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物語に自己を没入する人間ー共感は自他の境目をなくす

瞑想は私たちの心を静めたり、利己的な関心から目をそらさせたりできるし、儀式は (そして踊りでさえ)オキシトシンの分泌を促し、他者への親近感ばかりか、自分より大きな存在へ の親近感を深められる。だが、そこから神へはどのようにしてたどり着くのだろうか? そして、私たちを道徳的にするには神が必要だろうか?

ほかの文脈で見てきたように、人間の脳は意味を作りあげる道具だ。前述した1940年代のハイ ダーとジンメルのアニメーションで、動きまわる三つの図形を見せられた人は、善と悪、被害者と加害者にまつわるドラマを創り出すことができる。だから、つながりがもたらす温かい感覚だけでなく、 人との経験やたんなる脳の異常が生み出した色やかたちや音からさえも、これらすべてを司る創造主 (神)や第一原理の宗教的な物語を創り出せることも理解にかたくない。

夢を見るということについての学説はたくさんあるが、たいてい次のような考え方に集約される。 夢を見るときに起こっているのは、睡眠中のランダムな情報の断片の処理であり、私たちが覚えてい る、しばしば奇妙な物語(夢)はそうしたランダムな情報の断片を筋の通った物語にまとめあげよう とする脳の働きだというのだ。ユング心理学はこの見方を全人類にまで広げ、宗教とはおびただしい 数の人が共有する集合的な夢だと考えている。

私たちの祖先は、説明的な物語の筋をうまくまとめる前でさえ、自然が自分たちよりはるかに大き な力を持っていることを痛感していたに違いなく、それが恐れや畏敬の念につながった。意識が生ま れ、それに伴って意味を作り出すことが始まり、彼らは恐れや畏敬の念を起こさせるそうした自然の 力に意味を持たせようとするだけでなく、そのような力を鎮めておこうとするようにもなった。雷が 木に落ちて火事を起こすときのように、自然の力が何かを起こすと、極端に社会的で、意味を作り出 すのが好きな私たちの脳は、その力に人間の意図を結びつけることができる。「擬人観」と呼ばれる 心の習性だ。社会神経科学者のジョン・カシオポは被験者の孤独の度合いを査定してから、ぐるぐる 回りながら無限の暗黒の中を進んでいく馬頭星雲のような、宇宙のはるか彼方にある物体の写真を見 せた。すると、孤独を感じている人ほど、こうした巨大な星雲を擬人化する可能性が高く、星雲に人 間的な特徴を与えるだけではなく、人間の意図さえ感じ取るのだった。

同じように、自然を観察した古代の人々は、太陽や春の雨の好ましい影響と、嵐や旱魃や雷の破壊 的な影響を認識していたに違いない。意識とそれが創り出した物語は、自然選択の結果生まれたもの だから、私たちの残りのエネルギーのほとんどを使う努力とおおいに関係があった。それは命を維持 する努力だ。

石器とともにこれまで発見された人類の最古の遺物が、多産と生殖の神秘の象徴である官能的な女 性像という宗教的表象であるのも驚くにはあたらない。また、男根像もあわせて崇拝した文化もあ このような男女両方の性的シンボルが、人間には及ばない何らかの力を鎮める目的で祈橋に使 いた。命のサイクルが継続し、雨が降り、三角州を水であふれさせ、農作物や猟の獲物も豊富に得ら れるようにするためだ。

それから何万年も過ぎ、軍隊や都市国家、数学や哲学、詩歌や彫刻が生まれたあとでさえ、古代ギ リシアでは、性愛としても知られる生命の力(彼らはそれを「エロス」と呼んだ)をまだ崇拝してい た。オキシトシンとテストステロンが拮抗物質として働くように、ギリシア神話では性愛の神エロス を、愛の神アフロディテと戦争の神アレースの子どもにした。

だが、エロスはエクスタシスへ、そして性的クライマックスで急増するオキシトシンの分泌へと至る本道でもあった。また、直接エクスタシスへ到達するにはディオニュソスの礼拝の儀式という別の 道もあった。ディオニュソスは突然の顕現や悟りの神であり、そのほか粗野なことや理不尽なことい っさいの神だ。そして恍惚としたディオニュソスの儀式こそが、ギリシア悲劇の起源だった。ギリシ ア悲劇によって「カタルシス」と呼ばれる特別なかたちのエクスタシスが引き起こされ、観客は舞台上の登場人物に深く感情移入し、普遍的な人間性の悲哀を認識して受け入れたのだ。 (『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.204)

 

神に共感する人間。神は人の象徴。

 

社会科学者が神について描写するようにと言うと、人々が挙げる神の特徴にはほとんど一貫性がな いことがわかる。全員が全員、聖衣とサンダル姿の、あごヒゲを生やした老齢の白人男性を挙げるわ けでも、雲間に浮かぶ慈愛に満ちた大柄な母親や空にある大きなコンピューターを挙げるわけでもな い。それどころか、各自の神の概念を分析して浮かびあがる共通の要因は一つしかない。誰にとって も神とは自己―自分自身、自分の態度、自分の欲望、自分の希望――の投影らしい。ただしそれは、 絶大な力を持った「自分自身」だ。 「そうなると、道徳の普遍的な指針についての私たちの概念が、自分自身の個人としての道徳的行動 が持つ二つの面を調節するのと同じ生理学的なメカニズムと呼応しているというのもうなずける。私 たち一人ひとりの体には、愛情とつながりへ向かう行動をとるように仕向けるオキシトシンがあるが、 恐れや懲罰行動を引き起こすテストステロンも十分ある。 空の上から私たちを見守っている神(もし

くは慈愛に満ちた母親)にしても同じだ。道徳の究極の審判兼執行者としての神はテストステロンに 相当する。一方、絆と愛と気遣いの究極の根源としての神はオキシトシンに相当する。

そうとわかれば、途方もなく思いやりあふれる行動と、宗派絡みの悪意ある暴力行為の両方が、神 への信仰心に触発されて発生するのも、何ら不思議はない。 – 必死の思いで暮らしていた初期のヒト科の動物は、体格ではチンパンジーに劣り、ライオンや野犬 の群れにはとてもかなわなかったため、仲間と絆を深め、仲よくし、助けあってともに生き延びる必 要があった。したがって、原始的な狩猟採集民族が信奉し、古代の豊穣の儀式で崇拝されたアニミズ ム (訳注:あらゆるものに霊魂が宿っているとする考え)の神々は、おもにオキシトシンを原動力とした。 「部族が大きくなり、遺伝的にも多様になると(言い換えれば、みんな家族というわけにはいかなく なると)、生き延びるためにはより厳しく掟を執行せざるをえなくなり、神のテストステロン・レベ ルが上がっていった。遊牧民族はほかの集団と遭遇する確率が高く、「私たち対彼ら」という力学が 強く働くため、味方としてだけでなく罰してくれる存在としての神の必要性が高まった。もはや「地 母神」ではなく、いざというときに助けを求めれば相手を懲らしめてくれる「高みにおわします神」 だ。たしかに、旧約聖書の神は権力を持った父親的存在、それもあまり性格がよくない父親的存在以 外の何者でもない。しじゅう「私は嫉妬深い神」とか「私は怒れる神」とか言っている。それに、聖 書に繰り返し出てくるように、この怒りの神、究極の「困った男」は、不品行なふるまいを目にすれ ば、洪水を起こしたり、町を全滅させたりすることも辞さないのだ。(『経済は「競争」では繁栄しない』ポール・J・ザック p.216)