獨協大学小論文模範解答例【出題者の意図を踏まえていることを表明する】
課題文
以下の「社説を読んで、設問に答えなさい。
不正が起きた背景を検証し、社会全体で共有して、再発防止に役立てなければならない。
京都大iPS細胞研究所の助教(3)が昨年発表した論文のデータに、捏造(ねつぞう)や改ざんが確認された。本人は 「論文の見栄えを良くしたかった」と話しているというが、結論そのものをゆがめる重大な行いである。
今後は、実験経過を記録したノートの提出を徹底させ、チェックを強化するというが、それにも限界はある。不止は実績あ る研究者にも報告されている。それぞれの大学や研究機関は、改ざんなどを起こしにくい環境づくりに取り組み、たとえ誤りがあっても発表前に正せる仕組みの整備を急ぐ必要がある。
今回の事件で気になるのは、問題の助教以外の1人の共著者が、不正を察知できなかったことだ。助教が一人でデータを解 析し、グラフを作成したというが、みんなで生データを共有して検討を重ねていれば、気づけたかも知れない。分業化や細分 化が進み、研究者同士がコミュニケーション不足に陥っていた可能性はないか。
iPS細胞を中心とする再生医療や創薬の研究に、国は3年度からの1年間で1100億円を投じる目標を掲げる。成果へ の期待が強い一方で、同研究所のスタッフの多くは通常5年間の任期付きで雇われている。
この助教も今年3月に期限を迎えるというが、就任してから論文を発表できていなかった。焦っていたとしてもおかしくは ない。もちろん、不安定な雇用環境や研究費獲得のための厳しい競争は、改ざんなどを正当化する理由にはならない。だが、 不正がひんぱつするひとつの原因になってはいないか、議論を深めるべきだ。 倫理教育を充実させていくことも欠かせない。
ネットを通じて他人の論文を簡単にコピーでき、図表や画像もパソコンで気軽に作成できる。どこまでが許され、何をすれば不正に当たるのかという基本的な心得を、学生のころから身につけさせる必要がある。 ただ、「不正をするな」と繰り返すだけでは不十分だ。近年注目されるのは、「どんな研究者でありたいか」を考え、誇れる研究者像に近づくことに価値を見いだす「志向倫理」の教育である。やってはいけないことを一方的に教え込むのではなく、
内発的に「そんなことはしない」と意識づけさせるもので、グループ討論などの手法が有効といわれる。
さまざまなアプローチからの地道な取り組みがかんようだ。
(2018年1月9日 朝日新聞朝刊「社說」)
問い
設問 1.この「社説」に適切なタイトルを15字以内でつけなさい。
2.傍線部a及びbを漢字で書きなさい。
3.傍線部んの「再発防止」のために、この「社説」で示されている対策のうち、研究者だけでなく研究者以外の者も、その対象とすることを文日から1文字で抜きだして示しなさい。
4.傍線部のの「ひとつの原因」として、この「社說」で示されている状態を、文中からの文字で抜きだして示しなさい。
5.この「社説」の内容をふまえて、あなたの考えを501字以上600字以内で示しなさい。
おとのねさんの解答プロセス
筆者の「伝えたいこと」は何か。
改ざんを起こしにくい環境作りをしよう!!!!
現状
不正を察知できない
分業化や細分化によりコミュニケーション不足に陥っている。
現状
不正がおこる原因
不安定な雇用環境、研究費獲得のための厳しい競争
対策
倫理教育する。
何をすれば不正に当たるのかを心得させる。
志向倫理教育。内発的な倫理観。
問1:iPS細胞研究所の論文の改ざん
問3:改ざんなどを起こしにくい環境
問4:不安定な雇用環境や研究費獲得のための厳しい競争
メモ
「問い」
不正は当たり前じゃないか。
政治・労働環境・裏切り・
「不正」が起きても、許されてるのはなぜだろうか。
メモ
《本文》「伝える」不正とは何か。
明文化されているルールに反する「不正」
ルールにのっとらないことは不正。
学校教員が時間外労働をしても賃金が払われないのは不正である。規則で定められたルールを守っていないからだ。不正であるが、許容されている例。
不正であり、許容されない例。
強盗、殺人、といった凶悪犯罪は、多くの場合、許容されず、裁かれる。
ルールに則っていても不正。
児童虐待。親権というルールそのものが不正になる状況。(親権を持っていることで子供を守れなくなる場合)
民法ー親権と児童虐待防止法・子どもの権利条約ー子供の権利
不正であるが、許容されている。
明文化されていないルールに反する「不正」
嘘をついたら不正。
事実を歪めている。
ビジネスの世界では普通。
友達を止めること、誠実でなくなることは不正か。
道徳感情
模範解答例
《表明》
「伝えたいこと」
筆者は「不正が起きた背景を検証し、社会全体で共有して、再発防止に役立てなければならない」と述べている。だが、筆者は「iPS細胞研究所の論文の改ざん」を論じてはいるが、一般的な「不正」が何たるかを述べていない。私は明文化されたルールに対する「不正」に限定して考え、科学者でなくとも日常的に起こっている「不正」が「自由」の一部として社会的に認められる例を述べる。
《本文》「伝える」
明文化されているルールに反する「不正」の1つは、学校教員が時間外労働をしても賃金が払われないことである。就業規則で定められたルールを守っていないからだ。しかし、就業時間街に生徒のために自分から進んで残業をすることは「自由」であると考えることもできる。自分の手で自分の「自由」を侵害ことで、「不正」を行うことが社会的に許容される。
明文化されているルールに反する「不正」には別の姿もある。強盗、殺人といった犯罪は許容されるものではなく、裁かれる。他者の「自由」を侵害するからだ。
ルールに則っていても「不正」といえることはないだろうか。児童虐待は親権というルールそのものが他者の「自由」を侵害し「不正」とみなされる状況だ。養育者は親権を持っており、子供を守るというルールがある。だが、養育者が子どもを守れない場合、《メッセージ》
「不正」にあふれた世界でどのように何を「正していく」ことが大切だろうか。多くの場合許容されている不正をどうするか。
「不正」がわからなかったのでまず「不正」が何かを考え、論じた。身近にある「不正」に対して大学生として関わり合い、よりより社会に
ポイント
「踏み越える」論じ方の限界を感じた。「踏み留まる」論じ方を試そうと思う。
コメント