
なぜ「保育園でそれをしなくてはならなく」なったのか。
それは本当に、大切なことなのか。

行事のおかげで、保育士の先生たちが子どもに注げるエネルギーを、削いでしまっていないか。
(子どもを喜ばせるなら、日々の保育で十二分ではないのか)

「毎月の季節」「日本の伝統」を経験するための行事が、学校になれば「定期テスト」という名前になります。
学校も定期テストのおかげで、先生たちは大切なことができていないのです。
声が聞こえるでしょう?「テストが終わったら、あそぼう!」
自称進学校の《課題が多すぎる》伝統から何を学び取るか

同じことが、保育園でも起きていませんか?
それはもしかしたら、私の呼んでいる「保育」とは違うものなのかもしれませんが。

子どもに、「教えてはいけないこと」を教えていませんか?

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その点、運動会を民営化(笑)した麹町の中学校はよくやっているとおもう。
また伝統的に、時期になると勝手に子供達が「発表会の準備を始める」保育園がある。
ある時期になると、年長さんが、遊ぶ暇もなく(?)あそびながら発表会の準備をしているのを、みれる環境を作っているのだ(年齢を超えて別のクラスの部屋に言ってもイイしくみができている。そしてこの保育園には、美術の時間がある!)

これは、清々しい。

小学校もサバイバルな件。

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お昼寝の時間、イベント、「全部食べるまで椅子から離れられない」信じられないようなことが、当たり前のように保育園で起きています。どうか、心を大事に。新しい時代を生きる子どもたちが、笑っていられるように。今まで当たり前のこと、それはもう役目を果たしたことかもしれません。「全部食べなきゃだめ」は戦時中、食糧難の時の話。保育園のイベントは、幼稚園の「キラキラ」しているのを、専業主婦のお母さんたちに見せていた(先進性をアピールしていた)時代の話。時代を繰り返そうとしている大人に育てられ、時代に揉まれる子どもたちの姿を、僕はあまりみたくありません。

お昼ご飯の時間ひとつにしても、「しくみ」は様々です。
ある保育所では、異年齢混合で、子どもたちが自分たちで、年長が年少者に食べ物を渡していく。嫌いなもの、少なくしてほしいもの、今日は少量で、といった交渉も言葉で子ども同士がやる。ある保育所では、配給は調理師さんがする(保育士はその時間、別のことができる)、もちろん、交渉は、調理師さんに子どもが直接する。給食の時間は固定されていない。遊びが早く終わった子は早く食べにいく。場所も決まっていない。その様子を見ながら、「◯◯ちゃん、◯◯ちゃんと仲直りしたねぇ」とかいいながら、子どもの様子をしっかりみる保育士さん。

やるか、やらないか。
ただ、始めればいいだけなのに。
いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

それができないのも、また人間なのです。
教育者、保育者としては、いかがなものかとおもいますが。

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子どもも大人も月月火水木金金

生徒が教えてくれるいろんなこと。

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ついったーをやっていたら、
気付剤であるレッドブルー、モンスターであふれかえったゴミ箱が写っている写真のコメント欄に「自称進学校の闇」と書いてあったのをみた。
そんな今日この頃。

その話を生徒にしてみたら。
「そうですよー休みがないんですよー。月月火水木金金なんですー」と。

え!!????

何それ。。。

話を聞くとそんな歌があるのだという。

さっそくyoutubeさんに聞いてみよう!

とりあえずオトノネさんは笑いながら歌う。最後の
げっつげっつかーすいもくきんきーん!!!

でおとのねさん再び大爆笑。

いやー。笑った。
なんだこれは。
そう。当時は、当時の歌は、言葉に社会を映し出す力があった。
(今は、そういう言葉たちはボカロの世界に移住した)

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さて、そこから真面目なお話。

wikipediaの説明
土日がなく、月曜と金曜が二回ある、土日を返上して働く、訓練するという意味なのだが。。。

ふと思った。
「自虐」は日本の精神文化なのだろうか?
どうしようもない現状、どうしようもない自分をアイデンティティーとして受け入れようとする。
その心の表れが自虐なのだろうか。。。

戦時の歌が、進学校の高校生たちに歌い継がれている。

そこでふとおもった。

「一年と経たないうちに、今の若者は会社を辞める」という言葉を聞いたことがある。
今の高校生たちは、中学生のときから、勉強勉強でかれこれ6年間も過酷な労働に晒されていた。
だから仕事は好きなことをしたい。
好きなように仕事をしたい。
楽しみたい。

そう思えても仕方ないのかもしれない。
「一年と経たないうちに、今の若者は会社を辞める」という言葉を使う人たちが経験したことのない高校時代を、学生時代を過ごしている。
働いても働いても給料がでるわけでもないし、三種の神器があるわけでもない。
しあわせのカタチがひとりひとり違う時代。

そんな今、この時代を生きている子どもたちのために、社会は開かれているのだろうか。

新しい歌を、言葉を、人々は語っているだろうか。

自虐の文化は「笑いながら、この現状を笑い飛ばしながら生きようとする」文化なのかもしれない。
江戸時代の「ええじゃないか」の唄のように。

歌が支える心がある。
歌が表す心がある。
歌が、人々の力になる。

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モンスター飲みすぎるとカフェイン中毒で早死にするってよ!バルザックみたいに!?(当時にしたらまぁ普通?)

「混み合い」理論とあそびと月月火水木金金。まだ誰かが「非国民!」と叫ぶ声がコダマする日本。

海軍のポスターで取り上げられた「月月火水木金金」
海軍のポスターで取り上げられた「月月火水木金金」

「稽古」と「習い事」

賢いお母さんの「習い事」作戦。

習い事を「させられ続けた」子どもの心

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高岡高校がブラックで海軍ばりに休みがない件(実話です。在校生の話)

みなさんからもらった情報、有料記事にしていましたが、無料に戻すことにしました。

受かるとか受からないとかの記事はそのまま有料にしますが。
こちらは重要度が高い、無料で解放したらいいかなと思いました。

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課題課題と言って来たが、今日、新しい事実が判明。

宿題には二種類ある。「課題」と「予習」である。

課題=宿題だと思っていた僕は大いに驚き、また想像ができなかった。え?予習?

富山高校も富山中部高校も同じなのかな?自称進学高校も同じかな?(同じだという情報をいただきました)

高岡高校の生徒が「もう課題やらないからな!!!」と先生に、職員室前(?)で叫んだところ、そのまま生徒指導(教科指導?)行きになったという話などなど、「課題」というモンスターの存在は知っていたが、まさか、予習という名の亡霊までいるとは。。。
AO入試に挑戦しようとした子が、「君には無理だよ」と言われた話。(学習性無気力になるだろう)生徒は日々、否定的な言葉、支配的な言葉を受けているため、心がもう

「悪い言葉」の「悪いエネルギー」に対応することで頭がいっぱいで、疲れてしまっている。という感じ。

そもそもAO入試は、学校が判断するのではなく、大学が生徒を判断するものであって、推薦入試ではない。
生徒の挑戦を、生徒の本気を、生徒の心を先生が「無理」の一言で否定するのははっきりと、間違っている。と僕はいう。言える。
疲れ果てて、心が擦り切れて、言い返せない、もう疲れ切っている生徒の姿が、高岡高校にはある。

高岡高校に使われている生徒がたくさんいる。
高岡高校を使う生徒が少ない。
使えない。
理不尽が日常化してしまい「心」がわからなくなってしまう。
そんな生徒がいる。

先生に宣言しようがしまいが、課題をやるやらないは本人の気持ちしだいなのだけれど・・・
学校というしくみ、先生との関係から自立的になれる生徒は少ないように思える。

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こちらはオトノネの宣伝です!

富山市の民間学童保育

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予習という名の亡霊は課題よりもタチが悪いかもしれない。授業中に予習の範囲を板書することになっているので、集団心理が働く(これも人によりけりだが)「みんなの前で忘れたというのは恥ずかしい!」とか「俺できる!できるんだから見栄を見せないとね!」とかいう人間の心理をくすぐるようだ。。。(もちろん、予習のやり方が悪くて時間の無駄をしているという前提で僕は喋っている。)

もうすでに置いていかれた生徒にとって、予習も、課題も、手に余るものだろう。「なんでやるの?」かわからない。ちょっと多く見積もって8割の生徒にとって、予習も、課題も、息を切らすものでしかない。ほとんどの生徒がセンター試験止まりの中堅大学に行き、その他の生徒が消息を立つしくみだと僕はおもう。予備校には自由があるからまだいいかもしれない。高校にも自由があるはずだが、自由を使うことができる生徒は少ない。体が、神経が覚えてしまっている。抑圧されている。処理しきれないと、病気になる。体のどこかが不調になる。(自己責任の記事を参照ください)

予習のテキストをみれば、それがどういう生徒を対象にしているのかが僕にはわかる。授業の進め方がどんなのか話してもらえば、それが誰に対する授業なのか僕にはわかる。2割の生徒のための教材だ。

学校でついていけないのは、たいていの場合、お子さんが怠惰だからではありません。勉強が足りないから成績が伸びないのではなく、勉強を一生懸命している(予習や課題をしている)からついていけないのではないかとおもう。

宿題が二種類であり、復習、が入らないのは妥当だろう。学校は復習したかどうかをチェックしないからだ。管理されない復習をする気力が生徒にはない。が、しかし、復習しなくて予習の意味があるわけないとおもうのだが。

「勉強して体壊して無理して大学にいくよりも、健康で大学に行って長生きしたいんです」と話してくれた高校生。健康が大事。心が大事。命が大事。受験という経験を通じて、自分の心も体もを大切にすることを学んでほしいとおもう。< 勉強することそのものに意味はないかもしれない。受験という経験を通じて学べるもの、気がついたこと、本気を出した記憶を、振り返ったあとで、春、桜の咲く道を笑いながら一歩未来へ踏み出す一瞬の充足感のために、今、「勉強」が目の前にいるのかもしれない。 進学校にいくくらいなら、将来を見据えて、定時制高校に通いながら、通信制高校に通いながら、いろんな人と出会いながら、大学に行くという選択肢も、ありますよ。 心を大事に。 いい先生でも、組織の中に入ると埋もれるのはなぜか。

ちなみに、富山高校と富山中部高校の生徒の話も記事にしています。
富山中部高校サバイバル(追記:なぜ中部高校の生徒はコミュニケーション能力が高いのか)
富山高校がサバイバルすぎる件

オトノネを応援していただき、ありがとうございます。

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オトノネひろげるシェアぼたん