山ごもりをしてきた。
無意識のうちに人に気を使っているのか、焦っているのか、山に入って空気を吸うと落ち着いた。それからちょうどいい場所をみつけて、座る。取り憑かれていたノイズめいたぐるぐるしたものがすっと静まる。ああ、本当に一人の時間も大切なのだ。人が周りにいるだけで、疲れてしまっていたようだ。また狭い部屋にいてばかりで、疲れてしまっていたようだ。身体的にも、精神的にも、空間を広げること。瞑想する人は眉間に意識を集中させる、という。これは心の空間がというより、実際何かが変わる。まっあいろいろと何が起きるかを、山ごもりしながら感じてきた。
脳内
座って、ただそこにいるというだけで、体が勝手に震えるのと同じように頭の中でいろんなものごとが起きてくる。いやもうそんなどうしてこんなこと起こるの?とおもうこともおこる。見せてくれる。こんなちょっとした特別な状態になっているとき、そこから何かを教わる体質の人がいる。ぼくは訊いてもいないことの答えをもらうような映像をもらった。音はついているようで、ついていない気がした。未来を見せられた。うーん。ぼくは今のこのこころをなんとかしたかったんだけどな。結局、今の心の状態はよくわからなかった。進むしかない、ということなんだろう、か。
身体
夜寒すぎて、アルミシートにくるまっていたせいで、両眼視できずに森を見ると、同じ目の前の風景が、丸くなったり、四角くなったり、ちいさな四角になったり、おもちゃみたいなかっこになったりした。もちろん暗いせいだ。どうやら情報が限られると脳は適当に画像処理するらしい。目を閉じて、しばらくすると見え方が変わるのだから、笑ってしまう。新しい。
目をつぶってみた。光のツブが飛び交っていた。え?これみたことない?なぜか今までみたものより、鮮烈な光の粒。おまけに、眉間に意識を集中すると、瞼の裏に、映像がみえる。なんかガラスにべたーっとへばりついたヘドロがゆくり落ちていくような。それから、海底の噴水孔(なんたらなんたら)からゆっくり湧き出る煙が如きもくもく。これははじめてみた。不思議だな。新しい。
知らず知らずに人の中で疲弊しているから、本当に一人の時間、できれば広くて気兼ねなくいられる場所に定期的に行くようにしようとおもった。つい先日、古い友だちと電車で話をした。「こんな狭い電車でぎゅうぎゅう詰めになって、心は無事ですむはずがない。だからみんなゲームとかしてるし、人を人としてみない。そうじゃないと、やっていけないよ」これこそ東京の文化なんだろうか。
24時間を森で過ごした。
明日のスケジュールがあるからだ。あくせくしているなぁ。
息を吸い込んで、使おう。
マグロは泳がないと息ができない。
そういえば別の友だちもこういっていた。「起き上がるときに、何か新しい世界につながるといいよね」みたいなこと。
成長しよう。息が詰まったら、山へこもるのもいい。自分の身は自分で身を守ろう。他の人を傷つけないように。
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