おとのねさんが初めてタイムアウトした岐阜県立看護大学の小論文
課題文
森の寄生者でしかない人間
日本の国土の 98%が森林で覆われていた頃―まだ人間活動が自然の森の生態系をみだ していなかった時代は、森の存在が人間も含めた地球上のすべての生物の生存基盤、 唯一かけがえのない母胎であることを、人びとは意識していませんでした。ちょうど新鮮 な空気や水が豊富にあると、そのありがたさに気づかないのと同じです。開発・開墾にと って邪魔であると感じるだけで、森と人間の間にどのような本質的、具体的関係があるか、 ほとんど考えようとはしませんでした。
気がついてみると自分たちの周辺から「土地本来の森」がなくなっていることに愕然と し、人はようやく「森の再生」に関心をもつようになってきました。
そもそも、人間にはなぜ森が必要なのでしょうか? 木立があれば気持ちがいい、雨が降っても小雨であれば濡れない、夏は木陰になって涼 しいなど、感覚的に木や森があればよいと人はまず考えます。こうした感覚はたしかに必 要なことです。また最近では、防音機能、水や空気の浄化機能、都市部の夏のヒートアイ ランド化を抑える温度調節機能、災害防止機能など、個々の機能を強調した実用的な提案 がビジネスなどの世界でも行なわれるようになってきました。
しかし、そうした目に見える効用だけで、森が必要なのではありません。実は、目に見 えない森の効用こそ、理解しなければならないのです。
(中略)
日本では、人びとは太古の昔から、深い森や老大木に対して、恐れや畏敬の念を抱いて いました。しかし、明治維新あるいは戦後、西欧文明が入ってくるとともに、実証主義、計量主義が優先されるようになり、心のよりどころのひとつであった宗教的意識が薄らぎ ました。と同時に、森が何の罪悪感もなく伐採され、無造作に自然破壊が行なわれるよう になったのです。
ここ十年くらいでやっと、生活のゆとりからか、郊外にあるニュータウン周辺などでは、 裸地や荒れ地を見かねて市民が緑化を要求するケースが増えています。しかし、それも見 た目だけの緑を求める場合がほとんどです。植えた木が大きくなれば、葉が落ちる、日陰 になる、虫が来るという理由から、役所などに伐採の依頼をしてくる数も少なくありません。
私はここで、森を畏怖していた昔へ戻るべきだと、懐古主義的なことを言いたいわけで はありません。そうではなくて、現代なりの、また明日(近未来)のための「森に対する 理解の仕方」があると、訴えたいのです。
それは、「生態学的理解」です。森に対する知的なアプローチがないと、単に目に見える 不便さだけをあげつらって、「樹木があっても人間の生活にとってよいことがないじゃない か」という結論に達してしまうかもしれません。
生物が生存するためには、自分や、自分の好きな者、人間であれば属する党や派閥だけ が生き残ることはできません。好きな人も、嫌いな人も、森も、草も、木も、虫も、生物 社会のシステムが最低限維持できる程度に「共生」しなければ、自身も健全に生きていけ ません。
どんなに経済的に発展し、多くのものを所有して物質的欲望を満足させたとしても、地 球上に生かされている限り、人間も他の動物や植物と同様に「様々な縁」でつながってい ます。地球上の “生き物」は、お互い複雑に関係し合いながら、生かされ合っているので す。人類は、決して独立して生存しているわけではないのです。
万が一、人間がすべての生物、植物を抹殺してしまい、人類だけの地球にしてしまった としたら、われわれは一日も生きのびることはできないでしょう。ヒトは、「森の寄生者」 の立場でしか、持続的には生きていけないのです。これは、人類が地球上で生き延びる限 り永遠に続く冷厳な事実なのです。
森が与えてくれる魔大なもの
今朝食べた食事も、今着ている服も、リビングの机も椅子もソファーも、もともとはす べて植物からできています。
われわれが吸っている酸素も植物がつくり、吐き出している炭酸ガスは植物が光合成に 使ってくれます。ナイロンの衣服も、基本的には植物資源です。化石燃料の石油、石炭、 天然ガスは、すべて太古の時代の木生シダ植物を主とした大森林や生物が、地中で炭化し たものです。
森は、人の重量の何百倍、何千倍、ときには何万倍もの炭素(C)を蓄え、人間より何 億年も前から生きています。森が持続していなければ、地球上では私たちを含めた動物の 何人も、現在の生活を支えることができません。緑の植物が光合成によって太陽の光エネ ルギーを固定した炭水化物や、それからつくり出す脂肪など、植物起源の材料が持続的に供給されるときのみ、われわれ人間や他の動物たちは持続的に生きていけるのです。森は 私たちのように、おしゃべりではありません。何の理屈も語りません。しかし、植物だけ が、地球上で「唯一の生産者」であることは間違いないのです。
(出典:宮脇昭,木を植えよ! , 新潮社, p75 – 79, 2008 より引用,一部改変)
問い
問題I あなたが本学の受験を決定した経緯について、自ら行ったことやその過程で考えたことを 踏まえて説明しなさい。
問題Ⅱ 以下の文章を読み、問に答えなさい。
問1 著者が述べている「森に対する理解の仕方」について 200 字以内で説明しなさい。
問2 ヒトは、「森の寄生者」の立場でしか、持続的には生きていけないという著者の考えを踏まえて、森の持続のために、あなたが取り組んでいこうと考えることを 400 字以 内で具体的に述べなさい。
おとのねさんの解答プロセス
読み取り
森と人間の本質的、具体的関係
問:そもそも、人間にはなぜ森が必要なのでしょうか。
・著者の答え:生態学的理解=森に対する知的なアプローチ=「共生」「様々な縁」=目に見えない森の効用
「森の寄生者」の立場に人間が立たなければ持続的には生きていけないという冷厳な事実
=植物だけが、地球上で「唯一の生産者」である事実
・感覚的に必要だとおもうこと 緑化の要求
実用的に必要だとおもうこと
→単に目に見える不便さだけをあげつらう結論がでてしまう。
→物質的欲求を満足させただけになってしまう。
注釈:畏敬の念=宗教的意義を答えとはしていない。
結論:現代なりの「森に対する理解の仕方」によって人間は持続的に生きられる。
問1の答え
木立があると気持ちいい、森があると温度調節ができるといった感覚的・実用的な理解だけでは、森は物質的存在になってしまう。また森を畏敬の念の対象にすれば、森は精神的なものになり具体性のない存在になってしまう。これに対して著者は唯一の生産者である植物を持続的に利用することによってしか人間は生き延びられないという事実に基づいた生態学的理解を、人間が持続的に生きるために必要な「森に対する理解の仕方」として提案している。
問2の回答プロセス
自分への問い
・理解の仕方
・取り組み
緑化運動はOK?→ダメ
植樹活動はOK?→ダメ
医療に引きつけると。。。
森の持続は健康にとっても大切だ。←ダメ
森ってそもそも何をさしているの?
森であって、街路樹や砂防林ではない。
海外の森も含めていいかな。
著者の書いてくれている具体例
服・机・椅子・ソファー
化石燃料の使用
ーーーーー
問2:「踏まえて」書く。
感覚的にでもなく、実用的にでもない、人間が「森の寄生者」として森と生物社会のシステムが最低限維持できる程度に「共生」し、「様々な縁」の中で持続的に生かされあうための取り組み。
それは「森の理解の仕方」を伝えることだ。
→問いを再解釈
ではどのように、伝えるのがよいのか?(著者が文章で書いたことを?????)
具体的に伝える場面を想像して書く(主体性)
ーーーーー
問2への回答
表明:
(削除しました:著者は現代なりの森の理解の仕方を述べたが、「森の寄生者」として人間がどのように森と「様々な縁」でつながり「共生」できるかを述べていない。)私は現代なりの「森の理解の仕方」を人々に伝えることが、森の持続のために必要な取り組みであると考える。なぜなら、森と人間の間にある本質的関係を知らずに、森を感覚的・実用的に理解すれば人間は「森の寄生者」になることはできないからだ。
本文:
著者が課題文説明したことを私が日常的な会話の中で突然語り出しても、他者は理解できないだろう。また、著者の求める森への理解は「森っていいですね」でもなく「森があると便利ですね」という言葉でも伝わらない。「この服、森からできているんですよ」といった非日常的な一言で相手の記憶に「森」というキーワードを残すことくらいしか私にはできないように思う。
メッセージ:
この小論文を通じて「森」と同様のことが「命」や「健康」についても言えると思えた。日常的には意識されないが大切なものを意識するために理解を促すプロセスは人間同士、また人間と自然が持続的に「共生」するための大切な取り組みである。
ポイント
著者が注釈を書いている場合がある。(入れる?入れない?)
課題文を「踏まえて」問いを解釈しなおす。(「踏まえて」具体化する)
自分に問いかけることで、問いが(すなわち答えが)明確になる。→(考えて)「問い直す」(さらに「踏まえる」ことができた)
問2で出題の意図がとりにくい。。。。と困ったけど「筆者の代わりに続きをかけ」と仮定する。
「森に対する理解の仕方」を伝える状況を考える。←主体性使った。
ーーー
問2で何を書くか悩んだ。
具体例を100字で4つくらい出す?物足りない????
表明を次のように書いたが、「理解を促す」という「取り組み」をすることを述べたくなった(コミュニケーションの問題に読み替える)。その方が看護大学というコンテクストとも結びつく。森を増やすだけではダメ。深く踏まえる。
著者は森の理解の仕方を述べたが、「森の寄生者」として人間がどのように森と「様々な縁」でつながり、「共生」できるかを述べていない。私は具体的な取り組みを述べるとともに、それが著者が提案している「森に対する理解の仕方」と対応させて考える。
ーーー
本文の頭で、「問う」←印象深い
小論文の回答時間は、「自問自答」の時間。
小論文は「踏まえている」かどうかを問う。
メッセージ
小論文の問題を通じて学んだこと。でてきた問い。
本文で「すみません、できません」と、懺悔する。
自分に素直に書いてみる。
書きながら、問い直す。
すると、うまい言葉がでてくるかもね。
課題文と同じくらい、問いも重たい。重要だ。
おとのねさんの課題
今気づいたが、課題Ⅰも含めて100分だった。
この書き方では、時間が足りない・・・・致命的!!!!!!!!!!
小論文の勉強って何したらいいのほんと。
「自分の最高点」を目指すと無理があるのか。
長野県立大学は時間に余裕があった。
時間配分は過去問をみて、シミュレーションすること大切。
書き方は・・・うーん。型にはめて「踏まえる」ことができるか????
コメント