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富山市|思春期や発達障害の凹凸を理解するための個別指導学習塾

凹凸は、誰もが持っています。 思春期、まさに凹凸です。 子育て、女性にとっては大きな凹凸の時期です。 人一人の人生の中にも凹凸があります。   ひとりひとり遺伝子が違うのも凹凸です。 性格診断というものをご存知ですか?楽天家、研究者、芸術家、誠実な人、神経質な人、、、ひとりひとりが凹凸をもっています。 興味を持たれた方はこちらの記事もおよみください。 人と人か、健常者と障害者か【発達障害という「差別用語」をめぐって】

おとのねさんが新曲作ったってよ!

こっちはその一つ前のです。

 

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行動経済学と発達心理学と神経科学とカウンセリングの考え方

発達の悩み、思春期の悩み、成績の悩み、学校の悩み、生活の悩み、将来の悩み、進路の悩み、受験の悩み、、、お母さんの心配は尽きません。   オトノネが大切にしているのは次の3つです。 「命」「心」「脳(体)」

  • 「命」は自然であり、持って生まれた天の才であり、成長することを願っています。閉じ込めてしまうと弱まってしまう炎です。
  • 「心」は作るものです。炎を守るためのしくみです。
  • 「脳(体)」は持って生まれた凹凸です。変化していくものでもあるし、変わらないものでもあります。

  大抵の困りごとは、「心」がうまく働いておらず、「命」が弱まってしまうことで起きる問題です。 「心」はつくるものです。「心」が無理をしている場合、「命」は弱まります。 「心」はしくみです。「心」が健康的でないと、命令・干渉・過保護に対して隷従・従順・暴力が生まれてしまいます。 「心」は環境がつくります。 お母さんの「心」を変えていくことで、お子さんの「心」が変わっていくかもしれません。 お子さんの「心」を変えていくことで、お母さんの「心」が変わっていくかもしれません。   オトノネは、「心」をつくるコミュニケーションを通じて「命」を強くしたいとおもっています。 今ここで起きている「命」「心」「脳(体)」のありのままの姿に気づいてもらいたいです。 不安や心配、怒りといった感情をやさしく包むための「知」をお伝えしたいとおもいます。  

オトノネのミッション

オトノネは、「心」「命」「脳(体)」にやさしくすることでお子さんが自然に成長する「命」の力を取り戻してほしいと思っています。 「知る」ことで、やさしくなれます。  

「心」を理解すること。

自分の「命」を守るしくみが、今ここでどのように働いているでしょうか。 「脳(体)」が環境に対して反応するしくみのうち、前頭葉が働いているのが「心」です。 「こうあるべき」「こうせねば」という思考は「心」のしくみがつくりだしたものです。 まず、「心」が今、どんなはたらきをしているのかを自覚することが大切です。

  「脳(体)」を理解すること。

お母さんにとってのものの見方感じ方とお子さんにとってのものの見方感じ方は異なります。人として、まったく別の人間だからです。生まれた時代も、育った環境も、遺伝子も異なります。 同じ場所にいるけど、見ているものは違う。幽霊を見れる人がいれば、見れない人もいるのと同じです。できること、できないことがあります。 人と人の凹凸があれば、人生のあらゆる時期で凹凸を感じることもできます。思春期は自分が自分でないような感じ、まったく新しくなる感じがする時期です。昔の自分との凹凸を感じているとおもいます。 聴覚、視覚、触覚、嗅覚、味覚、敏感な人とそうでない人がいます。「頭の回転」も同じです。もし「頭の回転」を速くしたいなぁとおもったら、「あなたにとって」最良の方法を自分で見つけるしかありません。工場をフル稼働していたとしても、工場の性能自体を上げなければ、よくならないのです。  

「命」を理解すること。

人は一人一人違います。違っているから、おもしろいのです。誰かができないことを、誰かができる。誰かが苦手なことを、誰かは得意だ。凹凸があるからこそおもしろいのです。人間がお互いに助け合う心が生まれるのは、「命」を理解してこそだとおもいます。 「命」は自分一人のものではないのです。あなたの「命」が誰かの「命」を助けることができるのです。素晴らしいことではありませんか? 

 

発達障害を理解する

学校のカリキュラムは「発達が進んでいる子」に向けて作られています。だから「発達が遅れている子」は放置されます。これは学校のネグレクト行為であり、児童虐待ですが、日本ではそれが普通です。 無理にできないことをさせる学校教育からお子さんの心を守って、オトノネ で命を大切にしませんか。       能力は人によって違います。 「学ぶ準備ができたら」始めましょう。 学校のスピードは「早熟な子だけついてこい」です。 小学校で分数を習っても、半数が「理解できない」状態です。 繰り返します。 学校は「子どもの成長」に合わせてはくれません   上のグラフは『問いからはじめる発達心理学』からの引用です。 このグラフの意味は、「7歳であっても4歳の認知能力である子と、10歳の認知能力のある子がいる」ことを表しています。 ちなみにワーキングメモリーとは、頭の中でいろいろと「情報をキープ」しながら「複数のタスク」をどれだけこなせるか、という能力に関わっています。   お子さんの脳と心の準備ができたら、はじめましょう。  

発達障害とは何か

発達障害を簡単な言葉で表現できそうだ。 「もう無理」だ。 それが緘黙となって現れるときもあれば、言葉の遅れになることもある。 身体的な、物質的な病気、とは違う。 自閉症も。チックも。 「もう無理」というサインだとみたらわかりやすい。 「症状」は「もう無理」というサインだ。 ひとはもともとばらつきを持って生まれる。聴覚が敏感な子、視覚が鋭く、書くことに夢中になる子。 そしてちがった環境で育てられる。 自閉症の子はどうして「自閉症」になるのだろうか。 私たちが自閉症にしているとおもっている。 「自閉症を治す」とは「その子を社会に合わせる」ことだ。 「ふつうにする」ことができない子に、どうやって関わったらいいんだろう? その子が今できるところに戻って、関わってみて、学べることをたくさん学ぼう。 「無理だよ。そんな私にできないこと、期待しないでよ」とその子が思ってしまうなら、その子は自閉症になるだろう。 発達障害とは、発達の課題を無理してこなそうとおもってやっぱりこなせないことが繰り返されてつくられるその人と他者の間の壁である。 私は、発達障害にさせられる子はいても、自分から発達障害になる子はいないとおもっている。 「ねぇもう無理だよ。誰か助けてよ。ちょっと今の僕には無理だよ。今の僕じゃ、ダメなの?」 そういう声に私たちはどう応えていけるだろうか。そんなふうにおもう。

HSCって何だっけ?

HSCを「敏感な子ども」という言葉で表すとします。「敏感」が故に、他の人よりもいろんなことを感じます。つまりEQを高めることが「敏感」でない子よりもその子のために重要だと考えるのが自然です。IQどころではありません。

EQは「その子がしあわせになるためのテストで測れない能力」と表現してもいいでしょう。肝心なのは、「その子が」という部分です。ひとりひとりの感じ方、敏感さ、性格は違います。それを前提にして「その子」の独自のやり方で暮らして行くチカラをEQといいます。

HSCでなくとも、ノイズが多い、刺激が多い、人間関係も歪な現代社会、生まれ持った「センス」を大切にするような関わり方をしたいものです。

発達障害は遺伝?:誰にでもある凹凸なのに・・・

この記事のまとめ

「命」をただただ、お世話する。

日本人の9割が知らない遺伝の真実』にあるグラフを読み取ると、殆ど遺伝子の影響で自閉症・ADHDという現象が起きることになっている。学習障害と呼ばれている現象も、同様だろう。80%という数値は遺伝子の体重への影響と同じくらいだ。

だがそもそも発達障害とは何か?を問えば「遺伝子(とその現在の表現型)と環境(学校・社会)の摩擦が大きいから、心をすり減らさないような心構えと、作戦をたてたほうがいいよ」という学校・社会からのメッセージだと思えばいいと、僕はおもっている(この点、人間関係が摩擦になってもうすり減って学校を辞めた人は、その人なりの作戦を実行したのだと、私は解釈している)。適切な作戦を学校が手はずしてくれる場合もあれば、放って置かれる場合もある。

もちろんその作戦は、一人一人が違う。僕が驚いたのは「支援級にいかせるとお嫁にいけなくなるから、普通級に通わせる」というお母さんがいたこと。このような作戦で「生きる」こともできる。私は、その子の未来よりも、その子の今と関わりたいから、そのお母さんの感覚に驚いて、思考が停止してしまったくらいなのだが。学校のシステムが、そもそもの問題なのだが。

診断名とは何か。Human Disaster

例えばADHD。 Attention-deficit hyperactivity disorder 「不注意だね。衝動性があるね。多動だね。うん、じゃぁADHDだね」ということになる。 周りの環境があって、その振る舞いがでてくる。 社会的な困難(学校側の不都合)を表す言葉が診断名であって、その子が特別な病気を先天的にもっているわけではない。その子は、「ふつう」だ。 学校が、「その子は学校ではやっていけませんね、だって、◯◯ですから」という意味のわからない論理を使うため、使用される言葉になってしまっている気がする。。 そうではないのだが。 「この子が学校でやっていけないなんておかしい!何がいけないの?」という答えをお父さんお母さんが診断名に求めてしまうことがある。 けどそれもちがう。 その子はその子の「自然」をもって生まれる。 学校という場所で壊されてしまっている「自然」がある、というサインにつけれらた名前が、「診断名」です。 ーーー

ーー 誰もが持っている衝動性、多動性、不注意がある。 それに診断名をつける意味はなにか。 ADHDは先天的なものだという。(クスリが処方でき、結構効くらしい。もちろん副作用抜群だが) なるほど。 けど「診断方法」をみると、「育ち」でなんとかなるもののようにも思えるのだが? 「もってうまれている」のか「育ち」なのか、わからないのが、人間らしいところだ。 同じ「ADHD」という診断名でも、程度には、天と地ほどの差がある。 ーーーーー

ーーー 「あの子はADHDだから」という理由で。 「教室」という場所があまりにも居心地がわるい子がいるのをどうしようかということで生まれてきたのがADHDという言葉だ。と僕は思っている。 日本では学級崩壊が起きた後に、ADHD研究が始まったような気が、気が、僕はするのだがどうだろう。(そのうち調べよう) ADHD Europe で検索 ADHD Europe | Attention deficit hyperactivity disorder すごい、このサイトみてたら、ADHDの歴史で、最初に書かれているのが「シェイクスピアのヘンリー8世」! 日本語版で僕が頼りにしているサイト 注意欠如・多動症(ADD,ADHD) ADHD Japanで検索 ADHD(注意欠陥/多動性障害)を十分に理解し、正しく対処していただける情報をお届けいたします。 ここの「日常生活チェックリスト」をみると。ただただ「発達の課題」に取り組めなかった「ADHD」でない子にもあてはまる気がするのだが。 だからその「治療法」も、ただただ普通のことを丁寧にやって行く、という内容になっていr。 つまりどういうことか。 「ADHD」が先天的なものだからといって学校が「この子は障害をもっているから特別学校にいったらいい」とかお父さんお母さんが「この子は障害を持ってるから私たちの育て方が悪かったわけではない」とかいう言い訳として使われているケースがないかどうか。   社会性集団性のスローラーナーと考えることもできるからだ。 子育て環境が、家庭環境が、その子のもっている《ADHD性》を育てた可能性がある。 環境が違えば、もっと《別の神経》が作られていたかもしれない。 適切な関わりができなかった、学べないうちに育った可能性はないか。僕は、あると思う。 僕らが暮らしている世の中の「自然」のチカラはだいぶ弱まってしまったのだろう。自然に、任せて育てることが不安になる時代かもしれない。 遊ぶと多動でなくなる。 多動? 多動かな?と思ったら、あそびの環境を変えてみてもいい。 人間は不思議だ。 そんな不思議の中で、みんな生きている。 ーーーーーーーー

ーーーーーーーーー 同じ診断名でも、まったく違うしくみなものに、 心身症というものがある。 例えば起立生障害、チックもそうだったか?過食、不眠。 不眠症は「不眠である」ことで不眠症と診断される。(睡眠障害の一部だっけ?) それがただの「夜更かし」ではなく、なにか「心的ストレス」が原因となっていることが明らかにされれば、不眠症となる。 それで朝が起きられないと、「起立生障害」と呼ばれる可能性もある。 そうすると。 「思春期の女の子にはよくある症状ですよ」ということになり。 ストレスになっているもの(学校)から目を逸らさせるような言葉が現れてくる。 診断名に、真実が隠されてしまう。 言葉から真実を読み取るのは、人間だ。 そして読み取りが下手くそなのも、人間だ。 ーーー

ーーーーー disorder, disability, disease, 病気にもいろいろある。 一番怖いのは、human disasterであろう。 学習障害LDか、スローラーンなだけか。 そうおもうと、いわゆる偏差値の高い高校、進学校に入るということは、卒業するというのは「君は◯◯ではないね?◯◯でもないね?◯◯でもないよね???よし、合格!」と検品されにいくことを意味するのではないか。と思えてしまう。 そんな気がしてしまった自分の心が、たいそう貧相ではないかと思えてしまった。

As a result, places like school and the workplace can require skills that people with ADHD often do not have (e.g., organisation, time-management, and sustaining attention) which may lead to problems in education and employment, such as underachievement and risk of exclusion and dismissal.

結局、仕事や学校でうまく行かない人たちに目を向けるための、合言葉が、最近になって増えたということ。 その言葉をどう使うかは、人間次第。人次第。 ーーー

ーーー その子に「障害」があるのではなく、学校がその子の「障害」になっているのだ。 「障害」とどう付き合うか。その経験は、大人になっても大切な、その子の本当のチカラになる。  

障害という言葉が生まれてくる場所

障害はなくならないかもしれない、けど、仲間として一緒に暮らす人との出会いがあれば、育っていくものがある。 それはいわゆる「障害児」も「健常児」も同じだ。 (今では「非定型発達児」「定型発達児」と呼ばれるようになった。僕もそのうち完全に切り替えよう) 例えば僕は韓国に行くときにアニョハセヨも知らなかった。 そこで3年間、劇団のみんなと一緒に暮らした。 ある日僕が聞いた「僕の韓国語、不自然に聞こえるんですか?」 そこでネ・チングは答えた。「コミュニケーションができている方が大事でしょ?すごいことだよ。君が今僕らと話をして、ご飯を食べて、笑えていることは」 ないものを障害ということもできる。 相手がそれを「障害」と思っていなければ障害ではない。と考えたら少しは楽にならないだろうか。 (そういう人と巡り会えたときに、生まれるものもあるだろう) それはニュートン的に、絶対的にそこにある「障害」ではない。 相対的で、振り向くまで歩かないかわからないような、観測不可能な障害のように、僕には思える。 もし学校で困っている子がいたら、先生にこう聞いてみるのはどうだろう? 「先生は、ただの一度でも、うちの子と笑い合ったことがありますか?」 ない、と答えたら、もうその学校からは、少なくともその先生からは離れた方がいいのかもしれない。 その先生は、学校の余裕のなさに、先生の課題の海で溺れているのかもしれない。(学校の課題に先生も苦しめられている) その学校は、「障害」が生まれる場所かもしれない。 発達障害を生み出すのは「人」であって、「場所」であって、その子自身ではない。 だから、場所を選べばいい。障害がない場所を。 その場所でこそ、生まれてくる、育てられる種がある。 子どもの心に種を蒔く。蒔かれた種を守り、育てながら、僕らも子どもと一緒に育つ。 忙しない社会で、生きる場所を探す、一緒に生きる人と出会うというごく当たり前のことを、 小さい時からやっていく、それだけのことだ、と言ってしまえば、残酷だろうか。 ーーーー

ーーー 学校で先生たちは生徒と、生徒は先生たちとコミュニケーションをしているだろうか。 非言語でも、言語でも。 そういうゆとりが、学校にあるだろうか。 ゆとりは「教育」のために必要ではない。コミュニケーションのために、「人間」のために絶対必要なのだ。 そういう先生と出会い、時間と、場所を見つけに行ける子はしあわせだ。 学校の中にも、休める場所はある。 先生のための学校ではない。 生徒のために学校がある。 だから、どんどん休んでもいい。 (ただしそれは、学校の先生の“機嫌”をそこないかねないことは、知っておいたほうがいい) さて、疑問がでてきた。 先天的に笑うチカラがない、「笑うことのできない」人間が、いるのかどうか。

「見た目」の差別:美貌と収入(としあわせは関係ない):凹凸いろいろ

美貌の経済効果を計測するのは、(現実にはともかく)理屈のうえでは簡単だ。人種 や年齢、社会階層、学歴など外見以外がすべて同じ男女をたくさん集めてきて、第三者 にその美貌を判定させてランクづけし、収入の差を調べればいい。 ・ 実際にはこのような調査は不可能でさまざまな統計学的調整や類推をするのだが、そ の過程を飛ばして結論だけいうと、美貌を5段階で評価し、平均を3点とした場合、平 均より上(4点または5点)と評価された女性は平凡な容姿の女性より8%収入が多かw った。それに対して平均より下(2点または1点)と評価された女性は4%収入が少なかった。容姿による収入の格差はたしかに存在するのだ―――知っていたと思うけど。

経済学ではこれを、美人は8%のプレミアムを享受し、不美人は4%のペナルティを! 支払っていると考える。ペナルティというのは罰金のことで、たんに美しく生まれなか ったというだけで制裁されるのだからこれは差別そのものだ。 ところで、このプレミアムとペナルティは具体的にどの程度の金額になるのだろう。 20代女性の平均年収を300万円とすると、美人は毎年1万円のプレミアムを受け取 り、不美人は2万円のペナルティを支払う。こう考えると、思ったより「格差」は小さ いと感じるのではないだろうか。世間一般では、美人とブスでは天国と地獄ほどのちが いがあると思われているのだから。

ただしこの計算も、一生で考えるとかなり印象が変わってくる。大卒サラリーマンの 生涯賃金は (退職金を含め)約3億円とされているから、美人は生涯に2400万円得 し、不美人は1200万円も損して、美貌格差の総額は3600万円にもなるのだ。 この試算を単純すぎると思うひともいるだろう。美貌は年齢とともに衰えるのだから。 だがハマーメッシュは、弁護士のような職業では美貌格差は年齢とともに大きくなる と述べる。若いときの収入は同じでも、美貌の弁護士はよい顧客を獲得しやすいから、年をとるにつれてその経済効果が大きくなっていくのだ。

さらに身も蓋もないことに、美貌と幸福の関係も調べられている。そして予想どおり、 美人はよい伴侶を見つけてゆたかで幸福な人生を手に入れ、不美人はブサイクな男性と 結婚して貧しく不幸な人生を送ることが多いという結果が出ている。だが幸いなことに (?)この差も一般に思われているほど大きくはなく、上位3分の1の容姿に入るひと が自分の人生に満足している割合は5%(すなわち5%は不満に思っている)で、下か ら6分の1の容姿でも4%が自分の人生に満足している。この結果を肯定的にとらえれ ば、美形でも半分ちかくは不幸になり、ブサイクでも半分ちかくは幸福になれるのだ。

この美貌格差が、男性よりも女性にとって大きな心理的圧迫になっていることは明ら かだ。これは男性が女性の若さや外見、すなわち生殖能力に魅力を感じるからで、これ によって女性は熾烈な「美」の競争へと駆り立てられる。 (『言ってはいけない 残酷すぎる真実 』橘 玲 p.137)

差別を生み出す私たちの心

私たちは、容姿で給与や昇進を決めるのは企業や経営者による差別だと考える。これ は間違いではないが、企業がこうした差別をする理由は、営業職や接客業において、美 形の従業員のほうが明らかに収益性が高いからだ。市場原理によって、彼らは正当な報 酬を得ているだけなのだ。

なぜこのようなことが起きるかというと、それはもちろん、消費者が美形の相手から 商品を買ったり、サービスを受けることを好むからだ。 私たちは「美貌格差」を批判するが、その差別を生み出しているのも私たちなのだ。

性差という凹凸も遺伝子。右脳左脳とADHDと色の好みも遺伝子。

 

言ってはいけない―残酷すぎる真実―(新潮新書)橘 玲

アメリカの幼児教育の授業では(おそらく日本でも)、子どもたちは「たくさんの色を使って表情ゆたかに人物を描く」よう指導される。だがADHDと診断された男の子 たちは、クレヨンを渡すと、先生の指導を無視してロケットや自動車を描きなぐった。だがサックスは、これは男の子に「欠陥」があるのではなく、眼の構造が女の子とち がうからだという。

モビールは紙やプラスチック、金属板などでさまざまなかたちをつくり、それを糸や 棒で吊るした飾りだ。このモビールをベビーベッドの上から吊るし、同時に若い女性が 赤ちゃんに笑いかけると、男の赤ちゃんはぶらぶら揺れるモビールを見ようとし、女の赤ちゃんは女性の顔を見ようとする。女の子は生まれつき人間の顔に興味を持ち、男の 子は生得的に動くものに興味を持つのだ。 このちがいはどこから生じるのだろうか。 網膜には、桿状体に反応するM細胞(大細胞)と、錐状体とつながるP細胞 (小細 胞)がある。 桿状体は単純な動きの探知装置で、網膜全体に分布し、視野のどこにある物体でも追うことができる。それに対して錐状体は、視野の中央部分に集まっていて、質感や色の 状態に反応する。杆状体からの情報はM細胞を通じて大脳皮質の物の動きの分析を司る部位に送られ、錐状体からの情報はP細胞を通じて質感と色の分析を司る部位へ送られ る。

男女の網膜を調べると、男性のほうが厚い。これは男性の網膜に大きくて厚いM細胞 いが広く分布しているからで、それに対して女性の網膜は小さく薄いP細胞で占められている。

幼い子どもにクレヨンと白い紙を渡して好きな絵を描かせると、女の子たちは赤、オ レンジ、緑、ベージュといった「暖かい色」で人物(あるいはペットや花、木)を描こ うとする。一方、男の子たちは黒や灰色といった「冷たい色」を使って、ぶつかろうと するロケット、誰かを食べようとするエイリアン、別の車に衝突しようとする車など、 なんらかの動きを表現しようとする。これは親や教師が「男の子らしい」あるいは「女 の子らしい」絵を描くように指導したからではなく、網膜と視神経の構造的なちがいに よって、色の使い方や描き方、描く対象の好みが分かれるからだ。

ところがアメリカの(日本でも)幼稚園の先生の大半は女性で、こうした男の子の特徴がわからない。そのため、どれほど指導しても女の子のような(暖かい色を使った人 物の)絵を描くことのできない男の子は、「どこかがおかしい」と判断されて「治療」 の対象になってしまうのだ。(『言ってはいけない 残酷すぎる真実 』橘 玲 p.151)

 

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オトノネ憲章

  「心」を暴力から守る。

「定期テスト対策」は暴力である。

「本気」を妨げるのは暴力である。  

「命」への積極的自己責任をとる。

「命」はいつでも強く鈍く燃えている。

「命」は自分を燃やし、他者を燃やすものである。

  「学び」とは「命」と「心」を強くすることである。

「定期テスト対策」は「学び」ではない。

「本気」でやったことだけが「学び」である。   現代日本を知る、子どもと一緒に暮らす方に、オススメの記事です。 「生きにくさ」を「生きる」ための記事一覧

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