國學院大学人間開発学部の小論文解答例
課題文
大人になるということはいったいどういうことなのでしょうか。1月の成人の日には、 毎年日本全国各地で成人式が盛大にとり行われています。しかし、最近はモラルの面から そのあり方に大きな注目が集まり、否定的な報道もなされていることはご存じのとおりで す。そもそも、現在行われている成人式とは、新たに大人の仲間入りをする青年たちを祝 福・激励する式典です。この日を迎えた若者たちは、新たなステイタスの持つ責任とその 使命を胸に、大人としての第一歩を踏み出す重要な分岐点に立つことを実感するはずのも のです。ところが、現在ではこの式典は多くの場合、新成人たちの同窓会と化してしまい、 公の場としての性格とはほど遠い彼らの社会性の低下を露見させる場となってしまってい ます。そうした点が悲観的な見方をされるにいたったのでしょう。
ところで、日本には古来より大人への節目を祝う儀礼が存在していました。現在では満 20歳をもって成人とされますが、かつてはたとえば男子は15歳、女子は13歳ごろと、今で は考えられないほど若くして「成年」を迎え、各々の共同体の中で労働の責務を負い、ま た婚姻などが許される大人のステージに突入していました。人生の過渡期に行われる儀礼 の数々を研究者たちは「通過儀礼」と呼びますが、成人の儀礼も、人生の次のステージへ 移行するため行われる重要な節目として理解され、さまざまな研究が行われています。
ところで、日本以外の国では、現在とり行われているような新成人たちを集め、全国いっ せいに祝うような祭典を行う国はほとんど見受けられません。その一方で、大人の仲間入 りに際して、ある課題を達成することが求められる、そんな実践的な行事が行われる国や 地域もあります。ここではそんな国々の事例を紹介しましょう。
南太平洋に浮かぶ島国バヌアツ共和国には、命を賭けた成人の儀礼が存在しています。 この国のペンテコスト島という島では、バンジージャンプの起源となったともいわれるナ ゴールという儀礼が行われており、その名は世界に知られています。ナゴールでは大きな 木の樹上にやぐらが設置され、そのやぐらには植物のツルが結びつけられます。青年たち はそのツルを自身の足首に巻きつけ、そして地上に向けてジャンプ (落下)することが求 められます。やぐらの高さは約30メートル。青年たちはこのジャンプでその気概を試され、 地面ギリギリまで落下することが最高の勇気として賞賛されます。
ナゴールにおいて実践者たちは、自身でツルの長さを測り、自ら足首に巻きつけます。 当然、ツルが長すぎれば地面に突撃してしまいます。自分の命をきちっと守ることも責任 ある大人の証しと考えられているのです。ペンテコスト島の成人式は、命を賭けた度胸試 しとなっています。
命を賭けるといえば、たとえばアフリカのある部族の若者は10代の半ばを迎えると一人 サバンナに出かけます。彼らはそこで“百獣の王”であるライオンなど猛獣と対決し、それ を仕留めることが求められます。この狩りは単なる度胸試しではありません。これに成功 することは、すなわち彼らを子どものカテゴリーから、一人前の男へと移行させることを 意味します。したがって、狩りの成功者たちはその後アフリカの部族民にとって重要な部 族内会議への参加が許されることにもなるといわれ、すなわちそれは大人への仲間入りを 意味しているのです。つまり、自然界での力の象徴であるライオンを倒すことによって、 自然の中で生活する人間社会でも「大人の男」として認められることになるのです。
自然を象徴する大きな力を倒すこと、それによって大人の男になるという考え方は他の 地域にも見受けられます。ところ変わって、海に囲まれたパプアニューギニアのある地域 では、同じように成人を迎える時期の青年は、素手で凶暴なサメを仕留めることが求めら れ、この漁を完遂してこそ、大人の仲間入りが認められるとされます。
インドネシアのスマトラ島の西に浮かぶニアス島では、高さ2メートルもある跳び箱状 の積み石を助走とともに跳び越える「ジャンピングストーン」とよばれる儀礼が、成人へ の通過儀礼として伝統的に受け継がれています。ここでは石の高壁へ自ら全力疾走で立ち 向かう恐怖に打ち克つことが試されています。
また、エチオピアのある部族では、男性は成人になるために「牛飛びの儀式」というも のを経験します。この儀礼では、まず青年たちは自らの裸体に牛の糞を塗り、その後、横 一列に並べられた数頭の牛の背中を飛び歩くことになります。難は非常に滑りやすく、ま たごつごつした牛の背中を飛び歩くことは容易ではありませんが、この儀礼において途中 での落下は決して認められるものではなく、彼の牛飛びの成功・失敗は一族の名誉とも大 きく関係し、彼自身の大人の仲間入りとともに、親族、コミュニティにとっても重要なチャ レンジとなるのです。
ナゴールでは自身でツルの長さを按配して若者は空中にその身をゆだねます。つまり自 身の判断が生死を分ける……そんな場所に身を置くことになるのです。また、アフリカの ライオン狩りや太平洋のサメ源の例も、人生の次のステージへと進む権利を賭けて、まさ に待ったなしの勝負へ挑むことが求められます。ジャンピングストーンは自身の限界を、 また牛飛びの儀式は自身のみならず家族の名誉をもかけた大きなチャレンジとなり失敗は 許されません。ところで、これまで紹介してきたどの儀礼・行事も実践者自身の努力はも ちろんのこと、その社会を包含する大きな力に護られてこそ達成できるものともいえます。 すなわち、それは、人智を超えた超自然的な力に、一人前が認められたことを意味するの かもしれません。それでは、ひるがえっていまの日本の成人式とは、どのようなものでしょうか。
日本の成人式……。紹介した世界の例と比べて考えると、それは“子ども”からの卒業式、 つまり子どもとして最後のわがままを聞いてもらう、謳歌する集いになってしまっている のかもしれません。一方で、ここで紹介した世界の成人への通過儀礼は、その困難に打ち 克つことで新たなステイタスを手に入れるため、試練に立ち向かい、周囲もその姿を見届 けるという、いわば「大人という空間」への実践的な移行期なのかもしれません。したがっ て、これら身体を駆使・行使した営みは決して予定調和的な行いではなく、一歩間違えれ ばその人間のステイタスばかりではなく、その生命すら危機にさらすものも含まれている、 いわば自然や自分自身との真剣勝負なのです。
日本の成人式と世界の成人式、どちらがいいのか……などというつもりはありません。 しかし、いずれにしても、その社会を牽引できる大人としての第一歩を祝福できる通過儀 礼としての成人式が営まれることを願ってやみません。
(瀬戸邦弘『大人になるということは? – 通過儀礼としてのスポーツ -』より引用)
問い
問1 日本における成人式と諸外国で行われている成人の儀式が持つ意味の違いについ て、筆者はどのように説明しているか、300字以内で論じなさい。
問2 あなたが考える「大人の定義」について説明したうえで、その要件を満たすために どのような学生生活を送る必要があるかを700字程度で論じなさい。
おとのねさんの解答プロセス
要約
◎筆者の「伝えたいこと」
成人式は社会を牽引する大人になる第一歩を祝福する通過儀礼である。
「大人の空間」にするべし。
大人になること
モラル=新たなステイタスを持つ責任と使命感
現在の成人式
子どもとしての最後のわがままを聞いてもらう集い。
予定調和的
古来からの通過儀礼
課題を達成することが求められる実践的行事。
=真剣勝負を挑む
命をかけた度胸試し
自分の失敗が生死を分ける
借りを成功させる(ライオン・サメ)
=自然を象徴する大きな力を倒すこと
=社会を包括する大きな力に護られて達成できるもの。
「大人という空間」への実践的な移行期
問1:
△「意味」って何?「成人式の違いについて」と書いていない理由は?
《伝えたいこと》
現在の日本の成人式は子どもとしての最後のわがままを聞いてもらい謳歌する集いという意味をもっている。対して諸外国の成人式は「大人」の資格があるかどうかを問うために「大人という空間」へ移行する実践的な行事としての意味を持っている。
《伝える》
例えば、日本では予定調和的に儀式が執り行われ「大人」になるが、諸外国の成人式は、ライオンやサメを狩るといった自然を象徴する大きな力を倒す課題や命をかけたバンジージャンプといった自分の失敗が生死を分ける真剣勝負を求められ、成功しなければ「大人」になれない。
また、諸外国の成人式では社会の誰かに護られながら大人としての課題に取り組むことで「大人という空間」に踏む込むという意味をもつが、日本の成人式にはこれがない。(288文字)
ポイント
問1のポイント
◎問いの解釈:200字以上の要約は具体例をいれるつもりで書く。もしくは、言い換えて2つの文章を書く。(パラグラフを構成する)
◎要約は、筆者の言葉を、論理的思考でやさしく整理し直してね、という課題。
◎問いに合わせて「やさしく」答える。
問2のポイント
◎問いの解釈:《伝えたいこと》がいくつあるのか、問いから読み取る。→ 構成する
◎問いの解釈:《伝えたいこと》を言い換える(問い直す) → 読み取る
◎筆者の言葉を使ってもいい。自分の考えを自分の言葉で書けばいい。→ 踏まえる
◎論理的思考は「考え」を分類し、構成する。→ 構成する
◎字数オーバーにならないために・・・各構成要素に字数制限を加える。(大局的に計算する)
小論文の困難さ
◎「困難さ」を感じる理由は、思考の癖にある。癖に気がつけ!自分の中の批判者。完璧主義の人は辛い!!!!!
◎わたしの「考え」は書けることだけ書く。
◎ずばり「伝えたいこと」を言え!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
◎湧き出た思いは、《メッセージ》ですくい取ってあげる(本文では切り捨てる)
解答プロセス
△「筆者の考えを踏まえて」と書いていない!
△どのような学生生活を送る必要があるのか「具体的に」とは書いていないから、具体的に説明しなくてもいい????????
《伝えたいこと》
出題者の問いの具体化:社会を牽引する「大人」はどんな姿をしていますか。
どんな「社会」にしたい?→「大人」によってつくられる社会のあり方を《伝える》
「こういう大人になりたい」ではダメ??ダメ。
「受験という成人儀式」ダメ。
《伝える》
《伝えたいこと》
出題者の問いの具体化:「大人」になるために大学生活をあなたは自分でどう作りますか
《伝える》
《メッセージ》
教師がまず大人になることで子どもたちに「大人」になっていってもらうことが必要だ。
《伝えたいこと》
「大人の定義」
▷他者を信頼すること。
1自分から助けて、と言えること。
助けてもらう経験。自分のストレスを出す。
2誰かを助けること。
誰かを助ける経験。誰かのストレスを出す。
大人の手伝い。
▷自分を信頼すること。
3逆境から立ち直れるというレジリエンス
4今の現状をもっとよりよくしていこうというクリティヴィティー
解答例
《伝えたいこと》
他者を信頼し、自分を信頼ができる人のことを「大人」という。社会を作るためには信頼がなければいけないからだ。
《伝える》
▷他者を信頼することには2つの意味がある。ひとつは自分から助けてといえることであり、もう一つには助けてと言われた時に、その人を助けられることである。
1自分から助けてということで、人はよりよく生きられる。自分にはできてないことを他者に頼むことで、一人では成し得ない暮らしをつくることができる。自分が助けを求めることは、個人的な利益にとどまるものではない。現代であれば、クラウドファンディングを通じて助けを求めることで実現することが社会的に還元されるケースもある。
2逆に、自分が他者を助けることでも他者もよりよく生きられる。昔の農村地域の「結」を例としてあげることができる。自分を支えてくれる他者がよりよく生きることは自分がよりよく生きることにつながる。
▷自分への信頼には2つの役割がある。
3自分への信頼は逆境から立ち直る力になる。逆境から立ち直ることは「大人」として必要である。なぜなら、現代の日本の貧困や格差、犯罪や暴力といった社会現象は大人たちが自分自身を逆境に踏みとどまらせていることで起こっているからだ。社会をつくる一人の人として自分を信頼し、逆境から抜け出すことで、よりよい社会がつくられる。単位を落としそうな状況になっても、まだ打つ手があると思える自分でいたい。
4自分への信頼は、よりよいものを創造する力になる。生きる意味とは自分への信頼の積み重ねである。より美味しいご飯をつくろう、よりおもしろい何かをつくろう、というひとりひとりの気持ちがあってよりよい社会が生まれる。
《伝えたいこと》
「大人」になるために送る必要がある学生生活とは、他者を信頼し、自分を信頼する生活だ。高学歴化した現代日本では、自分自身を「大人」として「大人という空間」に入っていく通過儀礼としての役割を大学はになっている。
《メッセージ》
助からなかった人は、自殺するか、犯罪に手を出す、もしくは家庭内暴力や会社でのパワハラで他者を不幸にする。一人の問題は、いずれ、社会の問題となる。「大人」としての責任と使命感をもって大学生活を送る必要がある。子どもたちに「大人」の姿を見せていきたい。
(821字)
(削除)
社会はストレスをどう循環させるか。
小さな「子ども」でも、「大人」であることはできる。
=社会を包括する大きな力に護られて達成できるもの。
「大人という空間」への実践的な移行期
高ストレス下でのレスポンス
低ストレス下でのレスポンス
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